キリスト信徒やまひでの心の窓
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2009年第52回目の日曜礼拝を終えました。年末の礼拝に集められた祝福された人々。ボクたちは「クリスマス第2礼拝」として守りました。説教ではルカ2章後半から「シメオンの篤き信仰」を取り上げました。もっとていねいに学びたかったきらいはありますが、神様がお許しになれば、また来年もあります。
2009年12月27日
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76年目のお誕生日おめでとうございます。あなたはボクたちの代表としてどんな政治家よりも優れた外交の成果を上げてこられました。野心に猛り狂った心よこしまな人々に利用され翻弄された忌まわしい過去そんな時代に2度ととらわれることがないように、神様、どうか天皇もボクたちもお守りください。
2009年12月23日
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メリークリスマスメリークリスマスもしイエス様がお生まれ下さらなかったらボクたちは永遠に愛を知りませんでした。でも今は愛を知っています。クリスマスがあるから。
2009年12月20日
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看板を張ったり、ディスクワークのBGMにバッハの「クリスマス・オラトリオ」のCDをかけていた。明るい曲想に心がいやされる。歌の言葉はわからないがイエス様のお生まれを喜びたたえているんだメリー・クリスマス!と言いたいが明日にしよう。
2009年12月19日
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隣町・沼津市の教会が集まって、クリスマスの広告を新聞にはさんだ。B4の紙に、沼津市のほとんどの教会の名前が連なり、クリスマス礼拝とか、クリスマスイブの集会の時間が記されて、「クリスマスには、ぜひご近所の教会へいらしてください」と書きそえてある。わぁ~~すげ~~壮観!やったなどこの教会にもあるような、モノクロ印刷機で無造作に刷り込んだ体裁がかえって目新しい。しかも、こっちの三島市の家々にまで届けられているとは。うれしさで一杯になった。
2009年12月17日
礼拝出席者先週10名昨日11名奏楽者も休みで、アカペラ。信徒さんたち口には出さないが寂しく感じているだろう。励んでいる皆さんが愛おしい。妻を見れば、字を読めない信徒さんの隣に座って口移しで聖歌を教えながら歌っている。うまく伝わらないようで笑いをこらえている顔を見ていたら聖書学校時代の顔と変わっていないなぁ。
2009年12月14日
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朝は新しくなるように。夜には死んで朝に、きっと生まれ直すのだから。昨日の罪の思いやわざを紙片に記し十字架の柱に貼り付けよ。罪の思いやわざから決別せよ。聖霊を受けよ。慕わしい聖霊と、ご一緒にスタート。すべてがうまく行くと期待を込めよ。
2009年12月04日
生きていてもいいんだよ。
2009年12月02日
人を批判するエネルギーがあったら自己反省に費やしなさい。そうすればあなたにも希望はある。
2009年11月27日
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朝のインタビュー番組。ボクより8歳くらい年上のようだからじき70の声を聞こうとしている人です。朗らかで自由な人でした。髪の毛も黒々ふさふさでびっくり。青年と変わらない。万年青年とはこういう人を言うのだな。ああ気持ちいいなぁ。こんな人が世の中にいたなんて。そうだもう一人いらっしゃる。万年青年が。ボクの教団の「アノ人」
2009年11月20日
「ボクが退職して 信徒さんたちが、ばらばらになると困るな」というと、妻もいう「信徒さんたちに依存しているのは、あなた。 信徒さんたちはあなたに依存していないから それだけは大丈夫」
2009年11月18日
葬儀の日程はボクの予定に合わせて諸式を先送りしてくださいました。「中2日、亡き人と一緒に過ごせたことは良いことでした」こう言ってくださったのです。今日は葬儀があります。主よどうぞお守りを!
