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テーマ:オランダ情報(80)
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ここ2年くらいオランダローカルペーパーで 騒がれていたフェルメールセンター(Vermeercentrum)が この5月にようやく完成。 デルフトのマルクト北側にある 聖ルカギルドを模した真新しい建物がフェルメールセンター 入ると、右手がお土産屋さん、左手がカフェ。 地下1階と2階が展示場、大人1名8ユーロ 予想通りというか、 織り込み済みというか デルフトセンターの地下一階には フェルメールの作品のカラーコピーが並べている。 デルフト市には、あのフェルメールの作品、 全作品はもちろん、1点すら購入する財政の余裕はない。 このセンターも、デルフト市と有志の寄付で ようやくこぎつけた。 これから、もっと充実した博物館になってほしいなという 老爺婆心でもって、いってきました。 ただ、お土産をどうしても買いたいという人は、 そろっているのでおすすめ。 地下1階のフェルメールの簡単な映像付き 解説(英語)があるけれど、 フェルメールは、長女の名前に 義母の名前をつけたようだ。 資産家の義母に、全くアタマがあがらなかった マスオ状態のフェルメールが目に浮かんで おもわず爆笑してしまった。 フェルメールは、21歳でカタリーナ・ボルネスと結婚するのに プロテスタントからカソリックに改宗している。 「プロテスタントからカソリックに改宗する」 とは、当時はどういう意味をもったのか? 非宗教家、無宗教家してしまった人間が多い オランダや日本では、ちょっとピンとこない。 でも、無宗派・無宗教化のすすむオランダでもときどき 「妹のダンナって、プロテスタントなのよ」 とか、溜息つきながらブツブツ文句をいう人によく出会う。 なので、17世紀当時はかなりショッキングで フェルメール自身、悩みに悩んだ末に カタリーナへの愛を選んだ男だったのではないかと 筆者は勝手に想像する。 愛に生きる一途な男だったのだろうか? 今現在でいうと、どういうことなんだろうか? 筆者の全く勝手な想像なんだけど 例えば、例えばですよ。 日本人男性で、オランダの女性と婚姻関係を結び 日本国籍を放棄して、オランダ国籍を取得し ずっとオランダ語で生活し 日本語は一切、使わない。 日本人コミュニティーとは疎遠になり オランダ人コミュニティーの中で生活するっていうことかな? ずっとオランダ語で生活するなんて 想像するだけで、疲れるけど。 オランダの中でかなりいろんなコミュニティーがあって 70年代くらいでも、カソリックとプロテスタントは コミュニティー、通う学校は違うし 読んでいる新聞・雑誌、 言葉遣いや挨拶も違う。 つまり、接点があまりなく 文化や伝統、価値観も違う。 こういったことは、今ではかなり希薄になり 同化されつつあるとはいえ、 まだある程度残っている。 それを考えると フェルメールという男の 不器用で愚直な 愛に生きる一途さを感じる。 フェルメールの妻の実家といわれるところは マルクトの南側oude langendijkに現存しており 奥行きの広い家だったとはいえ 23年間のあいだに14人の子供を設け (4人は乳児のうちに死亡)、 奥さんは、23年間のあいだ ほとんど妊娠・出産・新生児、乳児の世話を 繰り返している状態で いやまあ、家の中は妊婦と出産 乳児と幼児の声で かなり、にぎやかだったと想像する。 (なんだか、光景がありありと目にうかぶ) 昨年読んだフェルメールに関する本で 面白かったのが 「フェルメールの世界」 小林頼子著 有名なファン・メーヘレン贋作事件など書いてあり 一般の人にも読みやすく 考えさせられる。 フェルメールセンター http://www.vermeerdelft.nl/195.pp ヨハネス・フェルメール(ウィキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月07日 06時49分22秒
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