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2023.09.20
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「九・九節」の御言

1999年9月9日
京畿道九里市水澤洞、中央修練院大講堂
九月九日、十日の両日、「天地父母天宙統一解放式」が行われ、九月九日の「九・九節」を宣布されたときの祈祷とみ言。


 祝祷

 愛するお父様。きょう一九九九日、真のご父母様の七十歳を合わせ、秒を中心として、天地に恨として詰まっていたサタンの完成数である九数圏、天上世界から地上世界に連結され、すべての地上天上天国に連結され、地獄と天国の堕落の因縁によって拘束されているすべてのものはサタンに連結されているということを、原理観は説破いたしました。

 その内容は、腹中時代からふさがり、幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母の時代を経て、祖母時代と女王時代まで、男性世界、女性世界共に血統を中心として連結されるべき一体的理想圏が、サタンによって心と体の中の境界線、腹中時代の境界線、幼児時代、兄弟時代、約婚、結婚、夫婦、父母、祖父母、王圏まで、すべてがふさがれたというこの事実によって、善と悪の闘争歴史として天の側に立った多くのアベル的な兄弟圏が血を流してきました。

 このアベルを中心としてカインを逆に屈伏させ、アベルが天の国の長子権を復帰して、サタン世界の子女たちを次子圏として自然屈伏させなければ、神様の善なる血統が汚されたその血統の因縁を正すことができなかったという恨の歴史であったことを、統一教会の教会員たちははっきりと知っております。

 このような原則を中心とした人類の根本解決の主流の道がどのようになっているのかということを明らかにできるのは、この地上に真の父母が現れたことによるのであり、偽りの父母によって、偽りの父母の霊的な代表であり、神様を代表した偽りのサタンを中心とした血縁的関係を結ぶことによって、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統、サタンの良心圏を中心として、神様とは関係を結ぶことができない恨の歴史の数多くの分かれ道と数多くの峠が残されたという事実を私たちは知っております。

 これを越えなければならないのが救援摂理の目的であり、あなたの創造理想、愛の理想を中心として、主流的、伝統的思想を成立させることができなかった神様の血族のすべての因縁が、宇宙史的な勝利の覇権的愛の主権を中心として地上天上天国完成、自由解放圏を成し遂げようとしたすべての創造理想の目的は、サタンが血統を完全に蹂躙することによって、偽りの神様の位置から偽りの父母と偽りの子女と偽りの氏族、民族、国家、世界の版図が成されました。

 行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることができない混乱の中で、生死の境をさまよう、最後の断末魔的な終末世界は終わりの日を迎えましたので、この偽りの父母によって成されたすべての個人を連結させ、氏族、民族、世界的版図、地上だけではなく天上世界まで、すべての地獄と天上が行き違うようにさせたすべての悪なる父母の血統を根こそぎ引き抜いて整備しなければならない神様の所願の一念が、歴史の峠を越えて、さらに越えながら、恨の恨の恨を抱き、今まで耐えながら悪なる者たちを善なる者たちが自然屈伏させることのできるこのような行路を開拓してきたことが、終局的な路程であるということを私たちは知っております。

 善なるアダムが悪に対して、打つことはできません。善なるアダムは、悪を立てうる立場に立ってはいませんでした。創造理想世界は、愛だけが、愛だけが真なる生命圏を連結させることができるので、永遠の生命、地上天上天国の一体、統一的世界を迎えられるようにしようというのが創造理想であり、これを実践、完成させるべきなのが創造目的であったということを、私たちははっきりと知っております。

 偽りの父母によって、このすべては九数に該当するものであり、一から九までは天が嫌うことによって、神様は、旧約時代に十分の一条圏を中心として、サタン数の九数を清算するための摂理歴史をなしてきたことを私たちは知っております。

 このすべての九数、サタン数の最高の頂上数を個人的に屈伏させ、氏族、民族、国家、世界的に屈伏させるだけでなく、地上世界と天上世界、真の父母を中心として地上世界の整備とともに天上世界の縦的な真の父母であられる神様を中心として一体となり、縦横のサタンが汚した地上地獄と天上地獄、地上のすべてのふさがれた壁を崩すことによって、地上に愛を中心として主流の天上世界の天国まで直行できる道を連結させることのできる真の父母の涙は、立体的なものを経て個人的な時代を過ぎ、家庭、氏族、民族、国家、世界の家庭的限界線をもと返し、神様を中心とした最高の家庭理想を地上に展開することによって天が解放され、神様が自主的にすべての世界を主管することのできる時代が目の前に近づくことによって、天上世界では、「七・八節」を中心として真の父母天宙安息圏を宣布して以来、満四年が過ぎました。

 今から四年を迎え、二○○○年代を中心としてサタン世界のふさがれたすべての九数を完全に清算しなくては、二○○○年代を越えていくことができません。明日、十数を加えることによって、一九九九年が二○○○年を迎えることができる数になることにより、神様がはばかられることなく、堕落のない本然の創造理想的アダム家庭理想の愛を中心として、僕として個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、最後まで帰っていき、地上世界と天上世界に連結することによって、球形的統一世界を復帰しようというその本然のみ旨が、解放とともに万歳を叫びながら天地解放圏を持つことのできる六月十四日を中心として、「天地父母天宙勝利祝賀宣布式」を持った基盤の上で、きょうのこの「真の父母天宙統一解放圏」を宣布することができるようになりました。

 これは、今から南北統一の運勢が訪れるようになったということであり、東西文化の格差、東洋では精神的文化の基準であり、物質文明の西洋文明とは、お互いに闘争的概念があったものが一つにならなければならないということが東西文化の統一であり、南北の貧富の格差を統一することができ、兄弟の愛の、父母を中心とした家庭理想統一的縦横のすべての愛の理想、天国まで解放圏を備え、地上世界の地獄全体、天上世界の地獄全体、地上世界の天国全体に顕現、天上世界全体に顕現することのできる自由解放圏を迎えた最後の決定的な勝利の覇権を天宙に宣布することのできる日を持ちました。

 そのことによって、天上世界の天使はもちろんのこと、霊界に行っているすべての先祖も祝福家庭の恵沢を受けて解放されることによって、サタン世界の根源的な地上の家庭から天上の家庭までふさがれていたすべての壁を崩してしまい、解放、解放を宣布することのできる時代の上にサタン整備、上からサタンの王圏時代のすべてのものを中心として、王圏時代から国家時代に、氏族時代、家庭時代、個人時代の基準が天の圏に変わることによって、今からサタンは、天の全権全能の下に命令を受けなければ、存在状態が許されない世界的版図が復帰されてきました。

 南北統一を迎えるこの運勢の前に、真の父母のみ名を中心として天宙の真の父母のみ名を中心として九数を撤廃し、サタン歴史の根絶を天の世界とともに地の世界全体に及んで適応することのできる天の実権時代を迎えられるということを、この地上に記念的な条件として宣布することによって、サタンは、この境界線を越えて天の側の境界線圏内に入ってくることができません。

 サタンは、サタンとして屈伏することによって、これが国家的基準から氏族的基準、氏族的基準から家庭的基準、家庭的基準から個人的基準、私たちの心と体が闘争する環境までこれを清算し、今から心と体の統一、夫婦の統一、父母と子女の統一、兄弟を中心とした一族、氏族の統一、民族、国家、世界の統一、神様と真の父母が、縦的な父母である神様、横的な父母である真の父母が一つとなり、縦横の基準を中心として一体化させることによって、万国万民を天上世界の子女とこの地上の子女が、子女の立場に立って、縦的、横的、前後関係を中心として、統一的愛の王圏主義を宣布することができるようになったことを感謝いたします。

 サタンは、一から全体が屈伏し、善なる家庭編成を破綻させる役事をした今までの反対のサタン系列のすべては、きょうから神様の命令に従い、家庭完成理念に向かって社会の不信的サタン要素を根絶するときに、反対的な作用として、天の祝福を受けた家庭の天宙解放圏を協助することのできる時代に入るということを、真の父母の勝利の盾の圏を中心として宣言いたします。

 サタンであるルーシェルはすでに屈伏し、その系列的な存在のゲリラ戦争を、世界のすべての末端、暗黒世界まで活動していたものを、神様のみ名によってこれを防御してコントロールすることができる主流思想体系、天宙がここに自然屈伏しなければならないということを宣言いたします。

​ きょう以後からヤハウェのみ名により神様が宣布するこの宣言の前に、「絶対服従」、屈伏することによって、今まで天の百八十度の方向を、百八十度善なる方向に「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の因縁を持つことによって、エデンにおいて悪なる先祖、天使長が「絶対信仰」を持ってアダムを愛し、「絶対愛」、「絶対服従」で天倫の大主体父母、相対父母、天地父母に反対していたことを今、蕩減復帰し、絶対的立場に立って全人類と万物を絶対信奉すると同時に、絶対愛と絶対解放圏によって絶対服従することにより、堕落した天使長まで、地獄まで解放することのできることを真の父母のみ名によってこの「九・九節」を宣布しながら、この内容をはっきりと天宙に宣布いたします。​

 悪なる世界、善なる世界が神様と真の父母と一体化するようにしてくださって、善だけが残り、善だけが動くことのできる、神様の理想地上天上天国天運時代、解放時代を迎えるように許諾してくださることを、今、真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。

 御 言

 金(キム)孝南(ナム)勧士についてですが、金孝南勧士を長老として認定します。祭司長になるのです。そして、興進君は家庭理想です。イエス様は個人救援の聖子の位置に立っていますが、興進君は家庭救援の聖子の位置に立ったことを知らなければなりません。

 それゆえに、天上世界と地上世界の家庭を連結させ、地上で成された家庭を天上世界の先祖の祝福を受けた家庭と一体化させることができるのです。そこで、家庭を中心とした聖子の立場に立ったことを、きょう宣布するのです。

 そして興進君、大母様を中心として先生の直系の父母、忠チュン母様を中心とした父母がいらっしゃり、お兄様がいます。そして忠母様は、アダム家庭における本然の世界のすべてのことを蕩減した理想的立場に立った母の位置であり、その母を中心として一つになった大母様は、イエス時代と霊的世界を中心として父母の立場に立ったのです。

 キリスト教で見れば、アダム家庭で堕落した基準を復帰することのできる父母の立場が忠母様の立場であり、イエス時代の聖霊を中心として、聖子が霊的父母の立場で失敗したことを連結させて、家庭理想拡張運動を今、霊界が行っているのです。それが清平運動なのです。

 それは、イエス時代が霊的父母の基準であるので、霊肉を中心とした基準を充当させる役事をするために祝福を行っているということを知らなければなりません。真のお母様においては、実体世界のすべての血統根絶を中心として、超国家、超民族的な祝福の因縁を中心として、これが連結されれば、地上で個人解放圏が展開されるのです。

 家庭、氏族、民族、国家は霊界で成し遂げられるのではありません。地上の天国の民、天国の民、天国愛、天国愛の主人、天国愛の家庭、天国愛の国、天宙愛の国まで連結させることのできる基盤は地上にあるのです。

 ですから真の父母を中心とした全霊界と肉界が一つになって、統括的な面で総清算を行い、個人的な祝福完成、氏族、民族、国家、世界、すべてがこのように祝福完成し、霊界と肉界において祝福家庭一体化活動が展開することによって、堕落していないアダムを中心として天国理念を成し遂げた基盤が、全歴史開闢以来初めて、すべての家庭を中心として独立的価値の位置を成立させるようになるのです。

 そのことによって、地上天国顕現と天上天国顕現において中心的な神様が臨在されるようになります。神様は縦的な父母であり、地上の真の父母は、世界を平準化するのです。そうして、「家庭を地上で平準化できるのは横的父母である」としたのが、「天地父母天宙安息圏宣布」である「七・八節」なのです。そうして七数と八数を中心として、新しい時代の完成を中心とした出発に連結され、九数はサタン世界によってふさがれているので、「九・九節」を中心として完全にこれを越えなければなりません。

 ですから、キリスト教で研究しているのは十一条です。神様は、堕落した世界をすべて失ってしまわれ、神様には一つしか残されませんでした。そこで、「十」という数字において、十数の基台を越えていかなければなりません。ですから皆さん、考えてみれば、賭博場では九数が一番の「王」です。最も良い数字だというのです。賭博というものは「破壊」です。家庭破綻、社会破綻です。それは、九数を絶対視しているのです。

 しかし、そうではありません。堕落することによって、サタンの全権が「一」から「九」まで、すべてサタン圏に持って行ったのです。復帰歴史において、神様が「十分の一条」という一条圏を残して、その一条圏を中心として悪の歴史、つまり一つの個人アベル、一つの家庭アベルを中心として、世界版図カイン、世界版図家庭、世界版図氏族、世界版図民族、世界版図国家を清算しようとしたので、キリスト教文化圏を中心として世界化運動をしてきたのです。
           