2009年10月31日
マタイによる福音書25章には、3つの興味を引くお話があります。「10人のおとめのたとえ」「タラントンのたとえ」「靴屋のマルチン?のたとえ」最初のは、花嫁がともしびをかざしてそれぞれの花婿を迎えに出るお話です。ちょっと怪しげな雰囲気が何とも言えません。ともしび油のストックを持たなかった人が持っている人に分けてもらおうとするのですが、断られます。ボクならあげてしまい、共倒れになる可能性が大です。次の「タラントン」その現実感に圧倒されます。そうかこの世は「神の働き場」でボクたちは「遣わされているんだ」と実感します。いてもたってもいられなくなるのです。最後のは、トルストイが「愛のあるところに神がある」という題で民話を書いています。トルストイも良いですが、こちらのが詩的だな。イエス様はこんなにたくさんの人の中におられるのか
2009年10月28日
次の日曜日のための看板を、「天は神の栄光」と書きました。「神」という字だけ小さくなりました。「神」という字があると、だいたい小さくなります。『あなたの神は小さすぎる』こんな書名の本があったことを思い出しました。
2009年10月27日
明日は「さんびコンサート」で兎束沙枝先生が来て歌ってくださる。足りないながら準備をしている。信徒さんたちもお祈りくださっているだろう。ボクも最後の仕上げにかかる。歌う先生も伴奏者も新型感冒にやられることなく無事に来てくだることができそうだ。よかった。それでも心そわそわ心配や不安が時に心をよぎる。とにかくお迎えするボクたちが喜び一杯であることが大切だなと思う。そう、まず自分が心から楽しむのだよ!ボクがすること恵まれたメッセージを恵まれて語ることおおそうだった、怠るなよ自分。
2009年10月17日
ボクが聖書学校を卒業して、恩師に挨拶に行ったとき「やまひでくん、早く結婚しなよぅ」と言われたのだった。寂しそうな顔をしていたのに違いない。でもそんなに早く結婚は出来なかった。今日は後輩の結婚式のために上京した。彼もようやく結婚に漕ぎ着けた感がある。彼の顔はいつもどことなく寂しげだった。あの時のボクのように。新婦は、大樹のように見えた。よかったなぁ。これできっともう寂しげではなくなる。あの時のボクのように。
2009年10月10日
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姿の美しさは生まれつきかも知れない。心の美しさはそうではない。姿の美しさは歳と共に滅びるが、心の美しさはそうではない。だからひたむきに生きる価値はある。
2009年10月02日
「たとえ倒れても、わたしは起き上がる。」ミカ書7章8節なぜなら彼がわたしに近づきわたしに手をかけわたしを助け起こしてくださる汚れを払いわたしを見つめほほえみわたしの背に手を回してくださる彼のぬくもりがわたしの背からわたしの全身を温めるそうだやさしく生きるんだもう一度
2009年09月29日
「彼らはわが民の女たちを楽しい家から追い出し 幼子たちから、わが誉れを永久に奪い去る。 立て、出て行くがよい。 ここは安住の地ではない。 この地は汚れのゆえに滅びる。 その滅びは悲惨である。」 ミカ書2章9-10 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年09月25日
横綱の「土俵入り」を見た。2つの土俵入り、二人とも外国人でちょっとくやしい。堂々としている。すごい綱だな。もりもりしている。しめ縄だな。神宿るところ。神宿る横綱を考えたらキリスト信徒の身体には神が宿っていると書いてあるからなんだボクたちも横綱を張っているんだ。
2009年09月24日
愛の祈り忍耐
2009年09月23日
さようなら教会のお母様午後には夫婦で行き祈り夕べには還らぬ人となった先週伺ったときお弱くなったと語り合う病床聖餐のパンとぶどう液を飲み込むことさえままならなかった「聖餐を受けられてうれしい」と顔を輝かせた日を遙かに出先に向かう車中に逝去の報を受けたが彼女の家と逆の方角に車を走らせていた車中で妻は泣いた
2009年09月22日
暑くて困っても行ってしまう夏かんかんとかっこよくても行ってしまう夏若いボクたちはやがて老いる四季のように巡り還ることはない次の世を信じてそこでよみがえり
2009年09月19日
