文鮮明先生御言選集 19970605 - 第三十五回「真の万物の日」敬礼式後の御言
第三十五回「真の万物の日」敬礼式後の御言1997年6月5日イーストガーデン 礼式に参加することのできる資格 今後は、このような「真の万物の日」などの敬礼式の行事には、だれでも参席できるようにはなっていません。すべてチェックして、問題のない家庭を参席させるようにするつもりです。「世界平和統一家庭連合」の世界本部では、このような行事に参席する人たちを一年前から点検しなければなりません。 私たちの教会は、今まで蕩減路程というものを歩んできました。そのなかで、歴史的な出発や歴史的に重要な事件など、あらゆることがありましたが、そのようなすべての条件を乗り越える蕩減条件を立て、提示されたすべての条件を守った人たちが、ここに参席しなければならないのです。国家的メシヤ、あるいは氏族的メシヤは、特別に責任を完遂した人たちが参席しなければなりません。 氏族的メシヤの使命である百六十家庭から百八十家庭以上の祝福家庭を残せない人は、参席することができないようにするつもりです。 祝福家庭は、一世でも二世でも分け隔てなく、だれでも人々を祝福してあげることのできる時代に入りました。ですから先日、祝福を授ける権能を全部、分配してあげたのです。 祝福家庭には、既成祝福家庭であるとか二世祝福家庭であるとか、いろいろの立場があります。世界が復帰されるときまでは、外的世界にもまだ、それらと同じような家庭があるので、祝福家庭は、自分の受けた祝福に該当する分野に関連した外的世界の人たちに対して、各自が責任を持たなければならないのです。二世も同じです。 既成祝福を受けた家庭たちは、既成家庭の世界の人、二世の祝福を受けた人たちは、二世の世界の人たちが残っているので、同じ責任分野を完成しなければならないということを知らなければなりません。 どの家庭であっても、人類のすべての家庭が氏族圏を経て、世界に越えていくので、国家形成をしようとすれば、必ず氏族が必要であり、氏族をつくるためには祝福家庭から編成していかなければならないのです。自らの属する系列的な氏族を全部連結させていかなければならないというのです。 それゆえ、国家的メシヤ、氏族的メシヤ、また百六十家庭を祝福できない人は、今後、このような礼式に参席できる道が遠のくであろうというのです。 今後、このような行事は統一教会の限界を越えて、国家的行事に近づいていくのです。王圏時代となり、国家的行事として転換する時になってくるので、もはや教会の礼式をしていた時代は過ぎ去るのです。国家的礼式に参席するためには、必ず氏族と民族を持たなければなりません。国家と世界に連結し得る同参者でなければなりません。その同参者は、入籍をしなければならないのです。 ですから、このような大会に参席するためには、氏族的メシヤとして百六十家庭、百八十家庭以上を成した家庭を中心として、その氏族たちが、自分たちの氏族から代表となる模範的な家庭を選出して送らなければならないのです。世界のすべての氏族たちから選出して送るので、今後、何百万対一、何千万対一の確率で選出されて来るということを知らなければならないのです。 ですから、氏族的な基盤を持つ一家庭を中心として、教会で行う礼式のすべての法を代行しなければならないのです。 氏族的メシヤの使命 すべての蕩減条件を中心として、今まで先生が生きている間に提示したことのすべては、どこで完結されなければならないのかというと、それは、家庭を中心とした氏族的基盤において、すべてのものが清算されなければならないのです。 そして氏族的メシヤは、氏族的基盤の百八十家庭全部を天の前に奉献しなければなりません。家、土地、あらゆる万物など、祝福を受ける前の所有物はすべて、本来、神様の所有であったものが、祝福とともにアダムの前に伝授されなければならないものなのです。これが原則なのです。しかし、堕落することによって、神様が主人の立場に立たれることもできず、真の父母が主人の立場で来られることもできなかったのです。 それが今になって、主人の立場に立つことができなかったものを全部、蕩減復帰するのです。サタン世界において天使長の使命を果たすことのできる人、息子、母親を通し、父親を通して、族長を中心とした全体が献納しなければならないのです。