キリスト信徒やまひでの心の窓
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「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」 マタイによる福音書21章22節この一つの聖句で人生を貫くのだ。
2012年04月25日
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人の生、人の仕事は「神の歴史」の一部分であるはずだ。神が中心であり、人々は神が作られる歴史のほんのわずかの部分を担う。ボクの生、ボクの仕事は神の歴史の部分。仕事を収めてリタイアし、この生そのものを収める時が来る。それは人生の卒業式でありボクにとって晴れの日なのである。神様は御自身の歴史を作るために、さらに別の人々を次々にお召しになるだろう!子どもの頃は、学校を終えて下校する時が一番幸せを感じる時だった。ボクは早、教会の牧師としての務めをリタイアした。あの放課後、学校を後にする解放感にしばし浸った。今は、教団などにわずかなお勤めが残っている。しかしそれは生活のためではなく、感謝のためだ。こんな者を一つの教会の務めに、長い間使って下さった神と教団への感謝である。晴れやかに人生の卒業式を待つ日々なのだ。
2012年04月23日
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今は受難節という期間を過ごしています。キリストが十字架にかかった苦しみやその意義を、聖書を読みながら考える期間です。その苦しみや苦しみの意味は理屈の上ではわかっても経験的に理解することは困難です。しかし病を背負うことになれば別です。その痛み、苦痛の深さでキリストの十字架に近づけます。病めるキリスト者にピュアな信仰者が多いことはきっとそのためでしょう。ボクがやがて病むようになるときには従容として主の御苦難に寄りかかることができるようにお祈りしましょう。
2012年03月26日
年次総会の最後の準備に事務所に出た。夕方には帰れると踏んだが甘かった。10時になってしまった。でも遅い食事を3人揃って近所のレストランで取った。それは楽しかった。だんだんと整ってくる一部始終を見ていてそれなりに楽しい。
2012年03月15日
年会の準備日だったので午前中に事務所に出てから午後から友人の引越の手伝いに行きました。一所懸命に探し歩いた牧師や信徒さんたちの思いと神様の御心が呼応して新しい伝道の場所を見いだすことができたとわかりました。
2012年03月13日
牧師になってよかったことの一つは真実な友人が多いということ。こんな宝を持てる職業もそんなにはあるまい。今日は友人の引越の手伝いをしました。
2012年03月12日
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「余分な仕事を少なくするために 外注に出しましょうよ」そんな議論を昔、したような・・・でも結局手作業の報告書作りに帰る。まぁ印刷機も進化したから。両面印刷の3台のページプリンタがフル稼働。一冊分ずつセットされて出てくるから助かる。みるみる紙の包みが無くなっていく。事務所は印刷所と化した。刷り上がった書類を1冊ずつていねいにのり付けする。最後に裁断機でページを揃える。封筒に宛名ラベルを貼り、製本なった書類を入れてガムテープで封をする。最後に郵便局に運ぶ。達成感に浸りつつ、お祈りをささげて解散となる。ご奉仕の一日終わり。
2012年03月07日
雨の朝、教団事務所に出向き仲間たちと総会資料の原稿を整えた。印刷が始まったのが、夜7時を回っていた。「もう大丈夫、あとは明日」家路につくと外気はすっかり春と入れ替っている。歩きながら、冬の装備を一つ一つ取り外す。毛糸の帽子マフラー手袋家に着くと、「あぁやっと春になって嬉しい」と妻。関東での初めての冬も、ようやく・・・・
2012年03月06日
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ひとりの卒業80人の参列粛々たる卒業礼拝
2012年03月02日
「3人合格した!」上気した顔で判定会を終えた教師たちが会議室から出てきた。よかった!
