キリスト信徒やまひでの心の窓
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コロナ明けから,1泊2日に短縮されたがボクたちの夏期聖会が始まっている。夏期聖会も、ケズイックコンベンションも夫婦で休みなく参加していたが妻が出かけられなくなり、二人でYouTubeでの参加に切り替えている。会場の空気に直に触れられなくても、メッセージや賛美に恵みがあり、これは変わらない。昔ながらの聖会のメッセージが語り継がれている。昨日から,午後、夜、今朝と三度のメッセージが取り次がれ残すところ、今日の午前、午後の2回となった。(ホーリネス関東夏期聖会HPをごらんください)
2024年07月31日
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69歳で召天した友人の追悼文集を引っ張り出した。読みながら引き込まれていく。一筋に生きた彼女も恵まれていたがその最期、周囲のたくさんの人たちが関わり、手厚くサポートしていた様子が浮き出している。「真実」という言葉は余り使いたくないがほかに言葉が見つけられない。
2023年11月28日
日韓親善宣教報告会がZOOM開催され、参加した。吉田耕三夫妻が41年前に韓国に渡り、このわざが始まった。そのポリシーは一貫して「謝罪と和解」40有余年、謝罪と和解を貫いてこられた。まだ幼かった娘さん2人と奥様と連れだって海を渡る。家族にとっては突然の渡韓だったようだ。娘さん2人はそれぞれに献身し上のかたは韓国で下のかたは日本で働いておられる。地味な働きであるけれど二心のない信仰の心二つの愛(神と人への)が一つに合わされている。見習いたいものだ!
2023年11月24日
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小さな群の教職セミナーに参加した。コロナ明け(?)で待っていたように駆けつける。初めて参加した若い教師が「教師の集まりなので恐る恐る参加したけれど 皆さんリラックスしていて安心した」と感想を述べた。若い群で出発したが、30年経ってもう若くはない。話し始めると、みんな若い。目に涙をためてお話しする人言葉を詰まらせて話す人信徒の前で押し殺してきた感情は同労者の前で開かれる。大変だったのだね。
2023年11月11日
神学生の夏期伝道は3人で。朝、教会に到着し、特別礼拝をささぐ。4年生が説教を担当3年生が司会、1年生が証詞それぞれ礼拝の担当をした。説教者はさすがに4年生で、講壇に立つと、すでに説教者然として音声も明瞭、内容も平易だった。粒よりの学生たちだな。
2023年08月20日
今期の教区長は熱い心にあふれているこの春就任なさって、全教会を見て回ると言いはるばるボクの家までおいでくださった心にたくさんの引き出しを持っておられて惜しみなく引き出して見せ、ボクたち夫婦を新しい世界に連れて行ってくださる
2023年07月11日
前期最後の授業で神学校に出る。各学年1名だが、年齢のバランスが良い。女子はわすか1名で気の毒かと思ったが、さすが献身者、動じていない。来週はテスト、それから夏期聖会を経て、夏期派遣が始まる。思いっきりご奉仕できる場が準備されますように。
2023年06月28日
十字架の上の七つの御言葉をいつか全部、語りたいと思っていた。先週とその前の週に、三つの御言葉を礼拝で語った。「ほんとうはね、七つみんな語りたかった」と、伝道師につぶやいた気がする。お願いしたのではないが彼はこの聖週の祈祷会と早天祈祷会で残りの四つを、一つ一つていねいに全部語ってくださった。しかもボクがこう語りたいと思った心が通じたようにいなそれ以上に恵みを込めて語ってくださった。
2023年04月07日