血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰を、七代を中心として献納して、帰らなければならないのです。 ですから、皆さんには絶対に、三大天使長に該当する三人の息子がいなくてはいけないというのです。それは、信仰の息子・娘のことです。その息子を通して、自分の息子・娘へと復帰していくのです。 天使長が息子を通して、母親を通して復帰して、百八十家庭を中心として入ってくるのです。それが七代です。血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰なのです。七代なのです。それが百六十家庭で一族になります。それが一チームです。それが一つのカテゴリー(部門)になるのです。アダム家庭を中心として、そのような七代を失ったというのです。父母、夫婦、兄弟、神様までで七数になるのです。これが一族です。 ですから、入籍するようになるときは、自分が全権を持つことができるのです。その位置は天使長の位置の復帰です。そうして、それを真の父母を通して神様の前にささげたものを、再び天から頂いて、皆さんに返してあげるようになるのですが、それがアダムの所有権復帰です。天使長の所有権を蕩減して、アダムの所有権になるのです。 ですから、百六十家庭がなくてはなりません。本来は百八十家庭です。一八〇〇家庭がサタン世界を復帰した家庭になるのです。 それを中心として、世界的家庭を形成するのが六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭になるのです。それから三万双です。それはカインとアベルを復帰したものです。 それから三十六万家庭であり、それから三百六十万双で最後なのです。三家庭から始まり、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、それから三万双、三十六万双、三百六十万双、これが十二の峠です。 「アリラン峠は十二峠だ」という言葉があるではないですか? 「アリラン」というのは愛するの「愛(ア)」の字と里の「里(リ)」の字なのです。ですから、「アリラン」というのは、愛する里を訪ねていく峠のことなのです。それを越えていかなければならないのです。愛する村を訪ねていくためには、峠を越えていかなければなりません。ですから、サタン世界の峠を越えてこそ、重生することができるのです。そうしてこそ、家庭が定着するのです。 ですから、氏族的メシヤの責任を果たさなければならないということが、どれほど重要であるかということを知らなければなりません。それを成すために先生は七年間、家庭教会をつくったのです。家庭教会を成したのが、その準備なのです。家庭教会を全部成せば、あとは氏族はそのまま皆、越えていくのです。 ホームチャーチをすれば、カインを中心として家庭教会に連結させ、一族を一度に追い入れることができるのです。そうすれば、世界が完全に私たちの世界になるのです。 私たち祝福家庭は、アベル家庭として親戚たちを束ねるのです。その基盤の上で氏族的メシヤの役割を果たすことができるのです。分かりましたか? このようにしたならば、一度に百八十家庭を祝福するのは問題がないというのです。 その準備を皆、したのです。そのようなことを皆、軽んじて、さっと過ごしてしまったのです。 国家的メシヤとは 国家的メシヤたちは皆、自分の一族たちを連れていかなければなりません。国家的メシヤは、自分だけ行くのではなく、一族を連れていって、その国を、国家メシヤの立場をもって救ってあげなければならないということを知らなければなりません。自分一人で行ってはいけないのです。 国家的メシヤが立つためには、氏族的メシヤと家庭的メシヤがいなければなりません。それを連結した中心が国家的メシヤです。国家的メシヤは反対経路で復帰することを通して、その国の王の立場を占有することができるのです。 氏族的メシヤがその国に行けば、家庭的メシヤであるアダム家庭がおり、イエス様が築くことのできなかった氏族基盤などがあるのです。その基盤を中心とした国家的メシヤなのです。 そのようにして、すべての人たちに手本を示してあげて、その氏族の影響を受けさせ、その国家を復帰しなければなりません。それが国家的メシヤの責任です。