2012年02月28日
浅き春の雨も、午後には上がったので夕方市役所に「確定申告」に行った。20年以上前に一~二度確定申告をした記憶がある。人がまばらなのに拍子抜け。最近の皆さんはネットで済ませているのかな?申告をするほどの収入もなかったが、義務感に駆られて行くのである。1~4月は教会から牧師給を頂いていたこと。「その分の源泉徴収票を発行してもらって、また来て下さい」「恐らく税金は還付されるでしょう」その言葉に心明るくなり家に帰った。
2012年02月23日
パスカル著『パンセ』全924章をデーターベース化しようと思い立った。ネットで邦訳を探すと、部分的には載せているサイトがあり拝借。青空文庫にあるかな、と思ったが載っていない。本をばらしてスキャンして「読取革命」でテキスト化する。順番にエクセルに貼り付けていく。まてよ。ボクの年齢では2年位はかかるかも知れぬ。ほかの読みたい本を読む暇がなくなるなぁ。それにこのデーターベスを役立ててくれる人がいるとも限らない。押し売りはだめだしな。やっぱり『パンセ』全巻データーベース化は時間を取りすぎてダメだなぁ。寿命が尽きてしまう。とすると、自分なりに厳選して、「ダイジェスト版」でやってみるかな?
2012年02月21日
母は確かに84歳になるが、74歳ほどにも見える。話し方は老成を感じさせるが会話の内容は60歳と変わらない。わが妻も64歳であるが、54歳と思い込んでも別に構わない。信仰の話でも始めればもう歳は不明である。過ぎ越してきた年月を数えることはそんなに意味のあることではなかろう。忘れていて差し支えない。
2012年02月19日
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気がつけば2月。顔を上げると日が伸びていることに気づく。外はまだ寒く日足だけが先に春となるのだ。そう「光の春」それが2月なのだ。あのときの2月ボクたちは婚約中で東京と三島から手紙をやりとりしていた。「2月はすぐに終わるので『天使のつばさ』(伝道新聞)を早く配ってしまいましょう」妻はそう手紙にしたためた35年前。そこには結婚式の日を目前にした期待がこぼれ落ちていた。ボクたちも年を取ったねぇ。あの時のときめいた気分に立ち戻りボクたちの人生の仕上げとしようね。
2012年02月02日
ボクが乗った電車は川を渡る。河川敷に小さな家が建っている。板を運んで自分で建てたのだろう。住民票はそこにあるのだろうか?ボクが乗った電車は駅に着く。道路に上がる地下道を歩く。通路に段ボール箱がキチンと置いてある。中に人が入って休むのだろう。真冬だが暖房はあるのだろうか?
2012年01月27日
会議に明け暮れた一日。記録を執るのは大変だしシリアスな場面も時にはあるがみんな仲間でもあるので楽しくもある。残った仲間とレストランで食事しそのまま帰った。明日は後半。
2012年01月12日
娘家族が礼拝に来たとき「貸してね」とエア・カウンターを持って行った。後日、「どうだった?」と聞くと台所で0.2マイクロシーベルトあったという。何も知らず、知らされず、0.2マイクロシーベルトある家で2人の子育てをしていたのだ。川崎市でそれでは、鎌ケ谷と変わりがない。エステー社の「エア・カウンター」は、比較的精度が良いという触れ込みだ。うちの方では、ドラッグストアでやっと普通に買えるようになった。オークションでプレミアが付いた値で買う必要もなくなった。
2012年01月07日
元旦礼拝は友人の教会で守りました。約2時間半かけて行きましたが車内はどこもすいていて気持ちが良かったです。初詣らしい乗客、初売りの箱を抱えている人、大きな旅行ケースを持った人たち、その中に混じりボクが座っています。病気の中、久々に講壇に立つ友だち、礼拝が終わったら、その日の内にまた病院に行かねばなりません。もし途中で講壇から降りることがあったら、すぐに交代できるように、一番前に座ります。か細い声でメッセージが始まりましたがだんだんといつもの声に。最後は堂々と、会衆に信仰を鼓舞して説教を終え今度はボクが立つように合図。ボクは教団を代表して、新年の挨拶と見舞いを述べごく短いメッセージを詩編23編から語りました。普通に説教を語る牧師普通に説教を聞く信徒そんな日常がどんなに幸せなことかを実感。わが家庭集会ではボクの帰りを待ち2時をまわった頃、わが家での礼拝が楽しく始まりました!
2012年01月01日
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34年勤めた教会から退職妻は36年勤めた教会から退職見知らぬ土地へ導かれる教団での仕事の開始家庭集会の開始妻の脳の手術大地震大津波原子力災害社会も身辺も共に激動の年だったがもうさよならだでも心は大概 安らかだった
2011年12月31日
からだは滅びに向かっていても心はそうではない。信仰に生きるとはそういうこと。からだを動かすことが少なくなる。その分、座って祈ることが多くなる。祈る時間が増えること、それは祈りが少なく、元気な時より、たくさんの仕事をしていること。あなたの祈りは神様の心を燃やしているかも?
