カテゴリ:キリスト教とは
(説教要約)
聖霊によって生きる道は聖なる道であり、力の道であり、征服の道であり、また交わりの道です。 第1回 聖霊による生涯 使徒2:1-21 私たちが聖霊によって生きているかどうかということが、生涯の問題なのです。 私たちが聖霊によって生まれるのも、聖霊に満たされていなければならないのも、すべて聖霊によってどんな所をも歩き続けるということのためです。 律法は、十戒を石の板に書いたものとしてモーセに与えられました。しかし今は、私たちの心の碑に書かれるのです。 聖霊の働きというのは、全くキリスト中心なのです。聖霊はいつも私たちのところに来て、イエスというお方が何を言い、何を行ったかということを思い起こさせます。 聖霊の目的は、地上において私たちがキリストのようになるというためです。一番すばらしいことは、主イエスのようになるということです。ペンテコステということは、まずキリストに似る者になるということです。 私たちは罪の事実に直面します。主が内側から変えてくださらないならば、決してイエス・キリストのようにはなれません。そのために聖霊は、イエス・キリストの死ということに目を向けさせるのです。十字架というのは、私たちの罪に対する神の答えなのです。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」ヨハネ第一、1章7節 十字架の血が、キリストらしくないものになっている私たちの生涯をきよめてくださるからです。 一番大切なことは、みんなが聖霊に満たされるということです。 彼は本当に心を開いて祈り、聖霊にすべてを明け渡されたのです。その朝、彼は聖霊に満たされたのです。 どんなにすばらしい賜物があったとしても、聖霊に満たされないなら、それらはすべて空しいものです。 ------------ 「聖霊による生涯」スタンリー・バンクス 有賀喜一訳 いのちのことば社©1975 1973年磐梯聖会で語られた説教 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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