カテゴリ:キリスト教とは
「聖霊による生涯」スタンリー・バンクスから
第2回 力の前のきよめ ルカ24:44-53 (要約) 彼らに必要だったのは、聖霊の力でした。 イエス・キリストは、この力が高き所から来る力であるといわれました。まわりにある力ではありません。私たちの内にある力ではありません。上から与えられる力なのです。 神ご自身が私たちの全人格をみ手の中に納められる時に、私たちは神ご自身の力をいただくことができます。 全生涯をかけて、私たちの日常生活のどんな細かい所までも、きよさをあらわさなくてはなりません。しかし聖霊の力なくしては、それをすることができません。 どこにあっても、きよくして下さる神の力が必要なのです。きよい生活をすることこそ、最も大きなあかしです。 キリストのあかしというのは、死んだキリストではなく、私たちの内に生きておられるキリストをあかしすることです。 私たちは夏休みスコットランドへ行き、休み中の家を借りました。楽しみにして家に入りますと、一つの部屋に鍵がかかっていました。鍵が見つかりません。下の娘は外に出て窓から中を見ようとしました。背が届かないので私の肩に登り中をのぞきました。 「がらくたが一杯。ほこりと蜘蛛の巣だらけよ。」 この家は私たちの心のようなものではありませんか。イエスにこの部屋だけはまだ明け渡していないというのはありませんか。神の祝福を受け、その恵みを知ろうとするなら、どんな部屋の鍵もみんなイエスに渡さなければなりません。 私たちがささげるものをキリストは受け取って下さり、それをきよめて下さるのです。自分自身を明け渡した時に、聖霊が働いて、力を与えて下さるのです。 ------------- 「聖霊による生涯」スタンリー・バンクスより Life in the Spirit 有賀喜一訳 いのちのことば社©1975 1973年磐梯聖会で語られた説教 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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