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2022.07.05
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「真の父母という名前は、神の創造理想の標準である」

(修練会、第二日目の午後)1995年1月18日


 皆さんが午前中に参加した運動(韓日・日韓兄弟結縁式)は、歴史的にも初めてのことです。そして、その中心は霊界なのです。霊界と人間界は比較対照になりません。霊界は神様を中心として、数千億の群れが背後に連なっているのです。そのような霊界を、皆さんは知らないのです。

 今からの世界は、人間同士では動きができなくなっていくのです。真の父母という方が生まれて、地上天上を合併しているからです。今までは霊界から特殊な人を中心として、地上の特殊な宗教圏の霊的に高まった者たちだけが通じるようになっていたのです。それで、横的一体ということはなかったのです。

 しかし、真の父母という名前を考えてみた時、それは創造の理想以前からの標題になっているのです。真の父母という名前は、創造以前から神様が目標としておられたものです。真の父母の基準を中心として万物を創造し、それをすべての起点として、そこから地上天国、天上天国、地上の国、無限の世界の霊界の国が成立するのです。それが、創造の最高の理想の標準になっていたのです。そのことを創世以来、今日まで誰も、夢にも思わなかったのです。人間世界では、誰も思いつかないことです。それは、標準が狂ってしまったからです。大変なことです。

 ですから神様の救援の目的も、その焦点の定着のためだったのです。それをなさなければ、真の愛を中心として人間世界を永遠につなぐことができないのです。それは、理論的にも否定できないことです。偽りの父母によって始まり、偽りの愛を中心としてつながった人間は、真の愛の世界に行く道がないのです。梯子がないのです。個人的梯子、家庭的梯子、氏族、民族、国家、世界へと拡大した梯子がないのです。出発点が過ったのだから、過った基準を再びもとがえしして、その門を通過しないと、元の世界に帰ることができないのです。偽りの父母によって出発した悪の世界に、真の父母が生まれて善の世界の門を開いてあげなければならないのです。そして、その門を入るために、元の姿に整えてあげなければならないのです。

 それには、ただでは生まれ変わることができないのです。接ぎ木という、渋柿の根っこから生まれた渋柿をいかに甘柿にするかという、接ぎ木の作用をしなければならないのです。接ぎ木をするには、芽接ぎと枝接ぎがあるのです。これを全世界の万民からみた場合に、サタン世界からみた場合に、渋柿の芽と渋柿の枝、甘柿の芽と甘柿の枝は何も変わったところがないのです。

 それで甘柿の芽一個を中心として、渋柿の芽何万人を切ってしまって取り替えようとした場合、周辺で芽だけを見た人は「馬鹿野郎! こんな馬鹿な者がどこにいるか」と、誰も聞こうとはしないのです。天から直接来た甘柿の内容を知っている者が、「生命をかけてでも、全体を何としても切らなければ元に帰る道がない」と言っても、それをみんな嫌がるのです。この統一教会もそうです。

 日本は今、二七〇〇何年目ですか? 二七〇〇何年くらいになりますか? そういう歴史があるのですね。それで、大きな渋柿になっているのですが、その日本で、統一教会の内容も分からないまま反対されているのです。「これが甘柿の芽だ」と言っても、信じる者はいないのです。それで、切ろうとでもすればどうなるかというと、「この馬鹿野郎」と言って、殺そうとしてくるのです。それで死なない場合には、「この野郎!」と、拉致するのです。親が子供を拉致するということは歴史上にもなかったことです。そんなことは、どんな辞典にも本にもない話です。

  神の戦略戦術とサタンの戦略戦術

 共産党は、本をたくさん作っているのですが、すべてが嘘の話の本なのです。彼らは、「真理はない。どんな嘘でも百回続けて言えば真理になる」ということを言っているのです。ですから、たくさんの意地悪なことを言って相手を叩くのです。一度打たれた場合に、それを取り除くには、何十年、何十倍の力が消耗することをよく知っているのです。彼らの世界的戦略の標準がそうなっているから、めちゃくちゃに叩くのです。

 それで、ソビエトはもちろん世界中で、共産党が先頭に立って統一教会を潰そうとしてきたのです。それは、あなたたちも知っていることです。日本の共産党は、右翼を使ってぶっかけてくるのです。赤旗を見てみなさい。私のことを先生と思う者は一人もいないのです。何とか世界的にも叩いてしまおうとして、一日の計画、一年の計画を立ててぶっかけてくるのです。しかし統一教会は、そんなことはしないのです。神様の戦略戦術を知っているからです。サタンの戦略戦術は何かというと、サタンは先にぶっかけてきて、先に打ってきて滅んでいくのです。しかし神の戦略戦術は、打たれて損害弁償までもらって、栄えていくのです。発展していくのです。それが神の戦略戦術です。

 サタンの戦略戦術は先に打って取られてしまうものですが、神の戦略戦術は打たれて復帰していくのです。それで先生は四十年間打たれても、一回も反抗したことはないのです。誰か「文先生は恐ろしい。日本列島が打たれる」という話を聞いたことがありますか? 聞いたことはないのですね。どんなに先生を叩き潰そうとしても、びくともしないのです。統一教会は今まで目をつぶって、死んだように黙っているので、「どうだ、どうだ、どうだ」と抗議してすべてが収まると思ったのですが、そうはいきません。逆転してしまうのです。これをこういった場合には、(先生が両手を水平にして前に出す)ターミナル、終着点となった場合には、地獄に落ちると思ったのに逆に飛躍してしまうのです。これが神の戦略戦術です。

 第一次世界大戦も、神のほうが先に打たれて勝利するのです。打ったほうがみんな負けるのです。罪なき者を打った者は、損害を弁償させられるばかりではなく、地上から消えていかなければならないのです。もし消えていかなければ、その事実を知った者が、歴史を通して消してしまうのです。すべてを知っている神様は、霊界を総動員して、そういう者をぺちゃんこにするのです。

 神様の戦略戦術が分かりましたか? (はい)。ですから、神様のほうで受ける迫害は、悪いことではないのです。神様は喜んで笑っているのです。迫害した場合には、迫害した者の所有権を迫害された者に相続させる神の第二の戦略戦術なのです。これは恐ろしいことです。ですから今や、歴史において文先生は謎の男なのです。「四十年間、叩かれ続けてきたにもかかわらず、びくともしないで、いやー、世界が止めることのできない発展をしてきたのはなぜだろう」と言っているのです。これが神様の戦略戦術です。

 ですから、先生に反対した場合、主体・客体の観念によって、神を主体として客体になった場合には、これを壊すことができないのです。そのことはあす、詳細に話しますが、相対になった者は宇宙力と天運が保護するようになっているので、「打て! この野郎」と迫害すれば、みんな飛んでしまうのです。迫害した者のすべては、善なる立場に立って迫害される者に相続してやらなければならないのです。これが、天の歴史的問題を整備する悪と善、悪魔と神様の公式の契約条件になっているのです。

 こんなことは、誰も知らないことです。文先生は霊界のことをよく知っているので、詳細にサタンの臭い根底をすべて明らかにするのです。ですから文先生の前では、悪魔は大変恐ろしがるのです。君たちは恐ろしくないのですね。

 それで、文先生は悪魔の戦略戦術と神の戦略戦術の専門家なのです。分かりましたか? (はい)。いやー、打たれても倒れないのです。考えてみてください。文先生の悪宣伝をした新聞の量はトラックで何百台分です。五十年間も反対したからです。日本でもそうでしょう、何百台分にもなるでしょう? アメリカもそうです。世界がみんな、四十年間反対して、共産党も金を使いながら、計画的に文先生撲滅運動をやってきたのです。

 それを一人で受けて立って、堂々と戦って共産党を倒してしまったのです。もし「ワシントン・タイムズ」がなかったら大変でした。衛星国家を強化したのも「ワシントン・タイムズ」です。日夜休まずに、発行を続けて、共産圏のソビエトに逆の影響を与えたのも、「ワシントン・タイムズ」です。先生が、専門的な観点でコーチしたからです。本当でしょうか? 三十六か国の二十億以上の人民をリードする共産党を、文先生が一人で倒してしまったのです。そんな嘘みたいなことはあり得ないと思うのであれば、頭のさえた日本人として、そんなふうに考えるのであれば、一〇〇パーセント嘘だと決定するのも可能なことですが、今の先生の話を聞いて本当だと思いますか、そうではないと思いますか? (本当です)。

 本当だと言われる者になるのは、大変なことです。一八〇度転換するということは、なかなかのことです。習慣性は修繕や修理ができないのです。酒に酔っぱらうことの好きな男は、酒屋の前を素通りすることができますか? できないのです。酒を飲む金がなければ、ワーと泣きずりながら帰っていくのであり、習慣というものは恐ろしいものです。日本人は日本人としての習慣性を持っているのです。たくあんと味噌汁、御飯と梅干しです。それらの習慣となったものは切り離すことができないのです。死んでも、そこをたどっていくのです。習慣を変えるということはいかに難しいことか、大変なことです。

 そうなると、サタン世界の罪の習慣性をいかに転換させるかということは、何十倍も難しいのです。何千年の歴史において、肉身が良心を叩き潰してきたことをいかに転覆するかということだからです。ですから、日本人が味噌汁とか、たくあんとか、梅干しを思っただけでも気持ち悪いというふうになることは絶対にできません。それを消すには、大変なことなのです。それを簡単に思っていたら、大変なことです。習慣性と戦わなければなりません。よい習慣性をつくっていかなければならないのです。

 それが分かったので、青少年に「悪いことをしてはならない。酒を飲んではならない。たばこを吸ってはならない」と言うのです。また「女の好きな男になってはならない」と。男は女が好きですか、男が好きですか? 誰も男は好きではないのです。エイズ病がずらりと並んでいるのです。そういう人は、間違いなくエイズ病の共同墓地に埋もれてしまう者です。共同墓地を知っていますか? 日本には共同墓地もないのですか、共同墓地が分かりますか? (はい)。墓場です。死んだら、みんな共に行く墓場を共同墓地と言うのです。韓国でも、共同墓地といったら大変です。山を占領して大変です。日本はそうでもないでしょう。みんな火葬して、骨壷に入れて、お寺に任せて、十万も、何百万も納めることができるのです。そういうふうに、みんな墓場に積んでしまうのです。

  自分自身の決意がすべてを決める

 そのように考えた時、生死の問題、死ぬとか生きるとかいう問題も、何が正しいか何が悪いかという問題も、何を中心として決めるかというと、神様でもサタンでもないのです。すべてが自分を中心として決めるのです。分かりますか? 自分なのです。地獄の基地も自分であり、天国の基地も自分なのです。神様が「悪い」と言って、「君は、地獄に行くのだ」と案内するのではないのです。自分から行くのです。呼吸が合わないのです。分かりますか? 酒飲みの人は、酒の臭いがしただけでも酒が飲みたくなることと同じです。相対的基準の合う所を訪ねていくのです。神様が審判長として「君は、悪いから地獄へ行け」と言うのではなく、自分からその場に行くようになっているのです。

 気球を浮かせても、ちゃんと平均値に留まるのです。分かりますか? (はい)。同じ水素を入れてあげても、その容量の差異によってみんな違う所に留まるのです。それと、そっくりなのです。問題は、自分が決めるようになっているのです。地獄も自分によって、天国も自分によって決めるのです。ですから、結果そのものを管理する所が、天国とか地獄とか言ってもいいのです。神様が「来い、来い」と言って、引っ張りだこにしたり、悪魔が引っ張りだこにすることはできません。自分自身の決意、人間の決意いかんによって、神様のほうか、サタンのほうかになるのです。

 ですから、神様よりもサタンよりも恐ろしいものが人間なのです。なぜかというと、人間は神様も滅ぼすことができるからです。神様のほうにいた者が、あすには神様に反対して悪魔のほうに行った場合に、神様に被害を被らせることができるのです。分かりましたか? (はい)。また、サタン的立場にいた者が、一夜にして神様のほうに帰ってくれば、サタン的に自分とつないでいたすべてを全面的に破壊してしまうことになるのです。すべて自分が決めるのです。誰も決められないのです。