 第二次大戦後、一九四五年を中心として、そのとき、キリスト教というものはカインとアベルに分かれていました。旧教と新教が怨讐になっていたのです。その旧教と新教が統一されなかったことによって、ここに何が出てきたのかというと、無神論と有神論の闘争が出てくるのです。宗教圏の統一が成し遂げられれば、世界が統一されるのですが、これが崩れてしまうことによって、サタン世界の全権を中心として共産主義が世界を覆ってしまいました。

 そのような世界を収拾するために現れたのが統一教会です。それゆえに統一教会は、五色人種が集まって兄弟の愛を立てなければなりません。アダム家庭において兄弟圏が崩れてしまったので、兄弟の友愛を立てなければならず、兄弟の友愛が崩れることによってサタン世界の血統を中心とした結婚が展開されたので、これとは反対に神様を中心として、真の父母は絶対的な兄弟の基準で、絶対的な神側に属した愛を中心として、生命と血統の因縁をつづらなければなりません。そのような超民族、超人種的な祝福を行うのが、統一教会の世界祝福化なのです。それは国際結婚です。

 国際結婚をすることによって、今までどれほど反対されたでしょうか?。個人的な世界の反対、家庭的な世界の反対、氏族的な世界の反対、民族的な世界の反対、すべての国家、主義、主張、宗教、全体が一つになって反対しました。

 「統一教会は、人類が歴史的に残してきた伝統的家庭を破綻させ、父子の因縁を壊してしまい、夫婦の因縁を壊してしまい、兄弟の因縁を壊してしまい、国家の因縁、世界の主義、思想をすべて壊してしまう」と言って反対したのです。しかし、そのようなものは壊してしまわなければなりません。そして、個人的なレベルにおける心と体が闘う闘争を停止させなければなりません。

 人間の心と体が闘っているのです。いくら優れた人であっても、心と体が闘っているのです。闘う版図には、神様は介在されることができません。ですから、心と体を統一しなければなりません。それでは、何をもって統一するのですか?。お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。そのようなものを第一としていけば、崩れていくのです。終わりの日は、そのようになっているのです。

 米国が、いくらお金を誇り、いくら権力を誇り、いくら知識を誇ったとしても、それをもってしては統一できません。心と体の戦争を統一させることはできません。何をもってすればできるのですか?。真の愛だけができるのです。そのことを知らなければなりません。それは、どのような愛ですか?。真の愛とは何ですか?。「ために生きる愛」です。自分を投入して忘れてしまう愛です。このことを知らなければなりません。

 霊界の善は何かというと、自分を投入して忘れ、また投入しようというのです。真の愛は、十回どころではなく、百回、千回繰り返したとしても、そこに倍の愛を加えながらも、「もっと投入したい」という心が連結するところにおいてのみ、真の愛の伝統を繁殖させることができるのです。そうして植えつけることができ、残ることができるということを、皆さんは知らなければなりません。

 それゆえに、わたしたち統一教会は、「家庭のために個人を投入しなさい、犠牲にしなさい」というのです。家庭は氏族のために、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙のために投入し、そうして天宙、大宇宙が堕落して汚されたことを清掃するために、神様までも今まで、大宇宙を再創造する役事のためにご自身を投入していらっしゃるという事実を知らなければなりません。

 それゆえに、霊界へは、自分のために生きた人は行くことができません。悪なる人とは何ですか?。そのような人は、一から世界まで自分を中心として一元化させようとするのです。それが独裁者です。悪党です。そのような人は、地獄に直行だというのです。

 しかし、その反対に統一教会は、個人から全体のために犠牲になるのです。個人は家庭のために生き、家庭は氏族のために生き、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、そして天宙は神様のために生きます。それでは神様はだれのために生きるのでしょうか?。「私」のために生きるのです。ですから、投入するということは、神様を「私」の代身として消化するためだというのです。

 真の愛を中心として、神様の全権的な愛を占領し、神様の創造理想の所有権を自由自在に相続することができ、同参権限を持つことができることを良心世界は願うのです。
 それでは、最高の願いとは何でしょうか?。神様が人格的創造理想の核として、心の中に存在せしめた愛のすべてを占領するということが、人間の願いなのです。それが人間の良心の願いだというのです。

 人間の良心の願いは何ですか? 「今まで、達成した人はいない」と言われていましたが、統一教会は、「人間の願いは良心を中心として必ず達成しなければならない」という定義を立てて、それが可能であるか、不可能であるかということを、実践路程の教訓を通して踏み越えていかなければなりません。
          
 「私」の心と体の統一は、だれもこれを壊すことはできません。心と体を中心として、心と体が完全に統一された男性、統一された女性が決意した愛を、だれも壊すことはできないというのです。そのような父母によって、真の愛で一つになった父母の前にいる息子、娘の因縁は、壊すことはできません。そのような家庭は壊すことができません。

 それゆえに、絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛で編入するのです。神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠であるので、そのような人間を中心として、「絶対愛」の主体にならなければならず、「唯一の愛」の主体にならなければならず、「不変、永遠の愛」の主体にならなければなりません。それが、創造主であられる神様の代身者なのです。

 そのような本性的な神様の属性に一致することのできる本然的愛の定義に一体となった存在は、神様の代身です。神様ご自身がそのような立場であられるので、創造するとき、その相対をつくることにおいては、このような本性自体とともに、そこに創造性を投入して加えるのです。絶対の創造性、唯一の創造性、不変の創造性、永遠の創造性です。

 愛を中心とした、このような絶対の創造性を投入したのです。創造するためには、何を残さなければならないのかというと、主体性がなければなりません。それは「私」だというのです。「私に似なさい」ということです。

 皆さんは、個性真理体なので、すべての人は自分を中心として、「投入して残す」ことができなければなりません。その残すものは、家庭に残さなければならず、血統に残さなければならず、愛に残さなければならず、良心に残さなければならないという責任があるのです。神様がそのようになさったので、神様の代身として、それをしなければならないのです。分かりますか? (「はい」)それで今回、先生がベルベディアを出発しながら、前回の聖日の内容を明確にしてあげるのです。

 神様に似るという内的な面では、「絶対愛」を中心として、その愛が「絶対愛」であると同時に、唯一、不変、永遠な愛であるので、その愛を通して神様と永遠に同居同楽することができ、同参することができ、相続することができるというのです。

 神様の愛の対象なので、絶対的神様の愛が私の愛であるならば、絶対的神様の対象になるのです。そのような内的な基準を、神様の属性を中心として創造世界に拡張するためには、創造性という属性がなければなりません。そして創造した創造物は、必ず主体と対象関係になっていなければなりません。
         
 ですから、清平という所は長子圏なのですが、どのような長子圏なのかというと、天上世界にも神様が創造されていない別の先祖が入っていって、留まっているのです。これをどのようにして解決するのでしょうか?。このようになったものは、神様がつくられた創造理想世界では、解決方法がありません。

 偽りの父母によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でつづられたこの先祖たちは、霊界に行って相対になっているのではなく、すべて別れているのです。それは、天使長の後孫だからです。十人の家族がいれば、十人が別れ別れになっているのです。ですから、イエス様も独身です。すべての聖賢賢哲たちが、それぞれ独りで暮らしているのです。

 人間は、独りで暮らすために男性と女性が生まれたのではありません。永遠に一緒に暮らすために生まれたのです。それでは、なぜ別れたのでしょうか?。堕落したので、そのような別の世界が生じたのです。これが地上で生じたので、地上で解決しなければなりません。

 なぜ、地上で生じたのでしょうか?。偽りの父母を中心とした偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統で生まれたので、別の部隊です。それは、天使長の体に連結されており、アダムの体に連結されているのです。ですから、これはアダムの身内も断ち切ってしまうことができず、天使世界も断ち切ってしまうことができないのです。このことゆえに、天上世界と地上世界がふさがってしまったのです。

 アダムの体を中心として、サタンの活動舞台になっているのです。これを埋めてしまうまでは、サタンの活動舞台を除去させることはできません。そこから、地上天上天国を解放しなければならない、という問題が生じるのです。

 そして、皆さんが知らなければならないことは、神様とサタンが闘っている戦争をだれが止めるのか、ということです。そのことを歴史的に考えてみた人はいません。神様が止められるのであれば、アダム以降、二千年もたたずに即刻に止めることができるのです。

 また、サタンが止めることはできません。サタンは、これを止めれば自分が永遠に追放されてしまうので、サタン血統の拡大を永遠に固守しながら、善なる基準であるアベル的基準をいつも破壊させるための全面的な行動をしてきました。そこにおいては、政治、経済、文化、すべての面を中心として糾合し、生命まですべて蹂躙するということをしてきたのです。まったく、あきれ果ててしまうようなことをしてきたのだということを知らなければなりません。

 神様とサタンの戦争をだれが止めるのですか?。その根がどこから始まったのですか?。偽りの父母であるサタンが出発することによって出発したので、偽りの父母のすべての血統条件を抜くことができ、これを清算することのできる主人である、完成したアダム、勝利的アダムが現れなければなりません。

 そして、「おまえ、このサタンはこのような者ではないのか?。おまえは、神様の本来の所有権を奪った泥棒ではないのか?」と言って、歴史をすべてくまなく証明することによって、「そのとおりです。そのとおりです」と証させるのです。そうして、その判決が出た後に、「神様、このようなことはすべて追放しなければなりません」と、検事の位置で神様に通告するのです。弁護士はいません。そのようにして、地獄の底に投げ入れるのです。そのような歴史的な天運が動くという事実を知らないのです。歴史がどこに行くのか知らないでいるのです。


 文総裁は、世界的な版図を築きました。米国は、天使長国家であり、韓国はアダム国家です。父と息子が一つにならなければなりません。分かりますか?。今まで復帰歴史は、母子協助をしてきましたが、今からは母子協助時代が過ぎていかなければなりません。

 今まで蕩減歴史においては母子、母と息子、娘が犠牲になって復帰してきましたが、このすべてのものが「九・九節」を宣布して南北を統一することのできる運勢に入っていき、そして統一される日には、父子協助時代に入っていくのです。母親はいなくてもよいのです。

 母親は、いくらでも捜し立てることができます。アダムが堕落していなければ、エバはいくらでもつくることができたのです。​ですから、日本が今まで責任を果たせなかったので、これを韓国に接ぎ木してきたのです。ですから、日本だけが母になることができるのです。​
       
 他の人には分からない考えをしながら、韓国の未来の統一の理想世界と天上天国をどのように連結させるのかと考え、導いてきた文総裁です。その問題を、だれが知っているのですか。牧師が知っていますか、長老が知っていますか、だれが知っていますか?。宗教圏の人々は知りません。数多くの宗教は知りません。それを真の父母だけが知っているのです。

 無知から堕落しました。堕落した父母は、無知の愛で堕落しました。これが偽りの愛であり、偽りの生命、偽りの血統を残したのです。このことを、真の父母は完全に知っているのです。また、神様はどのようなかたであられ、歴史はどのように流れてきて、民族的な帰結はどのようになり、分裂した心をどのように統一させるのかということも完全に知っており、個人統一、家庭統一、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、自らの手で解放しようとするのです。

 偽りの父母が、神様をとらわれの身として閉じ込めておいたので、真の父母は、解放的主人として神様を解放するのです。サタンの王圏を片付けてしまい、サタンの長子権、父母権、王圏を片付けて、神様を天上世界に案内し、先生が築いておいた基台に入って家庭統治、氏族統治、民族統治、国家統治、世界統治まで完結させるべき責任があるのです。それで今まで、やってきているのです。

 今、すべての人が困っている問題が何かというと、「青少年問題」と「家庭に対する責任を持つことができない」ということです。世界のいかなる宗教人、いかなる為政者、いかなる主権者、いかなる富豪、いかなる権力者や王であっても、青少年の淪落と家庭破綻に責任を持つことはできないのです。

 完成したアダム、このかたがメスを持って手術することによってのみ、神様とサタンの戦争を終結させることができ、地上の良心部隊を中心として、今まで数千万年の間、闘ってきたことを終結させることができるのです。

 この闘いには、今まで休戦も停戦もありませんでした。そのことを文総裁が現れて教えてあげることによって、理論的にそれを遂行することのできる、公式的な試験過程を通して間違いのない経験者たちをつくるのです。そのようなことをしているので、そこから統一が可能なのです。

 統一教会の教会員として、心身が統一されていない人は天国に行くことができません。これは偽物です。国が成立すれば、再び家庭を中心とした七年路程があるということを知らなければなりません。このような無慈悲な過程を経ていかなければなりません。

 世界の統一が難しいですか、霊界の統一が難しいですか?。きょうは、「天地父母天宙……」何ですか? (「統一解放式です」)。天地父母天宙統一が簡単ですか?。天宙というものは、空の「天」という字に家をあらわす「宙」です。それは、天の家のことをいうのです。それを知らなければなりません。地上天国も天上天国も合わせて「天宙天国」というのです。天宙の家のことをいうのです。

 本来、堕落していなかったならば、アダム、エバは家庭的に天国に入っていくようになっていたのであって、どこかで一人で暮らすようにはなっていません。しかし、各民族、各部族の歴史において、それら数多くの民族、氏族、血族が、三百六十度位置がすべて違っているものが、どのようにして天国に入っていくのでしょうか?。そのために、すべて門を開いておいたというのです。

 海になるためには、天から水の滴が落ちて、支流を経て大きな川を通って海に出ていきます。ところが、今からは大きい川が反対に流れるのです。分かりますか?反対に流れ、海水は無限にあるのですが、それが逆に流れていくのです。山奥の深い谷まで、愛の波、真の波、正義の波、理想天国のユートピアの波が流れ込んでいき、三度だけ出たり入ったりすれば、自然に浄化されるのです。

 三年路程さえ経ていけば、地上天国は目の前に現れるというのです。このような国家観を持つべき大運勢転換期にいるということを知らなければなりません。このことを韓国でだれが知っていますか?。牧師が知っていますか、主権者が知っていますか、統治者が知っていますか?。ただ真の父母だけが知っているのです。(「アーメン」)。(拍手)
           
 真の父母はだれにとって必要なのかというと、個人が絶対に必要なのです。心と体の闘いを停止させることのできる教えは真の父母にしかないので、真の父母は数多くの人類、個々人が絶対に必要とするのですか、しないのですか? (「必要です」)。本当ですか? (「はい」)

 それでは、真の父母は、絶対的にだれのものですか?。真の父母はだれのものですか? (「「私」のものです」)。(拍手)「「私」のものである」と言うことのできる立場に立った男性と女性は、真の父母の血族を受け継いだ息子、娘です。(「アーメン」)。そこには、サタンの血統は一つもありません。一つもないというのです。分かりますか?

