|
テーマ:海外生活(7772)
カテゴリ:海外雑感
カナダに引っ越してきてから、里帰りする度に実家ではお客さん待遇で、料理をする機会なんてありませんでした。せいぜい自分たちの朝食の準備をするくらいで、家族全員が食べるような何かを作ったことなどついぞありません。
母が張り切って、私に台所に入らせてくれないからで、食事が終わってボヤボヤしていると皿洗いもさせてもらえないほど、上げ膳据え膳なのが常でした。 掃除も洗濯もまったく同様です。 先月の里帰りでは母の入院騒ぎがあったために、短い期間でしたが3食の準備をするという機会に恵まれました。 最初の数日は何もかも勝手が悪く、難儀しました。母もトシですから、冷蔵庫の食材も戸棚の調味料も賞味期限が切れていたり、いつのものだかわからないものが入っていたりでそれの処分から始まったのです。 買い物に行った時に、七味はあったはずだと買ってこなければ使う段になって賞味期限が切れているのがわかったり、味噌がないと慌てて買ってくれば戸棚の奥に買い置きが山ほどあったりという感じです。 野菜なども、父が家庭菜園をしているせいで「こんなにどうするんだ?」というほどキュウリ、ナス、オクラがあるのだけれど、普段私が使うようなブロッコリー、ニンジン、レタスというものは皆無で、山のようなキュウリを何とかしないとブロッコリーを買ってきても入れるところがないというような...。 とにかくいろいろ落ち着くまでに数日かかったのです。やっと調子よくなってきた頃には、母は退院してしまったのですが。 お豆腐の味噌汁が食べたいのだけれど、ナスとオクラの味噌汁にして冷蔵庫を片付けるというようなつまらない料理をしていました。 ずっとそこに住んでいる人なら、そういう風にしてあるものを使うのが当たり前ですが、久しぶりに日本に帰った私には本当は食べたいものもありました。 自分が何を食べたいかというよりも、小学生から老人までの年齢の5人分の食事の準備というのはいろいろ大変です。 肉食のウチの娘、小学生なのにアッサリしたものを好む姪、80代の父、妹は夕食は晩酌のオツマミ的なものを食べるだけでご飯は食べません。皆が喜ぶような食事というのはちょっとないのです。 父には焼き魚、若い者は肉料理をと配慮すれば、テーブルについて父が肉を欲しがったりと計算の狂うこともしばしば。父には蕎麦、私たちはスパゲティーと思っていたら、若い頃には食べなかったスパゲティーを父が食べてみたり、と。 しかも、父は好きで食べているのではなく「これなら食べられる」というような食べ方。我慢大会じゃないのだから、そこまでしてわたしの計算を狂わせてくれなくてもいいのに…と不満もたまります。 私が数日食事の支度をした後には、皆がアッサリしたものが食べたいと言い出しました。私にだって食べたいものはたくさんあったのですけれど。 母の料理も、だんだん私の口に合わなくなってきました。 もちろん、母も年老いてきてサッパリしたものを作ることが多くもなり、手抜きも増え、おかずの皿数が減ったこともあるのですが、私は私で違うものをおいしいと思うようになったということでしょう。 母が入院中に調味料の入っている戸棚を整理して、味の素やハイミーなどの化学調味料がたくさん買い置きしてあるのを見たのもショックでした。昔、母が化学調味料を使っていたのは知っていましたが、もうそういう時代ではないと思っていました。 ご飯をよそうと米粒がつぶれてしまうほどにやわらかいご飯も、食欲が萎えました。普段、3杯飯をかっ食らう私の食が進まないのです。たぶん、父母の老化とともにだんだん食べやすいやわからさになってしまったのでしょう。 母は料理が上手でしたが、今では私は自分で作った食事のほうがおいしいと思います。特に、ご飯やお味噌汁の味は、久しぶりに食べる母の味と自分(我が家)の味とは全然違ってきてしまいました。 実家の味と自分の家庭の味が違ってきたら、もう独り立ちしたということだと誰か年配の人に聞いたことがあります。今回、実家の家族も私の手料理を食べて「ヨソの人になっちゃったなぁ」と感じたのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.09.19 05:38:42
コメント(0) | コメントを書く
[海外雑感] カテゴリの最新記事
|