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昨日は祈祷会で詩篇102編から奨励をした孤独の底から神に心を傾ける神に心を注ぎだしていると信仰者の心が確かになっていく詩編の信仰の一つのパターンだ理屈ではわかっているが、心が伴わないときもひたむきな祈りを通して理屈と心が一つになるのだろう昨日の祈祷会のメンバーは伝道師と前牧師の奥様とボク3人で心を注ぎだして祈るとどんな問題に向かっていても心が軽くなる
2023年03月31日
母はずいぶん教会の奉仕をしてきた。霊的な資質は与えられていない代わりからだを動かしながら教会に仕えることで信仰を保ち続けて来た人だ。老人ホームにとどめられ、奉仕や、集会に出席する機会を失うと信仰の危機を迎える。週に一度訪ねて、聖書を読み、一緒に祈ることは、母の信仰を呼び覚ます時になっている。祈った後は、「気持ちが落ち着いた」と口にする。「神様のことを忘れることもある」とも言う。キリスト教の老人施設だったら、居ながらにしてメッセージがあり賛美も聞こえてくるがこの世の施設にはそれがないから、信仰の道を全うするためには周囲の支え、祈りの応援が不可欠だ。
2023年03月11日
昨日から「日本ケズィック・コンベンション」が開かれている。今年は、先々週の東北ケズィックの集会から、ウェブで拝聴した。明日の祈祷会は、ケズィック合流でなくなったから淀橋に出かけていきたい。
2023年02月22日
小さな家庭集会は、二人の若い神学生を迎えた先週から礼拝を止め、聖書研究会に変更したばかりせっかくなのでお二人に献身の証詞をお願いした神様に捉えられたお二人であることが分かった彼らは、こんな小さな群があることを体験しただろうボクたちは、小さな群をも神様が顧みていてくださることを確信したはて、神学校の名前を聞きそびれたぞ
2023年01月28日
前任地の牧師会(超教派)が行われオンライン参加に招かれた。ボクと前後して転任したもう一人の牧師も招かれて、11年ぶりのお交わり。11年経ち、天に召された同労者あり。道で遭ってもわからないねぇ、と言われお開きになったあと自分の顔を鏡に見に行く。
2022年11月15日
久々の対面の集い「日光オリーブの里」に集まった。3年ぶりかな?みんな年輪を重ねた。自分も。終わりの聖別会は近くの塩谷キリスト教会に場所を移す。礼拝堂が人で満ち、前の方に座ったら、賛美の声が後からウワッと迫ってきた。こんなふうに歌うのは久しぶり。牧師さんたちそれぞれ決心を胸に帰って行っただろう。
2022年11月12日
今お勤めしている教会は紛れもなくボクを送り出した出身教会なのだが牧師としては新参者前任牧師の病気・辞任のため、教団から遣わされて来ているのだ主の日の礼拝に集まるのはボクと同世代(団塊世代)の信徒さんたちひとまわりほど若い信徒さんたちわれを忘れるように教会を愛し仕えておられるボクや皆さんのご奉仕からの帰り道神様がいつの間にか側に来られて「よくやったね、どうだい、このままわたしの家に来ないか?」そんなふうにして天に昇っていける日も来るかも知れない
2022年09月04日
今日は神学校の卒業式(2名)晴れやか、うれしそう喜びはこちらもまっすぐに伝わるあっという間に4年間若いって素晴らしいし献身者は年とっても初々しい神様に献げるって素晴らしいなどうせ生きるなら神様に献げて生きようまっすぐに足りなさも全部、神様とご一緒に!さぁこれから神様の畑を耕す農夫だぞ地味にこつこつと行け!人のお顔をまっすぐ見ながら天の御国に続く続く道を~
2022年03月04日
「成人の日」はボクたちの聖会の日「聖書日課祈りの課題」には北海道新年聖会東京新年聖会九州沖縄新年聖会信徒交流会と書いてある。同時開催でも、YouTubeで残るから全部、聴くことができる。挑戦してみようか!
