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2022.06.19
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「絶対信仰と絶対愛」

1994年10月9日
韓国・中央修練院にて


  み言は生きている

 皆さんが統一教会について考えてみたとき、原理のみ言を中心として、うれしくて「このみ言であれば天下統一は問題ない」と考えて、前後の見境なく、昼夜狂ったような時がありました。その時から数十年がたてば、その時の基準以上にありますか、それともそれ以下ですか? それを皆さんの良心に手を当てて聞いてみなさい。良心は知っています。分からないという良心はないのです。

 さあ、死んでいますか、生きていますか? 答えは簡単です。それ以下になっているでしょうか? それ以上に狂って、「南北を統一し、アジアを統一し、世界を統一するために十字架の道は問題ない。私が先にその道を越えて行こう!」と言い得る気迫に満ちているかということが問題です。それでこそ、生きているといえるのです。生きていますか、死んでいますか? 自問自答してみてください。停止は死亡と通じます。生きているものは育つようになっています。

 統一教会員の顔つきを見ると、萎縮しているように見えます。一週間断食はなぜしたのですか? 一週間断食の、七日目の夜一二時になれば、お粥やご飯に目と体と心が傾いているのであって、神様のみ旨を思い、神様が寂しい立場にあるので解放し、世界がサタンの地獄に向かっているのを解放するために、それを一層考えながら、その峠を越えた人が何人いますか?

 ご飯が貴いことを知ろうとして、断食をしたのでしょうか? み旨の道において、それ以上に難しい道が、今後自分の目の前に近付くのを越えるための精神的な姿勢を備えるためなのです。それを土台として、ケープ・ケネディの人工衛星発射基地と同様に、そこから跳躍ではなく、飛躍するようにと言ったのです。

 皆さんが韓国にいれば、先生に負けないように努力すべきなのではありませんか? 韓国を誰が救ってくれますか? 先生が世界を救うために出ていけば、皆さんは韓国だけでも救おうとしなければなりません。先生のような体を持った人が多くいるのに、どうしてできないのでしょうか。先生のみ言はみ言のまま、流してしまいました。そのみ言が讒訴する道を、どのようにして避けるつもりでしょうか? 先生はみなやって指示したのです。気ままに語ったようなみ言ではありません。み言を現実化できないとき、そのみ言が皆さんを審判するということを知っていますか。

 天国に入るのを妨げて、「このような条件を越えたか!」というのです。皆さんは死んだような状態ですが、み言は生きています。郭錠煥!(はい)。数十年の間、韓国教会に指示したすべての重要項目を選びだしなさい。(はい)。それで、ここにいる責任者たちに配布して暗記させなさい。(はい)。これからでも、その峠を越えなければならないのです。そのみ言は死にませんでした。先生の相対的価値を設定するために命令したのです。そうして、同じ天国に入るために準備したのに、み言はみ言のまま置いて、対象的実体はありません。ですから、先生が再創造しなければ、行くべき道を行けないという運命に陥るのです。これではいけません。一度神様が選んだのに失敗した者は、二度訪ねて使う道理がないのです。

  信じられない立場で信じることが基盤になる

 アメリカが天に仕えて新婦国家として、中心的責任を果たさなければならなかったのです。神様が来られる再臨主を迎えるために準備させたのに、アメリカが失敗するようになるとき、神様はアメリカを再び選ぶことができません。アダムとエバが失敗したので、アダムとエバを中心として復帰が不可能なため、分立して、息子・娘時代に摂理したように、失敗したアメリカを救うためには二世の立場で先生がアメリカに責任を持ち、アメリカを選出したのです。

 アメリカは旧約を中心として、新約が連結されているため、成約時代を摂理していく再臨主においては蘇生・長成・完成の基盤になる旧約・新約がなくては完成の土台がないので、しかたなく、アメリカを立てざるを得ないのです。このようなすさまじい事情を知っていましたか?

 皆さん、原理のみ言でアダム家庭ならアダム家庭は死んでいません。生きています。失敗というのは、死んだ失敗ではなく、生きた失敗として残っています。神様は、このような失敗したものを生きた標本として、勝利的基盤を築かずには、天国に入ることのできるヤコブの家庭、モーセの民族、イエス様の国家摂理があり得ないというのです。再臨主も同様です。みな生きています。原理を勉強すれば、アダム家庭は私たちの家庭と同じなのです。

 ノアも同様です。いつノアと同じ信仰を持ったことがありますか? 一二〇年の間、アララテ山の頂上に船を造る狂った人がどこにいますか? 船を造ろうとすれば、川辺につくればいいではありませんか? ですから、どれほど反対を受けたでしょうか? 狂人と言われるのはもちろんのこと、さまざまなうわさを聞き、さまざまな迫害を受けるようにさせたのです。東西南北に見えるすべての山の微々たる動物までも、「あのようなぼけた人、あのような狂人じいさんがどこにいるのか」と、後ろ指を指すようになっているのです。全部が無視する立場で、神様は生きているという権威を立てたのが、ノアの時の審判だということを考えなければなりません。

 皆さんがそのような信仰を持ち、統一教会を信じ、統一教会を立てるために努力しましたか? ノアは休みながらやったのではありません。雨が降ろうが、雪が降ろうが一二〇年の間、すべての万物を収納させる船を造らなければならなかったのです。その村で寄付でもしてくれたでしょうか? 狂った老人だといって、けなしたのです。

 アブラハムも同様です。神様がアブラハムをカルデアのウルから導き出しました。アブラハムは偶像商の長男として、自分の家を出るとき、その神様の命令を信じることができたでしょうか? 信じられないものを信じて出てきたのです。後には、神様はアブラハムに、「イサクを燔祭に捧げなさい」と言ったのです。アブラハムに「あなたの子孫を天の星のように、地の砂のように繁栄させよう」と祝福したのに、一〇〇歳の時、生まれた息子(イサク)を裸にして「祭物にして捧げよ」ということは何という命令でしょうか? 狂ったことです。誰が信じられますか?

 信じられない立場で、信じることが基盤になるのです。なぜでしょうか? 堕落が信じることのできる立場で信じられなかったので、信じられない立場で、信じなければ天に対する信仰の芽が生じません。それが伝統的な信仰世界で、神様が摂理する転換時代の公式になっているということを知らなければなりません。

 アブラハムが祭物を裂くことにおいて、失敗しませんでしたか? それ(裂くこと)が何でもないと思ったのです。皆さんも、先生のみ言を何でもないと思ってはならないのです。歴史的な宣言です。祭物を裂くこと以上に価値ある先生のみ言を、どれほどこぼしてしまったことでしょうか? そのみ言が皆さんに、千年、万年の讒訴条件として残されているということを知らなければなりません。アブラハムが、小さなハトを裂かなかった失敗によって、天上天下にない摂理を中心とした、サタン世界と分立的な勝利の覇権(主義)を取り戻してくる、神様のみ旨が誤ったのです。ですから、そのみ旨の前に自分たちが今、不信するすべての態度や行動は、アブラハムの祭物の失敗の何十倍、何百倍になるということを知らなければなりません。

  イエス様の荒野四〇日断食祈祷と三大試練

 アブラハムが祭物を失敗することによって、夢うつつの時に「おまえの後孫は四〇〇年の間、異邦の僕になる」と言われたのです。そのような祭物の失敗が、国権回復の過程を経るときにおいて、石板を割ることが生じ、モーセが荒野で銅の蛇を上げるようになったのです。そのようなことが、イエス様が十字架にかかり得る条件的な権限を、サタンに全部引き渡してしまうようになったのです。そのことを知らなければならないのです。

 それを引き渡したがゆえに、イエス様が荒野で四〇日断食をして立つようになるとき、試練を受けるようになったのです。石は何でしょうか? 石でもってパンになるようにして食べなさいというのです。荒野の先祖たちのすべての讒訴条件をかけて、「歴史的な解放を成し、その歴史を蘇らせて、主人になった者だと考えてはいけない」というのです。

「モーセも、おなかの空いた群れを引っ張ってきて石板を割った。だから、主人の立場に立ってはいけない。パンを願って、モーセが石板を割ったことを反対の立場で蕩減復帰しようとせずに、石をパンに変えて食べなさい!」というのです。それは何を意味するのでしょうか? 滅びゆく民族を代表して立てたのに、歴史をかけて試練したのです。それを知っていますか?

