Re:シムソン氏の仮面(劇)が剥がれ「茶番劇」に!!
サンクは「初めに結論ありき」で、お母様を貶めるための情報操作が得意のようだ。何故なら、「サンク → サクン(左君)→ サタン」は自己正当化するためには情報操作もすれば、情報統制もすると自らの所業を暴露していた。自称ルポライタイーtomy4509は、今日もブログ村で「真理を求めて」のルポをしてみたい。今回はサンクのシムソン氏の記事からである。真の母の仮面劇の顛末を知ることこそ、「真の家庭・統一教会分断」の本質を見抜く鍵です!https://simuson.muragon.com/entry/56.html先々回記事重要部分より仮面を被ることになった韓氏オモニに代わって、妾の中から、本妻が果たすべき事を代わって為した女性たちがいるので、その成した事を紹介すれば理解できるようになります。16万人女性修練会で、真のお父様は本妻と妾が一体となるようにと語っていますから、妾が本妻に代わって成したとしても、それは本妻の功績とすることが出来るのです。本妻と妾が一つとなって「真の母」を確立していくということです。韓氏オモニが仮面を被った「真の母」であった期間があったとしても、最終的に本人が真の母として完成すれば、仮面を被った期間は無かったとする神様の真の愛であり、サタンもその真の愛には屈服せざるを得ないのです。そのような意味で語った「仮面劇」に関するお父様のみ言です。先生はそれを知っているので、先生の基準までお母様を引き上げるのです。嫌だと言っても引き上げて、引き上げながら行くのです。その為、荷物を積んだ車の車輪が一つ故障しても、荷物を積んで倒れずに目的地にさえ行けばいいのです。分かりますか?支障があっても、音がしても。音がするからとそれを遮断することはできないのです。ですから、そのような音がならないように修理して、代わりにすることができれば代わってすればいいのです。少しでも進むことができるように、仮面劇をして行かなければならないのです。ですから、絶対に引っかかってはならないというのです。お母様はそのようなことがよく分かりません。先生が耐えて超えるのです。ですから、今、二つの峠しか残っていません。それをお母様は分かっていない。それが何であるか分からない。(み言資料:み言選集367巻 - 263ページ 2002.1.23.ハワイキングガーデン)お父様のみ言選集367巻からの引用で「仮面劇(가면극)をして」は故意に歪曲した訳であった。原文は「劇」または「ゲーム」ぐらいの訳が当てはまる。さらにはその前後文を見てみよう。2002年1月23日(水)、ハワイコナ。*この言葉は、朝訓読会時たもので、タイトルは編集者がつきだった。家庭の秩序と教育……언제나 그렇게 생각하면 안 돼요. 끝에 가서는 자기가 동참해야 돼요. 선생님이 책임진 것이 세계적인데, 선생님이 없게 될 때는 어머니가 책임을 해야 되는 거예요. 아들딸들이 누굴 바라보겠나? 아버지가 없으니 어머니를 바라보게 될 때, 어머니가 아버지 대신할 수 있는 이런 놀음을 하지 않고는, 아이들이 할 수 없게 되면 그 가정은 혼란이 벌어져요.선생님은 그걸 알기 때문에 선생님의 기준만큼 어머니를 끌어올려 주는 거예요, 싫다고 하더라도. 끌어올려 주고, 끌어올려 주고 이러면서 이어 나오는 거예요.그렇기 때문에 짐을 실은 구루마의 바퀴가 하나 고장났더라도 짐을 싣고 쓰러지지 않고 목적지에만 가면 되는 거예요. 알겠어요? 지장이 있더라도, 소리가 나더라도. 소리난다고 그걸 처단할 수 없는 거예요. 그러니까 그걸 소리 안 날 수 있게끔 수리해 주고, 대신할 수 있으면 대신해 줘야 되는 거예요. 한 바퀴로라도 갈 수 있게끔 놀음해 가지고 넘어가야 된다구요.그래서 절대 걸리지 말라는 거예요. 어머니가 그런 것을 잘 몰라요. 많이 선생님이 참고 넘어가지요. 그래서 이제는 두 고개밖에 안 남았어요. 그것을 어머니는 몰라요. 그게 뭔지 몰라요.(以下はgoogle翻訳にて)いつもそう考えるといない。最後に行っては、自分が参加しなければならなりません。先生が担当したのが、世界的なのに、先生がなくなるとき、母親が責任をしなければならんです。息子、娘たちが誰を見てみましょうか?父がないから母を見つめたときに、母が父の代わりにすることができる、このような劇をせずには、子どもたちが行うことができなくなると、その家は混乱が起きますよ。先生はそれを知っているので、先生の基準だけ母を引き上げてくれるんです、嫌だとも。引き上げてくれて、引き上げてくれこうしながら続いて出てくるんです。そのため、荷物を載せたグルーマーの車輪が一つ故障している場合でも荷物を積んで倒れずに目的地のみ行けばと思います。知っている?支障があっても、音が発生しても。音出るそれ処断することはできないんです。だからそれを音を知った日ことができるよう修理してくれて、代わりにすることができれば代わって必要されるでしょう。ひと回りコロラド行くことができるよう劇して越えなければなられるんです。だから絶対かからなというのです。母がそのようなことをよく知りません。多くの先生が参考越えね。だから、今二頭しか残っていた。それ母は知らない。それが何であるかわからない。上記の意訳だが、「先生は世界的なのにお母様も同じように世界的でないと、先生が亡くなったときその家は混乱する。お母様が先生の代わりに責任を果たせるようにしなければならない。息子、娘たちもそのお母様を見て立派にできる。お母様は知らないながらも、先生はそのように訓練している。だから、今残っているのは経済問題と息子の問題、この二つの峠だ。」と。ここでも、切り出し文(映像)による情報操作やサンクメンバーへの情報統制による引き留め作戦も見受けられる。このように見てみた時、サンク自身の「仮面劇」が剥がれては、とうごま氏同様に「茶番劇」の顛末を迎えることとなる。以後、シムソン氏の「茶番劇」を面白おかしく読まれることはお勧めではないが……。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