2011年12月23日
事務所に集まった。年次総会の準備が始まる。書類を4通揃えて発送までを目指した。1枚の書類を作るのも一苦労だ。何度もプリントし、お互いの意見を聞き、修正を加える。日暮れは早い。やっと4通揃えた所で今日はお仕舞い。発送までは無理だった。
2011年12月20日
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北朝鮮の国民の悲しみを思い哀悼の意を表します。歴史の変わり目に際して長年、一つの民族を隔てていた「休戦ライン」を開放すること、今こそそれにふさわしい時です。それが総書記の死去を未来に生かす道です。そう信じます。
2011年12月19日
今日は昼前から教団の用事ででかけました。エアカウンターを持参しようと手に取ると妻が見ていて「おもちゃは持って行かない方がいいよ」目的の駅に着き友人と待ち合わせ喫茶店をさがします。小ぎれいな店を見つけて入ります。友は軽食を頼みボクはコーヒー。キミが昼食まだだったらボクも合わせたのに。二人で短くお祈りをして店を出ました。
2011年12月17日
神学校の学生クリスマスに出かけました。第1部が軽食でテーブルを囲み、第2部が小礼拝でした。メッセージは来春卒業の女子学生、学生は人を感動させるメッセージをしなくてもイイです。ただ基本に忠実であれば。その人らしい聖書のメッセージが聞けました。来会者はほとんどが顔見知り小さな教団ですので。いつまでも挨拶が続きます。
2011年12月13日
今日も教会の応援に出ました。電車を3回乗り換えて約1時間半。小振りの会堂に30人以上の礼拝出席者。教会って牧師の性格を反映します。フランクで明るく賑やかな礼拝の前。とうとう90歳を過ぎた一人の信徒さんが「礼拝が始まる時間です。 皆さん私語を慎みましょう!」ボクの教会もこうだった(笑)どこの町にも教会があります。千葉に来て月に一度ずつ、こうして教会訪問をしました。色々な教会を訪問すること楽しいです。そして自分の小さな群れを外から眺めます。礼拝するチャペルがあるっていいです。ボクの所は家庭集会だから気づきます。そろそろ看板を挙げようかな?
2011年12月11日
思わず小さな声を挙げるほど晴れ渡った空に出合った2日間も冷たい雨の下にとどめられていたから気温も上昇さぁ今日は日曜日近所の教会にのぞきに行きたい気分いやいやわが家での礼拝を守らねばなるまい小さな羊たちの牧者なのだから
2011年12月04日
3ヶ月を経過し、昨日は妻の術後検査に出ました。CTを撮り主治医の診察を受けます。主治医は相変わらず明晰にまたフランクにお語りくださり励ましてくださいました。仕事が楽しくて仕方ないというふうの医師で、ボクも妻もファンです。医師のファンというのも変ですが。ところで術後の患部は徐々に正常に戻りつつあると語られました。もう一息です。
2011年12月01日
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過日、前任の教会で、ベアンテ・ボーマン師によるチェロ・チャリティ・コンサートが行われ70名の参加者があったことを、知り合いの facebook の書き込みで知った。心の溜飲を下げたという感じがした。牧師さん夫妻と信徒の皆さんががんばった様子が、目に浮かんでくる。でも、70名もよく入ったねぇ。立ち見席が設けられたな!