 その次には、イエス様を高い宮の頂上に立たせました。イエス様は大祭司長として来られたので、宮の王です。宮の頂上に連れていって「不信するイスラエルの国から追われて、宮の頂上から落ちる様は何か」という話です。違いますか? 「行く所がなくて、荒野に出ていって飢えている、みじめな姿である。それは宮の頂上から落ちたそのものである。悔しく無念なことではないか? 今、宮の頂上に上がって、祭司長の責任を果たすことができますか?」という話です。

 そのとき、イエス様が何と言いましたか? 主なるあなたの神を試みてはならないと言いました。神様は宮を通じて息子を訪ね、解放を求めるがゆえに、解放権限を中心として世界のすべての宗教を統一し、天の一つの足場とするのが決定的なのに、あざけるなというのです。「神様の摂理の道を行く私に何ということだ? 私が宮の頂上を取ろうとするのに、なぜ妨害するのか? このよこしまなやつ!」とサタンを一掃したのです。そうであるといって、イエス様がサタンを引っ張り回すと思いますか? 一か所で幻想を描いて、天地を代表した立場で一問一答したのですが、ここで引っ掛かれば、すべての歴史的な条件の実体対象として来られたイエス様は没落してしまうのです。

 三つ目は何ですか? サタンは高い山に行って、イエス様に天下の栄光のすべてのものを見せてあげながら、「私にひれ伏すように」と言ったのです。それに対してイエス様は「この邪悪な者、そのような試練をするのか? 天下の主人は神様であり、キリストなので神様の前に敬拝せよ」と命令したのです。サタンは、過ぎし日のすべての失敗を掲げて打つのです。このような話をなぜするのでしょうか? 歴史時代に代表者として来たなら、彼(イエス様)を立てるために歴史を編んできたすべての過ちは、自分自身で蕩減しなければならないという話です。先生の話も同じです。

 先生が話したすべてのことが標題になって、皆さんが実体対象者として勝利の覇権者になって、天がそれを中心として万国を駆けることのできる千里の馬のような自分にならなければなりません。そうではなく、み言に引っ掛かるようになるときは、許しがないというのです。千万倍の蕩減路程が訪ねてくるという事実を知らなければならないのです。何の話か分かりますか? これは歴史的事実です。

  ヤコブの戦略とエサウの痛哭

 ほかにも見てみなさい。聖書に帰って、イサク時代にリベカを中心として見れば、世の中の誰も信じられないことをさせるのです。自分の夫をだまし、長子権を弟に奪ってあげるという母が世の中のどこにいるでしょうか? 摂理のみ旨が間違ったので、正すためには間違ったものを直さなければなりません。このように来たのが、反対にこのように上がらなければなりません。そのように上がろうとするので、反対的なことをさせざるを得ないのです。

 エバが神様の長子アダムをだましました。それに、お父さん(神様)をだましたのです。そうして、長子権を失い、次子によって摂理していこうとするので、歴史的な恨みの峠があり、千年万年、未来に向かって嘆息の峠が待っているという事実を、神様は知っているのです。リベカはその内容を知りませんでしたが、指示に従って行動をするのに躊躇しませんでした。同様です。

 今日、逆説的な路程を開拓すべきなのが、摂理史の主動的責任者だという事実は、聖書の歴史を見るとき、否定することができません。もし根本が壊れて、失われたら、全く同じものを持ってきて修理しなければならないのです。蕩減復帰は反対の経路をたどるのです。

 そうして、エサウとヤコブの路程で、弟が兄さんの長子の嗣業を奪うために、二一年の受難の道を行ったのです。ラバンの家に行って、どれほど苦労したことでしょうか? そのように数多い事情の中で歳月を送りました。普通、男性なら、そこに引きこもっていられません。おじが、どのような人間かといえば泥棒です。けれども、その困難な環境を耐えに耐えながら、二一年の間、不平もなく過ごしたのです。ですから、人が知らない道を行く背後には、天が見守ってきたのです。滅びると思った人が滅びず、滅びないという人が滅びたのです。

 そうして、ヤコブがエサウの家に帰り、兄さんに会うとき、どのようにしたでしょうか? 羊の群れ五、六〇匹を数十回持っていって捧げました。一度に持っていって捧げれば、一度あいさつするだけですが、数十回あいさつさせたのです。ヤコブの戦略がどれほど緻密だったでしょうか? そのようにしながら、ヤコブが兄さんであるエサウに会ったときは、贈り物として牛と羊を捧げたときより、一〇〇倍謝礼をするのです。羊がエサウに捧げられるとき、エサウの周辺を取り巻いていた四〇〇名近い兵士たちがいて、すべてのことを見ていました。

 そして、ヤコブが兄さんであるエサウに会うとき、「兄さん、元気でしたか」と言ったのではありません。「わが主、お兄様」と称賛し、「神様を見るようだ」と言いながら、遠くから七拝して、近づいたのです。走っていきませんでした。走っていくはずみに、どんなことが生じるか分かりますか? 殺そうと準備した兵士を率いているので、そこで被害を受けないために、涙を流しながら、進んでいったのです。

 そのようにして感動し得る環境になって、エサウがヤコブを抱き締め、顔をすりつけながら痛哭し、「お兄様、罪人が訪ねてきました。千万回、お礼をいっても足らないので、その場でたたき殺してください」といって、兄さんが贈り物を受け取ったのです。エサウは、人間の皮を被っては、それ以上の行動をすることができないので、贈り物を受け取ったのです。共に涙を流し、一つになり得る場が、天地史において転換起点になったということを誰が理解できたでしょうか? 行動は一人による一瞬の行動ですが、その内容は天地史のとてつもない歳月が引っ繰り返るのです。そこで、とてつもない価値の基準が引っ繰り返って、地獄から天国に転換され得る土台が準備されたと誰が思ったでしょうか?

  七〇〇〇名を糾合する役事

 モーセもかわいそうな人です。千辛万苦して、今からカナンの地を望み、ヨルダン川を渡るべきはずが、天がおまえはカナンの地に入れないと言われたとき、胸がつまったというのです。モーセもカナンに入らせてほしいと、どれほど神様の前に切に祈祷したことでしょうか? その悲壮な事情を通告しましたが、神様は冷静なおかたです。事情によって摂理が変わるなら、このような長い摂理は必要なく、アダム家庭で復帰し得る道がありました。それが通じません。非情な立場で、モーセは一世とともに荒野で消え去ってしまったのです。

 ただ、ヨシュアとカレブ二人だけがカナンの福地に入りました。一二支派の代表を偵察に送りましたが、一〇支派の代表が反対しました。入ることができないと痛哭する事情圏内で、ヨシュアとカレブだけが、神様が生きておられるから問題はない、と言いながら環境に影響を受けなかったので、彼らだけが入ることができたのです。これが、イスラエル一二支派が分立する遠因になりました。ヤコブ家庭でレアとラケルの一〇兄弟と二兄弟が分裂したことも、イスラエル二支派分裂の条件になったのです。このように内外に生じたことが、天国(南朝二支派)と地獄(北朝一〇支派)を分ける歴史的な二大条件になったということを忘れてはならないのです。

 このようにして残った二支派を中心として、イスラエル建国思想を求めていった天はどれほど苦しかったことでしょうか? これをイエス時代前に統一すべきはずだったのに、できなかったため、南北朝分立時代にエリヤを送り、統合する運動をしたのです。北朝のバアルとアシラ像と八〇〇余りの祭司長を一か所におき、エリヤが祭物をおいて水をかけ、火をつける実践テストをしたのです。

「南朝、北朝は神様が願うものではない。一つにならなければならないことはおまえたちも願い、私たちも願うので、祭司長たちが試合して、本当の神様が生きている所に糾合しよう」と約束を固くして、北朝を代表した一〇支派の祭司長八〇〇余名が天に対して、あらゆる精誠をいくら尽くしても、だめなのです。しかし、エリヤはただ一人で現れて、神様に祈るとき、そこに天から火が下り、祭司長と祭壇までみな焼いてしまったのです。そうすると、国民たちは「私たちの祭司長、私たちの司祭たちを全部殺したエリヤを殺そう」と言ったとき、逃げて祈祷したことがあります。

「神様、神様! 私だけが残りました。私の霊魂を受け取ってください」とエリヤは祈祷したのです。このとき、天が語るには、まだバアルに属していない七〇〇〇余名の群れが残っているということを通告するのです。一〇支派のほとんどを失い、七〇〇〇名だけ残りました。彼らを中心として南朝と北朝の統一聖業、すなわち、神様の国建国を成就しようと通告したのです。この歴史が死なずに生きています。

 それが実体として現れるべきなのがイエス時代でした。洗礼ヨハネを中心として、七〇〇〇名がイエス様と一つとなっていたなら、イエス様は十字架で死にませんでした。このような恨みの歴史をどのように解いていくかが分からない人々は、絶対従順になりながら、順応すべきはずなのに、自分勝手に生きて、亡国の種になるとも知らずにいたのが、そのままそっくり亡国の種になってしまったのです。何の話か分かりますか? それゆえ、先生はダンベリーに入って七〇〇〇名の米国牧師を糾合する役事をしました。それを監獄から始めたのです。七〇〇〇名を韓国に連れていって、韓国と一つになる役事をしたのです。

  世界的カナン復帰を目前にした四〇年荒野路程

 モーセを見なさい。エジプトから出てきてペリシテに行けば二一日路程です。実際、そうだというのです。直行すれば、短い日数で行けるのに、全部ペリシテを恐れたので、躊躇することによって、紅海を割って、シナイ半島を通じて帰らなければならなかったのです。反対に行くのです。

 また、紅海が前に横たわるとき、神様が私たちをエジプトから出したのに、紅海が横たわるとは何ということかというのです。後ろに軍隊がついて危険に置かれるようになったとき、モーセは大変なことになったというのです。未来の建国理念を置いて出発したこの民族が、どこに行こうとするのかというのです。モーセはどれほど深刻だったことでしょうか。ですから、命を懸けて紅海を割るのです。紅海を割っていくことはいいことではありません。条件になるのです。また再び不信することがあれば、行くべき道がふさがってしまうというのです。蕩減の路程は、失敗したものが行けば行くほど解けるものではありません。歴史に荷物として残り、未来の塀として残るのです。

