カテゴリ:歴史
歴史上の人物ナンバー1です。 後北条氏2代目当主、北条 氏康の5男で 相州三崎城主、最終的には 韮山城主の北条 氏則(北条美濃守氏則)です。 基本的に平和主義者で、豊臣秀吉との対立が本格化してきた際 現当主の氏直とともに 最後まで和平の道をさぐりました。 1時は上洛して和平交渉に赴いたほどです。 しかし、前当主 氏政と兄の八王子城城主 氏照に押し切られ 秀吉との全面戦争に至ります。 そこで、北条家にとっては最前線であり最も重要な韮山城を任された 氏則は家の方針が決まったからには戦うべしと激戦を繰り広げます。 織田信雄、福島正則 率いる4万4000の大軍を3600の守備兵で なんと3ヶ月も守り通しました。 最後は幼馴染の徳川家康の説得に応じ開場したものの、その戦いぶりと 和平派だったことに感動した秀吉は氏則に領土を与え、北条家を存続 させました。 この氏則、甲相越三国同盟をまとめたり、里見氏との外交、徳川との同盟など 政治的手腕がすばらしいです。 基本、平和を愛しながら戦うと決めたら戦いぶりも凄まじい、と 時代の流れを読む力と人間的なところが好きです。 以上、ナンバー1はマイナーで落ち着きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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