 真の父母は絶対的にだれのものですか。(「「私」のものです」)。「真の父母は絶対に「私」のものだ」と言う人は、個人絶対完成者です。(「アーメン」)。真の父母を「絶対に私のものだ」と思う女性は、絶対女性完成者です。そして絶対女性完成者、絶対男性完成者は、何のためにそのように完成を願うのかというのです。

 真の父母とは何ですか?。真の父母は絶対に「私」のものです。(「アーメン」)。横の人が「わたしのものだ」と言ったら、どのようにしますか?。けんかをしますか?。きょうも四千人、五千人が集まったのですが、この人たちが全員「わたしのものだ」と言ったら、どのようにしますか?

 真の父母は二つですか、一つですか?。五千人近くの人がけんかをすれば、三千人が圧死する事件が起きるのです。それならば後退しますか、後退しませんか? (「しません」)。それは絶対的に「私」のものなので、絶対的に闘争しなければならない、というのです。

 真の父母はだれのものですか? (「「私のもの」です」)。真の父母はだれのものですか? (「「私のもの」です」)。それでは、目のことを考えてみるとき、自分の目はだれの目にならなければならないのですか?。それは「私」のものなので、真のご父母様の目にならなければなりません。(笑い)

 それでは、鼻はどうですか? (「真のご父母様の鼻です」)。真のご父母様の鼻です。口はどうですか? (「真のご父母様の口です」)。耳はどうですか? (「耳も同様です」)。手はどうですか? (「手も同様です」)。行動も同様です。一つにならなければなりません。それが真理です。

 創造性、主体性、関係性、統一性が起きるのです。真の愛だけが絶対、唯一、不変、永遠なのです。愛は、「絶対愛」を願いますか、それとも絶対ではなく「相対愛」を願いますか? (「「絶対愛」です」)。変化する愛を願いますか?。変わらない愛を願うでしょう? (「はい」)

 それも一日だけ変わらないのではなく、永遠に変わってはなりません。それがダイヤモンドや金や宝石の価値です。色の輝きにおいて黄金は永遠に変わらず、ダイヤモンドは硬さにおいて変わりません。真珠は、その化合の色彩が永遠に変わらないので、だれでもそれを愛して投入するのです。真の父母はだれのものですか? (「「私」のものです」)。いつからですか?。今から、きょうから歴史を変えるのです。
       
 統一教会は、結婚の相手は自分の民族や自分の親族とはできないので、神様は「韓民族は、自分の宗族(氏族)と結婚してはならない」と言われたのです。それはよかったですか、間違っていますか? (「よかったです」)。「結婚してはならない」ということは、「少しでも、近い人と結婚してはいけない」ということです。

 文氏なら文氏同士で、近い人と結婚してはいけないというのです。三代を中心として、親戚、姻戚、一族で結婚してはいけないというのです。このような話になるのです。分かりますか?

 親族なので、姻戚や婿も親族になるでしょう。親族といえば、母方の親族も入ります。ですから、姻戚の八親等までも結婚してはいけないというのです。それで問題になるのです。先生が「結婚してはいけない」と言えば、してはなりません。神様は、そのような親族を捜し求められるのです。

 それは何かというと、「怨讐を愛することのできる群れになりなさい」ということです。「親族の近い人同士で結婚してはならない」と言ったのですが、それでは、どのように結婚するのでしょうか?。その究極の結論は何かというと、「怨讐と結婚しなければならない」ということです。

 「怨讐を親族の愛以上の愛をもって愛する日には、地上、天上天国が生じる」と考えているのです。簡単でしょう?。それは正しいと思いますか、正しくないと思いますか?
 それで日本人と韓国人を先生が交差結婚させたのです。そこから「交差結婚」という言葉が出てくるのです。

 「交差結婚」という言葉を聞いたことがある人は手を挙げてください。日本のメンバーは韓国語が分かりませんが、交差結婚という言葉を聞いたことのある人は手を挙げてください。韓国人も挙げてください。

 交差結婚するということは、どういうことですか?。韓国は、日本と怨讐です。日本人と韓国人は歴史的に怨讐ですが、その怨讐同士が統一教会で結婚して、どのようになっているでしょうか?。百パーセント離婚ですか、幸せに暮らしていますか? (「幸せに暮らしています」)
         
 さあ、真の父母はだれが絶対に必要とするのですか? (「「私」です」)。真の父母は「私」のものです。「私」のものですが、その「私」のものと取り替えるものは何ですか?。真の父母を「私」のものにするためには、「私」の貴重なもの、より貴重なもの、全体の貴重なもの、それを与えてでも取り替えることができなければならない、という論理が成立するのです。

 真の父母は国家の代表であり、世界、天宙の代表であるので、何を与えて「私」のものにしなければならないのですか?。それをただ、ただ、泥棒のように奪ってきました。あなたたちは泥棒の群れですか?。本物の群れですか?。

 日本の女性たち。あなたたちの一族を売り、一国を売り、過去、現在の先祖をすべて売ったとしても、一等である真の父母を買う日には、その売られていったすべてのものが喜び、売られたすべてのものは、「私」の真の父母の代身、国の真の父母、先祖の真の父母、全体の真の父母になるのです。(「アーメン」)。アーメンですか、何ですか? (「アーメン」)

 こちらに座っている人たちは、何の話か分からないのですか?。なぜ、黙っているのですか? (笑い)なぜ、このようになったのでしょうか?。日本人と韓国人とは顔が同じで、瞳も、鼻も同じように生まれたのに、なぜ、言葉が通じないのですか? (笑い)おかしいのです。

 顔や目や鼻はすべて色が同じで、だれが日本人なのか、韓国人なのか、昼に研究し、夜には夢の中で研究しても分からず、体の色もすべて同じで、顔も同じで、食べる物も同じなのですから、言葉も同じで生活も同じでなければならないはずなのに、なぜ、言葉が通じないのですか?。それは、だれがそうしたのですか?。だれがそのようにしたのでしょうか?。

 それは、反対の愛の環境で始まったのです。これを統一しなければなりません。反対する者同士で愛を混ぜなければ、統一の理想は根本的に、理論的に解決する起点がないという結論が出てくるのです。そうですか、そうではないですか?

 それで、日本人と韓国人は怨讐なのですが、その日本人と韓国人を交差結婚させたのです。それは、よかったですか、間違っていましたか?。そして「交差結婚した、その次の日からふろしきを包んで、日本から韓国に行って暮らし、思いどおりに破綻した家庭をつくって暮らしなさい」と言いましたか、「永遠の家庭をつくって暮らしなさい」と言いましたか? (「永遠の家庭です」)
          
 二世の時代が来ました。それが三世になり、十代になれば、どのようになると思いますか?。十代になれば、どうなりますか?。交差結婚をして三代だけを考えても、その半分以上が韓国化します。三代だけでもです。そうでしょう?。恐ろしいのです。十代もかかりません。

 そうして、七代までで氏族、民族になるのです。七代にさえなれば、完全にその国はカバーされてしまうのです。それを、何をもってそのようにするのでしょうか?。男性と女性の愛ですか?。何ですか? (「愛です」)。愛がどこにありますか?

 「真の父母は「私」のもの」です。手を挙げてください。(「アーメン」)。真の父母を「私」のものにするためには、この地球星を売ったとしても、それを買わなければなりませんか、そうではないですか? (「買わなければなりません」)。地球星でも足りません。地球星と霊界と肉界を売ったとしても、買うことはできません。それができるのならば、すでに神様がなさっていたのです。

 神様とサタンの闘いをだれが止めるのですか?。神様が止めることができるのならば、その翌日には止めています。宇宙を創造したかたにできないことがあるでしょうか?。それは、人間の責任分担なのです。

 人間には、責任分担があるでしょう?。人間が罪を犯したので、息子(人間)が罪を犯したことを、父母(神様)が責任を取ることはできません。王が責任を取ることはできないのです。

 ですから、「息子が出てきて根を抜いてしまってこそ、家庭の父親も母親も国の王も解放される」という理知に従うのです。偽りの父、偽りの愛、偽りの血統を中心として堕落した世の中になったので、真の父が出てきて真の愛、真の生命、真の血統を中心として突き立て、永遠不変の理想的体にならなければなりません。

 「「私」は家庭の代表であり、家庭は氏族の代表であり、氏族は民族の代表であり、民族は国家の代表であり、国家は世界の代表であり、天宙の代表、神様の代表である」ということのできる、理論的な系列がぴたっと展開されなければなりません。

 思想という言葉を知っているでしょう? 「思想」の「思」という字は、「田」の下に「心」です。「田」は世界を表し、十字架を表します。そして十字架は統一を表すのです。主体統一、相対統一、父子統一、夫婦統一。

 神様は、子女までの三代を持つことができませんでした。神様が一代であられるならば、アダム、エバは二代です。縦的、横的、左右関係を持つことができませんでした。「左右」の結婚もできなかったのです。息子、娘を生むことができませんでした。三代がなかったので堕落したのです。わたしたち統一教会は、三代を経るために三大祝福をしなければなりません。

 今では、二世祝福はすべてしたでしょう?。三世の祝福をする日が来るまで、いくらもありません。三世がもう十五歳になっています。十六歳になった者もいるのです。それは三代です。三代を祝福するときは、皆さんがすべて真の父母の代身となり、世界のすべての所有権基準が真の父母の公認の所有権基盤になって、国と世界の基盤が築かれていなければなりません。

 そこでは、自分の一族の基盤と一家の基盤と、一個人である夫婦自体の基盤の所有権をどのように伝授して付着させるのかということが、歴史的、宿命的課題であるということを知らなければなりません。このようなとてつもない課題が残っているのにもかかわらず、何ですか、自分一人だけ「信じて天国に行こう」というのですか?

