2007年韓国大統領選挙と郭錠煥・ピースカップ元委員長ーー韓流サッカーファンとして (2)
前回『郭錠煥・ピースカップ元委員長に問うーー韓流サッカーファンとして』の続き。私から一つの疑問:Kリーグへ投じられた12億ウォン、その出所については「ブログ村」は誰も追及しないのか。 「韓流サッカー」は必ずしもサッカー・フィールドだけとは限らないというのが、私のそれである。地球星をフィールドとした「世界平和実現」のためのサッカー大会である (関連記事:ピースカップ、二つのフィールド )今回は韓国の2007年の大統領選挙の話から始める。文鮮明総裁は、郭錠煥氏(カク・チョンファン。以下、「郭氏」)に2007年の大統領選に立候補せよと強く命令されたという。(詳しい記事はひとすじに行くさんのブログ記事『敗北の現代摂理史 』、『2007年の韓国大統領選挙 』に書かれているのでそこからも少し引用する。)ところが、その郭氏は文総裁の命令を拒絶したのだ。郭氏の拒絶理由(以下、引用)は、 お父様が郭錠煥(カク・チョンファン)先生に言われたのは、一日だけでなく、何日にもわたって、何回にもわたって、言われたようです。ソンデウ氏が見るにみかねて、別のところで郭錠煥(カク・チョンファン)先生に、お父様の命令に従うようにつめよったそうですが、返ってきた答えは、今、自分が出ればかえってお父様の顔に泥を塗ることになるから、出られない、と言ったという話を聞いています。とういうことだったが、果たしてそうだったのか?大統領選に立候補するためには新聞社など、これまでの数々の役職を辞任しなければならなかった。一つに、これら役職に執着を持ったからではなかろうか、という話もある。もしも、郭氏がこの大統領選挙に立候補して落選したとしても、「世界平和統一家庭堂」(文総裁がおっしゃられたのは「党」ではなく「堂」だったと思う)が韓国では一つの政党として承認されていたことは言うまでもない(以下も引用)。 韓国では政党の乱立を防ぐために、政党の創立や存続に対しての規定があります。政党ができてから何年以内に一人以上の国会議員を当選させるか、規定以上の得票率をとるか、大統領選挙に立候補しなければいけないことになっています。なぜ大統領選挙に立候補するだけで政党を存続させられるのかといえば、供託金が高いからです。大統領選挙に立候補するときの供託金が5億ウォン(5000万円)です。一定以上の得票がなければ没収です。国会議員は供託金が1500万ウォン(150万円)ですから、大統領選挙に出るだけで、国会議員30人以上出馬させるくらいのお金がかかるのですから、たとえ得票数が少なくてもそれだけその政党がしっかりしていることを示しているわけで、政党の乱立を防ぐという趣旨からしても、存続させてもよい政党だという判断になるわけです。 翌年の2008年はまた、国会議員の選挙が行われた。 2008年1月初め、文総裁はまた、この選挙に地方選挙区全区に候補者を出すように指示された。これによって「世界平和統一家庭堂」として245名が立候補した。結果は全員落選であった。ここで、2007年の大統領選挙に戻ろう。もしも郭氏が大統領選挙に立候補していたならば、どうだっただろうか。郭氏の見事なまでの惨敗は目に見えていたことであり、文総裁も「想定内」であった。ところが、違っていたのは2008年の国会議員選挙であった。「世界平和統一家庭堂」が韓国社会では確固たる政党として認められ、候補者も「堂々」と「世界平和統一家庭堂」の政党を名乗ることができたはずだ。また、その中の2・3の候補者が当選した可能性もあった。 平和家庭党、(名目上の?)敗北宣言 (Apr 11, 2008 ブログ記事から) さて、韓流サッカーの話に戻ろう。 前回は Peace Field 11」プロジェクト について書いた。前回は記事の原文リンクを入れ忘れてので改めて紹介しておく。 http://www.segye.com/content/html/2009/11/24/20091124005097.html (▲google翻訳、スクリーンショット) 2009ピースカップは韓国ではなくスペイン・アンダルシアで華々しく開催された。その大会では、レアル・マドリードに移籍したばかりの花形スター・C.ロナウドが初参加するということもあって、このスペインでのピースカップはさらに脚光を浴びた。ネット・サッカー誌「 GOAL.com」でも Peace Field 11」プロジェクト が紹介されるなど世界がそれを知ることとなった。 Peace Field 11プロジェクト。ロナウドよりカカに注目 (Jun 28, 2009記事)「ピースドリームアートフェスティバル」他(Aug 7, 2009 記事) また、前年2008年10月には、AFC会長だけでなくブラッターFIFA会長(当時)もそれに巻き込んでいた。 http://sportsworldi.segye.com/content/html/2008/10/29/20081029005169.html (▲google翻訳、スクリーンショット)このように、PFMP(Play Football, Make Peace)合言葉の韓流サッカーだけを見ても「世界平和実現」のための準備が整っていた。ところで、韓流サッカー・ファンとしての関心事の一つは、清水エスパルス以降の日本チームの参加であった。ピースカップだけでなく、女性サッカー大会「ピースクィーンカップ」も2006年から開催されることとなった。ここでも日本チーム「なでしこジャパン」参加にも興味がわいた。しかし、それ以上に北朝鮮チーム参加の期待は大きかった。北韓女性チームの参加 (以下引用)2006ピースクィーンカップのときも、北韓女性チームの参加が予定されていた。ところが、数発のミサイルでその参加が取り止めとなってしまった。今回、3月28日の北韓のミサイル発射、またしてもか?女子サッカー大会といえども、Peace Cup(平和の祭典)である。南北韓のチーム対戦も期待されるだけに、平和に見つめていきたいものだ。2006年の不参加に続き、2008年3月28日の北韓のミサイル発射が韓流サッカー・ファンの不安をよぎった。そして、それが現実のものとなった。 北朝鮮女サッカー,ピスクィンコプまた不参加 北朝鮮が伝えた不参加理由は不安な韓半島情勢だ。 朝鮮アジア太平洋平和委員会名義で送った公文書で北朝鮮は"最近朝鮮半島情勢が良くない方向でずっと流れている条件でやむをえず参加できなくなったとのことをお知らせしながら,これを遺憾に思う。 ピスクィンコプが成果的に開催されることを心より望む"と明らかにした。 不参加理由は不安定な韓半島情勢を上げていた。ところが、私の聞き及ぶところによれば、たとえ、韓国の国会議員の一人でもが北朝鮮を招待チームとして迎えていていたならば、それが可能だったという話だ。さらには、2010ピースカップでも北朝鮮チームの参加が噂に上った。郭氏の跡を継いだのは、パク・サングォン平和自動車社長だった。 2010ピースクイーンカップ組織委員会「北朝鮮の参加不透明」ピースクイーンカップ参加は難しい見通しだ。パク・サングォン組織委員長は「南北関係というのが変数が本当に多い。国内の雰囲気と事情が良くない。複数のルートを介して、北朝鮮に... 文総裁からの2007年大統領選挙立候補要請を拒絶した郭氏は、2009ピースカップを頂点として下り坂を駆け落ちるように転落していった。Kリーグ会長職も任期1年を残して辞任していった。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