 先生の話を聞いて、決めるか決めないかは君たちの責任です。先生は強制しないのです。しかし、理論的にはっきり分かった場合には、こっちへ行っても逃げることはできないし、あっちへ行ってもそうだし、東西南北どこへ行ってもそうだし、下へ行ってもそうなるのです。そのようなことを知った以上は、正しいことは尊重するようになっているのですから、良心が引かれてその方向に向かうようになるのも、自分の行動によってなされるのです。ですから、「良い友達を持ちなさい」と言うのです。

 良い友達は、「あなたは、そこに行くのではない」と言ってくれるのです。そう言われると、行かないのです。ですから、良い友達、良い先生、良い学校、良い宗教が必要なのです。それを杖として使っても、そのことで反対する者はいないのです。それは、最も高いものに低いものをつなぐのが原理原則になっているからです。分かりましたか? (はい)。

 垂直のほうへ垂直のほうへと行くのが原則なのです。反対することはできないのです。それが標準になるのです。ですから、自分が標準の基台につながるような立場に立った場合には、悪魔もそれを妨害することができないのです。神様も「やれ、やれ、やれ」と刺激し激励することができないのです。神様のほうか、悪魔のほうかは自分が決めるのです。自分の行動が、天宙分け目の戦いの終戦条約をなすかなさないかを決定するのです。ですから、自分が貴重なのです。自分の決定によって神様の王子にもなるし、自分の決定によって悪魔の王子にもなるのです。宇宙が自分自身に授けている特別権限を、むやみに使っては駄目です。

 先生にしてもそうなのです。きのうきょうに、文先生になったのではないのです。昔の少年時代、十六歳の時に、天来の召命をはっきりと知ったので、その一日の決定を中心として今まで継続してきた結果、きょうの先生がいるのです。分かりましたか? (はい)。今でも、嫌だと言って周りを見ていれば、ぺちゃんこになってしまうのです。文先生がなし得たとしても、それは文先生の功労ではなく、それをつくりあげて重視した者の功労になるのです。また、それ以上に積み上げる者がいて、それを継続していって、その国に利益になるようにした場合には、国も天も許してくれるのです。しかし、もし文先生が失敗したとすれば、ここまで成し遂げてくれる人がいないのです。それを知っているので、先生は歴史に損害を残し、再び歴史の担当者をつくることをしたくないのです。この道を出発して苦労であっても生涯を終えることを決意したので、この道を離れることは絶対にないのです。

 今から、統一教会の文先生の後をついて来る者は、そのような苦労の道を共に行かなければならないのです。それもいいと思いますか、悪いと思いますか? (いいです)。自分とは、そんな貴いものなのです。分かりましたか? (はい)。

 神様の命令に回れ右をしてサタンのほうに回っていったとしても、神様は殺してしまうことはできないのですが、その人は神様に被害を被らせる悪辣な者になるのです。反対にサタンのほうから神様のほうに帰ってきた場合には、サタンの世界に被害を被らせるので、サタン世界では殺してしまうのです。しかし神様はそんなことはしないのです。神様は何回も機会を与えるのです。サタンは機会を与えないのです。ですから、そこに引っかかった場合には、もうおしまいです。しかし神様のほうは、何回も自由を与えてくれるのです。自分が悪かったことを悟って、それを悔い改めて戻ってくれば、いつでも歓迎するのです。少年時代、青年時代、老年時代の三時代。蘇生、長成、完成の三時代までは許容して迎えてくれるのです。

 ですから、悪に頼るよりは善に頼ったほうが安全なので、親は子供に「いい子になれ、いい子になれ」と言うのです。「いい子になるには喧嘩をしなさい」とは言わないのです。「みんなのために生きる者になり、奉仕しなさい」と言うのです。「みんなのためになる、保護するようなことをしなさい」と言うのです。神様がなされていることを相対的にやれば、神様のなされた後につながるようになるので、「いい者」と言うのです。だから忍耐して、この世の中でも忍んでいく者が勝利するのです。打たれても許してあげる者が勝利するのです。忍耐が必要なのです。自分が決定するようになるからです。


  神様の創造理想が地上に定着する時代

 地震が問題ではありません。生きている者は行動しないといけないのです。その決定は自分にあるのです。地震が来ても、その道を行くか行かないかは自分が決めるのです。死んでいない者は地震と何の関係もないのです。

 そのように、悪いことが起きた場合、その環境を収拾する者が主人になるのです。環境において、中心者になるのです。自分が決定するのです。

 勉強を熱心にするのも、自分が決めるのです。怠けて大変な男になるのも、自分が決定するのです。いくら親が何と言っても、自分に頼る以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。どんなにいい話を聞いても、自分が決定しないといけないのです。しかし、それが本当の真理だったら、東西南北、上下左右、どこへ行ってもぶつかることはないので、良心でそのように判断した場合には、それをなしていけば良心が喜ぶのです。

 統一教会に来ると、良心が喜ぶことを知っているのです。自分の家にいたら、何か気持ちがよくないし、重く感じるのですが、統一教会に来ていれば身体も軽くなるのです。麦御飯を食べても、パンの耳を食べても、自分の家で御飯とともに食べる牛肉よりも消化がいいし、とてもおいしいのです。自分の家では茶碗一杯も食べなかった者も、教会に来れば三杯もお代わりをするのです。

 また寝るにしても、毛布一枚に三人が寝ても、身体が軽くなるのです。短い時間寝て仕事をするにしても、身体が軽くなるのです。心が喜ぶからです。それで先生も、生涯かけて辛いことを続けてやってきても、びくともしなかったのです。過去を振り返った場合、それは大変です。一歩でも回れ右をするようになった場合、目が眠気に襲われてしまうようになり、体がだらだらして重くなり、足が動かなくなってしまうのです。しかし、神様のほうに立つと、さっさっと軽々しい身ぶりになるのです。自分自体がそれを知っているので、目が「行かない。よくない」と言っても、行かざるを得ないのです。そのような習慣をつけた場合には、天国に直行するようになるのです。ですから、その習慣性をつくるために宗教が必要になったのです。こんなことを話し始めると、また時間が長くなるのです。

 兄弟関係においても、自分たちでやる時代ではないのです。文先生を中心としてやるので、「真の父母と成約時代」なのです。それで、昨年の標題が「真の父母と成約時代の安着」なのです。真の父母が安着した所は、個人的安着、家庭的安着、氏族、民族、国家、世界、天宙的安着となり、神様が地上のどこへ行っても、往来できる自由圏につなぐことができるという時代なのです。分かりますか? 君たちは、そのような霊界のことは分からないのですね。しかし、霊界を知っている人はみんな、「霊界では、文先生の後に続け!」と命令をするのです。

 霊界には放送局があるのです。そのアンテナを持った者には、ちゃんと与えられるのです。「ピー、ピー、ピー」という雑音ではなく、「ピー!」と周波数が合った場合には、「今晩は文先生の深刻なる演説を聞かなければならない」と言って、すぐに飛び出してくるのです。そうして話を聞いた場合には、日本の未来が、どんどん、どんどん分かるのです。ですから、そういう面でもって、先生はたくさんの日本の女性たちに言ったのです。「日本が天的召命圏を失ってしまった場合は、日本はぺちゃんこになります。見ていなさい。地震で焼かれてしまうでしょう。太平洋にのめり込んで、姿形もなくなっていくかもしれません。何回も夢を見たし、だんだんだんだん、そういう時期が迫ってくるのです」。

 それで、日本の地震の放送を聞いていて、「これで止まったらいいのに。これは余震であって、本震ではない」ということを新聞で言っているのです。そうなったら、日本はどうしますか? 神様にすがる以外にないのです。いくら頑張っても、一生涯精誠を尽くして、自分なりにつくり上げた実績の家とか、功績とか、美術品なども一晩で焼けてしまうこともあるのです。そんなことはあり得ないといくら言っても、そのあり得ないことがあり得るというのです。神様がいるのだったら、サタンの知らないことでも、何でもできないことはないのです。興廃の歴史は、そのように転覆して変わっていくのです。

 そういうことを先生はよく知っているので、先生がもしその方向へ行かなかったら、すぐに先生がやられるのです。それを知っているのです。先生がやられる前に、蘇生、長成と、先生の家族がやられてしまうのです。物がやられて、それから子供たちがやられていくのです。それは蕩減原則の公式になっているのです。

 それで、キリスト教の歴史で見れば、旧約聖書、新約聖書、成約聖書があるのです。それは蘇生、長成、完成であり、今は成約時代です。創造理想の完成時代なので、理想的家庭から氏族、国家を平面的に調整していかなければならないのです。このように、神様の創造理想が地上に定着する時代になってくるのです。地上に定着すると、神様の創造理想が成就するので、「地上に定着して、地上に住みたい」と言うのです。なぜかというと、相対者を生み出したからです。あなたたちもお嫁さんをもらった場合には、お嫁さんの所に行って住みたいですか、自分の会社や自分の酒場に住みたいですか? どちらですか? (お嫁さんの所です)。本当ですか? 間違いなく男ですね。男であれば、そういうふうにせざるを得ないというのです。

 そうした場合に、神様が自分の何千倍以上も素晴らしい相対を願うとすれば、相対者のいる所に来て住みたいと言うのです。定住、同居、同参、共に生活したいというような地上基盤が生まれるはずになっていたのです。そうなれば、地上が理想の中心国家になるのです。それを失ったので、人間は理想世界、平和世界、統一の世界を求めてきたのですが、求めるにしても、神様を抜いては不可能なのです。統一教会もそうです。先生を抜いては、統一教会のメンバーがいくら成功しても、気持ちがよくないのです。苦労しても、先生と共にすれば価値があるし、喜びも先生と共にすれば、そこに価値があるというのです。

 中心者を中心として、永遠の理想のすべての中心の本体の神様と共にいたいのは、それにつながろうとする愛の相対関係を被造物が内部に持っているからです。内部の本性に自分がつながっているので、自動的に一つになって住みたいと要望するのは、間違いのない存在の意欲であるということを否定できません。自分というものは、そんなにも貴重なものなのです。

  中心者の使命とは

 さあ、きのうの続きを話しましょう。もう朝ですか、昼ですか? 朝でも昼でも同じことです。朝でもいいし、昼でもいいのです。十二時を過ぎて、この話を始めたのですから、朝にも通じるし、昼にも通じるのです。

 さて、何を話していましたか? 注入と投入のことを話していましたね。(はい)。これは偉大なる発見です。宇宙の根底がいかなるものであったのか、誰も話したことがないのです。神様とは何なるものか? それは愛の主体であり、理想の本体であり、その内部の属性はどうなっているのか? それは誰も考えたこともないので、誰も分かりっこないのです。

 総括して、宇宙の出発は何もないところからスタートしたのですから、それをなし得る存在がいたとするならば、その者は、自分への注入を考えるようでは駄目なのです。何もない所にいくら注入しても、努力しても、努力するほどに自分自体がなくなってしまうのです。そうでしょう? 運動すれば、エネルギーが消耗するのだから、だんだん小さくなってなくなってしまうのです。相対がなければ駄目です。今は、サタン的な悪い結果の相対圏があるから、そんなことも続けてやれるような基盤があるのですが、それがなかった場合には、自滅するのです。

 そういう論調になるということを考えてみた場合に、神様が全能なる動機の存在としていたとするならば、その方が投入しなければ、相対圏は絶対に現れないのです。これは理論的なことです。それを否定できますか? 否定する者は、ぼんくらです。ぼんくらとは駄目な者であり、駄目な者は悪い者です。それで馬鹿は何ですか? (死ななきゃ直らない)。日本人は利口な定義をしたのです。人生の定義、宇宙的な定義の結論です。馬鹿は何ですか?(死ななきゃ直らない)。みんなは、馬鹿ではないのですね。馬鹿ではないと言う男は、女を治めることができるのです。女を包容できるのです。女の主体として、女に対して責任を持ち、女を保護し、女を発展させることができるのです。