2022年01月10日
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引退なさった牧師の説教担当で、本年の最終礼拝を終えました。恵まれたメッセージで感謝しました。その恵みを的確に捉えた信徒さんの応答の祈りも、心高める時でした。ボクの務めはあと3ヶ月です。1年の約束でこの教会に遣わされたのですから。何とか、9ヶ月間守られたと思います。前任の牧師の奥様を始め、教会の役員の皆さんの全面的サポートをいただいて進めて来られました。日曜派遣の神学生のサポートも、なかったら出来なかったと思います。4月から、わが小さな教団が、どんな新教師を遣わしてくださるか心待ちにしています。
2021年12月26日
晴れ渡った千葉県北西部の朝昨晩来の季節風も収まる。今日はわが家の一足早いクリスマス礼拝40年来の親友、飯村師ご夫妻が来鎌。一年に一度の楽しい講壇交換である。
2021年12月18日
CGN-TVで、ドキュメンタリー「路上の隣人」を繰返し放映している。妻と3回ほど観た。観るたびに胸を熱くする。横浜のカナンキリスト教会の活動を追ったもの。路上生活者にここまで寄り添い仕えられるのか。淡々と自然体で仕える、牧師夫妻の姿。路上生活者たちが、教会の奉仕者となって、その輪を広げていく。
2021年06月06日
関東夏期聖会が終わりました。大学四年で初参加、今日まで一度も休まず、その変遷を体感してきました。先年までは運営側に身を置いていましたが、今は運営陣が入れ替わっています。二泊の日程が一泊になったり、様々に試行錯誤を繰り返していますが、意外にも、内容、実質は変わりません。今回は、九年ぶりに妻と一緒の参加でした。みなさまが妻を見つけ、顔をほころばせて近寄って下さいました。「ワー随分お元気そうですね。ヨカッタ」笑顔と笑顔が交差します。クリスチャンって、引き付け合う存在なのですね。
2019年07月25日
属する小さな教団の総会を終えた。恵みにあふれたこと2人の補教師准允と派遣2人の正教師按手喜びに沸き立つ先輩牧師の追悼の時間にも苦も病もない輝く天を仰ぐ辛かったこともある11時に終えるはずの事務会が午後1時を回っても終わらなかった末の世に置かれている群であることを実感。ボクたちの乗る舟は、木の葉のように翻弄されている見よ傍らで主イエスが眠っておられる起こさないようにしよう。
2019年03月29日
ボクたちの神学校が創立30年を迎え、感謝の礼拝と感謝の交わりの時を持ちました。校舎もなく、教会のひと部屋を間借りしてあわただしく始まりあれよ あれよ という間に隣のビルに移動しそれから100メートルくらい近くの古ビルを購入まもなくしてすぐ裏手のビルが倒産し競売に掛かり不思議に入手できて、壁の一部を壊してくっつける。祈り、献げもの、汗と、涙 → 喜び教会も教団も神学校も「大好き!」という人たちの手でキリストの旗を掲げるだけではなく心の中まで記されている、キリスト
2018年05月10日
説教の準備のために、久しぶりに文語訳聖書を取り出した。その聖書は、東京聖書学校入学記念に、向島教会青年会がプレゼントしてくださった革装文語訳聖書。前の扉には、亡き恩師・加藤省三師より「あわれみを受けて、この務めについているのだから、落胆せず」と口語訳で聖句が書かれている。聖句の素晴らしさと、筆書の素晴らしさ。左端に、「祝入学」日付は1972年4月2日。後ろの扉には、青年会の皆さんの寄書長い長い間のお祈りありがとうございました。ここまで歩いてきました。2017ー1972=45献身45年となりました。
2017年11月22日
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500年目の宗教改革記念日とホーリネス教会創立100年記念日と、奇しくも一つとなり、今日は旧・ホーリネス教会のメンバーだった諸教団諸教会有志が集合した。一緒に礼拝を守り、聖餐式に連なり、昼の交わり、そして午後には、交わりを深める時を持った。会場、日本キリスト教団赤羽教会に集まったのは、85名。30年ぶりに会った東京聖書学校の同級生もあり。なつかしさにあふれる。はるかに思いは深まる。こうして、分かたれた友、カトリック教会の皆さんとも一緒に集まり、聖餐を共にする日が待ち望まれる。
2017年10月31日
あなたは美しい置物ではない。心があって、いつも2つの方向に向かっている。神に向かって注がれる心は静かに祈る心求めて祈る心読みつつ、聞きつつ祈る心周囲に向かう心はそこにあふれる心妻に、夫に、子に、親に友人に、道を歩いている人にあふれるまなざしあなたは、美しい置物ではなく泉のようにわき出している人
2017年08月13日
アバ兄が、続けると言っておられるので、ボクももうちょっと。お互い、殺風景なブログであることが共通している。言葉の羅列だけのブログ。だれが見ていようがいまいが、たいした問題で無い。ふふ、年の功かな?アバ兄が頑張っているのが心強い。彼は南船北馬、たくさんの信徒の皆さんを、一人の信徒として訪問なさっている。作曲家、カトリック教会音楽指導者。その合間にブロクを更新なさるのだ。彼は教会音楽だけでなく日本歌曲も作っている。CDを送っていただいた。聴いていると、なつかしさに心熱くなる。時代は違うが、滝廉太郎、大中寅二とかと、充分肩を並べている。信仰の香りもある。ボクがもう少し、からだが自由になったら、会いに行くぞ!!一緒に聖歌を歌おうぜ! 2重唱をしようね。信仰、そして使命に生きるカトリック信徒たちに出遭ったのは、このブログをやっていたお陰。以前はギリシャ正教のかたもこの楽天広場におられて、そのピュアな信仰に驚いたものだ。そのかたは重いご病気であったようで、もう天の人になられているかも。そのかたからは、短期間だったが、かけがえのない信仰を学んだ。
2017年06月26日
旧友がメールで教えてくださった。驚き、寝る支度をしていた妻の所に行き、一緒にお祈りをした。なつかしい先生!その町のカトリック教会で行われていた朝祷会に毎週のように出ていた。その時代、カトリック教会には、ルシアン・メイアー神父がいた。ぼそぼそ話をする神父と青空のように明るいデルミン師が好対照だった。ルーテル教会とカトリックと、歴史的には危ない関係のようだが、仲良しだった。やはり「草の根」だよ。デルミン師は伝道精神の塊のような人だった。だれにでも、にこにこ顔で近寄っていく。この宣教師によってどれだけ多くの人が、クリスチャンになったか!天の御国でメイアー神父と旧交を温めているかも?