アダム家庭とイエス様が氏族的メシヤの使命を果たすことができずに亡くなられたことを蕩減した、その基盤の上に立たなければならないのです。それゆえ、祝福を受けて、子女たちが行くのです。国を占有することができるというのです。 百八十家庭の祝福家庭が、男性と女性が行きましたが、女性たちと子孫たちを各県まで連れていけば、一度に国を復帰できるというのです。その百八十家庭が何千家庭を動かすことができるというのです。 今までの国家的メシヤ教会であるとか、すべての費用は、自分の一族と一家が責任を持たなければなりません。皆、そのようにささげて成したので、国のすべてのものをもらって、天の前に復帰することができるのです。 ですから、国家的メシヤになるためには、氏族的メシヤを勝利しなければなりません。イエス様が失敗するようになったのは、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭が一つになれなかったからなのです。その家庭だけ一つになれば、これが皇族になり、国家形成するのは問題ありません。 一番根本になるアダム家庭において家庭的メシヤになって、家庭的皇族をつくっていくのです。長子権を中心として繁栄するようになっているのです。それを失ってしまったのですが、国家的メシヤは、その基盤の上に立たなければならないのです。その基盤の上に立って祝福を受け、国家的メシヤになるようになれば、世界版図のローマを支配できる時代に移っていくのです。 今、ちょうどその要所に来て、国家メシヤをつくり、イエス様が果たせなかった氏族的なメシヤ、家庭的なメシヤを平面的に展開するので、世界の祝福を開門させるのです。 ですから、氏族的メシヤさえ先頭に立って、縦的な基台を築いていけば、個人、家庭、氏族、このようにさっと上がっていくのです。このようにして、全部、氏族的メシヤだけが入籍するのです。ですから、国が築かれるのです。 氏族的メシヤは祝福を受け、息子・娘をもうけたのですから、国家的メシヤの代身者です。国家的メシヤは、すべての氏族的メシヤの代表として行っているので、同じ内容です。氏族編成が横的に拡大されていくのです。ですから、氏族的メシヤが一族を復帰できなければ、入籍することはできません。 国家的メシヤの持つ蕩減復帰の使命 もし宗親連合会がつくられれば、氏族的メシヤの時代は過ぎ去ります。氏族的メシヤの時代はさっと越えていくのです。宗親連合は、自動的に編成していくことができるというのです。 文氏と韓氏の宗親会がありますが、その各宗氏たちにおいて、宗親会がつくられるようになれば、その圏内にいる人は強制的に引っ張って氏族編成をして、国家的基準に越えていくことができるのです。命令によって、十二支派のように民族を編成するのです。これは不可避なのです。アダムが家庭を失い、イエス様が氏族を失ったことを復帰しなくては、国家を復帰する道がないというのです。 イエス様が氏族的メシヤになられて、国家的メシヤの立場で祝福を受けて夫婦になれば、天の国の王圏出発が成されるのです。イエス様が息子・娘さえ生んだなら、その一族が世界の皇族になるのです。 もし、イエス様が祝福を受け、その一族を中心として今まで進んできたとするならば、その一族はどれほど多いことでしょうか? ですから、三十三皇族の中から、世界国家の代表として立てるのです。そのようにして、サタンがエバを奪っていったのを、イエス様を中心としてこのエバを復帰した立場に立てるのです。 百二十門徒は、サタン世界の復帰された天使長と同じなので、彼らが全部、イエス様の一族の女性たちと結婚するようにすれば、終わるのです。そのように結婚するようになれば、国が成立するのです。 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭の皇族の娘たちを集めて、天使世界の立場にある百二十門徒と結婚させます。百二十門徒は天使たちなのです。自分勝手に結婚したものを、全部奪い取って、思い通りにすることができるのです。彼らが皇族の乙女たちと結婚したならば、新しいアダム家庭編成が始まるのです。 イエス様の一代を中心として蕩減するために、三十三歳を中心として、イエス様が王であられるなら、王圏を中心とした皇族圏内で女性たちを七百八十人選出して、立法、司法、行政、政党、教会、それから有力者たちを中心とした六つの分野に百三十人ずつ、七百八十人を中心として結婚させるのです。