 中心者については、きのうも話しましたね。奉仕と犠牲になる者が必ず中心者になるのであり、中心者は責任を持たなければならないのです。統一教会の中心者が文先生だったら、日本滅亡の責任を日本人が持てない場合には、先生が持つのです。ですから、このような歴史にもない新しい方法で日本防備のために、中心者として責任を持つのです。保護するのです。負債で流されるような悲惨な立場の日本を、先生は保護するのです。先生との約束をなさなければ、一族が引っかかるのです。代表として立った場合には、日本の国を救うための出発基準を立てて、日本が救われるまで、それを保持していかなければならないのです。その出発点にきているのです。

 ですから、あなたたちの中にも、いろんな人がたくさん来ているのです。諜報関係の者、やくざの親分、それに右翼など、いろいろな団体の長が参加しているのです。本当に危険千万なことですが、先生は防弾服も着ていないのです。それでもこのように、大衆の前に立って堂々と語っているのです。これは、大変な覚悟が必要なのです。先生はそのような覚悟のないぼんくらではありません。

 先生の場合、そういう行動するには、自分の良心というものが先にぶつかるのです。それを超えて行動するのは、なかなかのことです。だから、大変な自信を持ってここに立っているのです。皆さんがたくさん集まってきたから誰が誰か分からないのですが、中心者としては、そのように責任を持って保護するために、銃弾の飛び交う先頭に立つのです。それは親の誇りでもあるのです。それから、教育するのです。先生と関係なかった以前よりも、必ず成長して帰る立場に立たせるのです。それが中心者の使命です。第一は責任を持つこと、第二は保護し、防衛すること、第三は養育することです。ですから、みんなが中心と共に連れ立っていくのです。そうでなければ、横に流れていくのです。

 文先生は、そのことを日本人に教えてあげている最中なのです。ですからどんなに献金をしても、先生は一銭も手を付けないのです。全部日本のために生かすのです。誰が調べてみても、先生は言ったとおりにやっているので文句は言えないのです。それを世界的にやってきたので、もし反対すれば世界から、「日本の国は悪辣な国だ」と言われるのです。すべてが、日本のためなのです。

 それが分かれば、文句は言えないのですね。日本がそのようになって、今から何年か後に「文先生はよくやった」となれば、みんな先生の前にひざまずくのです。そのことを知っているので、先生は恥じることなく堂々と、あなたたちがどんなに渋い顔をしても、いい気持ちはしなくても、未来の希望の一日を共々に喜ぶことを待ちながら耐え忍んでいるのです。そういうことが、指導者の辛いところです。だからといって、逃げては駄目です。両方共に駄目になるのです。中心者の席もなくなって、中心者の相対圏もみんな消えていった場合に、霊界で神様の前に呼ばれていった時、自分の生涯を「こういうところが失敗でありました」と、率直に報告しなければならないので、そのような辛いことがないようにと、その一日を待ちつつ、生涯をコントロールしていくのです。それは、はかりの重りをコントロールすることと同じです。

 先生が霊界に行って神様の前に立って報告するとすれば、召命の使命感を抱いてからのことを、「一人ひとりにこういう影響を与えて、家庭、氏族、民族、国家、世界にも、こういう影響を与えてきました。しかし日本エバ国の先輩たちが、この基準を果たし得ないので、その者たちは中間でけ飛ばしてしまいました」と報告したいのですが、そうはいかないのです。やるべき使命を神の前に、神自体に公認されて、そうせざるを得なかったと同情されるような話を先生が報告する前に、「私はよく知っている。そのことは言わなくてもいい」と言われる、その時間を求めてこういうことをやっているのです。

 その動機は、夢だに思えない遠い原因からつながっているのです。遠い原因から来ているので回る円周も大きいのです。その円周に日本はみんな包容されているのだから、原理的に自動的に、神のほうに日本の環境は消化されていくのです。いい話ですね。

  宗教は民族と国家を超えていく

 投入と注入が何か分かりましたね? (はい)。一生涯、君たちは何に対して投入し、注入していきますか? 親になったら子供にだけ投入しているのです。男は、旦那さんになったら奥さんだけに投入するのです。奥さんにだけ投入し、子供にだけ投入する人間が八〇パーセント、九〇パーセント以上です。ですから、そのような家庭環境だけの天国にしかならないのです。いくら拡大しようとしても、自分がなしてきた基盤の上に永遠に住まなければならないのです。それが本当だったとしたらどうしますか? 大変なことです。ですから、「国のために忠臣になれ」とか、「愛国者になれ」とか言うのです。日本人だったら、みなそう言うのですね。そうなったら、日本人の先祖と共々に、これから来る日本人と共々に、日本の国というグループの中で住むことになるのです。

 日本の国というグループがあるのです。しかし膨大な天国では、日本の国なんか一粒の豆みたいなもので、問題ではないのです。そこには、無限大に近い理想の世界があるのです。分かりますか? (はい)。ですから、「宗教を信じなさい」と言うのです。宗教は国境を超えているのです。宗教は民族、国を超えているのです。そこには、世界中の人々が共に住むことができるのです。

 ですから、そういうことを知っている文先生としては、どうすればいいかというと、人は個人の壁、家庭の壁と、たくさんの自分なりの天幕を張って住んでいるのですが、その周辺はどこにもつながらないのです。それで、一生涯をぐるぐる回りながら終えていくのです。無知な者は、日本の山奥で生まれて、そこでぐるぐる回りながら「日本もどうでもいい。北海道も鹿児島も関係ない」と、北海道だけで、一点のみに生きて、ぐるぐる回って死んでいくのです。それで霊界に行っても、北海道の一角で住んだ人とだけ交わっているのです。

 ですから、子供を産んだとすれば、「聖人になれ。聖人を超えて神の聖子になれ」と、育てなければなりません。分かりましたか? (はい)。聖子は、「ホーリー・サン」と言うのです。そのような、神様の愛を受ける子供になった場合には、神の国の兄弟として、何一つ引っかかることはないのです。だから、そこまで行くと、天下天宙すべての天国が、その人に引っかからない解放圏となり、自由千万な世界になるのです。そういう世界を目標として、今、マラソンをしているのです。

 文先生から見ると、あなたたちは、ずーっと前を高く走っているのです。君も私も同じであり、目玉もみんな同じように、男であれば、みんな裸になると同じなのに、人によってはなし得た功績によって誰も追いつけないような高い人もいるというのです。どうですか、気持ちが悪いでしょう。「そんなことを聞けば気持ちが悪い」と言う者は、嫉妬心の多い人間です。堕落の憎悪心に燃える、破壊されるような欲望の人間です。いくら嫉妬しても、それ自体ではどうすることもできないのです。霊界に行った場合、嫉妬した者は逆さになっているのです。高い基準に反対すれば、その反対で逆さになっているのです。それが地獄なのです。

 では、偉大な投資の投入の王者になりたいですか、注入の王者になりたいですか? (投入です)。なぜかというと、神様の子供になりたいからです。一家の伝統は、子供が受け継ぐのです。父親のなした以上のことをなせば、その父親は喜んでその子供に相談するのです。そして、「未来を頼みます。自分のなし得なかったことを、どうか成し遂げてください」と頼むのです。そこに、希望があるのです。死ぬ前に、遺言するお父さんも、遺言を受ける子供も、あすに向かって希望の出発ができるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。そうですよ。ですから、責任を持った相続者は、父母より以上に投入しないといけないという結論になるのです。投入すれば、その相対として、実績が父母以上に間違いなく上がるのです。このことは、理論的に合っていますか、合っていませんか? (合っています)。

 注入した後はどうしますか? もし八人の兄弟に平等に分配したとすれば、「ワー、ワー、ワー! 私が父親のすべてを相続する。私の所に持って来い、持って来い」と言って、大変な紛争の場になってしまうのです。悪魔の破壊の場になるのです。だから、投入の王者になるのですか、注入の王者になるのですか? (投入の王者です)。それをお願いしますよ。宇宙の根本がそうなっているのです。その宇宙の主人が、そういう哲学、そういう哲理を中心として出発したので、それに歩調が合わないと方向もめちゃくちゃになってしまうのです。神様がそのように行くのに、人間が違った場合には、怒ってしまうのです。ですから生涯、全部を投入して、「生命までも投入して、またよみがえった場合には、生まれてなし得なかったことを再び投入して完成していけばよい」という遺言をしていった場合には、霊界に行っても発展する道が残るのです。

 もし、そういうような生涯を終えても、未来までは投入したくないという場合には、霊界ではストップです。回れ右をさせられるのです。そして、そこから後退して、下のほうに下がっていくのです。こういうことを先生は知っているので、どんな難しいことがあっても、自分の将来の道は暗闇にしたくないのです。今年は今年であり、来年とは違うのです。それで来年の元旦を迎えて、跳躍が飛躍になるのです。跳躍というのは四十五度以下であり、飛躍というのは九十度に向かって飛ぶことです。ですから先生の鉄則は、「停止、ストップすることは生きた者として恐ろしいことである」と言うのです。停止したその日から、死の境地に近づいているのです。分かりましたか? (はい)。

 生きた者は伸びるように、発展するようになるのです。死んだ者は後退するのです。ですから、大きな木なんかを見た場合に、穂先から死んでいくのです。そうでしょう? 停止から後退が始まるのです。生きた者は実績を残すべきであり、後退するようなことは絶対に嫌なのです。

 ですから生きた者は、毎日一つずつをプラスさせるのです。きのうよりは何か一つでもプラスさせるのです。嫌でもそれをしなければならないのです。たとえ疲れて倒れてしまっても、遺言するにしても、自分に一つを加えるために、もみ合いながらでも、それにプラスさせていくことによって、自分自身が止まったとしても、家族が発展していく時、自分も発展する家族に引きずられて、その発展の基台で死んでいけるのです。「ここまで勝利できたのは、死んでいった人のためである」と言われて、自分と関係を持って共に解放圏に立つのです。これは理論的なことです。

  孝子、忠臣、聖人、聖子の道

 先生は、生涯辛いことをやってきました。労働でも何でもしてきました。それを拒んだことも、嫌がったこともないのです。みんなやらなければ、人間のなし得るすべてのことを体恤しないといけないのです。体験しない者は、体恤することができません。話だけではできません。

 痛哭する者には、その人の親と同じように、兄弟と同じように、痛哭する心情を持たなければならないのです。痛哭する者に見物人なんかは要りません。神様が寂しかったならば、神様と共に、その心情的体恤圏に立つのです。体恤するのです。体験ではないのです。体験して同位圏に立つのです。周波数の合うような立場に立つのです。悲しい場合には悲しい周波数に、喜ばしい場合には喜ばしい周波数に合うのです。主体でなければ相対になって、相対基準をなくした場合には主体の基準において泣くのです。その人以上に痛哭しないと、慰めることはできないのです。そのような人になれば、自分の歴史を話してくるのです。「私はこういうこと、こういうことがあったけれど、それを越えていったのです。そして一年、二年とたったら、こういう結果になりました」と。そういう人を慰めることができるのです。体験した者は体験しない者を率いて、それを発展させることができるのです。自分がやってきたことを、体験したことを話してあげるのです。

 停止は恐ろしいのです。ですから統一教会の文先生は、食口たちに対して絶対に負債を負いません。いつでも一つ欠けたことをするのです。アメリカでも、ハイウエイを走る車の中では横になって眠りながら行くのですが、それは夜通し話をしたからです。それで、眠りながら走るのです。もし、夜通し話をしなかった場合に、眠りながら走ったら恥ずかしいことです。リンカーンとかリムジンに乗っても、「あー、気持ちいい」とは言わないのです。「すみません。帰る道が忙しいから、仕方がないのです。勘弁してください」という思いで、挨拶をするような考えをしているのです。