2011年11月30日
インスリン管理が今一歩、うまく行かないらしく妻はしばしば、低血糖症状を起こす。インスリンがちょうど良く出てこないことがどんなに大変なことか。ちょうど良く出てくる健康な体がどんなにすばらしいか。低血糖状態になると血糖値を計ったりインスリンをからだに打ったりすることに苦痛を訴えはじめるからそれとわかる。それでも決して人生を投げ出せない。使命があるもの。使命感は人を生かす。どんなに大切なものか。彼女の使命は一人だけのものではない。ボクも一緒に負う。ボクはキミの永遠の同志。
2011年11月21日
聖書の中で人生を競技に例えているところがあります。「マラソン」でしょうか。マラソンとか駅伝とかのハイライトはゴールだと思います。たくさんの人がそこに待っていて王者はもちろん最終ランナーにまで声援やねぎらいの言葉が惜しみなく贈られます。ボクたちの人生のゴールはどうでしょう?愛する人々が囲んでそのゴールを称えてくれましょうか?きっとそうなりたいそうなるように、これからを生きる
2011年11月18日
教会の担任を辞職してゆったりとというわけには行かなかった。一つの教会の責任を解かれたらたくさんの教会のことを考える立場になった。これもまた楽しいことだ。
2011年11月16日
今年の4月末慌ただしい引越でしたが信徒の皆さんに助けられて、何とか片付けを終えこの地に来ました。来てすぐに家庭集会をスタートさせて7か月目を迎えています。予想以上に大変だった妻の病勢も頭の手術という大山を超え昨今、ようやく落ち着いてきています。妻は恐らく、生涯病と共に生きる者です。しかし伝道への意欲は強く、心燃えています。そんな妻と共に一人の人でもイエス様の元にエスコートしたいと願っています。この鎌ヶ谷市北部、佐津間の地には教会がないのです。
2011年11月14日
千葉は夕日がきれいな町ビル群や家並みを照らす。なだらかな山々に囲まれた伊豆とは味わいを異にする。ボクたちの人生の夕刻もきっと美しいのだ。強く若々しい昼間の輝きとは味わいを異にして愛する人々の心をそこにとどめるように空の端を朱く染めるのだ。
2011年11月11日
修理に出していたバイク1ヶ月以上かかって出来たとの知らせを受け受け取りがてらそのまま八千代市の友人を訪ねました青年時代から母教会で一緒に歩んだなつかしい友との再会!1年に1回は三島にボクたちを訪ねてくださった友愛する奥様を亡くされまた自身も病んでおられる友でも祈り合う喜びがある
2011年11月07日
脳腫瘍の術後経過も順調糖尿病の諸数値も安定しかし体力が戻らない。友人が心配して彼の教会の近くの漢方薬局を紹介してくれた。妻は迷っていたが薬剤師に会う決意をして今日は一日がかりで会いに行った。ろくに話を聴かないうちに妻は迷い始めやはりもう少し自分でがんばるという結論。でも行って良かった。友人夫妻とその教会の皆さんに会えた!
2011年11月04日
妻は術後2ヶ月と少しまだ食事の支度は無理です。少し根を詰めると疲れ切ってしまいます。散歩も注意深く、途中で休みながら。夜は必ず付いていきます。長くは歩けません。しばしば身を横たえねばなりません。台所のテーブルに座り一人でさんびかを歌ったり、読んだりします。歌っていてもすぐに涙声になります。神様と共に歩む恵みに感動します。
2011年11月02日
久々に朝5時にすっと目覚めたので起き出て、教団日課のヨブ記を読んだ。数日分貯めてしまった分を読んだ。ヨブの言葉には心打たれる。その言葉の前でボクは言葉を失う。ヨブを慰めに来た友人もヨブを励まし立たせようとしているのがわかる。彼らの言葉にも心打たれる、すごいよ、真の友だよ!教団日課のヨブ記はボクの教団の後輩の牧師たちが10日ずつ担当して霊想を書いている。一気に全部読んでしまった。みんなそれぞれに面白いと思った。
2011年11月01日
妻の診察日船橋市立医療センター1ヶ月ぶりに2人で訪れるのは脳神経外科。妻はうれしそうになつかしそうに主治医に会うボクも一緒。採血検査の結果を見ながら「大丈夫、 良くなっています」と主治医は太鼓判を押す。力が出ないのはまだまだ術後だから糖尿病のせいではありません、と。あの看護師さん!リハビリの先生!入院で一緒だったかたとも出くわす。糖尿病のヘモグロビンA1cも7を割って6.6三島時代の先生からも「6台に下げましょうね」と言われ続けていたこと。感謝感激雨あられ
2011年10月26日
10月末にしては暖かい日曜日の午前わが家の礼拝を始める。招きの言葉を読み始めの賛美歌を歌い出す。 「さ、主の家に行き 賛美をささげよう み前に集い 感謝をささげよう・・・」妻はしきりにハンカチで顔をぬぐう。隣の母が心配そうにのぞき込む。「○○子さん、暑いのね?」母さん違うよ、涙をふいてるの!
