2つのJ
ジザスとジャパンではなくヨブとヨナ苦難にあった時にとった態度が違うヨブが苦しみぬいている時に彼の妻は「神を呪って死になさい」と忠言したがヨブは「お前の言うことは愚かな女の言うことと同じだ」と一蹴しかしやがてヨブの口からは自分を呪う言葉が次々と・・・・ヨブよ、自分を呪うことは神を呪うことと同じなんだよパートナーの言葉って重いよなすったもんだの末、神様に諫められてヨブは悔い改めに導かれた「それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。」ヨブ記42:6(新共同訳聖書)預言者ヨナの場合は神様のご指示に背いて、海に投げ入れられる羽目になり巨大魚に呑まれて、死に臨みしかし魚の腹の中で息を吹き返し神様に悔い改めの祈りをささげるその祈りは詩編にもあるが心打つものだ死に臨める時に神に心を向けることが神に結ばれた人の心の傾向だボクはここの教会で働いて、そんな人にたくさん出合ってきたヨブとヨナに共通しているものは「悔い改め」預言者はその霊性の深さの中で神の憐れみを予感しているしかし生まれながら心に備えている「沽券」とも葛藤する神様との係わりの中で裸にされていくヨナ書を読んでいて安心させられるのはヨナがだだをこねても神様がヨナをぜったいに放さないことそれはヨブにもいえることもしかしたら自分にも神様はヨナのように接して下さっていたのかも知れない