 食堂なんかも、ファーストフードに行って、マクドナルドを食べるのです。マクドナルドを知っていますか? 日本語の発音で「マクドナルド」と言っても、アメリカ人は十年間聞いても分からないのです。「メックナル」と発音しなければいけないのです。日本人は「マクドナルド」ですね。(笑い)英語を話せるからといって、そのように言っても何のことか分からないのです。

 それで、リンカーンとかリムジンに乗ってファーストフードに行った場合に、泥棒などが逃げる時の習慣として、よくマクドナルドで食べて行くので、みんなが先生の車をチェックするのです。たくさん、そういうチェックをされました。「誰の車ですか?」、「私の車です」。「あなたは誰ですか?」と。「世界の宗教指導者で、一番名高い人は誰か知っていますか?」「レバレンド・ムーンという人がいるけれどー」。「君の横に立っている人が、その人ですよ」と言ったら、びっくりして、「あ、あ、かしこまりました!」となるのです。(笑い)

 傲慢なる者が腰をかがめて頭を下げてお詫びするような姿を見ながら、ここまで来たのです。一度も誇ったことはないのです。そういうことは、神様が一番嫌がることだからです。神様は誇ることができない方です。今まで、創造主は誇ったことがないのです。男も、女も、神様には一人もいないのです。万物の創造主なのに、自分のものがないのです。神様は人間のためにつくったのです。人間は万物の霊長であり、主人なのです。

 自分の子供が貴いことを知っている親は、子供の部屋を中心として、何一つ不足なものがないようにと、貴いものばかりを買って飾ってあげたのに、その子供が死んでしまったとするならば、その部屋のものを中心として、「あー、子供のものが自分のものになって気持ちがいい」と言う親がいるでしょうか? (いません)。子供たちが愛するようにと準備していたすべてのものを、子供の代わりに毎日愛して、子供の名を呼びながら涙を流すのです。それが親の心情です。そういうことを霊界に行った子供たちが知ったとすれば、大変なことです。そのようなことを知った場合には、今まで愛してこなかったすべてのものに対して、その責任を持とうとするし、親に対しても申し訳ないと思うのです。ですから、死んだ子供の部屋も、みんななくしてしまうわけにはいかないのです。

 それを破壊してしまうということは、大宇宙を破壊することになるのです。大変なことです。ですから、その主人が人間だった場合には、主人の行く所に共に従っていって、永遠に任せてしまわなければならないのです。そう考えた場合に、堕落の愛の関係で一体になったとすれば、そこに所有権が決定されるのです。それで間違いなく、人間がサタンと一緒になったので、神様はすべてをなくしてしまったのです。創造主が心身を込めて精誠を尽くしてつくったすべてのものが、涙の元になっているのです。それはもう、恨み憎むべき者なのに、神様はその者を再び求めていって、愛さなければ元に帰す道がないのです。そのように、相反する心情圏の道を逆に行かなければならない神様の心情を、誰も世の中で知る者がいないのです。もし文先生がいなかったら、大変なことです。

 宗教は自分たちの利益のために、みんな信じあって働きかけているのです。宗教に世界があるかというと、今は世界がないのです。国を救済するというのは方便であって、その国の大使を動かして、自分の一宗派のために、宗派の責任者や教祖のために割いて使うのです。天の基準に従って使うべきものを割いて使った場合には、その比例に対して一家族が破滅するのです。天的圧力が加わるので、滅亡の道に追い込まれる公式になっているのです。

 ですから一生涯かけても、注入者では駄目なのです。愛国者は自分一身を犠牲にするとともに、自分の親を犠牲にしても、親不孝ではないのです。親たる者は自分の子供に対して、忠臣の道を教えて率先して見せるべきです。それを見せなかった親がいくら反対しても、その反対の道に行くことによって自分自身もなくなるのです。自分の親に対して思いもよらない大逆の者となったとしても、霊界に行けば親不孝とは言わないのです。

 悪い親であり伝統を示さないので、子供が親不孝な立場に立ったとしても、忠臣の道を真っすぐに守って行った場合、親や自分の妻子までも犠牲にして忠誠を尽くしたとすれば、その人を中心として一家族が褒めたたえられるのです。その時には、お母さんも、奥さんも「ありがとうございます」と言うのです。分かりますか? そうなるのです。

 また、国に反逆する罪人になっても、破壊する行動をしたとしても、聖人の道に従って聖人の立場を守った場合には、一族全体を犠牲にしてきたとしても、世界を救って聖人の列に参席した場合には、世界的にたたえられる基準にその家族が立つようになり、その時は国の王様も、全国の国民も「ありがとうございます」と言うのです。たとえ売国者の立場だったとしても、聖人の道に立って使命をなし得た場合には、聖人として世界の中心に立つので、反対していた人も、国も、その人に侍らなければならないのです。父母であっても、侍らなければならないのです。

 それから、聖人の次に聖子になった場合には、霊界の国にも宮中があるのです。宮中が主体であり、その客体としての国民がいるのです。二つの主体・客体の調和があるのです。ですから地上にも宮中があって、国民がいるのです。地上世界においても宮中の法、国家の法を守るように、霊界でも天国の法律、天国の宮中の法律を守るのです。四大規則を守るのです。なぜかというと、神様が 司 る地上天国、天上天国、地上宮中、天上宮中だからです。それを相続するためには、四つの方面に引っかかっては駄目です。そこに引っかかった場合には、神様の偉業を相続する道がふさがってしまうのです。ですから聖子は、四大圏のすべてを成し遂げなければならないので、いかに辛いことか苦しいことかしれません。

 それをでたらめに扱った場合には、神様の偉業を相続することができないのです。(聖子は)宮中に行くにも、国に行くにも、地上に行くにも、霊界に行くにも、神様の子供、宇宙中心の神様の相対の子供として立つことができるのです。

 そうなれば聖人の道を行かなくても、すべてが収まるのです。聖子になった場合には、そこには親孝行者があり、そこには忠臣があり、そこには聖人があり、そこには主人が加わっているのです。多くの国の王様がやってきて、最後にはすべてを相続するようになるので、永遠につながる歴史が成り立つのです。

 それでは、どういう者になりたいですか? 親孝行者ですか、聖人ですか、聖子ですか? (聖子です)。みんな欲が深いね。みんな眠っていると思っていたのですが、このことはみんな聞いていたのですね。(笑い)それが分かりましたね。ですから国家において、国賊としての行動を取った者であっても、特別に免罪をして、あることを成せば愛国者の勲章をあげるというような約束があるのです。「国を救い、世界に通じる聖人に続く者になれば、国家の国賊であってもいい」というのです。そのように、文先生は天宙のために戦ってきたのです。世界ではないのです。

 歴史上には、聖人たちがたくさんいたのです。四大聖人という人々ですが、彼らも宇宙の根本がはっきりしていなかったので、出発がはっきりしないのです。神様に対しても、はっきり分からないのです。文先生は神様がどんな方か、内的に外的にすべてのことを語っているのです。

  引っ張り合う良心の力と肉身の力

 神様は人間の友達になりたいのです。堕落した人間なので神様を友達にしたいと思うのですが、本当の人間であれば神様のほうから友達になってくれるのです。分かりましたか? (はい)。神様は、小便することも大便することも知らなかったのだけれど、人間に習ってするようになるのです。(笑い)そのように、人間の住む家というものは素晴らしいと言うのです。投入精神は素晴らしくないのです! (素晴らしいです)。私とは関係をつなぎたくないのです! (つなぎたいです)。絶対にそうではありません! (絶対にそうです)。本当ですか? (笑い)

 親が死んだら、みんな忘れてしまいます! (忘れません)。一家が滅亡すれば、みんな売り飛ばしてしまいます! (しません)。それが一国になった場合には、寝てしまいます! (笑い)もう答えは、はっきりしているのです。一国がふっ飛んでも、世界がふっ飛んでも、最後の一つだけが残っていた場合には、天下すべての勝利の頂点に立って治めることができるのです。「完成、すべて、オーケー」と言うのです。そうなれば、聖子になりたいと思わない者はいないのですね。分かりましたか? (はい)。これはもう聞く必要もないことです。既に結論が出ているのです。

 さあー、生命の分割、生命の根拠が親の愛の因縁で結ばれているのだから、そうならざるを得ないということが分かりました。そうして、良心を肉身が引っ張りだこにして、生涯をめちゃくちゃに潰してきたということも分かりました。それを治すには、原因のすべてをはっきりと知らなければなりません。なぜ肉身が良心よりも強くなったのかということです。それを知りたいですか? (はい)。

 それが問題です。重要な問題です。分割の根拠が何か分かりましたか? 良心が肉身より強い立場に立つ根拠は何か分かりましたか? 愛という力が宇宙を支配するからです。男と女は、それに向けて生命をかけているのです。それがめちゃくちゃになった場合には、共に生命が消えてしまったような思いのする所に連れていかれるのです。堕落世界がそうです。本当に恋煩いという病気もあるのです。それを知っていますか? 恋煩いの病気になった場合には、その薬がないのです。それは、女の子のほうが男よりも多いのです。

 男は女のことを、女は男のことを考えるのです。女には、自分のものは一つもないのです。かわいそうな女です。男たち、旦那さんたち、分かりましたか? (はい)。女はかわいそうなものです。まず、いかに女がかわいそうなものか、言ってみましょうか?

 女の胸と尻は誰のものですか? (男のものです)。子供も男です。今あなたたちが言う「男」とは、旦那さんを象徴して言うのですね? (はい)。女の胸と尻は子供のためのものです。そのことを、この前、日本の女たちに聞いたのです。それを知らなかったら大変です。ですから女は、自分の体についているものは男のためのものなのです。間違いないのです。

 それから、顔は誰のものですか? 自分のものと言う女はいません。男のための顔なのです。それを触ってみると、柔らかいですか、ざらざらですか? それは見なくても、男にははっきり分かるのです。男が好きになるように、仕方なくそういう顔になったのです。ですから、女は男のために生まれたことに間違いないのです。

 女の顔は男のためにあるのです。そして女は、自分の顔とはまるっきり反対の髭の生えた顔が好きなのです。髭はなぜ生えたのか知っていますか? 汗が流れてきた場合に、口に入る危険性があるからです。髭が生えていれば、汗はちゃんと一直線になって落ちていくのです。みんなを保護するためです。

 女は、汗を流して一日中働くことはないのです。一日中家にいて、汗をかく仕事など一生涯しなくてもいいので、髭も生えなくなったのです。髭自身からなくなったのですか、神様がそういうふうにしたからなくなったのですか? (神様です)。そうです。神様は専門家です。女の顔は男のためであり、女の垂直に下がったところのものは女のものですか、男のものですか? (男のものです)。女は何も持っていないのです。かわいそうな者です。かわいそうな思いに焦がれて、同情のあまりに保護しなければならないのが女です。そういう考えを持たなければ、現状からさかのぼる正しい道がないということを戒めておきます。女をかわいそうに思わなければならないのです。女は何も持っていません。みんな盗まれてしまうのです。

 それでは、男はどうですか? 男は、女の反対に尻が小さく、肩が大きいので、力を入れて働かなければならないのです。電車などに乗っても、男は逆三角形ですが、女はその反対なのです。その反対のものを合わせれば、ちゃんと四角になるのです。これを、絶対に合わせなければならないのです。神様も計画的に、よくも設計なされました。ですから女は、何も持っていません。

 奉仕のために生まれたのです。では、男性の生殖器は誰のものですか? (女のものです)。それで、男が髭を生やせば刺激的であり、一日くらい剃らなかった場合、このように女に押しつけたら、「あー、痛い」と言うのです。(笑い)本当ですか? みんな本当ですか? その刺激を女は一生忘れられないのです。それらの刺激をしのびながら、キスの力が強いので忘れていくその妙味が、愛の妙味というのです。そこに、惚れてしまうし、酔ってしまうし、のびてしまうのです。本当かどうか試してみなさい。(笑い)しかし今は、日本に逃げて帰ることはできないのです。(笑い)

