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テーマ:海外生活(7772)
カテゴリ:家族と友だちと鬱病
時々思うのは、もし私が仕事を持たず子を持たなかったら、配偶者が鬱に罹った後の私の日常生活はどういうことになっていただろう? ということです。
ダーリンの鬱のことをこれまでにもブログに書いていますが、書いた時期は文字通り修羅場でどうにもこうにもならない時。それ以外に、書いていない時期も常に鬱が巻き起こす騒動があり、また自分ひとりの胸に納めておくべき出来事もありです。この10年間の日常で鬱の心配をしなかったことはありません。 私のブログが「鬱ブログ」でないのは、私個人の日常が忙しく充実しているからで、それは仕事と一粒種の娘のせいです。 私は常々、女性も職業を持つべきだという考えです。 経済的に恵まれていて妻が働かなくても食べていけるというような次元の問題ではなく、仕事は生きがいにもなりますし、近所や夫の関係の人付き合いではなく、自分個人、一個の人間として誰かとふれあい影響し合えるということもあります。プライドや自信の源になるということもあります。 キレイごとはさておくとしても、たとえば私のような状況で、配偶者が鬱病で長期間にわたり働けなくなったような場合、もともとが2馬力であれば1馬力のパワーは残ります。また、たわごとに付き合いながら病人の世話をする気晴らしにもなります。 仕事というのは、立派な仕事とか世のため人の為になる仕事というのではなく、何でもいいのです。何か、妻個人としてできることであれば何でもいいのです。 仕事じゃなく学校でもボランティアでもよさそうですが、長期的に続けられるといったらやはり仕事です。 ボロボロの日々には気晴らしになり、職場での悲喜こもごもの出来事に笑ったり泣いたり驚いたりしながら忙しく毎日を過ごし、辛くてどうしようもない時には何年も付き合ってきた同僚がいて、愚痴だけで足らないならこの状況から逃げ出しても生きていける自信も培える。女性は仕事を続けた方がいいです。 仕事でこんなことがあった、あんなことがあったと書くことが鬱について書くよりも頻繁なのは、とにかく大勢の人間に囲まれていて、それぞれがいろいろなことをしでかすから。生活のどこかに楽しいことがあればバランスが取れると思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.09.22 08:17:23
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