2016年10月08日
ボスが亡くなってから1年たち記念礼拝と記念会が持たれました。ボクたちは礼拝をお休みにしてみんなでボスの記念礼拝に出席。こちらは全員でも5人ですがみな揃って出席できうれしかった。久しぶりに、大勢が集まる礼拝出席。200名ほどは集まったかな。何もかも新鮮です。ボクたち家庭集会のメンバーも大会衆の中で一様に感動していた様子。ああ連れて来てよかったと感謝の思いあふれる。礼拝が終わり教会を後にしようとすると現牧師の奥様が追いかけて来てくださり家内をねぎらってくださいました。さぁまた来週から5人の礼拝ですぞ。復活祭も近い。
2016年02月21日
アバ兄が、DVDをお送りくださったので、昨晩は一人で視聴しました。静かで穏やかで不思議な空間余分なものは何一つない。ハンセン病患者の夫婦から生まれた女性が70歳を過ぎた今日までにたどった道が、諄々と朗読される。アバ兄がつけた曲がバックで演奏される。終わるとその女性(修道女)が登壇して挨拶演出というものは何もない。ただありのまま、たったそれだけオリジナルとはこれを言うのだ。大げさなもの、作り物に慣れきっているボクたちには衝撃に近いものだった。そこにカトリック信徒の底力を見た!富士山の伏流水が、だれにも知られないところに小さくわき出ているようなものだ。最後にアバ兄、ありがとうございます。あなたがたの愛の労苦が主に報いられますように!
2016年01月28日
昨日は東京新年聖会に出席しました。恵みを求める人で、会場いっぱいでした。きっと信徒の皆さんは、年頭の聖会を楽しみにして、淀橋教会に集まるのです。ボクが修養生の頃は、聖別会は元旦礼拝の後に始まり3ケ日まるまる聖会が持たれていました。最近は「成人の日」の一日聖会になりました。会が進み聖歌隊が登場し、2曲歌いました。隊員のお顔を見ると、みな一様に輝いています。キリストへの信仰の歌を歌う喜びがあふれています。歌声も確信に満ち、はつらつとしています。聖歌隊はいいなぁ。ボクも思わずその裾に走り寄って一緒に歌いたくなりました。3回の集いに出て心から満足して帰りました。
2016年01月12日
かけがえのないボスの召天の報は教団一斉メールによるものだった。月曜日夜のことだった。PCの前でしばらく頭を垂れる。「前夜の祈り」副牧師は司式、そしてボスの息子さんが式辞を述べた。温厚な人柄にふさわしく控えめな姿で言葉を探し、かみしめながらお話をなさる。参列者の心に平安をもたらす式辞だった。弔辞は教会の各会の代表が3人感話を述べた。牧者と信徒のつながりを感じさせるお話のふさわしさ。「次の日の葬式」副牧師は終始声を詰まらせながら自分たちの牧師の帰りを祈り待ちわびていた自分と会衆のために慰めと信仰の言葉で式辞の言葉を述べた。弔辞は外部団体から一人ありまたボスとかげがえのない絆を結び共に教団と神学校を形成した2人の友人が丁重にまた真実に故人と共に励んだ恵みを証しした。その生きた時代は確かに激動の時代ではあった。先頭に立った星々のその一つの星は天に舞い上がった。
2015年02月28日
天の御国には、「ただいま!」と清々しく帰る。神様のために精一杯働いた人がいちばん誇らしく帰る場所へ。「主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」 詩編23:6bご趣味は?「聖書です」(にこにこ)次のご趣味は?「それも聖書です」(にこにこ)で、その次の趣味は?「さんびか、かな」(にこにこ)
2015年02月26日
今朝は佐倉在住の友人の教会の礼拝を応援しました。「特別礼拝」でしたが、友人夫妻とボクと3人で厳粛かつ安らかに礼拝を守りました。旧約聖書「ルツ記」を選びました。今日のために、あらかじめ先週自分の家での日曜礼拝で、同じ箇所をお話ししました。先週、家族と一緒に聖書のその箇所を、読みながらお話ししているとルツ記のメッセージが、水絵のように浮かび上がってきましたので今日はそれをお話ししました。友人が、「まるで静岡の教会でやまひでのメッセージを聴いているようです」と言ってくださったことが、嬉しかったです。さて、ボクが留守をしたわが家庭集会の礼拝はどのように守られたのでしょう?録音を頼んでいたので、これから楽しみに聴こうと思います。