 このようにして、シナイ山を越え、カデシバルネアに二一日目に到着するはずなのに、一八か月目に到着しました。数か月という期間に整備し、ヨルダン川を渡ろうとしましたが、そこで磐石を二打したことによって問題が生じたのです。このことによって、荒野四〇日路程が四〇年を送ることになり、その中でイスラエルの第一世は、はげたかのえじきになりました。モーセと一つにならなかった民族は、はげたかのえじきになったのと同様に、今日、統一教会で先生と一つになれなかった第一世は、はげたかのえじきになり得る立場に立っているということを知らなければなりません。

 この二世という者たち。自分のお父さん、お母さんの失敗が何か分からず、自分が勉強できず、自分が貧しいと不平をいえる立場ではありません。これは、(今、生きている時代)砂漠と同じです。四〇年荒野時代です。世界的カナン復帰を目の前に控えた四〇年荒野路程を行っているのです。幼い人も年を取った人も、その国の王になり得る資格者も、避難民もこじきも、共に行くのです。高い低いはありません。先生はこじきの王です。子供たちゆえに、家を持ってはならないのです。

 私がアメリカにたつ七二年までは、月給を与えませんでした。国がないのに、誰が月給をくれますか? 荒野路程なのに、誰が月給をくれますか? 自分たちが努力をしなければなりません。マナとウズラを食べたように、どのようにしてでも自分が努力をして解決していかなければなりません。先生も皆さんと同じ立場で歩んできたのです。歴史は生きているということを知らなければなりません。

  祝福家庭のかわりに先生の家庭が蕩減

 そのすべての代表的歴史は、カイン歴史を中心として蕩減条件を立てるために、経てきました。ですから、歴史的な先祖たちは蕩減の荷物を負ってきたのです。その蕩減の峠で勝利することによって、解放された基準を自分の後孫の前に父母の代身(アベルが父母代身です。反対に取り戻してきた父母代身)なので、そのようなすべての蕩減的条件に打ち勝ち、サタンからその代価を取り戻して、信じてきた環境の人に与えるのです。父母のものは子供が相続を受けるのと同じなのです。それが宿命的因縁です。宿命的だということは、死んでもやっていかなければならないのです。

​ 父子の関係は宿命的です。夫婦関係は運命的です。夫ができなければ、妻がやることができ、お父さんの負債は息子が弁償してやることができるのです。しかし、本人だけができる立場は宿命です。お父さんとお母さんを取り換えることができますか? 父母と子息を取り換えることができますか? 死んでも永遠にその立場を備えて、続けるのです。宿命的な責任というものは、死んでも成していかなければならないのです。イエス様が父母の立場で来られて、宿命的責任を持ちましたが、その仕事を成せずに逝くことによって、楽園という待合室に行って待ち、宿命的責任を完遂し得る基盤が成されるときまで、待たなければならないのです。​

 それが一九七三年一月三日を中心として、先生によって祝福を受けることによって、天国に入って地上と連絡することのできる新しい時代に近づいたのです。ここで統一教会が失敗したことが、カナンの地と天国に入ることのできる合格者をつくれなかったというのです。

 ですから、その家庭が蕩減しなければなりません。それゆえ、興進君が昇華したのです。イエス様が三三歳で救いの道理を立てたので、三三歳以前のすべての者は救援摂理に連結できないのです。天上世界で霊的天国を成したとしても、地上世界でイエス様の年齢以下で死んでいった人々は、天上世界と因縁を結べないのです。ですから、興進君が一〇代の少年としてイエス様との橋を架けてあげたのです。イエス様が地上世界で一代に立てられなかったものを、橋をつなぎ合わせるために、若い立場で救世主の責任を代身して霊界に行ったのです。そのことによって、イエス様と霊界が真の父母の家庭と連結され得る因縁の設定が生まれたというのです。そして、イエス様と霊界が真の父母の家庭と連結され得る時代に入ってきて、歴史は急変、転換時代に入るのです。ところが、祝福家庭が果たすべき責任を果たせなかったために、先生の家庭が蕩減するのです。

 見なさい。先生の家庭で二番目の娘も逝き、二番目の息子も逝きました。先生の三代圏内においては、二番目の人たちがみな客死しました。このようにみるとき、蕩減原則は恐ろしいのです。

 興進君が相対的権限を持って、地上で真の父母の祝福を受けることによって、霊界にいる人々が地上の人と祝福を受けることができる時代になるので、連合時代になるのです。それは、大ざっぱな計算でなるのではありません。四隅が合って水がもれてはならないように、合わせていかなければなりません。四〇〇〇年の間、天をとろかせて食べたサタンなので、どれほど巧みですか? サタンが統一教会の人たちに押されていきますか? とんでもない話です。先生がいるので、それができるのです。皆さんはどのような名を語っているのですか? 先生の息子・娘ではありませんか。血筋を受け継いだというので、真の父母という名の前に真の子女の称号を持っているので、父母の勝利の覇権を相続し得る立場にあるのです。それが恐ろしいのです。

  国のない恨み

 では、父母の後継者となり、何年持ちこたえることができますか? 問題がそこにあります。殻だけ残って中身のないこじきのような群れです。どこに行って、飛んでいくか分からない群れです。父母がそれを残しておいて、目を閉じて死ぬことができないという事実を知らなければならないのです。

 南北統一を成就せよと、どれほど通告したことでしょうか! どれほど民族の前に批判を受けるでしょうか! 「世界統一家庭堂」を中心として、民族教育をして家庭編成を促進化せよと言ったのに、その名前も忘れているはずです、この者たち。女性たちが中心になって、「世界統一家庭堂」を中心として、カイン圏である国家と政党を収拾しなければならないのです。そのような教育的基盤を準備したという条件を立てなければ、国を探して入ることができません。先生はそのような条件をみな立てました。そのことを知らなければなりません。

 第二世の人々の精神はただ一つ、神様が探そうという私の国を探しだそうということです。四三〇年の僕暮らしの中で積もった恨みがあるとするなら、国のない恨みです。イスラエルは、自主的な国を持つことができなかった民族でした。

 大韓民国の歴史五〇〇〇年、七〇〇〇年を論議するときに、一度でも自主的な国家を持ち、世界に誇ったことがあるでしょうか? 李ビョンド博士の本によれば、侵略された回数が韓国動乱まで合わせて九三二回です。そのように記録されているのです。どれほど悲惨なことでしょうか? 刃物で刺された人がいないでしょうか。孝婦(=孝行心の厚い嫁)の称号をもらった人が犯されなかったでしょうか、あらゆることがあったのです。それを知らなければなりません。

 この少数民族の背後には、長い歴史に恨みが漂っているということを知らなければなりません。恨み多い民族! これを誰が救うのでしょうか? 天だけが教えるのです。皆さんの心の奥に、そのような恨みを持っていることを知らなければなりません。その恨みの荷物を背負い、建国理念を探していかなければ、この民族は消えてしまいます。神様ご自身の悲しい事情と、痛ましい事情に韓民族が一番近い距離にいるので、韓民族を神様が守ってきました。

  格菴遺録の驚くべき内容

 皆さん、『鄭鑑録』という本がありますが、『格菴遺録』というものもあります。私は五年前に、その原本を誰かにもらいました。私はそのような本を読むのは好きではありません。世界からそのような本がたくさん送られてきます。

 アラスカのコディアクにいるとき、『1999年』という本を読んでみました。サブタイトルは何かといえば、「ノストラダムスを超える南師古の驚異の大予言」というのです。一九九九年はどのような年でしょうか? ノストラダムスの予言によれば、この世界は滅亡すると言っています。

 また、予言には、その前にメシヤが来るといいました。今、六年足らずになりましたね。そのときになれば、世界が滅亡するといって、全世界が今、気掛かりになっています。ノストラダムスは有名な人です。ヒトラーが出てきてヨーロッパを打ったすべてのことも、詳細に予言したのがみな当たってきたのです。四五〇年の間にあったことがみな当たりました。

 西欧ではそのような予言が出てきて、世界的予言をしたのですが、アジアの韓国では、それより六年後にそのような人が現れました。すなわち、一五〇三年にノストラダムスが現れ、一五〇九年に南師古が現れましたが、彼が予言した内容は何でしょうか? イエス様が再臨することを予言しました。今から四五〇年前であれば、キリスト教という言葉も知らないときです。二〇〇年前に旧教(カトリック)が韓国に伝播されはじめたと見ていますが、四五〇年前にそのような話を南師古はしたのです。

 彼が予言した内容はどうでしょうか? 南師古の予言に比べれば、ノストラダムスの予言は何でもありません。その予言は月まで当てています。その本を見れば、近代一〇〇年史に限っては、そのままそっくり詳細に合うのです。歴史家が書いたといい得るほどになっているのです。誰でも疑い得る内容になっているので、ソウルの国立図書館に納本されている『格菴遺録』の筆写本の写真も撮り、移し書きもして、疑問なら問い合わせるようにと書いているのです。

 その本(『ついに解明された1999年』)についても、あまり関心がなかったのですが、一番最後の章を読んでみました。五章が最後ですが、その中で再臨主は南朝鮮、大韓民国に来るとありました。私はそれを見て、驚き倒れました。再臨主に該当する八つの条件に適合する人物がいるという結論が書いてありました。(拍手)

 そのかたは韓国で生まれるとありました。また、北韓で生まれて、島国に行ってから、南韓に帰ってくるというのです。日本を経て、南韓に帰ってくるという説明までしているのです。また、善男善女のカップルをつくってあげるとありました。さらに、監獄暮らしをしなければならないというのです。

 そして、息子・娘が多いというのです。また、統一教会の祝福を受けた息子・娘がどれほど多いことでしょうか? その次には、新しい宗教をつくって、世界を一つにしなければならないというのです。夢のような話です。また、共産党をなくさなければならないというのです。

 そして、南北が分かれるというのです。第二次大戦後、連合国の勝利で、キリスト教文化圏を中心とした歴史にただ一度だけしかなかった統一世界は、来られる主(真の父母様)のためのものでした。ところが、そのキリスト教は主が雲に乗って来られるということを信じて、人として来られた主を、イエス様のように荒野に追い払いました。国家の怨讐、世界の怨讐として追いやったのです。

 今、四〇年が過ぎ、再び春が巡ってきたので、今日、統一教会の名前と文先生の名前が復活し、世界の頂上に立つようになったのです。四〇年を蕩減して、その立場を再び取り戻せなかったなら、全部流れてしまうのです。その次は、このような話があります。天も一つであり、父も一つであり、母も一つなのに、父が二人になるので、北には赤い父、南には白い父がいるというのはどういう話でしょうか?