七百八十人の女性を準備して十二支派と部署の長たちと結婚させれば、皆、終わるのです。国が成立するのです。それができなかったというのです。 政党、教会、一般社会の人たちをイエス様が祝福してあげれば、長たちがイエス様の一族の娘たちと完全に一つになります。そうして、国を神様を中心として完全に復帰するのです。ですから、七百八十人が絶対に必要です。 それができなかったので、国家的メシヤはこの使命を果たさなければならないのです。これさえしっかりと整えば、世界はそのまま回るのです。ですから、サタン世界の王圏を中心として、王宮には女性たちが多いのです。先生の時代に、皆さんたち国家的メシヤがそのような仕事をしなければならないので、その国の代表的な女性たちを選出して、再び祝福させてあげるのです。 統一教会から見れば、祝福をしてあげるには、本来は未婚の男女でなければならないはずなのに、そのようにはなっていません。乙女がおり、それから男女関係を結びながらも結婚することができない独身者たち、そして自分の思いのままに結婚した人たちの三段階があるので、三段階を越えていくのです。ですから、統一教会の結婚も三段階を越えていくのです。教会祝福、国家祝福、世界祝福です。 今、祝福された家庭が、今までの段階を越えていかなければならないのです。本来は蕩減条件がない解放された人たちが結婚をすべきであるのに、蕩減条件に引っかかっているのです。教会の前に迫害する国があり、国の前に世界があるのを越えていかなければなりません。家庭を導き、迫害のない解放された立場に越えていって、一つの統一された世界において、アダム家庭で天が祝福した相続権が生まれ、解放が成されるのです。 ですから、教会圏、国家圏、世界圏があるのです。全世界圏へと越えていくことによって、サタン世界の讒訴圏を抜け出すようになり、地上天上世界の解放が始まることによって、その立場に上がっていって、祝福を受けなければならないのです。そのような立場を三度引き継いで越えていくのです。 国家的メシヤがその国に行って、王圏を復帰できる立場に立つようになれば、王圏を持った立場で自分の一族を招請して、入っていくのです。イスラエル民族において、七十二人がエジプトの国に行ったことと同様です。しかし、七十二人ではなく、百二十人が行くのです。 百二十門徒たちが、新しく世界的に入っていって歓迎を受けて、その民族の核にならなければなりません。今、そのようなときであるというのです。ヤコブのときには、七十二家族が入っていきました。今のときは百二十家庭です。イエス様の百二十門徒と同じであり、民族を中心とした国家的代表として百二十人なのです。そうして接ぎ木して、韓国に帰らなければなりません。 次に、入籍が何であるかというと、氏族的メシヤ入籍時代があり、世界国家時代に国家が入籍すべきときが来るというのです。それが国家的メシヤの責任です。国を早く復帰しておけば、このような家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤがただ命令することによって皆、連結し、越えていくことができるのです。 市民権をもらうようになれば、アメリカの国民になることができ、国を超えて嫁いでいけば、ほかの国の民になることができるのと同様に、いくら未開の地の人間であっても、アメリカに嫁いでいけば、アメリカの人と対等な立場になるのです。統一教会に後で入ってきても、入籍することによって同じ立場に立つのです。 そのようにすることによって、アダム家庭を復帰して、アダム家庭が国家を越えて世界のどこでも思いどおりに越えていくことができ、イエス様の氏族圏も思いどおりに行くことができ、イエス様も思いどおりに解放され、再臨主が四十年間迫害を受け、統一教会が受難を受けたことも解放されるのです。 そうして、真の父母が世界の平面途上において、家庭、氏族、民族、国家、世界、どこにでも経由していくことができるというのです。ですから、世界的メシヤは国家的メシヤを、国家的メシヤは氏族的メシヤを、氏族的メシヤは家庭的メシヤを率いなければなりません。そのように連係されるのです。中央政府があり、「道」があり、「郡」があって、連結されるのと同じなのです。縦的にそのまま連結されていくのです。 