 今までの宗教では、「一人で天国に行く」というのですが、それは、知らなかったのです。それは天使長の親族です。今では、主権者が祝福を受ければ、その国がすべて祝福を受けることができるような時代になりました。人口二億四千万の米国が、大統領が閣僚会議で決定して祝福を受ければ、一日に天国の民族になることができるのです。恐ろしい時が来たのです。分かりますか?。そのような時代が目の前に来たのです。

 国連が「真の父母の日」を中心として、「真の子女、真の夫婦の日」さえ形成すれば、世界の六十億人類を一日で祝福することができるのです。できますか、できませんか? (「できます」)。それは何のことですか?。「サタン血統根絶」なのです。
           
 きょう、特別に決心しなければならないことは、「真の父母は、絶対的に「私」のものである」ということです。唯一的に「私」のものです。不変的に「私」のものです。永遠的に「私」のものです。何を中心としてですか?。真の愛を中心としてです。

 見てください。愛の神様が中心にならなければならないでしょうか、神様の愛が中心にならなければならないでしょうか?。愛の神様が主体にならなければならないでしょうか、神様の愛が主体にならなければならないでしょうか? (「愛です」)。そのことをはっきりと知らなければなりません。

 神様はなぜ生まれたのかというとき、それは「愛のために生まれた」というのです。愛の神様になられるのです。そして神様の愛になるのです。それゆえに、「神様は愛のために生まれた」という論理を知らなければなりません。

 キリスト教思想では、「愛は思いどおりにすることができる」というのです。愛は思いどおりにすることができますか?。ここですべて話をするので、よく聞いてください。
愛の神様は何ですか?。愛の神様は、愛のために生まれたのです。愛のために生まれた神様は、愛のために生きるのです。分かりますか?。神様ご自身のために生きるのではありません。愛のために生きるのです。

そしてすべての万物も愛のために生まれたので、愛の世界には「自分のために生きる」という概念はないのです。アーメン。天地の理知がそうです。女性が、なぜ生まれたのかと聞かれて、「女性は自分のために生まれたのでしょう」と言えば、恥をかくのです。女性がなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのです。愛には、必ず主体・対象の関係が鉄則になっています。

 それゆえに、愛のために生まれたこの世界を見れば、鉱物世界もすべてプラス、マイナスがあるのです。植物世界も雄しべ、雌しべがあります。動物世界も雄、雌、人間世界も男性・女性、天の本性も性相、形状として雄(陽性)、雌(陰性)の概念があるのです。

 それは、なぜ、そのようになっているのでしょうか?。愛のために生きるためなのです。女性はなぜ、生まれたのですか?。男性はなぜ、生まれたのでしょうか?。「私」は、ただ生きるために生まれたのではありません。この宇宙とともに神様の本性、つまり根本と結果のすべてのものを保管した家庭で、そのような価値的存在として生きるために生まれたのです。

 ですから、神様にも「この老人。愛のために生まれたのではないか?」と言って、降伏させなければなりません。そのような意味で、先生は素晴らしい先生なのです。度胸も大変なものでしょう?。聖人と殺人魔とを一緒に祝福してあげたのです。昔、祝福を受けた人は、十年間精誠を尽くしたのに……。そうではないですか?。

 女性は、なぜ生まれたのですか? (「愛のためです」)。神様は、なぜいらっしゃるのですか? (「愛のためです」)。愛のためなのです。そして神様が、ご自身の愛の対象としてつくられたのが人間なのです。

 神様は愛のためにいらっしゃり、人間のためにいらっしゃるのです。愛のためにいらっしゃるのならば、愛を復帰しなければなりません。それをどこから復帰しなければなりませんか?。愛することによって復帰するのです。それが理論的なのです。
           
 それでは、堕落とは何ですか?。女性の願いは何ですか?。八段階を経ていかなければなりません。考えてみてください。私がこのようにして、あなたたちが行く道をすべて築いてこそ、先生の行く道が築かれるのです。父母が行く道は、子女たちが行く道です。

 そうして、堕落した世界の国を復帰することができ、家庭を復帰することができ、自分の行く道、天上世界の天国に直行することのできる道理をすべてつくったのですが、それをつくってこそ、父母が前面に立つのではないでしょうか?

 天国に入っていく道は、反対になっているでしょう?。真のご父母様に従って入っていかなければなりません。それを「嫌だ」と言ってはなりません。霊界に行った聖人、義人たちは、先祖の一つの位置を占有できればよいと、千秋万代、数千年を待ってきたのです。それは六千年間ではありません。それ以上待ってきたというのです。

 さあ、皆さんは何段階の願いを持って生まれたのかというのです。女性が胎中から生まれたとき、何から始まったのですか?。父親と母親の愛の精気がみなぎらなければならないでしょう?。男性と女性の春にならなければなりません。春に花が咲くのでしょう?。同じことです。

 そうして春を迎えて初めて、父と母がお互いに好むようにならなければなりません。それはだれも離すことはできません。そこに絶対的に離すことのできない愛の精気がみなぎらなければなりません。

 愛には、生命以上の力があります。愛のために生き、愛のために死ぬのです。死も、愛の前には問題になりません。本来は、今日の堕落した世界の生命問題や家庭問題、それをすべて火で燃やして祭物としてささげなければ、天の国に行くことができないのです。

 先生もそうです。祝福家庭をつくることがどれほど大変だったでしょうか?。最近では、道ばたを歩いていても祝福を受け、トイレでも祝福してあげるということを聞きました。わたしが今から教えてあげる伝統は、そうではありません。法で治めるのです。天の国の憲法ができ、法ができるのです。ここに引っかかれば、即刻処罰します。問題が起きるのです。

 それでは、女性が生まれるとき、どこから生まれるのでしょうか?。父母の愛から生命、血統が混ざっていなければなりません。愛が芽生えて、女性の生命が男性の生命に帰っていくことによって、混ざっていく所において、そこに種が生まれ、渦巻きとなり、渦巻きが生じる力が注がれて、あなたたちの生命が生まれたのです。

 それゆえに、父母の愛の骨です。分かりますか?。父母の愛の骨です。そのようには考えないでしょう?。父母の愛に同参するにおいて、主人はだれなのかというと、母親でもなく、父親でもなく、自分が主人だというのです。

 ですから、父母は息子、娘のために生命まで投入しなければなりません。そうして何もなくなってこそ、そこにいらっしゃる神様は下に降りていかれるというのです。最後までなくなり、見えない神様の側に、あの夜の世界に帰っていくのです。

 それゆえに、「私」という存在は、父母の愛の生命と血統の同参者であるという、そのような自覚を持たなければなりません。それでは、この二つを分けることができますか?。父と母は分けることはできず、父と母と「私」自身を分けることができないという宿命的な一体なのです。

 李相軒氏が霊界に行くと、父と母と自分が神様のように見えると言わなかったですか?。じっとのぞき込んでみれば、三人だというのです。これと同じことです。分かりますか?「私」という存在は何ですか?。父母の愛の結実体であり、生命の結実体であり、血統の結実体なので、父母よりも多くの知恵を持っているのです。

 それゆえに、真の愛の願いは何かというと、「自分よりも優れていることを願う」ということです。それで、父母は息子、娘が自分よりも優れていることを願うのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。それは、「永遠にそうです」と言うべきです。

 父は、自分の愛する妻が永遠に優れていることを願うのです。そうですか、そうではないですか?。母は、自分が愛する者が自分よりも優れていることを願うのです。そうですか、そうではないですか?。分かりますか?。兄弟同士でも、兄は弟が、自分よりも優れていることを願うのです。弟も兄が優れていることを願うのです。そうでしょう?。

 一家を中心として、親族よりも優れていることを願うのです。そうでしょう?。すべての世の中において、最も貴いものは、「私」を中心として連結するためのものなのですが、連結するにおいて、どのような内容がなければならないのかというと、上下関係、父子関係、左右関係、夫婦関係、前後関係、兄弟関係ができてこそ、立体形成が展開されるのです。

 ですから、父母も「絶対父母」が必要です。そうですか、そうではないですか?。神様の属性は絶対、唯一、不変、永遠であり、絶対愛、唯一愛、不変の愛、永遠の愛なので、その生命圏では神様と一緒に同居同楽することができ、神様のように相続権を持つことができるというのです。ですから、夫のものはわたしのものであり、わたしのものは夫のものであり、息子のものは母のものであり、母のものはわたしのものなのです。

 そして、わたしのものは家庭のものであり、家庭は氏族のものであり、氏族は民族のものであり、民族は国家のものであり、国家は世界のものであり、世界は天地のものであり、天地のものは神様のものであり、神様のものは「私」のものになるのです。

 このように、すべてを連結させる統一的実体になったので、神様の後にくるものは、すべてわたしのものとし、小さいもので出発して大きいもので受けるのです。最も小さいところからではなく、大きいところから出発するのです。戻ってくる愛の力は、もっと大きいのです。真の愛というものが戻ってくるとき、小さくなるという法はありません。

 皆さん、食口たちの中で、クリスマスや誕生日を祝賀するときに、本当に愛する友人が百ドルのプレゼントを贈り、そのプレゼントは精誠を尽くして贈ったということを知ったとき、その友人の誕生日に九十ドルの贈り物を贈りたいですか、何百倍のものを贈りたいですか? (「何百倍のものです」)

 それが愛の心です。ために生きる愛です。ために生きる愛の世界だけがそうなのです。相手に対して「ために生きろ」という愛は、奪い取るものです。それを知らなければなりません。ために生きようとする愛においてのみ、「真」が連結されるのです。

 そして、真の父母は何かというと、息子が百人いれば百人全体のために生きるのです。一万人いれば一万人の人を、地獄にいる者から天上にいる者、良い者、悪い者を平準化させ、父母が喜ぶと同時にすべての者が永遠に喜ぶことができ、すべてが両手を挙げて万歳をすることのできる環境的与件に責任を持つのです。そのような天地父母にならなければなりません。

 そのようなみ旨を知った文総裁は、一生の間、休んで過ごした日がありません。それは、つらいことです。そして、どこかに行って、貧しく暮らす人がいれば、「十年、二十年後に、わたしは訪ねてくるつもりだ。来ることができなければ、わたしの愛する息子、娘、弟子、統一教会の食口が来てこのようなことをするだろう。間違いなくするだろう」と言いながら、歩んでいるのです。

 あなたたちは、「その代を受け継いで、そのようなことをする」と考える人になっていますか、なっていませんか?。「わたしは、すでにそのようなことをすることを決心しました」という人は、力いっぱい手を挙げてください。本当ですか? (「はい」)

 わたしが今まで、どれほどだまされたのか知らないのですか?。むしずが走ります。それを信じなければなりませんか、信じてはなりませんか? (「信じなければなりません」)。信じなければならないのですか?。それでは、両手を地につけてください。間違いなくそうしますか?

 そのようにすれば、間違いなく息子、娘になるでしょう。一度、力いっぱい地から神様の宝座まですべてを飛ばしてしまうことができる立場で「さあ、わたしは、そのような息子、娘になります」と言ってください。さあ、そのような父母の愛、父母の生命、父母の血統を受けてどこに行くのですか?。あなたたちが生まれた生命体はどこに行くのですか?。
          
 人類は、失敗したアダムの代を受け継いだ後孫なのですが、完成したアダムならば、人類はすべて息子、娘ですか、何ですか? (「息子・娘です」)。そうです。今まで共同墓地に行った先祖まで息子なのです。ですから、「わたしの言うことを聞きなさい」と言えば、聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか?。聞かなければなりません。そのような特権があるのです。三時代の父母だというのです。それは、驚くべきことです。

 先生に知恵があって捜し出したのではありません。求めて、求めて、捜し求めたので、教えるのです。それゆえに、皆さんの心も、それを肯定したとしても寂しくないのです。しかし、少しでも違えば、不安になるのです。

 三時代の先祖だということを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。三時代を経ていかなければなりません。旧約時代は何ですか?。長子権復帰を今までしてきました。父母になろうとすれば、カインとアベルが一つになった基盤の上で種をまかなければなりません。そうではないですか?。そこにユダヤ民族、選民の中で長子が誕生しませんでした。

 この二つを一つにし、神様が独り子を立てることのできる長子の権限として、イエス・キリストを立てたのです。イエス様は独り子です。それは驚くべきことです。イエス様がメシヤの候補の名詞を持つことのできる堂々とした価値を備えていたということを、今日の宗教人たちは知らずにいます。

 メシヤが現れるために、どこに旅行をしましたか?。母親のどこに行きましたか?。どのような宮を訪ねていくのですか?。それは子宮です。女性たちは皆、子宮を持っていますか、持っていませんか?。子宮に神様のきれいな息子、娘を妊娠したいですか、汚れたサタンの血が混ざった、ぼんくらのような血が混ざった息子、娘を持ちたいですか?。尋ねる必要もないというのです。

 ですから、子宮が泣いたというのです。誤って、ありとあらゆることが起こったのです。それが嫌なので、小さくなっていったのです。小さくなって生まれたので、生まれた姿も子宮の形態によって、あらゆる姿の人がすべて出てきて、この世の中、理想世界を破綻させ、愛を混乱させる地獄になるように役事してきたということを知らなければなりません。堕落の血統なのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)

 さあ、それでは今から考えてみましょう。あなたたちはだれであっても、母親の子宮にくっついて母親の血肉を吸い取って大きくなったでしょう。そうではないという人は、手を挙げてください。それは泥棒です。「そうではない」と言う人は泥棒であり、「そうだ」という人が正常な人であるということを知らなければなりません。母親の血肉が必要であり、母親の骨肉が必要であり、母親の愛が必要であり、生命が必要なのです。分かりますか? (「はい」)

 自分のゆえにではなく、母親の愛のゆえに、母親の生命のゆえに、母親の血統のゆえに「私」が生まれたということは否定できません。生まれるときには、女性として、あるいは男性として生まれるのですが、女性自体が女性のゆえに生まれた、という女性はいません。そのようになれば、永遠に自滅するのです。女性が、だれのために生まれたのかというと、男性のためにです。これを知りませんでした。出発の起源を不明確に考えていたのです。