どうも失礼楽天クリスチャン・リンクhttp://plaza.rakuten.co.jp/marop/9000楽天ブログクリスチャンリンク(ナオミさん)http://plaza.rakuten.co.jp/naomi1988/2000
2009年09月14日
受容するんだよ。すべてはそこから始まる。それが困難に感じたら神を見上げなさい。
2009年09月11日
空が美しいと感じる間は人が美しいと感じる間は生きていたいと思う
2009年09月08日
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ボクの父はたばこが好きだった平均寿命まで生きられなかったのはそのためかも知れない最後の入院の時も病院の目を盗んでタバコを吸っていた「父がいないのですが」というと「屋上に行っているかも」と看護士そこで父はおいしそうにタバコを吸っていた父とタバコタバコと父ある時、新聞に「タバコは精神安定の効果があることがわかった」と読んだとき、ボクはうれしかった父がおいしそうにタバコを吸っているそれが子どもの頃の心の風景父は心の安らぎのためにタバコを離さなかった命が短くなってもいいと思ったボクの心の安らぎは神から来るのでタバコでの心の安らぎはいらないそばにいてくれる妻や訪ねてくれる子供たち教会でのキリストにある家族ネットでのクリスチャンとの交わり幸せに囲まれているのでたばこはいらないでも寂しい人たちにはタバコがいるたばこさんありがとう寂しい人たちを慰めてくれてそして伝えて神様を信じる人はきっとタバコを卒業できることをたばこより輝く慰めがある
2009年09月05日
タレント酒井法子は覚醒剤使用で起訴された。報道でわかったことは、夫がそれの使用者で、妻に勧めたという。妻が常用していく様子に、夫はやめることを勧めたが、時すでに遅かったようだ。面白半分に妻に勧めたか?薬の効用で気分が高まる妻を見たかったのか?彼は面白半分で終わることが出来る人なのか?彼の妻・法子さんはそうではなかった。依存的体質だったのだ。のめり込んでいったのだ。覚醒剤の恐ろしさ。その甘き味は、破滅への扉だ。精神に異常を来たし、やめて何年も過ぎても突然フラッシュバックが来て、また手を出す。そして死に至る。酒井法子さんには、与えられた使命がある。早く覚醒剤常用から立ち上がり同じ苦しみにもがいている人たちの光になること。かつて栄光に輝き今、闇の心を白日にさらした酒井法子さんは新しく立ち上がる使命があるのだ。
2009年08月29日
友だちがやってきた65歳になったので年金を下ろす手続きに来たそうないいなぁボクにはまだ4年もあるぞ
2009年08月28日
千変万化(せんぺんばんか)の夢記憶では薄らいでいる子どもの頃の借家が、堂々と出てくる。ボクは今そこに住んでいて、成人した娘もいた。教団の聖会のような集まりは、神学校があった以前の教会のチャペルで。妻を見失って探していたら、女性教職の皆さんの中にいて、楽しそうにダベっている。もう亡くなっている信徒さんの訪問は、そのかたがずっと以前住んでいた家。昔と今がまぜこぜになって、一挙に出てくる。目覚めると懐かしさに一杯になった。
2009年08月27日
6月は湯澤先生がお勤めしている教会に伺いました。8月は湯澤先生をボクがお勤めしている教会にお迎えしました。そのあとの日曜日、きのうのボクのメッセージには思わず力が入った。だって湯澤先生に負けていられないもの。
2009年08月24日
足に擦り傷を負ったが、いつの間にかかさぶたになりそのかさぶたも剥がれ出した。「時」は笑いも泣きもつぶやきもしないで過ぎて行くがエネルギーを持っているのかも知れない。「時」を利用して、得るもの、手に出来るものがあるかも。「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」伝道の書3:1
2009年08月21日
10年ぶりくらい(もっと?)で姪がこちらに寄ると言うので妻と一緒にとびきりのそばや、うどんを茹でて、今か今かと待っていました。「伯父さ~ん」わぉ来た、来た夫や子供たちを引き連れて「わたし彼と出会って変わったの」親の葛藤に翻弄された少女時代の暗い影は消え失せ肝っ玉母さんに見事に、それは見事に変身
2009年08月18日