 あすでもいいから、間違いなくそういう実験をしてみて、何かを感じた場合には、「先生の教えは面白いことに、一つでも自分たちの愛の中に残ることがある」と思えるので、こういうことを言っているのです。その時には、「文先生は駄目だ」と言いますか、「文先生ありがとう」と言いますか、どっちですか? (「ありがとう」と言います)。本当ですか? その時が来る前に、今はまだ「ありがとう」とは言いたくないのですね。どうですか? 食べてみて、おいしかった時に「ありがとう」と言うのであり、約束しただけでも「ありがとう」と言ったら、二重の「ありがとう」なのです。

 皆さんは、先生の話だけ聞いても、「ありがとう」と言う自由満々な余裕のある男ですか、不余裕の男ですか? 余裕のある男になったとすれば、先生に「ありがとう」と言ってください。(ありがとうございます)。教えてあげることほど寂しいことはありません。教えて礼を言われても、何もいいことはないのです。それは仕方のないことです。それは人のためです。周辺の人々を教育するためにも、そうしなければならないという話です。ここには反対する者もいるので、「ありがとう」と言うことによって、反対する者も教育しようと、先生は面子も考えずに、そういうことを言わせたのです。悪く思わないようにしてください。(はい)。分かりましたか? (はい)。

  神様の願われる宗教の使命

 「投入の王者になるのですー(はい)。いやー!」、素晴らしい! そうなると、日本は韓国より偉くなります。しかし神様は、韓国とか日本とかいう名前は記憶したくないのです。神様は色を見分けられないのです。それを何と言いますか? (色盲です)。神様は色盲です。神様は黒人も、黄色人も、色の分別が分からないというのです。分かるのは愛の色だけです。神様は愛の色しか分からないのです。ですから、すべてを頼もしく、すべてを主体として思うのです。宗教の看板は覚えられなくても、宗教の目的に徹したものだけを記憶するのです。

 それで、今の問題は、なぜ肉身が良心を引っ張る力のほうが強いのかということです。それは堕落する時の愛の関係によるからです。愛は強いものです。天宙を率いてまとめる力を持っているのです。真の愛の列に属しているので、愛の関係を結んだ場合、それが偽りの愛の力でも同じ作用をもたらすようになっているというのは理論的なのです。堕落した時のアダム・エバは、過ちによって呵責を受ける立場に立ったのですが、愛自体からくる心身を引きつける力は、そのままあったというのです。

 ですから、それが堕落の愛であっても、堕落する時の愛の結合の力は良心の力よりも強かったというのです。それが問題です。今の堕落した人間の世界でも、恋い焦がれて結婚を決意した時に、もし両親が反対した場合には二人して鉄橋から飛び降りて死んでしまうような、死亡圏にまでも引っ張り込む力があるというのです。それを知った場合、そんな力のあることを否定することができません。

 堕落する時には、父母と共に一体になる力よりも、良心基準が未熟なのです。長成期完成級の基準であり、完成に向かって発展しなければならないために、良心の力が愛の力よりも弱かったから問題なのです。もしも、その良心の力が強かったとすれば、肉身を引っ張っていって、自動的に神の方向に帰るようになっていたのです。

 あなたたちの良心も、あすはもっと素晴らしいことをと願っているのですね。何か悪いことをしようとしても、夜中に誰にも知られない所で何かしようとした場合にも、良心が「この野郎、そんなことをするな!」と言うのです。しかし、「何を言っているのだ、黙れ!」と肉身が言った場合には、良心は仕方がなく泣きづりながら、引っ張られてきたということを覚えておかなければなりません。ですから、君たちの肉身が良心をずーっと泣かせてきたという事実を知ろうと考えた者は一人もいなかったのです。先生の話を聞くことによって、そのような実情をはっきりと知ることができたのです。肉身が先に強い愛の因縁を結んだので、堕落の時から弱い良心圏を引っ張りだこにしてきたということを、はっきりと分かるようになったのです。それがはっきりと分かったことによって、これからの手術も無難に堂々とやれるのです。

 堕落の相反する親の愛によって、分割されたのが今の良心の基準であり、その良心ゆえに今まで永遠に歴史とともに泣きずってきたのです。愛する時の良心の基準が弱かったために、そのような運命に追われてきたということがはっきりと分かりました。

 それで、いかにして良心の基準を堕落する時の愛の結束の力よりも強くさせるかというのです。それは一つの方法のみが自分を解放させ、自分を元の所に帰すことのできるのです。これが、理論的な結論です。漠然としたものではありません。良心の権限の素晴らしさと、出発から終末まで良心の権限の強さをはっきりと知れば、肉身の愛の基準は未完成の愛なので、良心完成基準の立場に立てば、その愛は良心側に立つというのです。これは理論的なことです。そういうことが、はっきりと分かりましたね。神様は、そういうことを知らないはずがないのです。

 もし神様がいたとするならば、万民共々に、このような罠に引かれてみんな悲惨な地獄に行くようになっているので、それを何とか止めて天国に回そうとするのです。真の親がいたとするならば、そうせざるを得ないのです。そういう結論を出した場合に、歴史上において、神様のなされてきたすべての組織体制が、そういう基盤上になければならないという結論になりました。それが一体何かというと、それが宗教というものです。ですから、堕落しなかったならば宗教は要らないのです。

 宗教は何のために生まれてきたのかというと、良心を引っ張りだこにする肉身を崩壊させ、滅亡させるために生まれてきたのです。それ以外に何の目的もありません。それをなした場合、本源の愛の世界へ自動的に帰っていくことができるのです。ですから、本源の世界が宗教によって救援されるということは、みんな嘘です! このように、宗教に反対して宗教無効を宣言するレバレンド・ムーンがいるというので、宗教界がみんな反対しているのです。

 「宗教の看板をみんな下ろしてしまえ!」と言って、真の愛につないで、すべてを統合する立場に立った場合には、天国へ自動的に行くようになっているのです。肉身の力が強いので、良心圏を防備するために肉身の力を弱くしてしまえば、すべてが収まるし、すべてが天国へ行くのです。そのような目的で、神様が働きかけてきたのが宗教というものです。シャーマニズムであっても、良心に近いのが宗教なのです。それがだんだん、だんだん高等宗教を中心として、地域的にも東洋とか六大州を中心として、大衆を治めるために伝統的な内容をたどりながら、良心のほうの教育を拡大して肉身を制御しようというのが、宗教の教えであり修養の目的なのです。分かりましたか? (はい)。

 ですから宗教というものは、肉身の嫌がることをさせるのです。良心の嫌がることではないのです。宗教の教えは、第一に「断食をやれ! 断食をやれ!」。肉身は「オー、絶対に嫌だ!」。「死に物狂いで、四十日やれ!」。「ウワー!」となるのです。統一教会では、六十三日間も断食した者がいます。四十日は、もう平気です。イエス様の記録を破った者もたくさんいるのです。

 それで、肉身をめちゃくちゃにしているのです。死の境地をさまよっても、肉身の滅亡圏を中心として、そこに良心が乗っかって降伏させなければならない戦いをしているのです。

  還故郷とお母様の勝利圏

 宗教の目的と救援の目的とは何のかかわりもありません。真の愛を失ったので、偽りの愛によって偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ本質が残っているので、いくら宗教をやっても血統転換はなされません。千年、万年、いくら誓ってやったとしても、血統が清くなって、真の血統につながる道はありません。偽りの愛によって汚されたのだから、真の愛によらなければ、これは消せません。宗教では消せないのです。

 そうなると、今までの宗教はとんでもないことをやった者が教祖として、宗教指導者にもなっているのです。文先生もその一人かもしれないですね。(笑い)そうでしょうか? (違います)。今や宗教の教祖になっているし、宗教の中でも一番欲張りの宗教が統一教会なのです。すべて統一する教えをしているのです。個人統一、家族統一、民族、国家、世界、天宙、神様解放まで教えている統一教会です。それが悪いと言えば一番ですから、断食するとすれば、何万年も断食しなければならないのですね。(笑い)

 神様を救済して、サタンを困らせることは断食や奉仕をすることです。サタンは傲慢という自覚をたたえて堕落しているのですから、自分を絶対に否定せず、神様の代わりに、アダム・エバの権限の愛の上に立とうというのです。そのような傲慢性を発見したのです。それがサタンの本質です。それがサタンの活動の基台であり、とどまる所の停止場です。それをいかに崩壊させるかということです。

 それで、傲慢ではなく、「奉仕しなさい」と言うのです。奉仕どころではなく、「犠牲になりなさい」と言うのです。サタンに「犠牲」と言えば、逃げていかなければなりません。奉仕はできません。傲慢の親父になったのですから、まるっきり反対なのです。そればかりではないのです。最後には、「殉教しなさい、血を流しなさい」と言うのです。血を流すということは、みんな殺されてしまうことです。それを忍耐していくことによって、サタンを切ってしまうのです。血を流すことによって、血の結合による血統因縁を切り、断絶することによって、サタンは、永遠に自分の生命体に関係をもつことができなくなるのです。すべて理論的なのです。

 宗教を必要としますか、必要としませんか? (必要です)。なぜですか? この肉身がでたらめにやってきたのだから、肉身を弱化させて良心圏を拡大することによって、希望の日がつながれることを神様は知っているのです。その方便の対策として、宗教を立てざるを得なかったのです。その実体として残ったものが世界的宗教なのです。宗教家自体も、それを知っていないのです。

 宗教指導者が愛の涙を流しながら、「私の後に続け」と模範を示すような実体となった場合には、教祖様として最高に敬われるようになるのです。先生は、その実体を今までつくってきました。分かりましたか? (はい)。それは、宗教だけではありません。先生は科学技術でも、世界先端のものを持っているのです。だから八〇年代に、先生は世界に宣布したのです。「科学技術は万民のものであり、特殊な先進国家の管理下に置くべきではない。開放しなさい」と。それで開放しなかったら、実績をつくり、国までつくっていくのです。アメリカも、そんなことはできないのです。ヨーロッパもできないし、日本もできないのです。それができるような技術の王座を先生は占めてしまったのです。

 そして、それをアジアの国々に直結しようとしたのです。韓国の政府も、今になって後悔しています。中国のように、レバレンド・ムーンを国が歓迎して、それで全国的に教育した場合には、大変です。日本もそうです。

 最高の機械技術を持たなければ、科学世界の発展の母体にはなれません。それを先生はよく知っているのです。今まで迫害を受けながら、建設のために努力してきたので、世界的に文先生を知らない人はいません。文先生に任せれば、国の産業もすべて発展することができるのです。韓国は、それをめちゃくちゃにしたのです。先生が北韓から来たので、野党も与党も、「文先生に北の避難民一千万人がついた場合には、その政治的力にかなわなくなってしまう。文先生は天才的な頭をもって、理論的にも哲学、宗教を凌駕しているので、どの宗教者も、どの科学者も収拾できる力を持っている」と言うのです。

 世界の学者たちが先生の後についてきているのを知っていますか? 世界の宗教家たちが集まって、宗教を一つにしようとしているのは、この先生のゆえなのです。「世界平和宗教連合」は、名ばかりではありません。今や大会などをすると、各宗派の教主たちがみんな集まってくるのですが、そこで文先生は、はじめは使いの者のようにしか思われていなかったのです。何の質問もしないし、黙っているので、私が誰か知らなかったのです。それが一年、二年とたつうちに、先生のすることが国際的であり、大会の催しの内容も世界最高の基準だし、自分たちよりも優れたことを先生が語るので、目が覚めたのです。それで、先生が隅っこにいると、若い者たちが「文先生、そんなに隅っこに行かないで、真ん中に来て中心に座ってください」と言うようになったのです。

