鬱になった原因
長い間、「自分は長所ばかりの輝いた人間である」という幻想に捕らわれていた気がする。子供の頃から、比較的人にちやほやされて来た。それは「密の味」で、それを味わいたいばかりに「いい子」を演じてきた。「いい子」と「ごく普通の子、あるいは悪い子」の落差が、内側からあふれ出てしまう時、人に指摘されたりして、メッキが否応なく剥がされる時、「鬱」の衣をかぶって逃げる。「短所はだれにでもある」というごく普通のことを、自分には当てはめなかった。「自分には「短所」はあってはならぬ。あっても見られてはならぬ」。自分にそう言い聞かせ続けた過去だったことが、五十の半ばを過ぎようとする昨今、やっと見えてきている。でも、気づきが始まっている。これから、本当の自分になれる気がする。