お昼から walk with Jesus 三島~沼津区間に参加します。今日は朝8時に箱根関所を出発しているはずです。台風が接近しています。雨が強くなったり弱くなったり今は上がり、空が明るくなりました。このイヴェントのHPをご覧下さい。姫井先生をはじめ、みんながんばっているようです。 http://www/walkwithjesus.jp昨日の礼拝メッセージをアップロードしました。「フィリピの信徒への手紙」第2回目 1章12節~左のブックマークからお入り下さい
2009年08月10日
準備をしているときにはそんなには感じなかったパウロのお話をした話しながら、パウロと自分の大きい落差に愕然としてきてどのように話を閉じて良いかわからなくなった
2009年08月09日
8月3日から、東海道を練り歩くイヴェントが行われています。東京・日本橋から、京都・三条大橋まで、クリスチャンたちが歩きます。今日は3日目、大磯から小田原まで歩く予定です。たった今も、この炎天下、姫井先生や、その辺りの教会の協力者たちが、歩いているでしょう明日は小田原から、箱根月曜日は、箱根から沼津ボクたちも三島~沼津間を歩く予定です。11日 沼津~吉原12日 吉原~興津13日 興津~丸子14日 丸子~島田15日 島田~掛川17日 島田~見附(ここまでで半分)18日 見附~舞阪19日 舞阪~二川・・・・
2009年08月07日
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電話の音に目覚めた。午前3時前後だったか。そのまま寝ていたかった。鳴り続ける電話のベル。こんな夜中に電話をする人の顔を思い浮かべる。夜中には携帯電話にかけるように伝えてあるはずだ。せっぱつまった電話か。電話帳で調べた見知らぬ人か。そんなふうに考えていると呼び出し音は止まった。真の牧者なら間髪を入れずに立ち上がったに違いない。
2009年07月30日
「子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります」1ヨハネ2:18「反キリスト(アンティクリストス)」なのに、世の人はキリスト教だと勘違いします。「イエス様は天使ミカエル」と主張して、主を神の座から引き下ろす「ものみの塔」など。主を愛するより、嗜癖に心を傾け、信徒の心も信仰も傷つけるいかがわしい牧師や神父もあり。終わりの時の予兆がたくさん出る時代キリスト信徒たちは、主イエスに従う喜びを証し続けます。
2009年07月16日
ウチの犬は市の広報が鳴り始めると音楽と勘違いするのか一緒に歌い出す。「広報が犬の遠吠えで聞こえない」と市を介して苦情が。何とも仕方がない、と思っていると、広報のボリュームが一段と大きくなった。逆の意味で苦情が来ないかな?今日は、目覚まし時計の電子音のような音が向かいの建物から聞こえていた。朝から午後まで鳴りっぱなし。妻に「あの音どうにかならないかな」というと「自分の耳鳴りのために聞こえない」という。あなたの方が絶えざる騒音の中に生きていたのか。
2009年07月14日
『こころのチキンスープ』妻が夢中で「寝る時間を削っても読む価値はある」という「ちょっとこれ読んでみて」うっかり傍にいると読まされる「これと、これよ」恐ろしいセクハラ暴力夫と離婚調停を成立させたが子供が見ているので夫への憎しみを手放したというお話だった「す、すご~い」
2009年07月11日
一日の働きを終えた満足感と十分でなかった思いと交錯する時です。今、ネットに載せるために録音した自分のメッセージを聴いているところです。
2009年06月28日
あなたが考えることあなたが決めることそれがさよならの言葉であったとしても静かに受け入れることができるようわたしの願いではなく御心が行われますようにと祈られたかたにならって
2009年06月22日
明日は横浜の教会に応援に出ます。二俣川伝道所です。ゼロからの開拓教会。牧師夫妻が不動産屋さんに飛び込んでから。今でも借家伝道ですがコツコツと実を結んでいます。とつとつとお話しする牧師さんにふさわしく。彼のお話はいつも骨太で本質をめがけて突進してきます。彼のようにはお話しできませんがボクのようにお話しようと思います。主の愛を。主の恵みを。救いの喜びを。さぁ
2009年06月20日
礼拝の奏楽者が、生活の変化で不在の時が多くなりました。アカペラ(無伴奏)で賛美を歌うようになりました。うちは声がきれいな人が多く、しかもせいせいと歌われるのでアカペラが良く響きます。月に一度、埼玉の方から礼拝出席にやってくるわが弟にきのうは、奏楽をお願いしてみました。彼は若い頃、独学でギターを習ったのです。賛美集にはギターコードが付いていないので前日の夜、適当に考えてもらいました。前奏からギターで。ほっとするような温かいアコースティックギター伴奏での礼拝になりました。