 そのようにして、九年間も続けていくことによって、五年目以降からは、その中から良心的な宗教者や最高のメンバーたちが、先生が隅っこに行っても先生の横に並ぶようになったのです。「文先生、なぜここにいますか? そんな所にいては駄目です。主人として、すべてのことをなされた、先生の成果を何年もたたずに、名もなく功労もない自分たちが受け継ぐのを恥じる良心があります」と、言ってくるのです。九年目になると、先生が中央に立たなければ、写真も撮ろうとしなくなったのです。「世界平和宗教連合」は、恐ろしい宗教紛争をして悲惨な歴史をつづってきた、その垣根をなくしてしまうのです。


  投入の哲学ですべてが治まる

 今や、ローマ法王庁も私たちの団体の活動を無視できないようになりました。世界各国の宗教の教主が先生に従ってくるので、プロテスタントのアメリカも、かぶとを脱いで先生に従うようになったのです。

 為に生きることによって自動的に中心者になるということを、先生が奉仕して、犠牲になる者が中心になるという実験をして、成功した話をあなたたちに教えてあげているのです。このように宗教世界を治めるとすれば、一家族を治めることに問題がありますか、ありませんか? (ありません)。どんなに難しい環境であっても、このように投入の哲学一本きりですべてが治まるのです。その実績の勝利を今話してあげているのです。分かりましたか? (はい)。

 そのような先生の話を聞いて、日本に帰って自分の一族を先生の言ったとおりに投入するようにした場合には、日本全体も、その相対になってしまうというのが結論です。でなければ、真理ではないのです。これは、王家を超えて世界の神様の王権までも治めるような内容だから、万宇宙も統一することができるのです。これは理論的な話です。関心がありますか、無関心ですか? (関心があります)。

 そのようにして、神様のほうにプラスになるように、きょうも一日、プラスを残して成長していくのです。停止することを恐れている先生は、あなたたちのために、一つプラスしてあげたので、解放されたのです。ありがたいことです。(拍手)

 そこには、面子も何もないのです。神様だに、今まで面子をなくして、子供を求めて何千万年も堕落したサタン的な人間の後をついて来たのです。そのような神様を知った場合には、何が面子ですか! 真の親が何ですか! 再臨の主が何ですか! すべてに面子がないのです。ですから、正々堂々とやらなければなりません。決意しなければなりません。

 おじさん、決意できましたか? (はい)。先生の弟みたいな年齢ですから、兄さんの話をよく聞いて、先生に歩調を合わせて日本に影響を及ぼすようにお願いいたします。それで、日本語で「はい、かしこまりました。長子の命令に従います」と、それをやりますね? (はい)。投入の王者について、それから、肉身が良心を引っ張りだこにしているという話が分かりましたね? (はい)。

 それを克服するには、宗教に頼らざるを得ないのです。ですから、すべてを知っている先生は仕方なしに、それを整備するために統一教会をつくらざるを得なかったのです。それで統一教会がなすことは、体の撲滅運動です。気持ちがいいですか、気持ちが悪いですか? (気持ちがいいです)。それで、宗教者は出家を命令していたのに、それがなされなかったのです。独身生活を命令していたのに、それがなされなかったのです。それがなされていた場合には、それをなして完成していた場合には、すべてが反対の方向に行かなければならないのです。それが帰還郷なのです。韓国でも、「統一教会は国に帰れ、故郷に帰れ、還故郷しなさい」と言うのです。還故郷と帰還郷は同じです。

 第二次大戦の後に、英米仏連合国が先生を歓迎して、王様として侍らなければならないのが神のみ旨だったのです。もし、そのようになっていたならば、先生の能力でもって世界を統合していたことでしょう。十億のクリスチャンを前に、法律、憲法を制定した場合には、今の氏族メシヤは、一部落に何十ダースもできていたのです。何年も何か月もかからないのです。七年間で世界を統一して、先生が四十歳で万国の王としての資格を持って堂々と君臨していたならば、こんなにめちゃくちゃな、かわいそうな世界にはならなかったのです。くたびれてしまったような人々を集めて、日本のメンバーを教育しなければならない、かわいそうな姿です。

 英米仏がみな神のみ旨に背いたので、サタンがみんな上を取ってしまったのです。アダム家庭どころではありません。神がなし得た世界統合の基盤をみんなキリスト教文化圏に任せてきたのですが、キリスト教が文先生に反対したのだから、サタンが乗り出してきたのです。サタン圏に追い出されて、共産党と一体になって、文先生打倒の運動をするというのですから、これはおかしな話です。無神論者と有神論のキリスト教が一つになって文先生を打倒しようとしたのです。サタンの誘いで、そうなったのです。

 それで、日本でもキリスト教の立場を利用しながら、牧師が統一教会員を拉致するようになったのです。共産党の名前を持った牧師が、文先生の弟子たちを乗っ取る拉致の王者になっているのです。日本は責任を果たさなければなりません。負債が残った場合には、それを決済しないと日本全体が巻き込まれていくのです。日本の負債を解放しなければなりません。そうしなければ、世界のエバ圏がサタンの罠にはまってしまうのです。

 エバ国家なのに、アダムの旦那さんを拒むなど、神様の目から見た場合に、日本はかわいがられる何ものも持っていないのです。ですから、あなたたちをこのように教育して、結束して主体を早く立てて、日本全国に影響を及ぼして、再創造するために投入できる中心性が立った場合には、日本も滅びないということが分かっているので、こういうことをやっているのです。女性十六万人、男性三十二万人、五十万人を教育して、五年以内に二千万人以上の信仰者を立てるのです。それで、日本を正しく引っ張っていってあげるのです。統一教会の人々は、一〇〇〇人を引っ張っていく力があるのです。先生の話を聞けば、恐ろしい話ですか、希望があふれる話ですか? (希望があふれる話です)。

 先生は命懸けでやっているのです。この首を何回も絞首台にかけるような覚悟をしてやってきました。しかし完全に奉仕した者は神様のものだから、それを取っていくことはできないのです。その境地になった場合には、神様は何段階も飛躍させて、次元の高い立場に立たせるのです。ですから、迫害されて先生が刑務所に入っても、出てきた場合には大きく飛躍するのです。

 先生は、アメリカのダンベリーの刑務所に入ってから七年目に、全世界に向けて「真の父母勝利」を宣布し、「真の父母と成約時代」を発布しました。十二の重要都市を中心として勝利したのです。どこに行っても「万歳」と、みんなが立って敬礼する立場に立ったのです。それをお母様が見て、「自分もやれるような気がします」と乗り気になったので、先生は、「お母さん、あなたもやればできます。やればやれそうです」と、十二か都市を中心として、お母様にバトンタッチしたのです。それで、お母様の基台として、先生が七十五歳まで立てた実績を一年半以内で完全に伝授してあげました。


  記録をつくるメンバーは素晴らしい

 それで、次は「世界平和青年連合」です。ブリッジポート大学の有名な神学者の総長が青年連合の共同会長として、お母様と共に立ったのですが、ブリッジポートの総長よりも、お母様のほうが有名なのです。なぜかというと、先生がすべて創設してきたので、お母様をたたえることは先生をたたえることだから、みんなお母様が中心の責任者だと思うのです。

 今度も、韓国に帰って一か月の間に、地方の代議士や代表的議員たちを一七〇〇の面まで、日本でいう村までの組織をつくったのです。今では一〇〇〇名ずつが集まって、その下の組織をつくっているのです。これを整理して、四十一万の班にした場合には、そこに四千万人がみんな包容されるようになるのです。それができれば、いかなる政党もかなわないのです。

 それで、今は大変です。女性連合のしっぽに、青年連合のしっぽに、政治家たちがくっついてきて、気違いみたいになっているのです。競争で、夜昼訪問して「助けてください」と言って来ているのです。それは、今までたくさん助けてやってあげたのに、選挙に当選すると逃げていった者たちです。今は、そんな者たちを助ける時代ではないのです。また国も、そういう反逆的なことばかりをしてきたのです。よい国家をつくるどころか、その反対の国家をつくる者たちに援助するようなことはできません。統一教会の修練を受けて、統一教会を名乗ってやれば崩壊する国家を防備する道はあるのですが、それ以外には何もないというのです。ですから、みんな統一教会の修練を受けなければなりません。

​ アメリカもそうです。「ワシントン・タイムズ」を中心として、大統領になろうとする者たちがみんな「ワシントン・タイムズ」を握れば間違いなく大統領になれるという、国家的な基盤をつくっているのです。ですから、「真の父母の日」を慶祝する国家的祝日もつくりました。七十四日間で完全に上院、下院満場一致で決議し、十日のうちに大統領のサインを得て、万国に発表して歴史的な記録をつくりました。​

 文先生は、記録を破らないと気が済まないのです。本当です。このことは記録ですか、不記録ですか? (記録です)。記録をつくるメンバーは素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (素晴らしいです)。素晴らしい者の顔を見た場合に、眠気を持つような顔では駄目です。(笑い)絶対に死んでも、そういうことをやらないようになるのが、素晴らしい者たちの姿勢です。

 先生は、明後日に韓国をたってアメリカへ行き、二十三日は四〇〇〇名の日本の最高の女性とアメリカの最高の女性たちの姉妹協定に出なければならないのです。そのような文先生だということを知っていますか? (はい)。その会場に参席するのは、アメリカの一番大きい教団である南部の聖霊教会とバプテストのリーダーです。これは南北戦争を起こした魁首です。白人絶対主義の「KKK」を組織して、それに反対する者は殺してしまうようなこともするのです。宗教家でそんなことをするので、先生とはまるっきり反対なのです。そういうリーダーなのですが、その下には十三万人もの牧師たちがいるのです。一回に五〇〇名だったら、四〇〇〇名まで、八回するのです。「八回とも責任もって激励の演説をするように」と、呼びかけたのです。分かりましたか? (はい)。それで、世界がいくら大きいといっても、先生の活動舞台内に引っかかっているということに間違いないのです。

 もし素晴らしい日本の心を持った者がいたとするならば、「世界最上級の舞台で花を咲かせる道がいくらでもなきにしもあらず」という、結論を出しても恥ずかしくない男がここに立っているのです。それを信じますか、信じませんか? (信じます!)。

 ゴルバチョフ元大統領も漢南洞の公館に訪ねてきて、先生と二時間四十分会談をして兄弟結縁を結びました。先生のほうが年寄りで、彼は六十三歳です。先生のほうが十三歳も年上ですから、「先生が兄さんで、あなたは弟になりますが、どんなことを言っても聞きますか?」「はい、かしこまりました」と、彼は文先生の弟になりました。

 また、金日成主席は先生より七歳半年上だから、兄さんとして約束しました。彼はいつも傲慢な男で、写真を撮るにしても「私が先頭だ」と胸を張って、どんな各国の首脳であっても、手を握って撮ったものはないのです。それで先生は、金日成主席の手を握って写真を撮ったのです。先生のほうが力も強いし、背も高いのです。

 日本でも、お母様が国会で講演をするなどとは、日本人の誰一人も考えたことがないのです。それで、お母様は講演をやりましたか、やりませんでしたか? (なされました)。それが事実です。事実なのですね? (はい)。

 あなたたちは、「ワシントン・タイムズ」の記録映画を見ましたか? 有名な人々が、「ワシントン・タイムズ」がナンバーワンだと唱えているのです。それは、先生が金を上げて言わせたと思いますか、彼らが願って、そういうことを言ったと思いますか? どう思いますか。みんなが、文先生は金持ちだから、金をやって言わせたと言っているのですが、そうではありません。

