カテゴリ:キリスト教とは
明け方、宮澤賢治の詩「永訣の朝」が頭に浮かんだ。
高校の国語の教科書に載っていて、何度も読み返した、心に迫ってくるあの詩だ。 日本の近代詩群の中に屹立する兄妹愛のうた。 「永訣」について、思い巡らす。 キリスト教には「永訣」(永遠の別れ)はない。 「永訣」ではなく「永生」 おまへがたべる このふたわんのゆきに わたくしはいま こころからいのる どうか これが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変わって やがては おまへとみんなとに 聖い資糧をもたらすことを わたくしのすべてのさいはひをかけて ねがふ この最終連に宮澤賢治の死生観があらわれている。 賢治にとって「永訣」は今生の死の代名詞であり 彼も「永生」を心に描いていることがうかがえる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年08月19日 08時29分14秒
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