病の癒しを考える
主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。 (聖書の中の詩篇41より~口語訳聖書)今朝妻と読んだ詩篇の聖句神様は愛する者を,病む時も元気な時と同じように支えてくださると、そのことがわかる聖句だ。苦しみのうめきが時に口から漏れることもあり。いなしばしばあるとしても、魂は神様のもとで安らいでいる。その病をいやされるとはどういうことだろう。今すでにいやされて今日あると考えて良い。健康そのものでないのは肉体だけ。人は肉体だけで作られているのではない。魂やその霊は、肉体がそこなわれていても傷がないのだ。そこに信徒の平安の元がある。病のいやしの希望とはキリストの復活のからだのように信徒が同じようになる希望の中にある。ボクたちは滅びる肉体を通り抜けてやがて復活の体にたどり着く。まさしく体は完全な癒しによみがえる。キリスト信徒はそのことを知っている。