 ニカラグアなども、もし先生がいなかったなら、めちゃくちゃになっているのです。アメリカの政府は、国会でもって援助を放棄したのです。それは、共産党の宣伝工作やデモ行進によってです。ニカラグアの自由戦士を支援する力がないなど、そんな馬鹿なことはありません。アメリカは自由の世界的な先頭国家であり、その独立のための戦争において、フランスの兵隊が援助したから勝ったのではありません。自由の旗手として、神がアメリカを独立国家として立てたのに、そういう自由が制圧されて、ニカラグアが共産党にやられていくのをそのまま見ているようでは、アメリカの根幹が揺らいでしまうのです。「アメリカの国会が実施しなければ、我々がする!」と、宣言したのが、この文先生です。そして、先頭を切って、一番に援助したのです。

 もしもメキシコが赤化された場合、数千マイルの砂漠の境界線を防備するためには、ベトナムと韓国の兵を撤収して、第七艦隊、太平洋艦隊を回さなければならなくなるのです。そういうことを知っているので、先生は断固としてやってきたのです。また、ニカラグアに先生の銅像を立てるという噂もありますが、そんなことを先生は願いません。先生は、そのようなことをやってきたのです。君たちが夢にも思わないことばかりです。そのような先生に対して、反対し続けてきたというのは無礼千万です。先生に反対してきた者たちに、あすは日本に帰るのだから警告しておきます。「また、帰って反対しますか、反対しないですか?」。反対する者は率直に、先生の前で手を挙げてください。それを決めて帰らないと、話にもなりません。

 文先生は一人で、数千人の日本の男たちを前にして堂々と肚のあることを言って、男らしいですか、女らしいですか? (男らしいです)。男らしい気持ちを持ったその者を、自分の子供に伝統として相続してあげたいと思うならば、文先生の「そんなことはしないですか?」という質問に対して「はい」と言うべきが、男として当然です。それで「さようなら」と言って、どこへでも行っていいことになるのです。しかし「さようなら」と言っても、万歳をしていかなければならないのです。

 さあ、反対する者がいますか、いないですか? (いません)。みんな反対しないのですね? (はい)。反対する者は「反対する」と言ってください。黙っていて、日本に帰って口を横にしたならば、裂いてしまってもいいですか? みんな同窓生として、そんな者がいた場合には放っておかないで、正してやるのが正義を持った男の行くべき道です。後ろのほうの人も分かりましたか? (はい)。

  あなたたちは神様の実体の延長体である

 さあ、いよいよ結論にしましょう。今、何時ですか? 十一時五分だから、十二時までは話を終えないといけないのです。男は、なぜ生まれたのかということが分かりましたね、神様がいるということも分かりましたね? (はい)。一つになれば分からないということを知ったことによって、神様が一番近い所にいたことを知らずにいた自分であったことが分かりましたね? (はい)。だから釈迦牟尼は、「天上天下唯我独尊」と言ったのです。自分の中にすべてがあるというのです。神様が自分の中にいるというのです。先生が「神様! 神様!」と言うと、「なぜそんなに騒ぐのか? あなた自身がよく知っているように、あなたの一番近い所に私はいるではないか」と応えられるのです。

 良心を見ることはできないのです。生命も、愛も、みんな見えないので、「愛もない、生命もない、血統もない、良心もない」と言えば、みんな埃だかりになって、ぶっかけてくることでしょう。しかし見たこともないし、触ったこともないのですが、間違いなくあるということを知っているのです。神様も同じです。自分の一番近い所にいるので、近くて見えないのです。

 あなたたちが子供のころ、鼻をこすって、(先生がしぐさされる)こういうふうにして舐めたことがあるでしょう。しょっぱかったですか、甘かったですか? (笑い)みんながしょっぱいと言うのですから、舐めたのですね。(笑い)しかし、なぜ汚くないかというと、一つになっているからです。自分の唾が、自分の痰が汚いですか? 唾も自分のものは飲み込むのです。もし他人に飲み込ませるとすれば、大変です。(笑い)痰なんかを飲み込ませるのは、死んでもできないことなのです。なぜ自分のものが汚くないかというと、一つになっているからです。心臓の鼓動が聞こえないのも、感じないのも一つになっているからです。

 それはなぜかというと、愛を愛ならしめるため、生命を生命ならしめるため、良心を良心ならしめるため、血統を血統ならしめるためです。もしも、自分が愛を五〇パーセント持っていたとして、相対者の愛が一〇〇パーセントだとすれば、それを差し引いた五〇パーセントの愛の刺激を受けるとき、主体なる人も客体なる人も、みんなめちゃくちゃになるのです。落胆して、「何だ、愛の刺激とはこんなものか」となるからです。

 ですから愛を愛たらしめるために、分からないように零以下の立場に立って、一二〇パーセント以上の愛の刺激を受けることにより細胞が爆発するようになるのです。目が動くようになり、真剣な目になるのです。そういう喜びを欲する作用を愛というのです。五感を一挙に激動させる力を持っているのです。男と女、女と男、神様の世界まで分かりましたね? (はい)。

 このように見た場合に、人間の価値はみんな平等であるということが分かるのです。みんな欲望は平等なのです。もし、アダムの家庭と君たちの家庭が堕落しなかった場合には、その価値からして、同じ価値を持つべきですか、異なる価値を持つべきですか? (同じ価値です)。なぜですか?

 アダムの家庭は人類の祖先として、たった一つの家庭の種なのです。その種を植えることによって、たくさんの家庭が生まれてくるのです。分かりますか? 何十年、何百年たっても、その木が生きていれば、その木によってたくさんの実が生まれてくるのです。一個から、数千万個になっていくのです。数千万個のうちの一個と元のアダム家庭の一個は、価値がイコールです。それを植えれば、間違いなく一つの芽が生えてきて、同じような木になるし、同じような実を結ぶし、同じ価値を持つのです。

 そうなれば、同じ価値だから、アダム・エバが神様の実体であれば、あなたたちは神様の実体の延長体になるのです。同じ価値なのです。アダムの結婚式が神様の結婚式だとすれば、同じ価値を持ったあなたたちの結婚式も、まさしく神様の結婚式にならざるを得ないという結論になるのです。そうでしょう? 気持ちが悪いですか、気持ちがいいですか? (いいです)。悪いと言う者は、口が裂けてしまうのです。一生懸命に、未来の希望の価値観を公認して伝授してあげようというのに、気持ちが悪いと言う者は、口が裂けてしまっても可なりです。悪いこともあるかもしれないのです。いいことばかりではないのです。分かりましたか? (はい)。

 文先生を夜でも、昼でも許容しますか? (はい)。四季を超えて、年を超えて、生涯を超えて許容しますか? (はい)。これが真理であれば、許容しないといけないのです。

 そのように見た場合に、アダム家庭は二人きりだったのです。あなたたちも結婚式は二人きりですか、三人ですか? (二人です)。では永遠に二人きりで、その価値は異なりますか、同じですか? (同じです)。中身が腐って、その皮が崩れている場合には大変なことになります。「この野郎! この馬鹿野郎!」となるのです。価値は、永遠に同じでなければならないのです。

 神様は知恵の王者です。神様は一人の男と一人の女、一夫一婦をつくったのです。ですから、もしつくられたものが、その公式から外れた場合には不合格品になるのです。間違いなく、地獄の納入品になるのです。それを弁明する道はありません。「そうではない」と言う者がいた場合には、今から正してもいいのです。分かりましたか? 何も弁護はないのです。神様を凌駕するような論法はないのです。

 絶対なる知識の王様の神様は、一人の男と一人の女をつくったのであり、絶対なるその愛によって、女と男は一つになるのです。凹凸二つが別々ではなく、絶対に一つ、ぴったりと一体になることによって、ぴったりと合わさることによって、一体という感覚が生まれてくるのです。

 いくら偉そうな顔していても、渋い顔していても、それには異論がないのです。「もし私が、ああいう内容を発見していたら、文先生より以上にやれるのに、文先生は韓国人として生まれたのだから、日本人として生まれた私より悪いではないか」と、同情しなくてもいいのです。日本を頼りにはしていないのです。先生は、もう引っ張りだこです。

 それで仕方なしに、一人の男に絶対二人の女が必要だという結論を出すことができますか、できませんか? できないのです。なぜかというと、神様がいられるので、もしそれをやった場合には地獄のどん底に落とされてしまうのです。いくら威張っても、逆さまになってしまうのです。逆さまに植えられて、生き残る木はないのです。人間がそうなった場合には、ぺちゃんこになり、どうにも仕方のない者になって消えていってしまうのです。

 あなたたちは結婚する時、六千万の一人として結婚しましたね。女も日本人の六千万分の一人として結婚したのですね。それは正しいですか、間違っていますか? (間違っています)。間違っているのです。間違っていると言っているのに、何が正しいですか? 間違っているのです。駄目ですよ。駄目です。人間の欲望は、自分が一番になりたいと言うのです。ですから、結婚するにしても二番になりたいでしょうか、一番になりたいでしょうか? (一番です)。

 それから神様みたいに、一番の思いをしたいですか、ぺちゃんこの思いをしたいですか? (一番の思いです)。神様は結婚する時、最高の頂上で結ぶことを考えるのです。すべて最高なのです。富士山も問題ないし、エベレスト山も問題ないのです。いかなるものであっても最高の立場で、最高の愛を結びたいのです。そう思いますか? (はい)。しかし、それを結んだとしても、そこで住むのではなく、地上に垂直に下ろして、そこに世界を代表した、歴史を代表した中心までもがとどまって住みたいと思うのです。何の話か分かりますか? (はい)。


  真の父母を迎えて血統転換がなされる

 人間の欲望は、誰もがそのように願うのです。最高になりたいのです。結婚も最高に、神様みたいな立場で結婚したいのです。神様みたいに五十億の過去、現在、未来の歴史を代表した中心の家庭として出発したいのです。それをしたくないと言う者は、死んでしまわなければなりません。そのような人は、価値も何もあったものではないのです。

 同じように、結婚は歴史始まって以来、万民すべてを総合した男の代表と女の代表が一つになるという式を挙げなければならないのです。価値からいって同じものであるとすれば、アダム家庭が天下最高の歴史の中心の立場で愛を結んで定着する原則になっていたならば、その子女たる者の結婚は、それ以上の立場を願う人類五十億の代表なのです。霊界と未来全体を代表した人類の祖先と、後孫すべてを合わせた最高の位置に立った男として、最高の女と結婚するという観念を持たなければならないのです。そういうことを考えたことがありますか? 考えたことのない人は、ぺちゃんこです。くだらない一人の女のために生命をかけて死ぬという、そういうようなくだらない者は駄目です。

 今からどんなに遅くなっても、過去の歴史をみんな乗り越えて、本来の徹底した人格としての権威ある男と女の立場をもとがえさなければならないのです。それを失ってしまったのだから、探してこなければならないのです。それが、きょうの話の題目です。

 ですから、そういう権威ある男として決めた一言は、万の金銀よりも重いのです。天下が崩れても、約束をなしていくことによって、男も女も神様の愛する子女になり得るというのです。それを認めますか、認めないですか? (認めます)。これは大変なことだから認めると言う者は、手を挙げてください。(はい)。そのごとくに、今からでも、そういうような思いを持って過去の自分の一身を分析し、批判して悔い改めなければなりません。

 そのような基準に到達しない者は、半品者です。そういう半品者は日本列島を踏みにじってしまうようになるのです。どちらが讒訴するのですか、どちらが訴えるのですか? そういう思いを持つような男になったとすれば、そのような男は滅びると思いますか、神様のほうに近づいていくと思いますか? (神様のほうです)。間違いないですね。分かりましたか? (はい)。

 あさっては、日本に帰るのですか? (はい)。あさってになって帰った時に、日本の男として、一家の主人として、先生の教えとその標準圏に一致するように努力しますか、しませんか? (します)。

 大変な覚悟が必要です。この先生の話は本当でしょうか、でたらめでしょうか? どうですか? (本当です)。そうなれば、心の欲望も大変なことです。「自分の権限は、永遠の愛を保持する男として、堂々たる者として、堂々たる一家、一国、世界を超えて、神様の前に堂々と、神様の願ったとおりの子女の愛の相対圏に立つのであり、天宙解放圏は自分よりなされる」と言っても、恥ずかしくないようになりました。人間として、それ以上の権限を得ることができるとなった場合には、間違いなく行動も問題ありません。分かりましたか? (はい)。