 女性は何のために生まれたのですか? (「男性のためにです」)。男性のためにです。一時代ですか、永遠の時代ですか? (「永遠の時代です」)。永遠の時代です。神様の娘の愛は、絶対、唯一、不変、永遠の愛であるので、その愛を中心として、その対象的価値は絶対価値であり、絶対的な相対であるということを知らなければなりません。変わることはできないというのです。それゆえに、女性の前に男性は、絶対真理の愛の相対なのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」)
         
 女性たちは、愛を尋ね求めていかなければなりません。愛の家に入っていき、愛の息子、娘を生んでみなければならないでしょう?。愛の息子、娘を生んで、愛の母親になってみて、愛のおばあさんになってみて、愛の女王になってみなければならないで
 女性が生まれた目的は、どこにあるのかというと、腹中時代から一人で生まれましたが、男性の王になることのできる人を相対として願って生まれたのです。「私」の夫は、腹中時代から男性の腹中時代の王なのです。

 そして家庭に入れば、赤ん坊が育って、赤ん坊時代からその次は兄弟時代です。男性と女性が行く道は違うでしょう?。兄弟時代に別れて、青少年になれば約婚時代、結婚時代、母親時代、おばあさん時代を経て、王の位置に行かなければなりません。八段階を行かなければならないのです。その道を前にして、約束して生まれているという事実を知っている人はいません。ですから、自分のために生きてはなりません。

 神様は、どのようなおかたですか?。主人になりたいと思っていらっしゃるおかたです。それは何の主人ですか?。愛の主人です。あなたたちも愛の主人になりたいですか? (「はい」)。父親としての主人、夫としての主人、妻としての主人、家庭としての主人になりたいのです。愛を中心とした主人の決定は、自分一人では永遠になされません。このことを知らなければなりません。今日まで、それを知りませんでした。

 夫がいくら優れているとしても、自分一人ではできません。妻がいなければ、女性の愛が分かりません。女性の愛に対することのできる主人の資格は、自分の妻が成し遂げてくれたということを知らずにいます。

 妻も、いくら自分が美人で、それを誇ったとしても、男性を愛して男性を慕うことのできる愛の主人になることができたのは、男性の愛を目覚めさせてくれた、最初に結婚した夫ゆえに主人にしてもらったのです。相対が自分の主人の資格を決定してくれるということを知らずにいるのです。それは深刻な話です。

 そして神様は、腹中の赤ん坊時代の愛の主人になるために、それから大きくなり幼児時代の愛の主人になるために、兄弟時代の愛の主人になるために、約婚時代、デート時代を経て(お互いに)慕うのです。すぐには結婚しません。デートをする約婚時代、結婚時代を経て父母時代に発展していくのです。父母時代を経て祖母時代を経て、女王の位置に入っていくのです。女王の位置です。そうして天上世界の神様の夫人まで行かなければなりません。

 腹中時代は、そのような遠大な希望を抱いて、水の中から調和の運動が展開し、水を中心として生きる時です。それから地上に出てきて、陸地のすべての要素を取り込んで生きるのです。それゆえに、水は腹中時代の母親です。水を通して生きるのです。栄養素が水なのです。そしてこの地上に生まれ、地球星のすべての栄養素は愛のエキスです。

 神様が人間を創造されたとき、肉をすべて構成することのできる要素が地上にあるのですが、それを吸収して人間は生きるので、地球星が母親ということになるのです。それを知らなかったという話です。


 蘇生の母、長成の母、それから完成の母がいます。霊界に入っていき、神様の愛を中心として幼児時代から三時代の主人の資格を成すために「私」は生まれたというのです。このような膨大で、とてつもない価値的存在として生まれたという事実を、宇宙の前に感謝しなければなりません。

 水を見て感謝し、地球星を眺めて感謝し、天上、天の世界を見て感謝し、「私」を抱いて、抱いて、愛して、愛して、永遠に愛して、終わりなく「私」はその愛を受け、その地球星の愛を天上世界に返し、神様の愛を結実させるのです。そして再び、種のように、アダム、エバのように循環運動を永遠にすることによって、この地上の一家庭が氏族を成し、民族を成し、国家を成して、天の国の民族、地上、天上天国が完結するのです。アーメン。(「アーメン」)
           
 それゆえに、生まれたのは、地上、天上天国、神様の愛の実体圏を所有するために生まれたという事実を知らなければなりません。ですから、自分を主張してはなりません。女性が自己主張をして独身生活をしてみてください。そうすれば滅びるのです。そのような「敗亡主義者」たちが多いのです。

 そうして、サタンが最後の日に、神様が最も好まれるものを全面的に破綻させるために、後に愛の理想宮となるものを完全に泥棒の巣窟にしてしまうのです。フリーセックス、ホモ、レズビアンですか?。親族相姦関係。完全に破綻させました。このように破綻したものを、神様はご存じなので、これを収拾することのできる大王陛下であるメシヤを送られるのです。

 文総裁は何かというと、天下の家庭の王なのです。文総裁は、世界の八億双の未婚男女を祝福することのできる天の国と地上の国の家庭の王位なのです。そのようなことを言ったとしても、だれも反対する人はいません。

 家庭の王になれば、氏族の王の編成は問題ありません。自動的に行われるのです。一時に合わせてしまうのです。何千年間、アダム家庭として繁殖し、数千万年の間、人類は発展してきたのですが、一時代にまとめて行い、一代に合わせるのです。

 一代で未完成だったがゆえに、このようになったので、完成したアダムは一代ですべてのことを成し遂げ、天国化、地上天国、万世天国を宣布することのできる資格者になってこそ、神様まで解放されるのです。何のことか理解できますか?。夢のような話ですが、そのようなことを行っているのです。あらゆる面で魅力があるのです。

 女性たちが、先生を自分たちの思いどおりにすることはできません。先生が女性に引かれていくことはありません。そのようにすごい人なのです。すべての女性は、堕落したエバと称するので妹です。妹である以前に、腹中時代の相対的要求を充満させることのできる神様代身の愛を持って愛するのです。

 腹中時代から幼児時代、兄弟時代です。兄弟の主人、神様は、その主人になることができませんでした。神様は、腹中時代の主人、この地上に生まれてからは兄弟時代の主人、それから約婚時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人、祖父時代の主人、王宮時代の主人になることができませんでした。

 そのように失ってしまったものを復帰するために、このように数千万年かかったのです。これを復帰しなければなりません。このような理論的な基準があるので、それが可能なのです。

 「真の父母天宙統一解放」です。それがどういうことか分かりますか?。一般の世の中の人にそれを理解させようとすれば、三時間は話さなければなりません。それでもついてくるのは大変なことです。

 しかし、統一教会人たちは、すべて分かって、そのうえで踊りを踊るのです。踊るのには、三年、十年待たなければなりません。無知からは、完成がありません。理想がありません。今日、現在の科学文明は、理論に通じるものはすべて創造することができるのです。

 皆さんは、どこに留まるのですか?。腹中時代に赤ん坊の長子として、父母として、王として留まるのですか?。赤ん坊が父母になるために、長子になるために、真の父母になるために、王になるために育っているのです。そうではないですか?

 それは、どのような時代にですか?。母親のひざの上で、兄弟時代にそのようにするのですか?。デートするときにそのようにするのですか?。結婚生活するときにするのですか?。父母になってするのですか?。父母の上に祖父、祖母にならなければならないでしょう? (「はい、そうです」)。なるようになっているではないですか?。そのように上がっていくではないですか?

 それでは、祖父、祖母の上は何ですか?。王、女王にならなければならないでしょう?。何を中心としてですか?。国を中心としてです。王です。子女が一つになるのは、父母の位置を復帰するためであり、父母が一つになるのは、王の位置を復帰するためであり、王の位置で一つになるのは、神様に侍るためなのです。そのような観念ができていないではないですか?

 このような八段階の希望を抱いて、腹中時代に君臨した神様の娘であり、息子であったという事実を知らなければなりません。人類の長子権を相続することのできる独り子、独り娘であったということを知らなければならないというのです。

 人類の歴代先祖をつくり、国をつくることのできる先祖着地の起源をつくるための王の位置であったということを知らなければなりません。そのようなとてつもない内容であるということを知らなければならないのです。

 それゆえに、夫も一番を願い、父母も一番を願うのです。すべての人がそのように考えるでしょう。父母も「一番ならよい、王になればよい」と考えるのです。祖父から歴代の王孫ならよいと考えるというのです。夫が王であり、女性は女王ならばよいと考え、息子、娘もそうであればよいと考え、三代が王になることを願うというのです。三代が王圏です。分かりますか?

 腹中から生まれるとき、八段階の位置まで千辛万苦ではなく、順理的な法度で自然的にそのような位置に行くことのできる福のある天の王子、王女として生まれなければならないのですが、堕落によって完全になくなってしまいました。父母もいなくなり、真の愛がなくなり、真の血統も、真の生命も、真の良心もなくなったので、これを再編成するためのものが再創造歴史なのです。分かりますか?。再創造歴史は、投入しなければなりません。

 それゆえに統一教会は、象徴献祭三年半、伝道三年半という七年間の公生涯路程を行かなければなりません。七年路程を中心として、蘇生、長成、完成、国家、世界のキリスト教文化圏が反対する中を、先生は世界基盤を中心として七年間の受難の道を行ったのです。外国で監獄生活をしなければなりません。そしてそこから出てきて蕩減し、勝利の立て札を掲げたので、韓国に帰ってきてこのような祈祷もすることができるのです。

 「錦衣還郷(=故郷に錦を飾ること)」でしょう。錦国還郷したのです。錦天地を持って還郷しなければなりません。しかし、堕落によって、それが分からないのです。衣を着て、お金をもうけて還郷するのではありません。国を復帰して還郷しなければならず、世界を復帰して還郷しなければなりません。

 神様の故郷に入っていくとき、天宙を復帰して還郷をしなければ、神様の尊前に行って、万国を治める神様の前に敬礼をささげることができ、王圏を相続できる息子、娘にはなることができないというのです。それが永遠なる神様の​「独り子権」、「独り娘権」​であるということを知らなければなりません。

 それは、千万代、何億万代の独り子権です。「七代の独り子(七代にわたって嫡子が独り子)」が死んだとしても、国がその悲しみに同情するのに、何億万代の独り子、独り娘がいっぺんに死んでしまったのです。

​ その独り子、独り娘を復活させるための役事が、考えだけでできますか?。何ですか、信じれば天国に行けるというのですか?。自分の思ったとおりにするのですか?。自分の考えはああでこうで、自分の知っている知識で「ああだ、こうだ」と考えています。霊界を知っていますか?。知らないでしょう。そのようなものは、すべて片付けてしまいなさいというのです。そのようなものでは、天の国を相続することはできません。分かりますか?​

 生まれて、八段階の相対的理想圏を平穏化させなければなりません。そうしなければ、主体的神様に侍ることはできません。先生は、個人的カイン、アベルを中心として世界的迫害を受け、家庭的カイン、アベルで世界の超民族的迫害を受け、民族的カイン、アベル平準化、国家的カイン、アベル平準化、世界的カイン、アベル平準化を成したのです。

 こうして真の父母のみ名によって、すべての世界的家庭を祝福してあげ、天の国に方向転換してサタン世界と永遠に離別することのできる本郷に向かい、自分が暮らしていた故郷を訪ね求めて行くのです。

 エジプトの地を出発して四百三十年目、韓国の地を四千三百年目、天国は四万三千年目に還故郷が終わらなければなりません。「四万三千」という数字は、だれも計算しないではないですか。だれも最後に丸(ゼロ)をつけることができません。わたしが丸をつけなければなりません。

 それで「一九九九年」には、九数がいくつ重なるというのですか? (「九つです」)。九つですが、一つだけ加えればこれが二千年になるのです。ゼロが九つなら、億になりますか。九つなら十億になります。その数字(「一九九九」)に一つ足せば二千年なので、二十億になるというのです。「二十億が統一教会の祝福圏になる」と、このように考えるのです。二十億になれば、世の中の万事が終わったということです。そうではないですか?。

 「先生から祝福を受けた人、手を挙げなさい」と、インターネットを通して話し、Eメールを通して話し、ファックスを通して話し、そして放送すれば、全世界の統一教会の教会人が手を挙げるでしょうか、挙げないでしょうか? 「真の愛の演説をする」と言えば、夜中であれ昼間であれ、参席するでしょうか、しないでしょうか?

 このような素晴らしい話をする人に、初めて会ったでしょう? (「はい」)。世の中、天地にそのような素晴らしい話をする人に初めて会ったでしょう?。素晴らしいことは素晴らしいのですが、内容はどれほど簡単ですか?。簡単ですか、難しいですか?。素晴らしい話をするのですが、内容はそれほど簡単ではないので、それで素晴らしいというのです。それを知らなければなりません。

 統一というものは、指導を受けるものでありません。「率いる」という意味の「統」の字です。主体性を備えているのです。神様には、創造の主体性があります。主体性には、管理主管圏がなければなりません。ですから関係世界です。それから統一世界です。統一は一つになるためです。

 五官がすべて統一されていますか、されていませんか?。何によって統一されるのですか。見ることによって統一されるのならば、四つ(四官)が不平を言うのです。愛のために、すべてが焦点を合わせるのです。では、最初に何を合わせるのですか?。目を合わせるというでしょう。あなたたちは、目を合わせてみましたか?。愛する人と目を合わせて合図をしてみましたか?。韓国語で目を合わせて合図するというでしょう?

