型に、はめなくてよい
クリスチャンを一つの型にはめようとする傾向がある。若い頃は、型にはまることが「クリスチャンらしい」のだと思っていた。 さらに自分が型にはまってくると、型にはまらないクリスチャンの批判をし始める傾向もある。これはキリスト教徒の傾向と言うより、日本人特有の狭さかも。外国のクリスチャンたちは、タイプやスタイルの違う信者さんに対して、より寛容なのではないかな。原理主義者は別として。 最近「型にはまったクリスチャン」など何の意味もないと、しきりに感じるようになってきた。「絵に描いたクリスチャン」というタイプは、あってもイイとは思うけど(苦笑) 「自由」「歓び」「愛」これらは信仰の実りだ。型にはめないで、思い切り表現したいよね、世のクリスチャンの皆さん、どう思いますか?