ですから、縦的に押さえ、横的に拡散させれば、どこにも問題がないというのです。縦と横で循環が生じるので、どんな障壁もあり得ないのです。 こうして、ご父母様が解放され、神様が解放され、万物が解放されるのです。もはや、万物解放を宣言するときであるというのです。 蕩減の道 ですから、先生は地上にあるいかなる国のだれよりも万物を愛し、その国を愛したという条件を立てるのです。アメリカに来れば、アメリカの歴史上の先祖たちも、先生の上に立った人はいないのです。すべての国に代わって、そのように暮らしたのです。それゆえ、最高の汗を流さなければならないし、血を流さなければなりません。祭物の立場なのです。 祭物とは、死んだものを割いては祭物になりません。生きて祭物の過程を経ることによって、サタンは侵害することができないのです。生きて祭物をささげなくては、サタンを追い出すことができないのです。 サタンを追い出すためには、一対一で闘わなければなりません。蕩減条件とは違います。一対一です。実体で闘争して打ち勝たなくては、サタンを屈伏させることができません。そうしてこそ、割かない祭物として、天の前にささげることができるのです。 『新約聖書』の「ローマ人への手紙」八章22節を見れば、「実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、私たちは知っている」とあり、万物が嘆息していることが書かれていますが、その嘆息を解放しなければならないので、万物をだれよりも愛したという道を築くことによって、万物を解放させることができるのです。 私は、海に行って、ただ釣りをするのではありません。海に行って、あらゆるものすべてが嘆息するのを解放するためには、嘆息以上の立場の苦労とその道を築いておかなければなりません。ですから、この地上の歴史上のどこのだれよりも、陸地と海を愛したという立場に立たなければならないというのです。 今や、海にも手をつけるときが来たのです。海の王になり得るすべての代表的な魚、南米の一番の代表的魚を皆、釣ったのです。それは、食べるためではありません。私は、自分が捕まえた魚を食べません。最初に捕まえた魚は、放してあげます。そうして、それをそっくり祭物としてささげるのです。そのために、放してあげるのです。 蕩減というものは、このように恐ろしいものです。ですから、海に行って断食する気持ちで、おなかの空いたのも我慢しなければならないし、海に落ちて死んでいった人たちのあらゆることを体験し、経験しなければならないし、引き付けを起こして死ぬかもしれないという、死地に至ることも体験しなければなりません。そのようなことを皆、体験しなければならないのです。 金興泰は来ていませんか? 同じ釣りをするのに、先生の後をついて回りながら、自分なりのありったけの力を込めて精誠を尽くし、座って釣りをしても、自分は一匹も釣れず、先生一人がいつも釣り上げるというのです。 先生が釣りざおを下ろせば、いつも何の魚か、すでに先生の釣り針に食いついているというのです。その十センチほど横にほうり込んでおいても、ほかの人の釣り針には食いつかないというのです。(笑い)魚が知っています。 ですから、愛しなさいというのです。すべてのものは、より愛する所を訪ねていき、すべてのものは、より愛する人がその主人であるというのです。それゆえ、海に行って座っていると、海で嘆息していた魚たちが先生を見て、「かわいそうな先生」と言いながら、嘆息を忘れ、祝福をしてあげなければならなくなるというのです。そのような心情がつづられているのです。 先生は、そのような霊的な現象が起これば、皆、対話をします。夜、帰るときは、「明日、私が先生の釣り針を訪ねていくので、しっかりしてください」と、魚たちが話までもするのです。それで、「私たちは午前四時半、いや四時前に行って待っていますから、遅れずに来てください」と言うのです。ですから、その時間に出掛けなければいけないというのです。(笑い)それを一般の人は知りません。「なぜ先生は、五時前に釣りに行くのか」と言うのです。 お母様が、お父様が寝ている所に来て、「変だ」と言います。先生が変わっているということを初めて知ったのです。このような集会をすれば、明日、集会で話すみ言を全部霊界で話し合い、説教をするのです。