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カテゴリ:2012 Japan
2年前にカナダにワーホリに来ていたE子。面倒なので「姪のE子」と呼んでいましたが、正確には姪ではありません。いとこの子供なので、はとこ?
E子が伯母と一緒に訪ねてきました。 私の帰国に合わせて、母が段取りをしたのですが、最初の週末の土曜日は姉の家族がやって来て、日曜日はE子たち。誰かがお昼から来るとか、夕方来るとか、そういう予定が入っているとどこにも出掛けられません。 これは自分のせいなのですが、成田で靴のヒールを折りました。 動く歩道にヒールが吸い込まれて、ヒールの根元が前後にパカッと折れてしまったのですが、旅行前に靴を買わなきゃいけないのに、その時間がまったくないのです。 また、訪れてくれる人があるとお客さんの食事の対応に追われ、娘の食べるものを買出しに行く時間がないのでそれも困ったことのひとつです。ふだん甘いものを食べない娘が、メントスのキャンディーを一本ペロリと食べてしまって、娘が飢えていることに気づいたような始末です。 私のスケジュールを管理する母は良かれと思ってしてくれていて、また、姉たちにも伯母やE子にも旅程のいつかどこかで会わなければならなかったのですが、まったく自由がないというのは、これまで好き放題してきた身にはキツイです。 家族や親戚に会うのでも、無邪気な子供の時分や義理の軽いカナダ人と違って、お互いにお土産をどうしようと気を遣いあってそちらに疲れてしまいます。E子の家は寿司屋なので(いとこのM兄は店があって来られませんでしたが)、寿司をたくさん持ってきてくれました。 私はカナダからたくさんのお土産を買い込んでくることはできないので、重量が軽く、嵩張らないお土産に、地元で買った菓子折りを渡すのが常です。 伯母は数えの90歳で、いまだかくしゃくとしていますが、高齢なだけに今回会えてよかったです。 去年の旅行がキャンセルになった後、この伯母と母の間の2番目の伯母と、E子の母親(M兄の嫁)を亡くしました。里帰りが実現していたら、多分会えていたふたりです。その後悔があるので、高齢になってきた父母にゆかりある人たちにもできるだけ会いたいと思っていました。 近所の、昔から世話になっているオバさんにも挨拶に行きました。 ここのオジさんも、去年亡くなりました。 母が私を産む頃、お産の間の家のことを手伝ってくれたというほど近い間柄で、私が里帰りするたびに、娘やダーリンに小遣いをくれる人です。血縁のおじ・おばよりも私には近しい人です。 近所の人を訪れるのは、気が楽です。 玄関の引き戸を「おはようございますー」と言いながら開けて...。私の実家の周辺では、いまだに昼間の間は玄関の鍵は掛けておらず(家人が上がり框からすぐの間にいるので)、夏場は玄関の引き戸を開け放しておくのが当たり前のような平穏な地域です。 市内の閑静な住宅街、古い寺の前に開けた門前町で、道の行き止まりが寺になっているので、用事のない人は入り込んでこないような地域です。50年前にこの地に家を建てた父母はいまだにこのあたりでは新参者です。 娘は皆からお小遣いをもらい、ご機嫌です。 お小遣いやプレゼントをもらうのに、日本人であれば、2、3回断ってからオズオズト戴くものですが、娘は言っても言ってもストレートに手を出して笑われています。
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最終更新日
2012.03.16 07:49:31
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