 宗教は何のために生まれたのかと言うとき、「神様はいない」ということは言えないのです。しかし、宗教の教えだけを信じて救援されると思ってはなりません。血統転換をして接ぎ木されないといけないのです。宗教では、それができないのです。真の父母を迎えることによって、血統転換がなされるのです。真の父母と絶対信仰、絶対心情、一体圏を結ぶのです。それは、アダム・エバが堕落で失ってしまったものです。​アダムとエバは子供として、絶対父母として神様に侍らなかったから堕落したのです。真の父母の願い、神様の命令に絶対信仰、絶対心情で一体となっていけば、自動的に神の国に入るようになっていたのです。​

 そうなれば、血統を添えて神の家族に愛される子女として恥ずかしくないのです。堂々と神によって、天国は自分の家族の延長だから、無難に何の妨害もなく入れるようになるというのが理論的な結論です。分かりましたか? (はい)。みんなが「はい」と言う顔を見れば、かわいそうな子供みたいな思いがするのです。真の父母が絶対必要ですか? (必要です)。

 それで、真の父母の前では結婚せずに、サタンの前で結婚して、神様の結婚式をみんな放棄してしまって一家族で反対に回って堕落したのですから、一家族そろって結婚式をして、新たに方向転換して、真の父母、真の縦的お父さんの所に帰る方向に、再び行動しなければ国に帰ることができません。ですから、統一教会では独身生活をしたあとで祝福を受けるというのです。宗教圏の献身した者をすべて解放してあげて、元の原型の家庭理想圏に帰るために、このような転換の作業として結婚をしなければならないという結論になりました。

  重生するための産苦の基準

 今までほかで結婚していた者は手を挙げてください。統一教会で祝福を受けた者は手を挙げてください。大半ですね。みんな統一教会のメンバーですね。でたらめな者はいないのですね。あなたは夫婦喧嘩をするのですか、しないのですか? 「しません」と言う者は、何にもならないのです。大変です。この原則にみんな落第して、梯子から滑り落ちるようになっているのです。大変なことです。警告します。

 今までに、喧嘩をしたとしても、先生は認めません。真の父母が解放してあげますから、今後は絶対に、そんなことがないと決意して、なし得た場合には許されるのです。しかし許されたとしても、再びそういうことになった場合には、それは二倍に倍加して罪が重なり、重罪になって地獄に逆に落ちてしまうのです。恐ろしいことです。

 喧嘩をしますか、しませんか? (しません)。喧嘩をすれば、神様が直ちに風呂敷につつんで離別するのです。平和の王様は神様であり、喧嘩の王様はサタンです。サタンの彷徨する門前に、神様は恥ずかしい姿を見せることはできないので、先に福を下げて後退してしまうのです。自分の一家に永住したい神様の天宙の理想の福を、すべて追い出すような馬鹿者になってはならないということを警告します。分かりましたか? (はい)。喧嘩を絶対しないと決意した者は手を挙げてください。(はい)。

 いろんなことが分かりました。宗教も分かりました。ですから、救援は真の父母と一つになって、血統転換をして、絶対夫婦一体になった家族とならなければ、天国には入れません。天国は一人では入れないのです。今までの人々は、霊界でみんなばらばらに分かれてしまうのです。

 霊界に行って、自分の名前のボタンを押すと、何十年、何百年前の先祖が、みんないっぺんに現れるのです。霊界は、時空を超越するので、何千年前の人でも、一つの圏内に入るのです。すべてが明らかになるのです。それは、恐ろしいことです。

 そのようなコンピュータが、地上に降臨するようになったのです。相対的にコンピュータとして現れるのです。分かりますか? (はい)。スペースシャトルの時代になっていくのです。人工衛星で宇宙旅行をするようになったのは、生きた体で死んだ世界を操作する時代になったということです。分かりますか?  (はい)。霊界すべてが分かるようになるのです。そういう時代が相対的に現れなければ、神様の理想世界を相対の人間世界に生みつけることができないから、一方は滅ぶのです。

 世俗の世界はフリーセックスで、みんな神様の理想とはめちゃくちゃに反対なのです。それが、男同士で結婚するホモセクシアルであり、女同士のレスビアンです。それに麻薬や酒です。酒を飲みますか? 酒の好きな男は手を挙げてみなさい。手を挙げたくても、文先生が恐ろしいので挙げられないのでしょうから、それは勘弁してあげます。酒を好きでない者として認めてあげるのです。しかし、そのように認められた者がまた酒を飲んだら、それは嘘つきだから、倍の罪悪が加わるのです。神様の計算は間違いがないのです。人間の計算には間違いもあるのですが、神様の計算はコンピュータつきなので間違いがないのです。一点一画、容赦がないということです。

 それで、みんな中心性がないのです。この世的に、個人の中心性は何かと言った時、全部が真の自分を失っているからめちゃくちゃです。どこに行くのか分からないのです。家族も分からないし、妻も分からないし、子供も分からないのです。親族も分からないし、日本の国も分からないし、世界も分からないし、天宙自体も分からないのです。神様だけが分かっているのです。神様と文先生しか分からないのです。

 ですから文先生を中心として見た時に、個人の中心性がはっきりしてくるのです。神様を知った基準に相対的な立場だから、家族はこうなるべきだと、はっきりしているのです。氏族はこうならなければならないし、自分のものは家族のものであり、家族のものは氏族のもの、氏族のものは民族のもの、民族のものは国家のもの、国家のものは世界のもの、世界のものは天宙のもの、天宙のものは神様のもの、神様のものは私のものとなるのです。

 しかし共産党のやり方は、「私のものは私のもの。君のものも私のもの」。それでおしまいです。離別以外に何もないのです。これらをみんな包容包括して、一つの理想圏につないで、出発点と終わりを縄で結びつけるチェーンになるのです。神様は、真の父母と一体となった者が、たとえいかなることになったとしても、真の愛で一つになった以上は切ることができません。

 そうなれば、自分に貴重なものが何か、みんな分かりましたね。失ったすべてが分かったのです。では、個人の中心は何によってなされるかというと、家庭の中心は何によってなされるのかというと、国家、世界の中心は何によってなされるかというと、真の父母の真の愛によって、絶対なる神の真の愛、絶対権限の愛と一つになった真の父の愛を中心として心身統一、夫婦統一、子女統一でなされるのです。そういう家族でもって新しく転換していった場合に、その数が増えれば、氏族動員、氏族復帰は当然であり、民族数を増やせば、民族復帰はすぐになります。国家復帰の数を増やして、世界復帰の数を増やせば、天宙になるのです。この数を神様が願っていたのですから、神様に帰るのです。

 神様は愛の根っこなので、愛の穂先と一つになれば、天宙のすべてがその圏内に包容されて、神の所有圏に立つようになるのです。それは神様のものだから愛によって一つになれば、愛の環境の理想郷になるのです。

 そのように展開して、霊界に行けば愛の呼吸をしなければならないのです。霊界は、愛の呼吸で生命を維持する所です。お母さんの胎中にいた時には、水の中なので、口とか、鼻とか、五官は一つも使えないのです。それらは、胎中では必要ないのです。胎中で水が鼻に入った場合には、「うーん」となって、死んでしまうのです。目玉も必要ないし、耳も必要ないし、口も必要ないし、手も必要ないし、五官のすべてが停止して、胎中で呼吸して生きているのです。そのような水の中で必要のないものも、すべて準備されているのですが、それは、第二の世界に対する準備であるということを誰も知らなかったのです。

 それらは、水の中で使うものではないのです。第二世界として生まれた地上において使うものなのです。お母さんの胎中のパイプを切ってしまって、子供が泣き始める時から、転換するのです。ですから、お母さんの産苦は大変なものです。産苦というのは、産まれる時の痛みです。参考書の参考ではないのです。お母さんの産苦は大変なのです。分かりますか? (はい)。

 お母さんの産苦も大変だけれども、その骨盤を開く力はいかに大変なことでしょうか? ですから、真ん丸な頭が夏のかぼちゃみたいに長くなって出てくるのです。それは大変です、もう圧縮されて、骨の根っこまでもが縮まるようにならないと産まれてこれないのです。

 産苦のお母さんも大変だけれど、お母さんの産苦よりも子供が何倍もの苦しみを経ながら生まれてくるということを考えていた女性は一人もいないのです。もしも、それを知っていたとすれば、お母さんの愛情でもって子供を心配する思いで、自分の痛さも忘れて子供を産むような道もなきにしもあるという結論になるのです。それを自分の奥さんに教えてあげなさい。「文先生がこういうことをおっしゃいました」と。みんな、圧縮、圧縮です。縮小、縮小です。最高に縮小して、地上に産まれてくるのです。それ以上に縮小できないほどの極限で産まれてくるのです。理解できますか?

 それで産まれた場合には、今まで圧縮されていたので、「ああ!」と空気を呼吸することによって、新しい世の中が始まるのです。苦痛の絶頂を越えることで解放の生命圏に入るのです。堕落して再び生まれる重生のことを言っているのです。再び生まれるのには、逆のほうに入って生まれなければならないのです。新しい生命をつなぐには、お母さんの産苦を通過する子供より以上に忍んでいかなければならないという基準が分かるようになりました。

 以前の世界では目も鼻も、空気も吸わないで待っていた子供が、目も開くし、鼻も開くし、手が動くようになって、新しい世界の新しい人間として、神様の相対物として生まれてくるのです。しかし、見えない神様の相対には絶対になれないので、どんなことをしても神様の国に帰っていかなければならないのです。神様から出発したのだから、元の種の根源に帰っていかなければならない道が、死して帰る道なのです。それを韓国語では、「帰る」という言葉で語っているのです。お父さんが亡くなったということを、「帰っていきました」と言うのです。

 動物、植物、すべてを見ても、実のないものはないのです。昆虫も飛ばないものはいないのです。三段階生活の幼虫時代、さなぎ時代、成虫時代があるのです。人間も万物の霊長として、三段階の生涯を終えるのですが、それは動物も昆虫もやっていることです。万物の霊長の人間が、三段階理想の生活圏を持てないということは理論的にも通じません。ですから、後世があると言うのです。見えない貴い世界を見える世界につながなければならないということです。

 ですから、霊界に行くということは、霊界は愛の呼吸の世界なので、胎中で地上の空気を吸う準備をするのと同じように、この世界にいても、愛の空気を吸うにふさわしい器官を霊人体において備えなければならないのです。そうするには、天地創造のお父様と同じように投入しては忘れ、投入しては忘れることによって、愛の細胞として愛の世界に同化し、神様の相対物としての細胞に変わっていくようになるのです。

 そのように、愛の要素を重ねて、第二世界の準備をしなければなりません。霊人体の五感を愛の世界にふさわしく、呼吸して活動できるような準備を、この期間に、水中時代に地上生活の準備をしたことと同じように、この地上で天上生活の準備を、自分の内的な完全完成をなして準備しておかなければ、次の世界においては駄目になってしまうのです。目玉が怪我したり、塞がったりして大変です。窒息して大変なことになるのです。

 そのことをよく知っている神様は、そのように環境をもとがえしてあげるために、宗教を通してメシヤを送られるのです。メシヤの最高の理想は、真の父と母を中心として、人類を再び生み直して、本然の世界の霊的基準まで完成させてあげ、絶対解放の王子、王女として、神様と共に生きるようにしたいということです。これが神様の願いなのです。その過程で、その処置の方法として、蕩減の法則という苦しい道をたどってきたのですが、皮を脱がなければ蛇も大きくなれないのと同様に、人類の罪の皮を脱いできたのが宗教の道だったのです。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2022.07.05 23:06:16
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