  血統転換、所有権転換、心情転換

 第二次大戦後に、英・米・仏が新婦圏を中心として世界統一基盤ができたとき、新郎として来られる主を迎えることによって、神様に侍るようになるのです。新郎として来られるかたは、家やパンやお金を持ってくるのではありません。彼が持っている財産は、真の愛と真の愛の種です。

 それゆえ、統一教会に入ってくる数多くの女性たちは、その真の愛が慕わしいのです。先生がどこに行っても会うために、夜も昼も無我夢中です。一二歳から八〇歳の女性たちは全部そうなります。なぜでしょうか? 女性は真の父母の相対的位置に立っているからです。ですから、春の風が吹き、誰でも同じ気持ちになるのです。

 エバが堕落することによって、四大心情圏を喪失しました。一人の男性に誤って対することによって、そのようなことが起こったので、これを蕩減復帰するために、反対に世界のすべての女性は、一人の男性である夫に出会って、四大心情圏を回復しなければならない立場にあるのです。ですから、その男性に会うようになれば、お兄さんのようであり、夫のようであり、お父さんのように感じるのです。そうして、妹の立場から妻の立場、お母さんの立場まで、その心情を体恤しなくては、蕩減復帰が不可能なのです。

 それゆえ、先生が大邱に行けば、霊界が全部教えるので、女性たちは大邱に押し寄せてきます。私が和新百貨店に二度行きましたが、そこに女性が何人か待っていて、あいさつをするのです。「何のためにきたのか?」と言うと、「霊界から、先生がここに来られるので、早く行けと言われて、時間を合わせて駆けつけました」というのです。そのようなことがたくさんありました。

 再臨主に簡単になれるものではありません。ある人が、先生は洗礼ヨハネで、自分は再臨主だという人がいますが、とんでもありません。再臨主になろうとすれば、霊界に入って、神様の玉璽を受けてこなければなりません。文総裁が霊界に入ることによって、四三日の間、霊界で争いが起こりました。地獄のどん底から、天上まで全部が「文総裁は異端者だ」というのです。それを下から整理していかなければなりません。一番最後には、聖人たちです。彼らと神様の前で談判して、正義の主人が誰かという決戦をしなければなりません。そのときの題目は何でしょうか? 霊界に来たすべての人々は、神様の血統ではないのです。血統転換しなければならないということを知っているのかと追及したのです。

 二つ目は何でしょうか? 所有権転換です。「地上に生きながら、自分の所有権を持った者は天の国の背反者だ」というのです。宗教の教祖たちがいくら優れているといっても、ここには引掛かっているのです。

 その次には、心情圏を転換せよという話です。一族の心情圏です。人は誰でも四代を中心とした親族は、どこででも糾合できるのです。最小限六親等までです。その圏内にいる人々は糾合するようになっています。四代までは大部分、一つの地方で暮らすのです。これは一族が一つの垣根です。個人は蘇生であり、家庭は長成であり、氏族が完成です。四位基台完成というのは、一代、二代、三代です。

 それゆえ、一族を中心として個人蘇生です。心と体が一つにならなければなりません。心と体が偽りの愛で分かれてはなりません。ですから、霊界で争うときには、「おまえたちは、心と体の闘いをしてから来た者たちではないか! 異端が何だ?」と、対抗して争っていくのです。

 最後には、霊界に大混乱が生じるので、神様が審判場で判決を下さなければなりません。ところが、神様まで反対するのです。「文総裁は、おまえたちがいうように異端者だ」というのです。なぜそのように言われるのでしょうか? アダムが天に背反したので、蕩減復帰によって、神様もアダムの完成者に背反しなければならないのです。そうしてこそ、神様の心に積まれた恨みが解かれるのです。

 そうして、全体がみな反対し、神様まであちら側に立っているのに、ただ一人、文総裁が残ったのです。そうかといって、混乱の渦中にいる霊界をただほうっておくことができないのです。神様が最後に判決を下さなければなりません。「文某がいう血統転換、所有権転換、心情転換が事実である」というのです。そのような勝利の覇権者として、額に玉璽を受けて下りてこなければならないのです。

 霊界でこのようなものを整備するための闘いをして勝利したので、地上でも闘いをしなければならないのです。地上でもすぐに血統問題が引っ掛かるのです。サタン世界から妻を復帰してこなければならないというのです。血統転換をしなければならないのです。

 その次に、天使長圏で持っているすべてのものは、自分の財産ではありません。神様の財産を全部泥棒していったのです。それを取り戻してこなければなりません。そして、自分の一族を中心として、世界版図を連結させなければなりません。誰でも東西南北に連結された版図で、自分の一族を中心として、世界的版図に伸びていこうと考えるのです。このような心情圏を全部転換させなければなりません。一番目が何ですか? (血統転換)。二番目が何ですか? (所有権転換)。三番目が何ですか? (心情転換)。

  血のにじんだ祭壇

 このような事件がいつから生じたのでしょうか? 堕落してから生じたのです。堕落する前には、アダムとエバの所有であり、神様の所有だったのです。皆さんも、アダムとエバが祝福を受ける前の立場と同じなので、結婚する前に所有していたものを、天の前に帰し奉らなければならないのです。皆さんが統一教会の祝福を受ける前に、この手続きを終えて祝福を受けるのが原則です。それで、統一家を中心として祝福を受けた家庭が多くなればなるほど、サタンの血族世界はだんだん小さくなるのです。

 所有権が全部天に帰っていかなければなりません。それゆえ、この歴史発展路程の思想と主義を中心として、個人所有時代が過ぎ去ります。氏族所有時代、民族所有時代、国家所有時代を経て、世界所有時代に越えていくのです。それで、共産主義や社会主義をもって、この世界のすべての国は、私の国だといったのです。

 サタンは天の所有圏時代が訪れることを知っているので、前もって、これをまねて、天のものになるのをふさぎ、反対するために、世界を制覇し、国家管理体制を主張したのです。所有は国家のものだといって、共産党一党統治時代を主張したのです。

 それが、今後来る理想世界のモデル型になるのです。ところが、偽りでもって失敗したのです。その思想的方向だけを引っ繰り返せばいいのです。神様がいない、神様がいるという唯物、唯心の闘いをしましたが、共産党が神様に侍って、その道を行けば、世界制覇を瞬く間にすることができたことでしょう。

 所有権転換のために中間の立場に立てた家庭が、どのような家庭でしょうか? 「世界基督教統一神霊協会」で祝福を受けた家庭です。天使長とエバが一つとなって、その直系の代を継いできたこの世界において、天の逆賊たる天使長家庭と、天の側に立った天使長家庭の代表として分立したのが、祝福家庭です。それゆえ、祝福家庭は完成級で祝福してあげたのです。それ以上の道を行くかたがご父母様ですが、ご父母様と絶対的に一つになってこそ、直接主管圏が連結されるようになっています。そのためには、七年の歳月を経なければなりません。

 一九四五年から一九五二年まで、七年路程を中心とした世界浄化時代があったということを知らなければなりません。完成期七年路程が残っています。それがご父母様が行くべき道です。その期間は全世界のキリスト教文化圏が長成期完成級を越えたので、完成期完成級にすべての国々が入ったため、サタンはその世界についてくることができず、そこで別れなければなりません。その七年路程を成せずに完全に失ってしまったため、再度、旧約時代と、新約時代を蕩減しなければなりません。四〇〇〇年歴史を蕩減せずには、真の父母も解放圏を迎えることができないのです。

 一四年(蘇生、長成です。一九四五年から一九六〇年まで一四年です)の間、このような受難の道を経ていくのです。イスラエルの国でできなかったことを、韓国で清算しなければなりません。アメリカが第二イスラエル圏になったので、第三イスラエルは第一、第二イスラエルの土台の根を受け継ぐべき立場に立っているので、韓国で一四という期間(蘇生、長成、完成期間)を中心として主権基盤を超えるための闘いをするのです。血のにじむ闘争です。

 聖婚式をする直前の日まで、治安局に行って調査を受けました。お母様まで呼ばれていくことが起こったのです。そのときに反対した一二人は統一教会の幹部になる人たちでした。ですから、そのとき、統一教会が滅びるとうわさがあったのです。全面的な国家弾圧時代に入るので、それを聞いて、みな離れていって、国家に協力したのです。イエス様の一二弟子が反対したのとぴったり同じです。一二数が全部国家と協力して、統一教会の文先生を監獄に入れ、統一教会解散の命令をしようとしたのです。そのような調査にぶつかったのです。そのような争いの場を克服してきたのです。

 イエス様が死ぬか、生きるかという渦中で決断をして、生死の圏を踏み越えなければならないのです。死んだ者になれば、その死亡圏から流れていくかもしれませんが、生きた者なので、踏み越えなければなりません。その闘いを中心として聖婚式をするのです。聖婚式をするのも考えてみなさい。四〇歳の婚期を過ぎた独身ではありません。離婚した者が、一七歳になる乙女を世界のお母様にしようというのですから、それを誰が理解できるでしょうか?