 八段階の理想を持って赤ん坊を抱く母親が、母親の役割を果たさなければなりません。「おまえは大きくなって、その道を行くことができなければならない。神様が保護してくださり、わたしの息子・娘がその道を行かなければなりません」と言い、十か月間、ひざまずいて良い瞑想をし、良い景色に、良い聖人たちの教えを教え、「孝子になり、忠臣になり、聖人になり、聖子にならなければならない」と言わなければなりません。

 孝子も、家庭的孝子です。家庭的孝子にならなければなりません。祝福家庭に神様が願うことは、家庭的孝子です。家庭的忠臣を願い、聖人は家庭的聖人を願い、聖子は家庭的聖子を願っているということを知りませんでした。
           
 この父母は、今から真の父母にならなければなりません。真の父母の息子・娘が真の父母となり、真の祖母となり、真の祖父となり、真の王・王妃にならなければならない位置まで残っているのです。

 そして、神様の八段階圏内に立って相続することができなければなりません。「あなたは、わたしが腹中時代から育った歴史的なすべての内容を完成させたのである」と言うとき、刺激的な衝撃を受けることができるのです。

 返ってくる善なる愛は、必ずもっと与えたくなるのです。百を受ければ、百十、百二十を与えたいというのです。それゆえに、神様の愛をわたしが百受ければ、百二十、何倍にして返してさしあげようという心を持っているので、休む暇がありません。

 先生の前に負債を負いましたか、負っていませんか?。真の父母の前に負債を負いましたか、負っていませんか?。負債を負っていないという人は、手を挙げてください。負債を負ったという人は手を挙げてください。

 負債をどのくらい負ったのかというのです。未完成、腹中から女王まで八段階の完成のすべての道を、すべてめちゃくちゃにした堕落の後孫です。その道を開拓することがどれほど大変でしょうか?

 開拓の道を築き、高速道路をつくっておいたことも良いことですが、そこに車までつくっておいたのです。運転は、自分が学ばなければならず、走るガソリンは自分が供給しなければなりません。それもせずに座って天国に行こうという空想家は妄想家です。妄想家です。妄想家は、亡びなければなりません。

 あなたたちは、どれほど負債をたくさん負ったでしょうか?。骨髄が溶けだし、肉が崩れ、すべての精神が散らばるその位置で、耐えて完成の道まで千辛万苦の波瀾万丈の生涯を経て開拓してきた路程を、遊んで食べながら行くのですか?。この者たち。

 先生が六千年、四千年の歴史を四十年に短縮したのであれば、あなたたちは四年以上でもしなければなりません。八年以上でも蕩減することができるように合わせていかなければ、この道を行くことができないということを知らなければなりません。蕩減復帰です。

 蕩減は、悪なるサタン世界と百八十度、反対の姿を描いていかなければなりません。分かりますか?。蕩減がなければ復帰ができません。穴に落ちたならば、上がっていくことのできる階段をつくるか、梯子をつくるか、紐をつくるかして、それに乗って上がっていかなければなりません。そうでなければ、復帰できません。

 救援摂理は、神様がごらんになれば本郷に転換するためのものですが、人間から見れば復帰摂理です。神様の側からは救援摂理であり、人間の側からは蕩減復帰摂理であることを知らなければなりません。分かりますか?。蕩減復帰で何をしたのですか?。

 二世たちは今から、責任遂行の実績が必要な時が来たので、何かを残さなければなりません。分かりますか? (「はい」)。生まれたのは、理想的な王と王妃の位置を描いて生まれたのです。

 王の中の王が自分の息子・娘を、男性(息子)は右側に、女性(娘)は左側に抱いて自分と同じ価値の相対者をおくとき、そこで苦労したその価値の愛の実が、自分よりももっと精誠を尽くし、その忠誠の結実の刺激が、自分が苦労したすべてのものを完全になくしてしまったとしても、もっと衝撃的であり喜びを感じることのできる基盤において、神様は与える心が生じるということを知らなければなりません。回るときは、大きくならなければなりません。一点から出発して大きくなっていかなければなりません。

 家庭的聖子が見るとき、個人を中心として孝行できる道理を教えたので、最後の国家時代を越えてサタン世界を乗り越えることのできる解怨圏内に突入できる道を教えることができるということは驚くべきことであり、ありがたいことだということを知らなければなりません。

 そこに行くときは、避難袋を持っていてはなりません。すべて清算して行かなければなりません。黄金のような変わらない、神様が喜ばれる要素だけふろしきに包んで、国境をさっと越えて行かなければなりません。

 それが、あの南米ジャルジンにある「世界平和理想家庭教育本部」であるということを知らなければなりません。韓国から出発して、最後に入っていかなければなりません。そこに行って天上世界の家庭と地上世界の家庭が、地上地獄と天上地獄の人々の家庭をすべて再祝福し、地上が右側、天上が左側であり、皆さんの先祖たちが天使世界となり、皆さんは完成した家庭、一族を代表し、その二つが天上世界に集って垂直に立つのです。垂直には、反対がありません。蘇生、長成、完成、自動的に天国に直行することができるのです。

 祝福を受けた家庭として、その修練会に行っていない家庭は手を挙げてください。「世界平和理想家庭教育本部」に、夫婦で息子・娘を連れて四位基台家庭教育を中心として行かなかった人は手を挙げてください。手を挙げてください。なぜ、行かなかったのですか?。何をしようとしているのですか?。

 イスラエル民族において、何日までに出国しなさいという命令をしたとき、通告したのにそのとおりにしない人はひっかかるのです。いつ、どのような命令が出るのか知っ
ているのですか?。いつ、統一がなされるのか知っていますか?。何のことか、分かりますか?。大移動です。それゆえに、修練に行かない人は、荷物をまとめていつでも行くことができなければなりません。

 神様がアブラハムに命令するとき、「カルデヤのウルを出なさい」と言うときは、大移動なのです。ノアのおじいさんのときには、船をつくりなさいという逆説的な論理を
立てて、アララテ山に船をつくりました。狂った人でしょう?。神様は精神病者でしょう、そのような神様がどこにいますか?

 ノアのおじいさんは、千辛万苦も恐れない王子となり、神様のみ旨の中で祭壇を築いて祭祀をきちんと行いました。その後、神様はアブラハムに「あなたの息子、百歳で生んだイサクを祭物としてささげなさい」と言われたのです。本当に、そのように狂った神様がどこにいますか?

 モーセを見てください。まさに王宮で王子になるはずなのに、愛国心を持ってイスラエル人を殺しましたか、エジプト人を殺しましたか? (「エジプト人です」)。ミデヤン荒野で四十年、羊飼いの生活をしながら、イスラエルの国のためにその生涯を準備してきたのです。その四十年の苦労をしながら出てきたのです。家を捨てなければなりません。

 洗礼ヨハネはどうでしょうか?。家で暮らして駱駝の毛でつくった着物と皮をまとって歩き回るのが聖子ですか?。そのときに、はだしで歩いたでしょうか?。靴があったでしょうか。そのとき、わらじを編んで履いていたでしょうか。そこは、はだしがそれ相応の格式なのです。そこは寒くもないのです。全員、はだしで暮らしているのです。はだしで、夏でも駱駝の毛を着て皮をまとっているので「あなたがメシヤですか?」と人々が尋ねたのです。

 その洗礼ヨハネの父と母は「やあ 神様が愛する聖子の後継者だ、福を受けるだろう」と言ったでしょうか、胸を打ち、「わたしの息子は、なぜこのようになったのだろうか?」と言ったでしょうか。すべて、理解できないところからの出発なのです。

 文総裁を見てください。文総裁は、幸せに暮らしていますか、困難な暮らしをしていますか。文総裁についてきた人たちの夫が「監獄に入れろ」と訴え、あらゆることをしたのです。わたしは、悪いことはしていないのです。女性たちがわたしを悪くしたのです。

 何かしないことがあったでしょうか。この女性たち。なぜ、笑うのですか。先生は、そのようにいいかげんに暮らした人ではありません。そうでしょう。いいかげんに暮らしません。原則を中心として、そのとおりに暮らすのです。そのようにわたしたちは暮らしているでしょう。神様を抜かして、真のご父母様を抜かして、何をするのですか。
         
 国連が国をつくらなければなりません。それゆえに、宗教国連、女性国連、青年国連、学生国連、五大国連を一つにして、国の形態を備えなければなりません。そのようになれば、米国も百八十五か国の一国家になるのです。米国の思いどおりにはできないというのです。

 そして、上院・下院制度を教育して準備し、超宗教、超国家、超大学院をつくって大学総長や言論界の長たちを教育することができるようになるのです。「国際訓読セミナー」で教育するのです。二度、三度すれば、国家メシヤを中心として百八十五か国で訓読会を国家的次元で行わなければなりません。しなければならないようになっているのです。そのようにすれば、統一天下が成るでしょうか、成らないでしょうか。

 八段階の所願成就の一日のために、ために生きる道を外れては絶対に完成できる日、解放できる日はないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのような意味で、個人的時代から、赤ん坊の時代からそのようなことをしたという条件をどのようにして立てるのかということが問題なのです。

 家庭的基準でそのような基準をどのように立て、氏族的基準、民族、国家、世界、天宙の基準でどのように立てるのかというのです。そのような八段階の理想完成体として、赤ん坊からすべての段階を神様が祝福して抱くことをためらわず、「そうだ。わたしの愛する息子であり、娘だ。永遠不滅の万代の独り子、独り娘」と神様に讃美を受けることのできる息子・娘にならなければならないということを知らなければなりません。そうしてこそ、そこで相続がなされるのです。教会の中で祝福を受けて、何がどうでこうで……。

 そのような危険性があるので、教会祝福、それから何ですか。祝福は、三段階の祝福だと言ったでしょう。国の祝福です。南北が統一される日には、統一教会、そして全世界の万民を呼んで、再び祝福してあげなければなりません。そして、そのとき、一族が訓練所に行かなければなりません。百八十人ずつ、全体が一つになっていかなければなりません。あの村この村を立ててはなりません。

 それで、四十か国が、一か所に集まったとしても、谷間が多く高く深い山脈の境界線を涙で埋めることを願うというのが天の兄弟の因縁だったのです。これを埋めて余りある愛の涙に濡れていなければならず、愛の祭物が生きていなければならないということを知らなければなりません。
           
 総生畜献納祭です。神様は無念であられるというのです。自分の天地の所有物を、祭壇の上でサタン側の所有と神側の所有に分配する立場は、どれほど無念ですか。蕩減復帰です。万物を犠牲にして息子・娘が行くべき道を準備したにもかかわらず、イスラエル民族に息子を送り、氏族、民族、国家形態を備えることのできる基盤を準備したにもかかわらず、そこで一つになることができずに基盤を失うようになったとき、息子の位置を相続する祭壇であるイスラエル選民圏が、すべて一度に崩れていくのです。

 ですから、キリスト教文化圏を中心として新しく出発するのです。その文化圏は、イスラエルのような国がありません。霊的基盤だけ成功したので、キリスト教はどこに行っても国のない民族的基準に立ち、血を流して蕩減しなければならない無念な歴史時代を残したという事実を知らなければなりません。

 至る所で血を流したのです。二千年歴史のキリスト教に、血を流していない所がないということを知らなければなりません。そしてイエス様が十字架、左翼と右翼、右側の強盗と左側の強盗が生じたのです。イエス様から統一的な天下の世界に拡張しようとしたことが崩れてしまったので、右側の強盗、左側の強盗を中心として分かれたのです。楽園に入っていたのは、右側の強盗しかいなかったというのです。十二弟子ではありません。無念な歴史を持ったということを知らなければなりません。

 初めの者は後になり、後の者は初めになるという悲運の歴史に、伝統的、模型的、歴史過程が残っていることを知らずに、いいかげんなやり方をして、それでも統一教会の食口だと考えれば亡びるのです。亡びるというのです。

 公式的なフォーム(様式)を持って、家庭のカードを出しなさいといえば、家庭のカードを出さなければならず、民族のカード、国家のカード、世界のカード、天の国の王子なら王子のカード、地上世界のすべての国法と王国法、天上世界の国法と王国法、あなたの王宮法をすべてパスすることのできる自然的勝利が決定しなければ、神様の直系皇族圏に入っていくことができないということを知らなければなりません。妄想ではありません。

 実相的な運動を展開している文総裁なのです。その実相的基盤は、だれも崩すことはできません。国も崩すことができません。反対していた国も、キリスト教を中心とした八代までの大統領が、なぜそのように悲惨になったのかというのです。

