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テーマ:海外生活(7772)
カテゴリ:つれづれなるままに
朝日新聞社(asahi.com)で、小学生自殺の記事を読みました。
小6女児が自殺、父親は「いじめが原因」 群馬・桐生 この記事の最後の一行がどうしても納得がいきません。こういう文章です。「署や市教委などによると、母親はフィリピン出身だが、この女児は日本語が堪能だったという。」 おそらくいじめの原因は家庭状況が他の生徒と違うこともあったと言いたいのでしょうが、子供の自殺に相当のショックを受けているはずの両親に追い討ちをかけるような言葉に思えます。 いじめの原因が他にあったなら、新聞はこういう書き方をしたでしょうか。 母親は…だったが、とか。 家庭は貧しかったが...とか。 成績は悪かったが...とか。 プライバシーを暴露するとともに、いじめを肯定しているように思えるのですけれど。 日本で外国人の評判はあまり芳しいものではありません。読者は自分の周囲の環境をかんがみて「ああそうなのか、外国人なのか、やっぱりね...」とひそかに思うところあるでしょう。でも、親が外国人であったらいじめられるのが当たり前なのですか? 事態がそこまで動くなら、問題はそれだけじゃないはずです。 子供が自殺に追い込まれるまでいじめられるのを周囲が止められなくて、「母親はフィリピン出身だが…」もないもんだと思います。 カナダは移民の国で、外国から来た人がウジャウジャいます。 本人はそうではなくとも、3代、4代と遡れば、純粋なカナダ人というのはほとんどいません。ネイティブ・カナディアン(カナダ原住民)でさえも、白人やアジア人との混血が進んでいます。 だからよほどのことがない限り、新聞報道で何系の人種かということは問題になりません。被害者が外国人で、そのために事後、困った状況に追いやられているというような場合を除いては、事件の加害者でもないのに人種が語られるのは考えられません。 日本にも短期長期滞在の外国人が、今ではたくさん住んでいますし、国際結婚も多くなっています。そろそろ人種に関する過剰報道は止めて欲しいです。 今回亡くなった子供の親御さんは、学校もクラスメートもシステムそのものも、娘が自殺するきっかけを作った加害者だと思っているでしょうに、母親がフィリピン出身って、関係ないでしょう? それを言われる母親はよけい切ないと思います。 事件の場合、被害者の人権ということがしばしば語られます。加害者の人権は、司法システムに組み込まれてしまえば、ある程度保護されているのに、被害者の人権はまったく無視されています。 今回の報道も、母親がフィリピン出身と書くことで何か違いがでてくるのでしょうか? 関係者や、近所の人は知っていることでしょうが、それをインターネットで全世界に発信する必要があったのでしょうか? 記事を書いた人に悪気があったとは思いませんが、無神経な言葉を撒き散らした罪は重いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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