2015年02月01日
友人から訪問を頼まれていた老婦人を訪ねました。千葉県最北の小さな老人施設です。evernoteのメモを見ると前回の訪問は10月末です。クリスマスにも行けず、正月も行けず、時は飛び去っていきますね。今日は冬らしい晴天で訪問日和このくらいの気温だと最高の季節です。彼女の所属教会の若い牧師夫妻の話をするとなつかしそうに喜ばれます。長居はしないようにして・・・・賛美と聖書、祈りみかんのお土産までいただいて恐縮しました。
2015年01月05日
コメント(6)
クリスマス礼拝はいつものメンバーで守りました。何もかもいつもと変わりませんでした。妻と母の証しの言葉に加えてクリスマスの讃美歌を歌いクリスマスのメッセージをお話します。変わらないってすばらしい。いつもの礼拝メンバーからだれも欠けなかったからです。ギターで伴奏してくれるわが弟来年は87歳を迎えるわが母病中のわが妻も今年も無事にクリスマスを迎えた。親の介護の使命をもって共にいる末息子は礼拝への態度が徐々に本気になってくる。来年も同じメンバーでクリスマスを迎えたいね。でもすべては主の御心の中何が起こっても、御手から受け取ります。礼拝後はお鍋を囲みました。ボクたちの家庭集会のクリスマスはこれでおしまい!!
2014年12月21日
昨晩はお手伝いをしている神学校の聖誕祭に行ってきました。図書室で、祝会と礼拝が行われます。いつもより出席する信徒さんたちが多い!なつかしいお顔が・・・・家族総出の牧師さんたちも・・・・ 温かく、和やか一人の学生がボクの所に来て「今年はみんなの心が不思議に一つに揃いました」本当に、学生たちはのびのびとその人らしく司会をし、証しをし、演奏をし、メッセージをしました。食事も質素でよかった(笑)聖誕のその夜もきっとこんなふうだったのでしょう。
2014年12月13日
一昨日の夕べ食事の後片付けや家族の歓談の時妻は食後そのままテーブルに座っていた妻は小刻みに震えだしたボクはからだを押さえ手をさする神に助けを求める脳腫瘍手術の後遺症てんかんの発作と見た突然妻は歌い出した「青きまきばと清きみぎわ わが主は共にまして われを導きませば楽しああわが主」歌い終わって一点をじっと凝視している15分ほどのち正気に帰る「あなた歌っていたよ、知ってた?」「知らない」そうか神か天使かがキミに授けた歌だったのだてんかん発作に打ち勝つために
2014年11月28日
教職ゼミに来ています。一日目が終わりました。信徒のためではなく、求道者のためでもなく、自分たちのため、喜びと、苦しみを分かち合うためです。
2014年11月11日
最近は夜に帰ることは珍しいのだが今日は会議があり、仲間たちとレストランで夕食を取って帰った。神学生の時代から共に過ごした友人だ。意見の違いを戦わすこともあるが、気心を分かり合っている。仲間はいいなぁ~と感じいる。家に帰って、今日は仲間と食事をしてきた、と妻に伝えると、「だれとだれ?」 と聞く。名前を一人ずつ挙げると「よかったね」と妻は心から喜んだ。ボクの仲間は、妻の仲間でもあるのだ。
2014年01月30日
ボクたち夫婦の共通の友人が亡くなった。妻は教会の青年会時代から。ボクは聖書学校の修養生時代から。ずっと茨の道をかき分けながら黙々と歩んだ。教会と教団に命をささげるように生きた。「守り続けることは当たり前のことではない」友人の背中はそう語っていた。あなたを見ているとわかるような気がする。それを考えるとボクなどはよほど日向を歩いてきた気がする。3人で秋の箱根を散策したねぇ。背の高さほどのススキの原を歩いたねぇ。3人で写真を撮ったねぇ。そうだ写真を出して来よう。