 天的な主人になることのできる文総裁を追い出してしまったのです。一番最初に言論界が、統一教会は何だかんだと言いながら、主権を通してしっかりと握ってコーナーに追い込んだのです。統一教会の原理を見てみると、これが恐ろしいのです。一度聞けば、キリスト教が根本的に崩れていくということを知って、防御しようとしたのです。

 共産主義の理論体制、旧約、新約、政治的主流関係があり、思想的体系における歴史の天運の道理に背くことができないように、すべてのことを包括していくことのできる主流思想があるということを知るとき、これは恐ろしいことなのです。それで、キリスト教を中心として四十年、五十年反対していたボスも、千人以上の教員たちを指導していた人も、白人を連れて五百人、七百人、千人あるいは何百人以上を集めて二泊三日すれば、祝福を受けると手を挙げさせることのできる教化力を持った武器の倉庫を破綻させた国が大韓民国です。うそではありません。今回もそうではないですか。
           
 さあ、「九・九節」に返りましょう。このように為に生きることのできる、大王陛下の直系の息子・娘にならなければなりません。千代万代の独り子です。万代の独り子になってこそ、神様の王子・王女になることのできる特権があるのです。

 ですから、先生を通して特権を付与されたなら、万代の独り子の長子権を付与されるのです。分かりますか。万代の独り子、神様が喜ぶ家庭を伝授するのです。万代億万代の王圏、王の権限を相続することのできる道を伝授してくれるのです。そのように信じますか、分かりますか。分かりますか、信じますか。信じることができなければ、今まで信じて冷遇されさんざん恥をかいたのですから、これだけは信じてみなさいというのです。分かりますか。最も貴いものなのです。これしかありません。

 きょうも、「家庭盟誓」を一度さっと見てください。すべて教えてあげました。「家庭盟誓」は、愛国者、聖子の位置で唱えなければなりません。そのような位置で唱えなければならないというのです。それは間違いなく神様が愛される「家庭盟誓」なのです。

 のらりくらり暮らして、酒場で遊び、中華料理屋でおなかが破裂するほど食べているので、それが分かりません。死の境地で、神様の愛を中心とした家庭がどれほどすばらしく輝くものなのかという事実を知るようになるのです。そこに主体性を備えて、世界の前にわたしが号令することが、波紋のように広がって天宙を包み、天の国に壁があれば、そこに行って再び帰ってきて、天上世界、宇宙にぎっしり、いっぱいに満ちることを考えてみてください。

 わたしが尽くした精誠、語ることは天上世界の天の国の反映体に反射し、宇宙を包括して余りある再創造の復活圏のみ言に、能動的な実権を代身し、神様の創造の能力を代身するという信念を持って言ってみてください。そのようになるのです。分かりますか?

 きょう、ここに日本の四百家庭は皆来ましたか。何家庭来ましたか? (「八百五十人来ました」)。何家庭ですか? (「四百家庭以上、八百五十人来ました」)。(「はい」)。千人を超えてもかまわないと言ったのですが……。

 韓国は何家庭来ましたか? (「二千百家庭です」)。ここに参席した人たちは、きょうの歴史的な記録に一人ずつ総蕩減基金を設定しなければなりません。さあ、それを願う人は手を挙げてください。「九・九節」総蕩減、地上天上蕩減、山があり谷があって平地があり、海水が波打つ水平に行けば、この陸地もすべて一度に波打つことのできる平衡の地上世界を成し、氏族的な基準の前に、天上の国の柱を通して臨在し、天の国の民族も来て、天の国の家庭も、天の国の親族も地上に来て、思いどおりに活動することのできる天地の大高速道路を建設して施設するにおいて、基金を設定するのです。

 郭(クアク)錠煥氏? (「はい」)。黄善祚氏? (「はい」)。しますか、やめますか。やめようと言うのなら、しません。そうすれば、南米に行って、南米の人々が福を受けるのです。蕩減条件が必要でしょう? (「はい」)。そのような間違った行動をしているのです。どこに行きましたか。

 涙が出て、骨髄があふれ出てくるように、教えてあげなければなりません。そうでなかったなら、清平が行く道が塞がれます。殺人事件が起き、問題が生じるというのです。サタン世界の銃弾が往来していることを知らなければなりません。

 あなたの家もそうです。負債を負って今回の峠を越えてはならないというのです。どんなことをしてでもすべてを清算して越えていかなければなりません。そうしなければ、サタンにひっかかるのです。

 ノアの審判の後に、酒に酔って裸で寝ているのを二人の息子が、ハムが後ろ向きになって覆ったのでひっかかったことと同じなのです。この者たち だれを亡ぼそうとして、そのようなことをしているのですか。だれを亡ぼすつもりですか。あなたたちは亡び去っても大丈夫です。

 神様が傷つかれ、真の父母が傷つき、世界的版図、家庭理想の本宮をつくるために礎を築いておいた版図において、何ですか、これは 恥をかいて雷に打たれる者になるということを知らなければなりません。わたしは、そのような恐ろしさを知っている人です。

 家庭を中心として見てください。自分勝手に生きた人たちの家庭の息子・娘が平安ですか。一通り見てみてください。三十六家庭を一通り見てみてください。自分勝手に暮らしてうまくやろうとしたのですが、「わたしの家はなぜこうなのか?」と言っています。

 自分たち自身がみ旨の前に立つことができずに、欠けた立場に立つようになって蕩減を受けていることも知らずに、先生のみ旨が悪いと言っているのです。三十六家庭が責任を果たせなかったという事実を知っている人はいません。しっかりしなさいというのです。分かりますね?
           
 蕩減復帰は不可避なのです。わたしの祖父の時から、二番目が皆、客死しました。祖父の上もそうです。三代が連結されるのです。わたしの時代は、わたしが二番目(次男)なので、わたしを脅迫するために国が凶年に入り、それから万歳運動が始まりました。

 そして三年間万歳が叫ばれ、大騒ぎが起きるのです。訳の分からない、夢のようなあらゆることが家の中で起きるのです。何がなんでも捕まえようとするのです。そこで生き残ったのです。生き残ったので、二番目を逃してしまいました。そうすれば、蕩減はわたしがしなければなりません。死ぬほどの苦労を、わたしがしているのです。

 それから、教会においては、信仰の三人息子、三大家庭の孝元氏が二番目で客死です。二番目の喜進様が客死です。興進様が客死です。皆、客死しました。このように恐ろしいのです。

 あなたたちは、その原理にひっかからないと思いますか。ですから、苦労させるのです。わたしの言うことを聞かなければなりません。そのような蕩減前線を乗り越えたので、先生のみ言を絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、皆さんは蕩減の道を避け、平坦な道を行くことができるのです。そして南北統一が起きるようになるのです。そのようになれば、万事がすべて終わります。

 米国を見ても亡びるようになっています。米国をだれが信じるのですか。米国には、世界観がなく、国家観がなく、社会、氏族、家庭観がありません。祖母、父、母、息子、娘、男性、女性、すべて破綻しました。だれもいないというのです。

 わたしたちの統一教会は、個人思想、家庭思想、氏族、民族、国家、世界、神様、天宙主義の神観まですべて持っているのです。行く道が一方通行です。そうではないですか。家庭を中心として、家庭、氏族、民族、国家、すべて垂直の角度です。すべてが九十度の角度を備えてこそ、万事に通じるのであり、南北統合が可能になるのです。

 いいかげんにして成されるのではありません。理論的体制で、条件にかけることができないので、サタン世界の理論家、哲学者、信仰者は、ぴくりとも動けずに降参するのです。天下統一することのできる内容があるので、世の中の問題の本山を占拠するようになるという事実を知らなければなりません。これは、明らかな事実です。証された事実なのです。分かりますか? (「はい」)

 それにもかかわらず、あなたたちがふらふらするのですか。行くべき道を知っているのですから、小言を言わずに一族をすべて立てて整備し、千年の恨を解怨するために祭壇を積んで徹夜で至誠を尽くさなければなりません。そうすれば、免れるかもしれないのに、自分がやりたいようにすべてしてできるのですか。

 「何々大学に行かなければならない」と言っているのです。大学を出たとしても、神学大学院を出ていなければ、今後統一教会では使いません。新聞社であれ、何であれ、すべて追い出すのです。神学大学院を出ずに入ってきた人は、きょうからUTS(米国統一神学校)に行くか、神学大学院に行くかして、先生が立てた大学で名前のある学科を出てこなければ、統一世界の指導班列に同参できますか、できませんか。はっきりしなければなりません。

 いくら良い成績で卒業したとしても、間違いなく線を引いてしまうのです。家庭の生死の境の表象として伝統を正そうとするのです。三十六家庭であれ、だれであれです。わたしはそのような人です。

 なぜ、そうなのですか。先生がこの道を出発するとき、父、母、一族が首を抱えて「行くな」と痛哭した事実があるのです。姉と妹たちが足にしがみつき、服にしがみつき、父、母、兄弟が道を塞いで「行くな」と言ったこの道を、目をつむってすべてを蹴飛ばして飛び出してきた人なのです。ソドムとゴモラのロトの妻と同じなのです。振り返って塩の柱になったという恨の歴史を知っているのです。

 一族を捨てなければ、亡国の国を復帰する道がないのです。一族を祭物とすることに躊躇せずに出てきたのです。それゆえに、わたしが以北(北朝鮮)に行って父母の墓の前に立ったとき、その前に姉と妹がいました。姉と妹が父母の墓の前で訴えるのです。

 「お父さん、お母さんが、あれほど昼夜呼んでいた弟が来ました」と言うのです。断腸の思いで哀哭しました。普通の人は、そこで涙を禁ずることができません。しかし、舌を噛んで「わたしは普通の人とは違う」と考えたのです。涙を流してはならないのです。

 興進様が亡くなった後でも、千秋の恨の歴史を抱いてこれを昇華して、愛の勝利圏を立てるために、「愛勝日」を立てるべき責任があるので、涙を一滴も流しませんでした。全員を送り出しておいてから、本殿に入棺したという報告を聞いて初めて、わたしは祈祷して涙を流したのです。そのような先生なのです。

 そのように父母の一族が反対し、その父母の一族のあらゆる人々が行くべき道を塞いだのです。そこに同伴して、世界がすべてひっかかっているので、カイン圏を中心として愛する前には、(アベル圏を)愛することはできません。戻っていって、わたしについてきなさいと言うことはできないのです。
           
 今、清平の金(孝南執事)長老が話しましたが、忠母様が言うには「アイゴー、在世時代に息子が一言でも、一言でもこのような責任があると言っていたら、だれよりも精誠を尽くしたはずなのに、何も分からずにここに来てみると、責任がどれほど大切で重いか、千年の恨を抱いて精誠を尽くしても至らない自らであることを知る、その悲痛な事実をだれが分かるだろうか?」と痛哭しているというのです。

 それで、金長老が清平ですべてのことにわたしたちが責任を持って努力すると言う言葉を聞くとき、わたしは不孝だと思うのです。不孝息子だというのです。兄も、だれよりもわたしを愛する兄だったのです。八兄妹の兄弟たちが、皆わたしを愛したのです。町内が愛していた人です。それをすべて背いて出てきたのです。

 続けてずっと反対されれば、天の国を救うためには一族を祭物にしてでもそれをしなければならないと考え、訓練まで行った人だということを知らなければなりません。統一教会を中心として多くの歳月が流れましたが、この間に、わたしが韓国の産業復興のために興したすべての会社の社員たちは泥棒です。負債を自分勝手につくっておき、それを文総裁の責任にして民族と世界の版図に傷を負わせた元凶です。

 わたしは、唾を吐いてきれいに火で燃やすこともためらいません。そのように思ってきました。未練を持ってきてはいないのです。未練を持ってきたものは、捨てなければならない「九・九節」なのです。深い精誠を尽くして「九・九節」を成就させなければなりません。どこのだれも、わたしが精誠を尽くした位置に立つことはできません。わたしが血と汗を流した位置に立つことはできないのです。国の愛国者、忠臣、歴史に世界、国家を成すために、そのような人が多かったとしても、わたしの班列に立つことはできないという自信を持っているのです。

 母を捜すにしても、父母を捜すにしても、このような父母兄弟を捜し、一族を捜すにしても、そのような一族、国を捜すにしても、そのような一国を捜さなければなりません。しかし、ないのです。

 ですから、わたしたちがつくろうというのです。さまざまな恥をかいたとしても、歯を食いしばって進んでいかなければなりません。神様の前に孝子の表札をつるすことができませんでした。孝子が忠臣になり、忠臣が聖人になり、聖人が聖子になり、天上世界の統一のために家庭を中心とした聖子の道理が、今は地に埋もれています。

 イエス様が来て子羊の婚宴を中心とし、再臨のイエスを中心として祝福することのできる世界が現れ、世界を平穏化させていくのです。世界がそれを防ぐことができなくなったのです。