訓練をするのです。 最近の話ですが、私が『ワシントン・タイムズ』創刊十五周年記念日に話をしようとすれば、精誠を尽くすではないですか? その原稿を何十回でも読むのです。何度も読めば、霊界で協助するのです。自分が書き、自分が知り尽くしている原稿を何度も読むのです。読み重ねれば、霊界が後について読むのです。「先生が、どのようなみ言をあのように何度も読むのか?」といって、霊界で後からついて読むのです。たくさん読むほど、霊界では世界的な舞台が連結されていくのです。そうしなければ、破壊は起こりません。空気がなければ、音波が届かないことと同じ道理です。 二世たち、これは偽者たちです。原理をあなたたちは座ってそらんじなければなりません。韓国人たちに対しては韓国語で話し、日本人たちと話せば日本語で話す、というようにです。英語で話すべきときには、英語も話せるようでなければならないのです。 そのような何かがあるので、自分が行くべき道が分かります。例えば、あることが失敗するかどうかが分かるのです。失敗するときは、見ればすでに影になり、成功するときは真っ昼間のようになるのです。そうして明るいところを探していくのです。 ですから、原稿のようなものを一週間前に書けば、一週間後のことがどのようになるかが分かるので、できるだけ原稿を書かないようにするのです。数千人、数万人が集まったのに、一分前になっても題目が出てこないのです。 しかし、そうであるほど、恐れてはいけません。自分が瞑想の中、深い祈祷の中で天と接することのできる本然の心情圏内に入るようになれば、いつの間にか口が開いて言葉が与えられるのです。そのようになれば、一万人なら一万人の聴衆全員が、水に浸ったように恩恵の中に浸るのです。 皆さんが原稿を書いたとしても、自分が書いたその原稿を、壇上に出ていって、泣きながら感動した立場で自ら読むことのできる立場を経ていってこそ、聴衆と一つになって、彼らが恩恵を受けるようになるのです。 心と体が一つになった立場で、涙を流しながら話すので、聴衆も一つになるのです。ですから、涙が出てくるのです。そうではないでしょうか? 天の悲しみまで至れば、自分も抑えることができずに痛哭するのです。 ですから、あなたたちは、教会の仕事を自分でつくってはいけません。計画してはいけないというのです。 早く復帰せよ 皆さんは今、祝福問題についてもそうです。私は、南米の三十三人の国家的メシヤたちを呼んで話しましたが、だれでもご父母様が三十六万双を祝福する写真を自分が首から掛けて、宝物の中でも一番の宝物を掛けたようにして、男性も女性も同じように祝福を執り行うのです。 女性が祝福を一人で代身して授けるときには、自分の夫の写真をその真のご父母様の写真の右側に着け、夫が一人で祝福を授けるときには、自分の妻の写真をご父母様の写真の左側に着けて祝福を行うのです。 自分たち夫婦の写真は、できるならば自分たちが祝福を受けたときの写真がよいのです。そうして、真の父母の代わりに祝福の主礼をするのです。祝福は、自分たちがしてあげるのではありません。真のご父母様がしてあげるのです。 そのようにするならば、自分たちが祝福を受ける当人である人たちは、蘇生としてアダム家庭であり、祝福をしてあげる皆さんはイエス家庭であり、先生は国家的家庭として、祝福をして上がっていくことによって、全体を連結させるのです。全世界の祝福家庭として、霊界に行った人たちがその周囲を取り囲むことによって、サタンを完全に追い出し、祝賀パーティーが起こるのです。 アダムとエバが祝福を受けるときに、天使たちが取り囲むのと同じように、祝福家庭がこの地に来て、祝福の環境でサタンを追い出し、解放された立場で祝福をしてあげるのです。 そうなれば、もう氏族的メシヤの責任も果たせない人は、大変なことになります。今からは、帰って、パーティーをし、四十日間食べずに痛哭してみなさいというのです。そのようにしてでも、早く復帰しなさいというのです。 祝福を受けた家庭たちは妻、夫、子供たちまで、四十日間、全部「飢えて死んでしまう」と言いながら、「祝福を受けなさい」と言ってみなさいというのです。そうすれば、町内が団結して、全部祝福を受けるようになるのです。 四十日間泣くのに、お父さんが一日泣き、お母さんが一日泣き、息子・娘が五人いるならば五日間泣き、そのように子供、妻、おばあさん、おじいさんが交代で、大声で泣いてみなさい。