2013年09月13日
生きているとは不思議なもの虫の息でも生きていれば心をつなげられる息絶えた瞬間から感情は別のものに取って代わる老いとは滅びへの準備であることは確かである色々な所に故障が始まるガンになることもあるそれは肉体の滅びへの一里塚であろうキリストは信じる者には永遠の命があると繰り返し語られた老いる身には希望の光となる虫の息でも生きていられるなら心をつなぎ続けられるそれから「お休み」と挨拶して永遠の命の朝に身をもたげるのだ
2013年08月01日
夏期聖会に参加した。ボクも説教を担当。最後のセクションだが前も同じセクションで担当したことがある。それがボクのイメージらしい。「よろしくね」友だちがボクを励ます。ここでの説教担当はこれがもう最後かも知れないとそんな思いにとらわれる。無事に一つの責任を果たすことが出来て感謝の思いにあふれる。快い疲れを感じている。
2013年07月25日
今週は休まず妻と午前の小礼拝を守った。賛美を歌い、詩篇を読み、心に留まった聖句を読み合いボクと妻と交互に3回祈る。1回目、それぞれ自分のために祈る。2回目、家族親族のために祈り3回目、友人の牧師たち、前に勤めていた教会の牧師や信徒さんのために祈る。「主の祈り」で終わる。明日は日曜日だから、この小礼拝も少し人数が増える!
2013年07月20日
今年度は事務所に出る日を週に一日にしました。妻と一緒の日がほとんどです。妻がもう少し元気を取り戻せば近隣の教会の祈祷会を訪ねたいと願っています。妻とは午前中に家庭礼拝新約聖書を1章ずつ読み続けて5月末に読み終えました。次は「詩編」を読むことにしました。口語訳聖書がなつかしくて詩篇は口語訳を読むことに決めました。また同じ章を新共同訳聖書でも読むことにしました。詩篇は慰めに満ちています。
2013年06月03日
マリアは母である人々の頂点に立っている。彼女の元には母である人々が身を寄せているのだ。神に似た忍耐神に似た愛神に似た信仰
2013年05月19日
明日は友人の教会を応援します。それでわが西佐津間家庭集会の礼拝は午後にしていただきました。1時半からです。いつもは礼拝を終えて、楽しく昼食を頂きますが明日は楽しい昼食の後、ボクの帰りを待ち、それから礼拝が持たれます。娘家族もやってくるようです。明日は生涯でいちばん嬉しい日になるかも?なぜって? なんとなくそんな予感がするのです。
2013年04月27日
原因はわからないが、心がハイになる。礼拝の前わけもなく、だれかにとって最後の礼拝になるかも知れない予感に迫られいつもはラフな恰好で礼拝に臨むのに今日はネクタイと上下おそろいのブレザーを着た。賛美、祈り、お話にも力が入る。今日の礼拝者、ボクを入れて4人。
2013年04月21日
ウェスレーの伝記を読んでいて思う。彼は18世紀を丸ごと生きるように、87歳まで生き、最後まで伝道のために予定を立て前進した。これじゃぁボクも弱音を吐いては居られないと思う。歳だ、歳だと自分に言い聞かせ人にも「もう歳なんで,若い人に」なんて言うのはよそう。Onward, Christian soldiers, marching as to war,with the cross of Jesus going on before.
2013年02月09日
メリー・クリスマス!今年も無事に迎えるクリスマスとはいうものの今朝の朝ドラを見ていたら胸が悪くなりもう2度と見るまいと思った。でもきっと見ると思うけれど。心にある古傷に触られたのかな?もうぜったいに癒されていると思っていたのに・・・メリー・クリスマスそれでもあのクリスマスの赤ちゃんのことを忘れないように。クリスマスの朝、早々にいやなニュースを目にし耳にしてもクリスマスは変わらない。不幸なたくさんの事件の加害者にも被害者にもならなかった幸運。喜びを、小さな事の中に見いだすことができるように。メリークリスマスメリークリスマスメリークリスマスあなたに
2012年12月25日