 青少年の淪落と家庭破綻に、だれも責任を持って手を出すことができないでしょう。統一教会の特許です。このような特許を蹂躙して破綻させる元凶になってはなりません。何のことか、分かりますね。それを自信満々に「わたしが責任を持とう」という、そのような人々が集まったうえでサタン世界が退いていくという標的を立て、宣布文を受けるべき記念の日が、きょうの「九・九節」であることを知らなければなりません。

 それで特別な家庭、模範的な家庭が参加するようにと言ったのです。そのような家庭が来たので、そのまま送り返すことはできません。今から、このみ旨のために敷石となり、この日を期して学校をつくり、基金をつくり、この国において表象的な何かを残さなければならないというのが先生の考えです。讃美しますか、讃美しませんか。讃美するという人は両手ではなく、四つの手足を挙げて讃美してみましょう。四つの手足を挙げてください。

 いいかげんに生きた先生ですか。看板を付けて生きた人です。やってから教えるのです。間違いないので、教えてあげるのです。それをいいかげんにやれば、すべて奪われてしまいます。わたしには国がありません。韓国、この国に居座らないようにしたのです。

 南北を統一できなかったではないですか。南北統一は、文総裁にしかできません。文総裁は、そのようにできる能力があるのです。中共、ソ連(ロシア)とインドと日本、米国まで編成しているのです。それをだれが知っていますか。

 統一教会の家庭祝福を受けた人は、一国の県知事が問題ではありません。国が、国会議員が問題ではありません。説得しなければなりません。分かりますか。説得しようとすれば、説得することのできる先生にならなければなりません。「訓読会」をしていなかったならば、どのようになったでしょうか。大変なことになるところだったのではありませんか。「訓読会」を始めていなければ、大変なことになるところでしたか、そうではありませんでしたか。大変なことになるところだったでしょう? (「はい」)

 このようなすべての事実を、「訓読会」を中心として、「訓読会」の王宮で…。天の国の天国にも、塞がっていたものを崩してしまい、地獄まで「訓読会」を始めて、解放圏の天国に向かって班列を備え、大地獄から大天国に移動するという運動が展開するということを知らなければなりません。

 ところが、この地上が先頭的立場で手本となり、前哨線の指揮者になるべき立場なのに、寝ているのですか。それができずに、何を愛し合って暮らしているのですか? 天は、生きた夫婦を床下に埋葬したい気持ちで心がかき乱されているという事実を、知らずにいてはいけません。分かりますか。韓国の者たち。(「はい」)
        
 きょうは「九・九節」、「九・九節」です。「『九・九節』を私の骨髄に記憶する」と言ってみてください。(「『九・九節』を私の骨髄に記憶する」)。「九・九節」という言葉を話しても、文章で書いても感動するというのです。言葉よりも、文章よりも、行動が実践的な基準の核を持てば、天下が感動して動き、その後についてくるようになるのです。アーメン。(「アーメン」)。分かりましたか? (「はい」)

 自分勝手にやっておいて、先生がそのようにしなさいと言ったと言っても、それは通じません。分かりますね。それを延長する方法はありません。特別な功績のある家庭を中心として蕩減条件を立てることによって、全世界の祝福家庭、責任を果たすことができなかった人々が生き残ることのできる道を延長させようとしているのです。

 責任を果たせなかった人が、生き残ることのできる道を解放するために、責任を果たした人にこのような提案をせざるを得ないきょうであることを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)

 分かったのなら、大きく答えてください。(「はい」)。「アーメン」と言ってください、アーメン。(「アーメン」)。わたしは、それを信じなければなりませんか、信じてはなりませんか? (「信じなければなりません」)。それでは、きょうここに参席した人たちはどうですか。日本のメンバー、どうですか? (「はい」)

 歴史時代において、一度しかないのです。これが最後です。宣布式が最後の時です。今からは、南北統一宣布式です。地上天上代表の主体的な南北統一宣布式です。そのようにすれば、天下は一つの国になるのです。

 そのようにできる基盤は、すべて築いておきました。その時には、第二次祝福が行われます。国家祝福、世界統一天上天国宣布式があるのです。それから、万民一族を中心として祝福を再びしなければなりません。分かりますか。

 自分のぼろの殻を、罪の殻を脱いでしまいたいですか、脱いでしまいたくないですか? (「脱いでしまいたいです」)。ですから、悔い改めなければなりません。ありとあらゆる、しみの付いたサタンの服を着ていたならば、悔い改めなければならないのです。神様のお姫様の前に、王子様の前に、天宙の宿命的な課題として堕落した恨を解くための宿題が、天上世界、地上世界の公認を受けて解かれていく厳粛な位置がその位置なのです。

 むやみやたらにすることはできません。それで浮気をするのですか。内的には、神様の骨のようなものが、外的なアダム・エバの生殖器です。このような話は初めて聞いたでしょう。

 そのようにするとき、歴史をかけて千年万年祈祷して願ってきた望みの日だと思う深刻な位置で、お互いが神様の代身として息子・娘を愛することのできる位置に立てるようになるかが、課題だということを知らなければなりません。

 それで、絶対主体関係統一、このような数字を中心としてその軌道があってこそ、神様の愛が自分たち夫婦から世界まで連結されるというのです。そのような考えをしながら、ちょっとでも忘れるなというのです。そのような生活はしていなかったでしょう。先生は、漠然と暮らしたのではありません。どこにいっても必ず式をして、今まで暮らしてきたのです。いくら走って座っても、必ず式をしたのです。分かりますか。そのように恐ろしいものが天法なのです。

 ですから、どれほど偽りであり、どれほどがらくたのように暮らし、どれほど雑種犬のように暮らしたのかというのです。恥ずかしい自らの体をすべて洗ってしまい、天が行く道の、その足跡に従って訪ねていき、福を背負って降りてくることのできる息子・娘になろうと思わなければなりません。

 厳しい山中、高い山合い、どこであっても生命の道を繁殖させるために進んでいき、どこであっても精誠と血と汗を注ぎながら進んでその道を立てれば、神様もついてきて祝福してくれるということを知らなければなりません。そこで独り死んだとしても、その谷には碑石が建てられ、すべてが祝賀する村が生まれるということを知らなければなりません。そのような何かを残していかなければなりません。分かりますか? (「はい」)

 今、やらなければサタンに奪われていくのです。サタンがどれほど熟達しているか知っていますか。神様をひどい目に遭わせたのです。何千万年、神様をとらわれの身として身動きできないように蹂躙した、能力のあるサタンがわたしたちの後ろにいたのです。

 今日、四億双以上祝福家庭が、霊界と肉界でその使命に取りかかっていますが、統一家の人たちができなければ、サタンが討ってしまい、自分たちの基盤を再び奪い取ることができるというのです。やらなければ、民主主義世界ができないので共産世界が奪い取っていくということが起きることを知らなければなりません。
          
 韓国で家庭破綻が起きているでしょう。(「はい」)。家庭は、すべて遊興街になりました。夫が会社に行けば、妻はありとあらゆる遊びを行い、お金を儲けるために女性が出しゃばるだけではなく、調子に乗って浮ついているということを知っていますか。学生がそうであり、夫のいる女性がそうであり、道ばたであらゆることが起こっているのです。これを清算しようとすれば、国が覚醒して統一教会の教育を急がなければ生きる道がありません。

 先生が北韓に行くのです。飛行機に乗っていくのです。あなたたちの承諾を受けて北韓にも上陸するのです。どこにも行けないところがありません。さあ、明日の十時十分までです。また、集まらなければなりません。明日の十時十分まで、この人たちは一人も解散することなく、ここに来て清算式をしなければなりません。これは、真の父母のみ名によって宣布しましたが、ヤハウェのみ名によって宣布しなければなりません。

 聖人君子、地獄解放圏を中心として真の父母勝利祝賀式を経て、今回の第三回「七・八節」を中心として天地父母安息圏宣布が、霊界から存在する世界までの境界線になっています。そして、「九・九節」は緩衝地帯が生じるのです。これをサタンは、乗り越えることができません。「七・八節」というものは、天地父母安息圏を宣布したでしょう。今回は何ですか? 「天地父母天宙解放式」です。障害となるものがないというのです。これが囲いになっています。

 サタンもこれを越えていくことができず、天の人は思いどおりに越えていくのです。思いどおりに越えていって引き入れ、思いどおりにしてしまうので、サタンが人類復帰の最終ページに従って、人間よりももっと一生懸命に忠誠を尽くそうという地帯になるのです。すべて奪われてしまいます。

 韓国の地を買って入ってくるのです。第三国、イスラム教圏、仏教圏、儒教圏が飛び込んでくるというのです。韓国の地を買ってしまうのです。十倍以上ずつ与えて買ってしまうというのです。そのようになれば、反対していたキリスト教徒たちはどのようになるでしょうか。すべて売って逃げていくというのです。そのようになるのです。先生の命令ならば、そのようになる可能性があるのです。まず約千人を特別に選んで、すぐに始めるかもしれません。さあ、分かりますか。

 「訓読会」を一生懸命にする、一番のチャンピオンはだれですか。いちばん一生懸命に訓読する人はだれですか。神様ですか、真の父ですか? (「お父様です」)。真のお母様も好みません。(笑い)ですから、わたししかいません。

 ですから、真の母の伝統を絶対に相続するのではありません。真の父の伝統を絶対に相続しなければなりません。息子・娘はだれかといえば、真の父の息子・娘であって、真の母の息子・娘ではないではないですか。真の母は管理の主人です。育てて教育する主人です。

 ですから、創造の「原先祖」は父です。それから主体も父です。関係の授受作用をするにおいて、相対圏の母がいなければならないのです。そして統一という言葉は、家庭から出てくるのです。

 主体・創造・関係・統一です。四番目が統一です。絶対愛を中心として、統一も絶対、唯一、不変、永遠であり、主体も絶対、唯一、不変、永遠であり、関係も絶対、唯一、不変、永遠なのです。利用するための関係ではありません。だますための関係ではありません。天の国の伝統を絶対に伝授するための、投入して忘れるための授受作用を起こす関係のことを言うのです。

 それゆえに、そこから統一が起きてくるのです。すべてのものが、この四つを抜かしてはならないということです。この四つが一つになれば、天下がすべて一つになって動くようになっているのです。一つも外すことはできません。 今回も、ベルベディアで九月五日に説教した内容です。最後に米国に残した訓辞です。それゆえに、米国を出発すると宣布したのです。

 そしてどこに行くのでしょうか。韓国に行かなければならないでしょうか、南米に行かなければならないでしょうか? (「韓国にいらっしゃらなければなりません」)。韓国が、統一教会のレバレンド・ムーンを歓迎しますか、南米諸国がより歓迎しますか。今、南米諸国の若い青年たちを教育し始めたのですが、三十三か国から集まってきた青年たちを任されて教育し、三か月で四千七百人を教育しました。

 四千七百人を教育したのですが、そのうちの三分の一が中高等学校の先生です。それでは、万事休すでしょう。分かりますか。韓国もそうですか。金キム奉泰氏。(「はい」)。今、何をしているのですか? (「純潔教育をしています」)。純潔教育はどのくらいしましたか? (「ほとんどすべてやりました」)。ほとんどすべてやったのですか。それでは、韓国人は、荷物をまとめて南米に移動して暮らしてもよいのですね。ですから、統一は問題ありますか、問題ありませんか? (「ありません」)

 問題ありませんか、ありますか (「ありません」)。あります (「ありません」)。この者たち。そういうときは、「この先生」と言って「ある」と言わなければなりません。そのくらいの度胸でなければなりません。真のご父母様の言葉以上にすると言ってこそ用いるのであって、できないと言ったら用いるでしょうか?

 神様が私に命令することはありません。十か月後に何をするのか知っているので、十か月後にそのとおりにするのです。したとしても、神様が悪口を言うのではありません。神様が私の寝床に来られて、私を抱いて愛してくださるのです。分かりますか。それは優れた息子ですか、愚かな息子ですか? (「優れた息子です」)。しなさいと言ったことをしなかったことがどれほど多いですか? 「訓読会」をするときに、すべてしましたか? 「訓読会」をしなさいと言ったことを、すべてしたと思いますか、できなかったと思いますか? (「できませんでした」)。できなかったでしょう。どのくらいできなかったのですか。言えないほど、できなかったことが多いのです。何を言っているのかというのです。先生がもう何回話しましたか。

 梁昌植シク氏。(「はい」)。わたしが昨日、飛行機の中で訓読したみ言を訓読して、昼食を食べましょう。どれほど深刻ですか。分かりますか。機内で全部読んだものがあるではないですか? (「はい」)。時間がたっても、おなかが痛くて全員倒れても、読んで歌を歌い、それから踊りも踊ってご飯を食べなければなりません。(笑い)そうしてこそ、きょうが記念の日になるのであって、食事をしたい時に食事して(それが)何の記念でしょうか?

 さあ、出てきてください。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2023.09.20 23:24:10
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