普通であることで感激する
午前中は、1型糖尿病の妻との散歩。それから家庭礼拝をすると午前のスケジュールはほぼ終わる。今日は日ざしが降り注ぎ引き返してサングラスをかけて出た。サングラスをすると、余計にまぶしい角度があることがわかった。家庭礼拝は、聖書1章を読み、祈りをする。読みながら左目を隠してみると右目の視力はちゃんとあることが確かめられ安心する。妻は涙を流しながら、親族の救いのために祈っていた。ボクは子供の頃、小児ぜんそく持ちで、発作の最中は、普通に呼吸ができたらどんなにうれしいだろう、と思ったのだが、いつしかぜんそくが快癒し呼吸をすることが当たり前になった。今は、普通に見えることで感激している。聖書が読めることで感激している。