いっぺんに「どうしたのか?」と言ってくるようになるのです。そうすれば、「一族が滅びていくようになって、私はそれを防ぐためにこのような祭物となって祭祀を行うのです。死にゆくありさまなので、生かすためにそうするのです。今、死につつあるのです」と言ってみなさい。 八月九日までに三百六十万双が終わったとすれば、陰暦の七月七日七時七分七秒までに先生が七十七歳を迎えたそのときに、三千六百万双の祝福を宣布すれば、これはだれでも祝福を受けるのです。解放なのです。 三千六百万双をするといえば、霊界が降りてきて、強制で打って追いやって、祝福を受けるように引っ張ってくることのできる時になるというのです。一九九七年は、先生の歳が七十七歳であり、七月七日七時七分七秒に連結されるのです。 今まで、安息日を越えることができませんでした。七数を越えられなかったのです。再出発ができません。それで、六千年歴史から七千年に越えなければならないのです。 自然のオーケストラ それゆえ、地上にいるあらゆる昆虫であろうが何であろうが、「私たちは、真の父母の所有物である」といって賛美し、「神様の所有物である」といって賛美し、「神様の愛を育成するための一つの祭物である」といって誇るというのです。そうして解放が起こるのです。 皆さん、昆虫世界を見れば、昆虫世界でも全部、オーケストラが始まります。セミの鳴き声から一度聞いてみなさい。ミンミンと鳴くのも全部、拍子を合わせて鳴くのです。オーケストラの中でも自然のオーケストラは、現在有名な、どんなオーケストラも問題ではないのです。 今回、私が南米に行って驚いたのは、鳥類たちが一度に数千羽、数万羽集まって、音楽会でもするのでしょうか、チュンチュンと同じ鳴き声をするのにも、拍子を合わせてすることです。大したものです。「鳥のオーケストラとは、ああいうものなんだなあ」と思いました。 昆虫のオーケストラ、鳥のオーケストラ、動物のオーケストラ、人のオーケストラ。このようなオーケストラたちが、一緒に一団となって歌うのが、この世の中でも最高にすてきなオーケストラではないでしょうか? それを聞きながら酔いしれ、神様は「私の腕前はいいなあ。ああ、小さいものたち、大きいものたち、皆、歌がうまくて、私より優れているな。ははは」と、そのように喜ばれるのではないでしょうか? 南米に行って私が発見したことは、歌えない魚がいないということです。私はそれを発見しました。(笑い)北半球では全部、歌が歌えません。(笑い)それがなぜなのか、というと、第一に、南米はいつも春であり、いつも夏であり、いつも花が咲き、いつでも食べるものが多いのです。ですから、歌うことしかすることがないので、そのように歌うというのです。(笑い) 六か月、四か月の間、冬眠の世界に入らなければならないとすれば、歌を歌うことができるでしょうか? 「ああ、寒くなる前に、早く準備をしなければならない」というのです。そのように縮こまっている状態なのですから、歌に何の意味があるでしょうか? ですから、私が南米に行って考えることは、「神様が一番考えられるのは、いつも水と青い地帯が、人間が暮らすことのできる理想地帯であると同時に、動物やあらゆるものが暮らす理想地帯なのだ」ということです。 青い地帯に幸福で暮らせる天国をつくり、人間として動物とともに踊りを踊りながら、人間のオーケストラ、動物のオーケストラ、自然のオーケストラ、その環境で楽しみ暮らす人が、天国の一番いい所に行くであろうと思うのです。そうではないでしょうか? 皆さんに話をしてあげようとして、もう九時になってしまい、ご飯も食べられずに、また出掛けないといけませんね。(笑い)きょう、ベルベディアで話すべきことを皆、話してしまいましたね。(笑い) 今まで、あなたたちはここに参席することを軽んじていました。千年の恨みと千年の精誠をささげても来ることのできない日があるということを知らなければなりません。 勝利者になりなさい 今や、一族が全部競争をするようになれば、一族がどれほど精誠をささげて、ここですべて天の前に献納するかというようになります。自ら、天の国の民として税金をささげなければならないのです。税金制度が訪れるということを知らなければなりません。 