2011年10月24日
一神教 ユダヤ教 ヤハウェ神 エホバの証人 ヤハウェ(エホバ)神 イスラム教 アッラーの神 まったく「1」 単純な「1」 キリスト教は 父なる神 キリスト=神 聖霊=神 3人の神を内実とする けだし、3人の神 ただし、3人おそろいで一人とする これを「三位一体」という ふくざつな「1」 信じる世界の「1」 1,2,3,4,5と数える「1」とは違う 全く宗教的な「1」 一晩中考えてもうまく説明できない 信じるしかほかに道はない
2011年10月22日
キリスト教ものを見るとき神を一緒に見る。人を見るとき神を一緒に見る。自分を見るとき神を一緒に見る。神を見るとき自分の味方として見る。
2011年10月21日
きよい生活を目指すキリスト者は社会との係わりの中で生きる。現代ウェスレアンの潮流のように思うが考えてみれば、心あるクリスチャンは歴史の中で、絶えずそのように生きることを志してきたように思える。 「善良さ」にとどまっていてはならない。 キリスト様は身を捨ててこの世を愛されたが、 キリスト者も同じ道を選ぶ、それがホーリネスである。そんな内容のメッセージであった。
2011年10月20日
ボクの自分史の中で教会形成の時代は終わりました。遣わされた静岡県三島市の教会。その地における約35年間。伝道者としては、わずかな人々との出会い、関わりでしたが、牧者としては、この上もなく幸せだった魂との交わりの日々。子供を産み育て、社会に送り出した恵みの時代。ボクは教団事務のご奉仕の時代に入りました。からだの各所に衰えは感じるが心を励まし、病妻の歩みに寄り添いながら、紅い夕日を目指して歩むことを,静かに志しています。
2011年10月17日
タバコの税金を上げたり、タバコを値上げすればタバコを吸う人が減るだろう。タバコは健康に害があるから、かえってよい。こういう論調に腹を立てる。余計なお世話でしょう。タバコを吸う人は覚悟の上で吸っている。やめたい時には自分でやめる。値上げしてやめさせようとするのはタバコを吸う人を苦しめるだけ。だいたいタバコの害だけを声高に語りその効用をほとんど語らないのは公平でない。「それでもタバコはもうやめよう」おぅそれは結構です
2011年10月16日
未明に妻の声がして目が覚める。「ふわふわするので、低血糖になったかも知れない」計測すると44しかなかった。グラニュー糖を水に溶いて飲ませ、足りないかも知れないと、黒糖飴を一つ口に入れる。よく目覚めたと思う。彼女には天使がいて時々舞い降りてくるに違いない。
2011年10月12日
長身会衆をしっかりと見つめる眼は確信と愛情にあふれて心の琴線から言葉を響かすボクたちの心の琴線も共振する説教の内容はバランスが取れ平易で聖書の内容から離れずこんな説教を聴きたかったしこんなふうに説教を語ることが理想だった
2011年10月09日
前にお勤めしていた教会の役員さんが手紙をくださった。妻と読みながら新しい牧者のもと教会が息を吹き返したように生き生きと前進をし始めた予感がした。「やっぱり・・・(退いて)よかったわね」と妻。おぅ!主の御前の決断は祝福につながるのだ
2011年10月07日
仕上げなければならない書類を4ヶ月かかってやっと書き上げて送った。気づいたことがある。「できない」のではなく「やりたくない」のだということ。覚悟してかかれば、世の中にできないことは、そんなにはないのだと言うこと。残りの人生これで行こうと改めて思う。
2011年10月06日
川越市の教会をお訪ねし、礼拝でメッセージをした。おいしいカレーライスが昼食に出た。信徒さんたちと歓談。どの町にもイエス様の教会がある。主に結ばれた群れがある。心強い。
2011年10月02日
退院後、早一週間初めての診察へ。呼ばれると診察室に先生が待っていた。ご主人もどうぞと言われてボクも入る。先生の顔を見るだけで妻は涙ぐむ。元気にしていただいて感動しているのだ。若い医師なのだけどこの医師のそばにいると自分だけの医師のように錯覚する。本当はたくさんの患者の医師なのに。
2011年09月28日