「モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。」出エジプト記34章7節
心に触れる聖書の箇所は限りなくある。上の聖句も最近特に心に描くところだ。
約束の地を目前にし、山の頂に立ってその場所を見はるかしながら、そこから天に昇るモーセ。
どんな感慨に浸ったことだろう。
その場所に入ることはできないが、見ることは許される。神に感謝したことだろう。そのモーセの心の思いを量るとき、自分もそのようでありたいと願う。
さらにモーセ120歳で死んだにせよ、目はかすまず活力も失せていなかった。
やり尽くし、身も心も使い尽くして、ばたりと倒れるのではなく、十分な余力を残して堂々と去りゆく。それが神の美学であるかもしれない。モーセが神に愛されていた証拠なのだ。
自分の引き際は~
まだできるかも知れない、まだ、まだ、もう少しは。
愚か者! とだれが叱りつけてくれよう。神ご自身か? わが妻か?