 お母様になるためには、一〇代でなければならないのです。聖進様のお母さんも、十八歳のとき先生と婚約したのです。大ざっぱな計算で、適当にして越えていく道ではありません。そのような血のにじむ事情は誰に訴えますか? 周囲にいる女性たちは、全部原理を通して再臨主に侍り、真のお父様に侍ることを知っています。そうして、生活するのに必要なもの、一生暮らすことのできる準備をするのです。それで、三代(おばあさん、お母さん、娘)が一つになって、「私の家はこれこれの準備をした」という勝負をするのです。そのような家庭が、三家庭ほどではなく、世界的に数百家庭が生じるのです。

 お母様の復帰路程がどれほど熾烈だったが分かりますか? アダム一人を見いだすための歴史が、数多くの闘争をしながら、血を流し、曲折を経てきたのと同様に、お母様を見いだすことにおいて、どれほど多くの犠牲の代価を支払ったかしれません。

 お母様の基準を受け継ぐために、数千年前に啓示を受け、準備していた人が代を継いで、この時代まで来たのです。聖火を中心として消えないようにして、これが地上の終わりの日まで続いてきたのです。火を消さずに終わりの日に、お母様の火まで移させるための血のにじんだ祭壇を引きずって、実体として勝利した生きた祭物であるお母様を捜し出したのです。

 先生についても同様です。生きた祭物、裂く祭物でなく実体として天に対することのできる新郎を求めてきたのです。このような曲折の蕩減路程を歩んできたという事実を思うとき、お母様に対していいかげんに対することができないのです。そこ(お母様を見いだす歴史)には、おばあさんの悲運の歴史、数多くの中年の女性たちの恨み、姉や妹と同じ女性の恨みの歴史がにじんでいます。このすべての恨みを解いてあげるために、代表的に選出されたかたがお母様だというのです。

 そのようなお母様と結婚して、三段階試練の過程を経るようにしなければなりません。歴史的に女性たちがそのように経てきたので、そこを経なければなりません。今まで統一教会のすべての女性たちがそのような準備をしたのに対して、お母様がそのような女性たちに、お母様のように侍る役事をしなければならないのです。それで、お母様は結婚しても、先生と暮らせないのです。三年の間、分別生活をしながら、お母様がいる所に誰かが訪ねてくれば、お母様は自分のお母様のように侍るのです。おばあさんが来れば、「よく来られた」といいながら、娘の立場で侍るのです。

 三代に祝福を約束した、その人々の孫娘のような立場で侍ることによって、天の法度を教えてあげなければなりません。これがアベルが行く道です。私が天国に行く道は、一生を犠牲にしながら行くのです。一日も、心置きなく自由に遊んだときがありません。負債を負った者の生涯のように、生きているということを知らなければなりません。先生が地方巡回をするといえば、お母様が出てきて、どれほど共にいきたかったでしょうか? また、私はお母様に知らせるべき責任があるために、(離れた家に住んでいるお母様の所に)人を送って、お母様が(お父様の前に)出てきてあいさつするようにさせたのです。そのとき、地方巡回するときは、七四七ジープで行きました。

 そのようなときは、お母様を連れていかなければならないはずなのに、連れていきませんでした。後ろには、年を取ったおばさんに乗るようにといい、前に先生が乗るのを、お母様は「行ってらっしゃい」といいながら、涙を流し、後ろを向いたのです。そのようなときをたくさん見たのです。それは、夫としては見ることができないのです。

 なぜ、このような道を行かなければならないのでしょうか? しかたがありません。この道を越えなければなりません。三年半の間でした。どれほど共に行きたかったでしょうか? どこに行くにも、そのような人々を教育し、指導しなければなりませんが、それはお母さんがすることではないのです。真の夫の立場に立つことは簡単ではありません。真の妻の立場に立つのも、このように大変だったのです。堕落の恨みの穴が、これほど大きいとは、誰も知らなかったというのです。

  「神の日」を設定し、世界舞台に出発

 一九六〇年度を中心として、旧約時代を完成して、世界舞台に出発するのです。それから一四年たって、世界舞台にお母様と息子・娘を中心として出発したのです。この自由世界のキリスト教文化圏が反対したので、これを再び収拾するための七年路程と同じ道に出発するのです。

 一九六八年一月一日、「神の日」を設定しました。七年路程で、ご父母様が一つになる道を行かなければなりません。その峠を越えるために、世界の女性たちがお母様と一つになり、世界の男性たちがご父母様と一つになったという式を行わなくては、神様の解放の日を立てることができないのです。

 ただ「神の日」が現れたと思いましたか? サタンが退くことのできる蕩減条件を提示したものが、神様の心にも一致し、サタンにも一致してこそ、分別された新しい世界の出発基地が生じるのです。「神の日」を立てることによって初めて、地上世界に神様が直接干渉することのできる時代に入るのです。それゆえ、世界舞台に出発するのです。

 自由世界全体が、再臨主と神様に侍ることができずに追い出したので、再臨主は世界舞台に出発するとき、神様に侍っていかなければなりません。ですから、「神の日」を設定し、六八年から三年間はすべての家庭が、家庭を捨てて出動したのです。七二年までに共に越えていくのです。そのとき、七七七家庭まで全部動員しました。家も捨て、赤ん坊も孤児のように捨て、出動したのです。これが世界に行くための国家総清算蕩減の期間でした。三年路程を中心として、分別期間を立てなくては解決できないからです。

 それで、家庭を中心として金日成を防御する立場で、大韓民国に対して忠節の道理、忠臣の道理を果たさなければならなかったのです。祝福家庭は愛国者の模範家庭として行動しなければならなかったときでした。困難な環境でそのようなことを果たして、勝利的条件を立てることにより、先生が主人の資格で西欧の社会を収拾する道に出発したのです。全部公式的なのです。一つでも手薄なら、そのまま越えることができません。

 救国世界大会を開催したときが、一九七五年でしょうか? そのとき、その大会を中心として、世界六一か国と韓国を一つの血族として結んだのです。そのようにして、世界舞台に血族基盤が残っているので、世界を導いていくことができるのです。こうすることによって、本格的な闘争時代に入ったのです。

 一九七四年までは、キリスト教文化を収拾するために、新・旧約のみ言を通して、大歓迎を受けたのです。そのとき、表彰されたものは、一〇〇〇枚以上になります。このようにして、キリスト教から大歓迎を受けましたが、国家の歓迎は受けられませんでした。救国世界大会をすることによって、大韓民国を収拾することのできる伝統的世界と連結する勝利的条件を席巻したために、その基盤の上に本格的に西欧の国と衝突していくのです。

 このように衝突して監獄にまで行ってきながら、新しい次元に復活していくのです。先生が西欧で二〇世紀の十字架を負ったということを知らなければなりません。それがダンベリーの監獄だというのです。そこで復活しなければなりません。復活して、五〇の新聞社を通して、アメリカの朝野に宣戦布告するのです。そのとき、ブッシュ前アメリカ大統領が先生の攻撃対象でした。そこで彼らが屈服する条件を立てたので、そのまま越えていったのです。

  兄を救うべき使命のある統一教会

 それでは、真の父母と成約時代の峠をどのようにして越えたのでしょうか。千辛万苦、事情の多い恨みの峠を越えながら、恨み多いため息をついたことを誰が知っていますか? 地を打ちながら、「あすの峠に誰が責任を持つのか?」と言いながら、同役者もいない虚空に向かって、一人分別していくべき運命を嘆いたときがどれほど多かったか、それらのことは誰も知らないのです。しかし、神様は知っています。

 ただ一つの願いは何でしょうか? 私が霊界に入るときに、神様が私にどのように対してくださるかということが問題です。私がそのみ前に立つときに、神様が玉座に座っておられ、ご自分でも知らずに走りおりて、ご苦労だったと抱きついて、キスをしてくれながら、「永遠なる祝福があなたにあることを祈る」ということのできるそのひと日が願いです。そのことを地上に残さずには、死のうとしても死ぬことができないのが、真の父母の事情であることを知らなければなりません。