皆さんは、このような場所に参席することのできる氏族的メシヤを中心として、一族が全部精誠をささげて、最高の水準にいる何人かを選抜してくるのです。 あらゆるものをどのように集めて、どのように献納するか。どのようにすれば、全人類を救うことができるかということを考えるのです。今まで神様は、人間と万物、このすべてのものをごらんになることを願われたのです。 今や、世界が全部救われたならば、どうなるでしょうか? だれが息子・娘をたくさん産むかということが重要になるのです。 次は、何でしょうか? 受けたのですから、返さなければなりません。それは、皆さんの所有の三三パーセントです。それは、蘇生、長成、完成ということからきています。 サタン世界が蘇生、長成、完成段階まで支配すれば百パーセントになりますが、六六パーセントくらいまでしか、サタン世界は占領できなかったのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦では、サタン側は六七パーセントまで勝ったのです。そして、残りの三〇パーセント圏内で負けるのです。その残りの三三パーセント以上は、天に属するのです。そうすると、イエス様の三十三歳という年齢には、そのような意味もありそうです。 税金も同様です。それは、国民として果たすべき義務です。ですから今後、未来とその国を発展させようとすれば、自分たちが決めて、それ以上にパーセントを増やしていくべきであるというのが、今後、天の国民たちがあの世に行って福を受けることのできる土台になるであろうというのです。 ですから、夜にも働いたりして、後代においてこの国が栄えるようにさせなければならないのです。国の人たちが税金を取りにきてはいけません。全部、自発的にささげなければならないのです。 個人主義のアメリカの人たち、西洋の人たちは、大変なことになりました。「世界平和統一家庭連合」の世界本部では、守るべき規則を全部私に報告し、そのうえで、その中に条件を減らしてあげることができ、減らしてあげればよいと思われるものは、私が引いてあげようと思います。それを準備しなさい。 今からは、既成教会が統一教会に反対すれば、「この者たち、なぜ統一教会に反対するのですか?」と言いなさい。 彼らが、「あなたたちが『キリスト教だ』と言うので反対するのだ」と言うのならば、「キリスト教だから反対するのですか? あなたは偽者です! キリスト教時代は、もう過ぎ去ったのです。私たちは『世界平和統一家庭連合』ですが、家庭に反対するのですか? あなたの家を全部、打ち壊すのですか? 私たちは、あなたの家を救ってあげようとするのです」と言いなさい。最初から堂々と訴えなさい。 「世界の家庭が、すべて私たちを歓迎するのに、なぜ反対するのですか? 反対すれば、あなたの家庭が神様の怨讐になるのです」と言いながら、闘わなければなりません。 先生が皆、準備したのです。まったく、国もなく、何も持たない私を一番怖がるのです。武器はありませんが、皆、恐れているのです。統一教会の組織、世界において先生がつくった組織は、世の中のどのような武器よりも強力なのです。 出掛けていきなさい。出掛けていって成しなさい。行動を開始しなさい。何でもできるのです。世の中をきれいに整理しなさい。世の中を収拾しなさい。この道を行くうえで、何の問題もないというのです。それは、あなたたちがもっと度胸を持ちなさいということです。先生より度胸を持たなければなりません。 あなたたちは世の中を知らないので、先生の話だけ信じれば、度胸が百倍強くなるのです。 特に二世たちは、もっと強く、度胸を持たなければなりません。これ以上、迫害はないのです。ばーん! がーん! がん! と、三度撃つのです。一度だけ撃ってやめてはいけない、というのです。蘇生! 長成! 完成! それで解放されるのです。世の中を目覚めさせなさい。そして、先生が万王の王になったように、この世の中と天宙の中心存在として勝利者になりなさい。アーメン。 神様が祝福してくださいます。日本収容所列島 いまなお続く統一教会信者[本/雑誌] (単行本・ムック) / 梶栗 玄太郎 編令和の魔女狩り 旧統一教会バッシングの深層 (View P Books) [ 世界日報社編集局 ]一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