10年間放置したブログに、再び書き込んでいます。
ブログに書き込みできなくなった頃、女としていろいろいろ考えてしまうお年頃で、当時の夫婦関係を見直したい時期でした。
喧嘩ばかりしているとかそういう間柄ではなかったのですが、漠然とした不安が大きくなっていました。娘も反抗期真っ盛りの難しい時期で、虚しさに耐えられなくなっていたのです。
ブログに書けなかったのは、ブログのタイトルからもわかるように育児と仕事の両立というのをテーマにしていたので、女として虚しいというような漠然とした私の悩みは生々しすぎたのです。
とりあえず平穏に続いてる生活の中での不安や不満を、自分でもどうしたいのか、どうすれば解決できるのか、誰に相談できることでもなく、自分自身でひとつずつ折り合いをつけ、どうにかしていかなければなりませんでした。
何もかもぶち壊すのは勇気のいることでしたし、ぶち壊したところで解決する保証もありませんでした。このまま終わりたくないという思いがあるだけでした。
まずは10年後の現状をまとめてみます。
ブログが書けなくなった翌年、ブログでは「ダーリン」と呼んでいた当時の夫と別居、その後離婚に至りました。
前夫は、4年前に脳腫瘍で亡くなりました。病気が発覚してからたった3週間の急死でした。
別居離婚まではスムーズでしたが、離婚後には思わぬ修羅場もありました。亡くなった人のことですので詳細は割愛させてください。
私は、5年の交際期間を経て、3年前に再婚しました。
現在の夫はお互い20代だった頃からの知人で、10数年同じ職場で働いた同僚でもあります。
ロマンスは突然に、激しく始まり、結婚するまでに至ったのは周囲の人々ばかりでなく、当人同士がいちばん驚いています。
彼との関係もあり、私は5年前に別の職場に移動しています。
同じ市役所で、私自身の仕事内容も全く同じですが、畑違いの福祉系の職場です。
この新しい職場で、今では親友とも呼べる女性と出会えましたし、数人の非常に近い間柄の同僚とも巡り会えました。
前の職場では17年間を過ごしたので、移動する時には恐れも未練もありました。以前の同僚たちとの心地よい友人関係に執着もありました。
他の世界で生きていける自信もまったくありませんでした。
こう書いてみると前の結婚生活と同じですね。結局、何かに執着しているうちは新しい道は拓けないということでしょうか。
ブログを始めた時に小学校低学年だった娘は、24歳になりました。昨年から市役所で働いています。
「ママのCity Hall 日記」というブログタイトルは、子どもが小さいうちなればこそで、私が母親だということに変わりはなくとも、ママという感じではなくなってから久しいです。
私自身も、もうアラ環、カナダ生活も丸30年になり、市役所で働くということにも物珍しさも何もないほど時間が経ちました。
そういえば、当時は「生まれも育ちも日本」という日本人は市役所にはほとんどいなかったのですが、今はたくさんいます。
この10年間に、前の職場のマネージャーや同僚、おじおば、義兄弟など以前ブログに書いたたくさんの人たちが亡くなりました。
一昨日も元同僚が亡くなったばかりです。
思い出を消すのは忍びないので、このブログ自体はしばらく残しておこうと思います。
今回は誰かに読まれることを期待して書いたわけでもないのですが、自分の中での区切りをつけたいと思いました。
以前も、そしてこの文章も、読んでくださった方、ありがとうございます。
突然、消えてしまっていましたが、私はますます逞しく生きています。
そして、いろいろありましたが、どんな混乱の中でもずっと幸せを感じていました。
幸いなことです。
皆さまの10年も充実した日々だったでしょうか。
人生って小さな驚きの連続ですね。