 世界中の統一教会員たちがご父母様の願いに従おうと、苦労しながら、寝る所もなく哀れな立場に置かれながらも歩んでいるのです。雨が降る夕方には、屋根の上から落ちてくる雨を見ながら、彼らのために涙を流しているのです。そのような先生がいるということを、統一教会員たちは知っているので、先生は負債を負わないのです。彼らが死んでいくときに、「先生、千年、万年生きてください」といいながら、福を祈っていくことのできる歴史的伝統を残しているということを知らなければなりません。

 モーセがヨルダン川を見詰めながら、ヨシュアに責任を引き渡す歴史がありました。三次にわたって失敗路程を歩んだモーセは、カナンの地に入ることができないのです。二世が入ったのと同様に、イエス様もモーセの三次路程と全く同じように洗礼ヨハネを代身して、三次の路程を行きました。しかし、失敗することによって、一世のイスラエル民族は荒野で滅んでしまい、二世としての世界的カナン復帰の後継者を探していく道が再臨時代まで、十字架の闘いの路程だったのです。

 右側の強盗と、左側の強盗のような歴史的悲運の事情がどれほど多かったことでしょうか! その中でキリスト教に従ってきた人々がどれほど多く、惨殺されたかを考えなければなりません。彼らの願いは何ですか? イエス様が願われた再臨のひと時、解放のひと日をもって、歴史的恨みを蕩減することです。そのような願いがあったので、すべてのキリスト教徒たちは再臨のひと日を中心として、死線を越えてきたという事実を知らなければなりません。今も、そうしているのです。

 その人たちは、私たちの兄弟です。その人たちは私たちとふたごです。エサウとヤコブのような事情に立っています。兄さんを救ってあげなければならないのです。それが統一教会の使命だというのです。私たちは天国に行き、兄さんたちは地獄に行けという亡国の心情は、サタン世界にもありません。

 大韓民国を救うべきであり、怨讐の中の怨讐である北韓を救うべきアベル圏なので、その怨讐圏に責任を持って、消化させるべきアベル的伝統の思想と、その精神がどこにありますか? 皆さんの血が沸き上がっていますか?

 洗礼ヨハネが背反者になり、結局、首が切られたという便りを聞いたとき、イエス様があきれて、「天の因縁の中で勝利の大王に侍って、天下に名高い大役者になるべき運命があのようになったので…」と言って、恨み嘆いたのです。キリスト教が先生から離れたとき、その悲運と悲嘆の事実に、どれほど胸が痛かったか分かりますか。それを忘れることができません。

  真の父母と成約時代安着

 怨讐を愛さなければならないということを、今から話そうと思います。私がなぜ歴史を編み、このような衝撃的な宣言と刺激的な話をするのでしょうか? これが神様の事情です。その事情が死んでいません。胸にこびりついた恨みをまだ解けずにいます。青春時代に神様の孝子の道理を守れなかった恨み! 国を持てずに、忠臣の名と、号を持てなかった恨み! 万国を代表して、聖人の道理を果たせなかった恨み! 天と地の勝利の覇権を備えて包括できず、神様を解放して聖子の道理を果たせなかったその恨み! このような恨みが残っています。どこで解きますか? 皆さんの骨髄を取りだして、弁償しても不可能なことです。胸の中にある心情を壊して弁償しようとしても、そうでき得る痕跡を見いだせない悲痛な事実も知らない、この悖逆無道な者たち!

 今からでも、ご父母様が孝行できなかった片鱗の道理でも果たすために、自分の一身が死んだとしても、万民を代表して、やろうという心を備えた者たちが残っていないという事実がどれほどあきれかえることですか? 国がどこにあり、世界がどこにありますか? 理想的家庭がどこにありますか? 国を救えといったのに、何をしましたか? 数十年の間、世界の戦争の場で、すべてを屈服させ、「真の父母と成約時代安着」という名言を持ってきたのに、安着することのできる家がどこにあり、安着することのできる環境がどこにありますか? 皆さんを使って安着できますか? 新たに自覚しなければなりません。

 歴史は生きています。歴史に流れてきたご父母様の思想と神様の思想を中心として比較し、自分がどのような存在かということを知るために、良心と一問一答しなければなりません。先生の前に反抗し、先生の言うことに不平不満を言うことのできる自分でしょうか? 頭を上げることのできない気持ちを感じながら、地に鼻がついて、永遠に贖罪を求めても許しを受けることのできない立場にいることを悟らなければなりません。

 皆さんは、妻と息子・娘のことしか考えていないでしょう? 民族がどこにおり、神様がどこにおり、真の父母様がどこにいますか? 祝福を受ける以前はよく働いたにもかかわらず、祝福を受けてからはすべて停止し、後退するではありませんか? 家庭が国家を形成するようになっているのであって、個人が国家を形成するようにはなっていません。家庭が氏族をつくり、民族をつくってこそ、国家が形成されるのです。家庭的十字架を経てこそ、家庭的解放時代が来るということを知っていますか?

​  「父母の日」を国民の祝日に​

 私が一つ通告しましょう。今、「父母の日」を制定するために一九九三年七月二八日、アメリカの国会で、お母様の講演にとても感動した全国会議員が、その日を祝賀の日として制定しました。それで今年七月二八日、朝野のすべての上下両院議員が集まって大々的な祝賀式をしたのです。それが終わるやいなや、これを一年の国民の祝日にするのではなく、永遠の国民の祝日として選ぶための計画を立てて、二か月、四〇日間で下院、上院を満場一致で通過しました。アメリカの歴史と共に、永遠にその日を「父母の日」として記念するようになったという、とてつもなく恐ろしいことが起こったという事実を知らなければなりません。(拍手)

 それは、ただ座っていて成るようなことでしょうか。上院、下院の議員たちがこれに反対したなら、首が落ち得る危険があることを知っているからです。一時にやってのけるのです。今、一〇日で大統領がサインをしなくても、このことは通過した結果として国民の祝日になることを知るべきです。そして、アメリカ大使館を通して世界的にこの日を国民の祝日とするのです。今、世界的に父母が亡国の種となっており、また、退廃思想の根拠を父母たちがつくったので、これを世界的に国民の祝日として定め、旗を国連に持っていって差し込むのです。

 今後、アメリカですべきことは、全国家的に母として立派な人を表彰することです。分かりますか? 国会議員を立てて訪問し、彼ら自身の基盤を通して宣伝し、結集させるべき運動を起こそうと準備しています。それはアメリカだけではありません。アメリカがなれば、国連もそうなるのです。全世界的にその日を慶祝日として、世界各国の代表がお母様を表彰し、数週間ずつ讃揚しながら放送する時代が、私たちの目の前に訪れてきているということを知らなければなりません。(アーメン)。先生はこのようなことをしているのです。



 日本では、昨年の八月までに統一教会は滅亡するといったのです。滅亡とは何ですか? レバレンド・ムーンの夫人が全国で講演会をしたのです。金城鉄壁のように反対しましたが、日本のすべての重要都市にお母様が行って、太平盛大に万歳を叫ぶ勝利の覇権をつかんだという事実は、驚くべきことです。そのようにまで反対し、八月に滅びるといったその国で、一言もお母様の講演の席上で反対した者がいません。それだけではありません。一六万名の女性たちを水澤里と済州島に連れてきて、教育するというのは何という話ですか? それで滅びましたか、栄えましたか? (栄えました)。

 韓国の国会でもそうです。「ほかの国ではそうかもしれないが、私たちの国ではだめだ!」といいましたが、やりましたか、できませんでしたか? (やりました)。やりました。大学街を復活させるといったとき、安企部も「滅びる兆しになって、不可能なことをしようとしている」といいましたが、やりましたか、できませんでしたか? 今、運動圏の子供たちがCARP(原理研究会)を自分たちの戦場の先頭者として闘うために協力しているのです。そうして、北韓の青年と南の青年がお母様を中心として、一つにならなければなりません。

 アメリカ国会は、アメリカの五〇の州を中心とする場所です。国連は自由世界の国会と同様です。それをお母様が母の立場でカイン(国連)・アベル(アメリカ国会)を抱いた立場に立っています。家庭でエバがカイン・アベルを抱き、地獄に向かったのですが、世界的な立場でカイン・アベルを抱きました。そのようになったので、お母様の懐にはカイン世界的国家、アベル世界的、勝利的国家が連結されたのです。しかし、日本では国家基盤ができていません。失った英国、アメリカ、フランスを取り戻せなかったというのです。カイン国家とアベル国家を取り戻したので、今、エバ国家である英国と同じ国を探してこなければならないというのです。

 サタンはそれを知っているので、総攻撃の態勢です。サタンが讒訴するというのです。レバレンド・ムーンがアメリカをサタンの懐から抜き取り、勝利の覇権を握ったのですが、日本には国家的覇権がないというのです。この国家的覇権を与えれば、おしまいになることを知っているので、総攻撃をするのです。ドイツと日本がその代表国です。サタンは、レバレンド・ムーンが、自分(サタン)の足先にあるその国を中心として摂理してくるのを知っているので、それらの国を立てて攻撃し、勝たなければならないといって、ドイツと日本が総攻撃して立つのです。私は、四〇年前からそのことを知っていて、準備してきた男です。準備できなければ、滅びるのです。

 ですから、エバ国家の精粋舞台を再教育するのです。男性たちは全部天使長なので、自分の実利を追求するから後退せよというのです。全部取り上げて女性に与えるのです。そして、女性も韓国男性と結婚するのです。私以上に活動することのできる男がおり、これ以上に活動することのできる女性がいるなら、反対してみなさいというのです。男性たちが反対すれば、全部地獄に行き得る天使長になってしまうのです。そうなってはならないので、再び生かす収拾をして、女性たちが宣布式を通して、男性を生かしてあげるために、橋をかけてあげ、男性・女性を共同的に編んで越えてきているのです。

  再創造の公式的内容とは

 ところで、全世界の祝福家庭は、どの立場にいるのでしょうか? 二つの家庭があります。一つはサタン側の家庭であり、もう一つは天の側に立って神様の希望の完成級を越え、世界を越えるべき家庭です。

 ご父母様がこの峠を越え、安着の時を迎え、世界的な「真の父母と成約時代安着日」を宣言できないことによって…。安着は、世の中のすべての反対の環境を全部掃き捨て、独自的な立場で天を代表して行事をしなければなりません。そうしてこそ、安着するのです。それによってはじめて、天と地を代表した一つの中心家庭が立てられるのです。分かりますか?