2009年06月15日
歯を磨かないで口臭チェッカーでチェックすると「少し匂う」と出ました。歯を磨いて、そのあとチェックすると、「匂いません」と出ました。電動歯ブラシも買いました。結構な振動で、上の歯のかみ合わせを磨くと脳天まで響きます。歯の治療を思い出しました。「牧師さんの口臭にやられて 月曜日、仕事に行く気がなくなりました」そんなふうに言われた対策なんです。日曜日に、彼の前に出て「どうだい? 臭うかい?」彼は、鼻をひくひくさせて「そんなに、臭いません」
2009年06月13日
沼津をバイクで走っていたらあなたに遭遇しました長年ひとすじのお仕事だから年季がはいってかっこいいんだ合図の棒を空中でくるくる回しぱっと止める手際よさそして「おいでおいで」あぁほれぼれする
2009年06月06日
「エフェソの信徒への手紙」の6回目のメッセージのために準備しています。この手紙を連続で取り上げようと思ったのは、母教会時代の友人が、奥様の形見のテープをボクに下さったからです。今は亡き蔦田二雄先生の「エペソ人への手紙」の礼拝での連続説教です。今日は蔦田先生のテープの11本目を聴きました。自分の説教のヒントになればいいかと。しかし蔦田先生は独自の世界を展開されています。たとえば「白と黒」が胸のすくように明快に区分けされて確信を持って語られるのです。聖書のメッセージを伝えるのに「名人」とか、「独自の」とかいう言葉はそぐわないかも知れません。浅薄な意味でそう言っているわけではありません。聴けばわかります。確信に満ちた言葉をもって聖書の言葉の「深さ」に連れて行ってくれます。だれもマネの出来るものではありません。「説教を聴く喜び」こういう説教に、礼拝に来られた信徒は歓喜するのかも知れません。「この説教をする牧師が勤める教会の信徒である」という喜びも誇りもあるのでしょう。これがプロテスタント教会の醍醐味というものでしょう。顧みて、自分の説教とは何なのか、と決まって思いはここに落とされます。表面的に整えられた言葉では、人の心は打たれない。説教を取り次ぐ者の全人格からほとばしるものがなくては聴衆はぜったいに満足しないでしょう。説教は説教をする者の全生活の集大成なのです。聴衆は、説教者の信仰の浅さをも見抜くと思います。こうなると、祈りの足りなさを痛感しますし、今日まで、内面に築き上げてきたものがあまりにお粗末なものだったと気づきもう説教を取り次ぐ気力をなくしてしまうのです。
2009年05月30日
毎朝の祈りの時間は6時半信徒さんが来られることもあり来られぬこともあり。夜明けが早まってボクもちょっと早めに起きて座り楽天広場の人たちのことを祈るようになった。個人的なメールのやりとりなどで名前がわかっている人はいいけれどハンドルネームだけで祈るのは、ちょっと気合いが入らず。
2009年05月27日
コメント(16)
医学を知らない者の私見ですが。今、はやっている新型風邪の感染力には驚かされます。しかし弱毒性だということに救いを感じます。多少の広がりは仕方ないから、弱毒性のママ静かに終わって欲しい。この風邪の怖さは、ぶたが発生源と言うことにあります。動物の風邪は人には移らないと言われて来ました。人には人の、鳥には鳥の、ぶたにはぶたの、というように、病気にも棲み分けがあります。ぶたから人へ、人から他の動物へ、また人へ移るたびに形を変えるかも知れない所に本当の怖さがあります。ウイルス恐るべし。たとえばエイズはアフリカのチンパンジーの風土病でずっと以前から存在していたと、読んだことがあります。それが突然人に移り、全世界に蔓延しました。どうしてそんな事が起こり始めたのか、それは謎です。世界は曲がり角に来ていてもう大きく曲がり始めている、そんな気がする昨今です。
2009年05月23日
今日という日の扉を閉じようとしています。主よ、感謝いたします。あなたが明日という日を備えられるならわたしも明日のために祈ります。明日、あなたに従う者としての良心に従って歩めますように。わたしの良心をテストさなる場所にわたしを導かれるときにはあなたに助けられて、そこに進んで身を置きあなたに従う者としての勇気と愛を証できるようにお導き下さい。では主よお休みなさい。
2009年05月22日