 皆さん、再創造の路程を通して、復帰の路程が成されるといいました。再創造の公式的内容とは何でしょうか? 神様によって創造されたすべてのものは、必ず主体と対象があるのです。これが公式ですが、それを摂理史に適用したのが、カイン・アベルです。アベルが主体なら、カインを再創造しなければなりません。怨讐です。高い怨讐の塀を崩して、(カインが)自分の観念がなく、習慣的意識がない、土と水と空気のような原料と資材の立場に帰って、アベルが再び自分の相対的弟をつくらなければならないのです。兄さんが死んで、弟にならなければならないというのです。

 復帰歴史はどれほど難しいことでしょうか? それゆえ、カインとアベルに分立する歴史が堕落以後、今日まで続けられているのです。民主世界はアベルであり、共産世界はカインですが、サタンは兄の立場で覇権をつくってくるのです。すべてがそうです。第一次大戦も主導した兄の立場がカインであり、第二次大戦もカインであり、第三次大戦もカインです。カインが先に打ってくるのです。

 しかし、第一次大戦は先に打ったほうが負け、第二次大戦も先に打ったほうが負けました。さらに、第三次大戦も先に思想的に打った共産党が負けるのです。なぜでしょうか。カインである兄は、弟を打って殺そうとしたのです。七五パーセントまでは勝つことができます。長成期までは勝ちますが、残りの完成期はサタンも超えられないのです。このような闘いを歴史を通して個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様にまで八段階歴史を連ねてきましたが、この公式的戦略戦術は変わりありません。

 偉大な家庭に兄弟がいるというとき、兄はその国のどこに行っても誇ることのできる立場であり、学力やあらゆる面ですべて備えた立場であり、弟はそうではないとしましょう。その兄は、弟が父母に孝行し、一〇〇〇年史の恨みを解く生活をするのを見たとき、ささやき声で、「おいおい、おまえそうでなく、薬でも飲んで自殺しろ」と言ったときに、それを父母が聞いたなら、どうなるでしょうか? 父母の心の中から怒りが爆発するということを知っていますか? 「信じていたこいつめ! おまえは一家の代表者であり、万国の代表者の名を受けることを願ったにもかかわらず、こんなはずがあろうか!」と言って、兄のすべてのものを取り上げて、ばかでもいいと言って、弟に譲り渡すのが父母の心情であることを知らなければなりません。

 悲惨な立場で孝行し、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たそうとする息子(弟)がいるのに、兄がいくら世界を支配することのできる力を持ったとしても、先に弟を打ったとき、それを納得することのできる父母はいないということです。

  天上世界の王や后、王子・王女を入れる器たれ

 悪魔は、世界を支配する王の中の王の立場にいます。ですから、天が、後世の天の国の全権を相続させてあげる者として立てた、小さなイエス様のような者は何でもありません。三〇代の青年で、客死した人はたくさんいます。ところで、どうしてイエス様の死が、天と地の恨みとなり、死亡の世界と生命の世界を分ける基準になったのでしょうか? それはイエス様が、メシヤとして策定されているからです。

 メシヤとして策定された人は、メシヤとして成功しなければならないのです。しかし、イエス様はガリラヤの海辺で漁夫の友となり、売春婦たちの友となったのです。哀れに客死した彼の墓が連結され、今日、復活の世界の新しい再出発形態を備え、第二次大戦以降に、キリスト教文化圏が世界統一をもたらしたのです。

 それは彼がメシヤであるために、可能だったという事実を知らなければなりません。世の中の人が知ろうと知るまいと、その目的の結実は地上に必ず成就されるので、世界統一圏が現れるのです。その統一圏を、来られる後継者の前に引き渡してあげ、平和の世界を創建するために約束の土台を許諾したのですが、キリスト教が歓迎しなかったことによって、それが全部崩れてしまったのです。

 旧約時代にエリヤが雲に乗ってくると思って、待っていましたが、エリヤは雲に乗ってきたのではなく、洗礼ヨハネとして来たので、亡国の種になったのと同じです。イエス様は、今、洗礼ヨハネの立場に立っているのです。エリヤと同じ立場で雲に乗ってくるという預言を残したし、この地上で洗礼ヨハネの責任を果たし、来られる父母に侍らせる立場にあるのです。そのような洗礼ヨハネと同じ使命を持った人は、キリスト教世界にはたくさんいます。

 彼らに全部証しましたが、証を受けても、「反対される文総裁がそうであるはずがない! 行かない!」といって、みな滅びてしまいました。朴長老もそうであり、羅雲夢もそうでした。その部下たちが統一教会だけが残ると、どれほど多くの啓示を受けたか知っていますか? 最近、純福音教会が大口をたたきますが、長くはありません。その部下たちは、統一教会に信徒たちを送らなければならないと啓示を受けましたが、「違う」といっているので、その純福音教会がどれくらい生き延びることができると思いますか?

 統一教会はそのようなすべてのことを知りながらも、覇権主義者の心で「おまえは私の話を聞きなさい」という話もせず、じっとしています。国にも話さず、黙々と行くのです。神様は語らずに勝利の覇権を得て、世界が自然屈服することのできる立場まで来たのです。語って影響を与えれば、自然屈服はできないのです。

 今日、皆さんにこのような話をするのは、屈服せよといって話すのではなく、覚醒せよといって話すのです。すでにみな屈服したのです。主人になり得る資格がないので、衝撃的な決意を誓えと、忠告するのです。

 皆さん、蕩減復帰といえば何でしょうか? サタン世界がこのように行くとき、避けていくことのできる柱です。民族を復帰するための柱です。世界の終わりの日に、来られるメシヤは世界を復帰するための柱です。死亡と地獄に通じる道から、反対に帰らなければなりません。死亡の世界と反対の道に向かわなければ、天国を探し立てることができません。一八〇度、全く反対の道を探さなければなりません。

 今日、フリーセックス、親不孝者、亡国の種として退廃思想に陥って、自己第一主義をもって個人主義の王になり、自殺の行路しかない道にみな入っているのです。自分が振り返れば、世界、国、社会、親戚、家庭、父母もないので、寂しい立場でどこか行く所があるでしょうか? 一人、お金持ちの家の軒下や柱にもたれて恨み嘆きながら、雨や雪の降る日、寒い夜や暗い夜にはどこも行く所がありません。このようなヒッピー、イッピーたちは自分たちが世界で最も優れているといって、威張っていた昔の自尊心を持ち続けながら、一年二年と過ぎるようになるとき、それを死んでも続けたいので、名もなく、どこかに行って死体も探しだすことができないように、自殺する人がたくさんいます。

 蕩減の道はその反対なので、いくら困難で、死の道だといっても、希望を持って天国を統治することのできる王子の権威を持って、その反対の道を行くことのできる者たちが現れなければなりません。破綻主義的な荒漠たる砂漠世界のような家庭圏内に、希望に燃えるあすの日の光を迎えることのできる群れが、現れなければならないのです。

 そのような個人が地上で、天地が尊敬し得る人格基準を完成し、家庭、氏族、民族、国家、世界的な価値を得れば、サタン世界とは正反対になるのです。そして、地獄でなく天国に行くようになるとき、サタンさえもうらやましく思う環境を備え、天国の主導的な責任を果たして、神様に侍り、神様の前に栄光を帰し奉らなければなりません。神様を解放してさしあげなければなりません。そうすることのできる者が現れるというのです。それが統一教会の人々なのです。

 統一教会には、個人完成のための徹底的かつ理論的な思想基盤があります。家庭においても、父子関係においても、天理が願う孝行の道があります。国家はこうでなければならず、民族、世界、天と地はこうでなければならず、また、神様はこのような解放の基台を持たなければならないということをすべて知っているのです。

 そのようなことを知っていても、背反者には許す道がありません。問題は、そのような天が願う形態をすべて備えて、天の栄光の実体を奉献することのできる内容を持つか、持てないかということなのです。いくら金・銀・宝石でつくった食器を持ったとしても、その中にかけらや砂が入っていたなら、価値がないのです。たとえ皆さんは無価値だとしても、天上世界の王や、后を入れることができ、王子・王女を入れることのできる食器になれば、その食器が一文にもならないものだとしても、その入れられたものの価値によって、天下が尊敬するので、屈服するのです。その国の王にさえも、同じ価値で敬礼を受けることのできる立場に至らなければならないということを知らなければなりません。

  荒野で必要な二つの火の柱

 復帰路程の歴史とは、人の歴史ではありません。皆さんの一生において越えなければならない峠です。イエス様の時代を考えてみてください。どれほど悲惨であり、どれほど恨み多く生まれたことでしょうか? 私生児です。真の父母として来られたかたが、そのような運命でした。そのような環境圏内に生まれたならば、曲折があるということを知らなければなりません。マリヤは、ヨセフと暮らしてはならなかったのです。このようなすべてのことをはっきりと知らなければなりません。教会の責任者なら、これらのことはみな知っていて、そのように講義するのではないですか? 勝利的実績基盤の上で、それ自体を証す言葉が原理のみ言です。

「アダム家庭」といえば、統一教会の文先生の家庭を代表したものです。ノア家庭、アブラハム家庭もみな同じです。ヤコブの家庭は氏族的基準で家庭的出発基地定着であり、モーセは民族的出発基地定着、イエスは国家的家庭基準の定着、再臨主は世界的家庭基準の定着ではありませんか? そうなるためには、個人的な家庭から民族、国家、世界を代表することのできる家庭がなくては、そのような伝統的歴史を引き継ぐことのできる、天の国の勝利の後継者になることができないのです。勝利の相続権を受けることのできる家庭が出てこないということを知らなければなりません。歴史は生きているのです。サタンは失敗したすべてのものを皆さん個人の前に提示し、「どうだ、この者たち!」というのです。

 この前、私はコディアクで少数の群れを中心として、人類を代表するすべてのことを解説してあげました。これを越えなければなりません。そのみ言は永遠に残ることでしょう。まず、自分の自覚です。価値もない零点の自分を発見しなければなりません。イエス様は死なんとする者は生きるといいました。それは自分の観念的意識、存在意識がない立場です。私は何々の学者だという愚かな考えはしてもいけません。原資材にならなければなりません。

 再創造は新しい原資材の立場、完全に零の立場になって、やらなければなりません。自分の存在意識と概念があってはできないのです。零の立場で考えるべきことは、不信した私たちの先祖であるアダムとエバを記憶しなければなりません。

 零の立場で、二つの火の柱が必要ですが、その火の柱とは何でしょうか? 「絶対信仰と神様を絶対的に愛する心は変わらない!」ということです。アダム家庭の不信仰によって、不倫の愛の種で天地を滅ぼしたので、私の一身でこの根を抜き取らなければなりません。

 創世以後に、延長された千年・万年の恨み深い歴史以上に耐え、それ以上に困難があるとしても、克服しても余りある私を発見して、堂々と宇宙に宣布しながら「私を越える者は来い」と、大言壮語して、いで立って行くべき道なのです。出発とともに、その道が下がっていってはなりません。

 個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰に上がらなければなりません。ヒマラヤ山脈の一番頂上である、エベレスト山頂のようなものを越えなければなりません。それを越えれば、相対的に下り道ではなく、無限な平地が展開されるというのです。その平地に天国建設が始まるのです。斜面ではいくらよい家を建てても地が崩れ、台風が来れば壊れるのです。ですから平地でなければなりません。

 自由に「おまえ、どこで住みたいか?」と聞けば、「四方が平地であるその中央で住みたい」というのです。平和や幸福に聞いても、同じ答えを出すというのです。天国はどこから出発したいでしょうか? 坂道ではありません。無限な広野の平地の中で、垂直の立場で出発したいと答えるというのです。

 皆さんの心が神様を中心として、この生活舞台が九〇度を備えることのできる平衡舞台に、垂直的関係の中心の位置に立ったかという問いには、非常に答えるのは難しいことです。死んでも、それを備えずには、天国に入ることができません。

 自分を知らなければなりません。アダムとエバは自分を知らなかったので堕落しました。ですから、自分を知って、その後には神様の息子・娘として生まれた自覚、神様の愛と一致し得る自覚を持たなければなりません。そのためには、絶対信仰と絶対愛の心を持たなければなりません。堕落した世界で妻、子供、父母、国王を愛する以上の立場に立ってこそ、堕落圏を超える愛の基準が出発するということを知らなければなりません。死を超えてでも、その愛の心を、一秒も変更することのできない心情を持ってこそ、天の国に残され得る出発がなされるということを知らなければなりません。これが二つの火の柱なのです。

 砂漠からカナンの地に行くに際して、何を持っていったでしょうか? 不信したことを嘆き、真の愛で愛せなかったことを嘆きながら、毎日それを取り直し、高く育てていくのが信仰生活です。それが大きくなるに比例して、世の中のすべてのものが自分の発展の相続的土台となって、永遠に、永遠に勝利の天国に向かって前進することができるということを、はっきり知らなければなりません。それが荒野で必要な二つの火の柱だというのです。

 カナン七族がいるところに上陸した二世たちは、激しい風霜を越えて、神様を信じることにおいて絶対的だという信念と、二つの火の柱が案内する道を行くところには、敗者がいないということを知り、勝利者として相続圏を受け継いだと誇ることのできる、堂々たる精兵、勇士たちとならなければならないというのです。そのような事実を忘れては、その国、その目的地に到達できません。先生が今日まで来ることができたのも、そのような心情以外には何もありません。

  火の柱の実体になろう

 いくら恐ろしい世界舞台に立ったとしても、私が行く道は、はっきりしているのです。遺言することのできる標準は、はっきりしているのです。子女に相続してあげる標準は、はっきりしているのです。神様の前に誇ることは、はっきりしているのです。

「あなたの恨みがこもったすべてのものを、世界舞台で蕩減するために、永遠不変の絶対的な信仰の高貴さをお返しします。それ自体が私です」といわなければなりません。「あなたが成そうとされた高貴な愛自体、歴史を経て恨みをかけて思慕して越えたその曲折の坂道、恨みの道を通し、あなたが探してこられた、愛の実体として願ってこられたそれ自体がここに来ました」といってから死んでもいいし、地獄に行ってもいいと、いうことのできる心を持たなければなりません。何の栄光も願わない心を持たなければなりません。それでこそ、神様が私を踏んで、踊りを踊ることのできる舞台になり、私たちを引っ張っていき、死亡の谷を埋めることのできる土と岩になると考えなければなりません。

 栄光、自由、幸福は神様だけが持たなければなりません。その次に息子・娘が持つことができるのではないかというのです。これは理論的なことです。そうすることのできる標題の私を失ってしまいました。どんなことがあっても、これを探さなければなりません。息子、妻、お父さんが問題ではありません。また、国が問題ではありません。問題は私なのです。

 結論は何ですか? ヨシュアとカレブが持っていたような二つの火の柱です。絶対的な信仰と、第二創建国家を絶対的に愛する人です。それ自体はある意味では絶対的な信仰と、サタン世界を凌駕する為に死に、死んでも行こうという絶対的な愛の心情以外にはないのです。

 今日、私たちがそのような決意をし、暗くなっていく夕焼けを見詰めながら、恨み嘆いてはなりません。あすの朝のために黎明を越えることのできる勇士の姿を備えるための決意をし、総攻撃命令を待つ皆さんにならなくては、南北統一はできません。先生が願ったその日を成すことができません。

 先生の故郷が侵略を受け、なくなり得る環境にあったことを私はみな知っています。父母の怨讐であることを知っていながらも、愛の心で抱いてあげたことを、金日成は忘れることができないでしょう。神様には怨讐がありません。怨讐を怨讐視すれば、二元論になってしまいます。そうなれば、神様がどれほどあきれかえるでしょうか。

 口を持っていても語ることができず、目を持っていても見ることができません。五官を持っていても、表示もすることのできない復帰生涯路程であり、永遠なる生の路程であったというのです。誰ゆえに? 自分ゆえです。男性ゆえであり、女性ゆえです。世界を見れば、男性・女性しかいません。この二人の問題が解決すれば、世界平和の門は広く開けられるのです。

 平和の動機がそれです。各自が火の柱にならなければなりません。夫婦が火の柱です。おじいさん、おばあさんが火の柱であり、父母が火の柱です。子供の父母が火の柱になるのです。相対的です。創造圏内では主体・対象圏を備えなければ、前進できないのであり、環境を導き、行くことができないのが法度です。

 この法度を摂理史に適用したのがカイン・アベル歴史です。アベルがカインを再創造しなくては、その上にあるもっと大きな所に行くことができないのです。それは公式になっています。分かりますか? (はい)。

 一〇月九日。一〇月はいつも、私たち統一教会にとっては解放の月であり、喜びの月でした。恨み深い九数を踏み越えて、解放の一〇数を持ち、天の解放のために、地上天国解放のために飛躍をしなければなりません。神様の懇切な要求は、この地上に飛躍することのできる勇士たちが存在することです。それゆえ、このような決意の前に、このような対象的価値になることを決定する、この瞬間であることを知らなければなりません。

 新しい、永遠なる平和の広野時代を建設することのできるその火の柱になり、勝利的覇権者になることを決意する人は両手を挙げ、神様の前に立って誓いましょう。

 神様と真の父母と人類の前に、今日の二つの火の柱になり、敗北的な歴史的環境である韓半島で、新しい闘いをしに行く火の柱の実体になり、勝利の王になって、天の栄光を代身して進む精兵になろうと決心しますか! (はい!)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2022.06.19 04:05:26
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