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2023.10.10
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第四十回「真の子女の日」記念礼拝の御言

成約年 1999年11月8日(陰暦十月一日)清平修錬院 天城旺臨宮殿 大聖殿

前日に奉献式が行われた「天城旺臨宮殿」大聖殿での第四十回「真の子女の日」記念礼拝で、語られたものです。



 今は何月ですか?。十一月です。今年も五十三日を残すのみです。今から五十三日で、一九九九年が過ぎていきます。一九九九年は、二千年時代をすべて過ごし、締めくくり、すがすがしい二十一世紀を迎える年です。そのような限界線に到達しました。

 二千年の最後の時を迎えた今、統一教会が現れて天地開闢の役事を成して神様の心情的焦点を合わせ、地上に真の父母という存在が現れて一体化することのできる基台が形成され、そこに真の愛の光が天地間に輝くことができるようになりました。歴史を逆さまに見れば、創世以降の数多くの人類たち、霊界に行った先祖たちは、そのような驚くべき時代になったということを、今、学び始めたのです。

 霊界は、すべて知っているのではないでしょうか?。数多くの系列と数多くの立場に分派したすべての霊のようすは、今日の地上の形態とちょうど同じです。韓国という一つの国を中心としても、慶尚道、全チョル羅道が今、大騒ぎしています。

 一つの国、一つの道同士でも、一つになることができずに、実にさまざまな立場があるのです。また、慶尚道は慶尚道内でも複雑であり、また、全羅道は全羅道で複雑なのです。このような複雑な環境を持つ歴史上の地上世界と同じように、霊界もまた、そのように生きた人々が、そのまま霊界に行って暮らしているのです。

 苦痛を受けて暮らしていた人はそのままであり、苦痛を抜け出す道理がありません。この世の中のことが、そっくりそのまま霊界で再現されているのです。これは、だれによってこのようになったのでしょうか?。それは、神様によって、このようになったのではなく、人類の先祖によって、このようになったのです。人類の先祖が善良であったならば、このような世界にはなっていませんでした。

 どの世界も太陽のように輝くことができ、公明な世界、影のない世界で暮らすことができるはずであった人間は、偽りの父母が堕落することによって血統が変わってしまったのです。「天地創造の大王陛下の息子、娘である」ということは、血統的因縁を中心としなくては、その「子女」という言葉を成立させることはできないのです。分かりますか?。養子と直系の子女は、何が違うのかというと、血統が違うのです。血統が変わってしまったということです。

 今日、地上の宗教を通して学んだことは何かというと、「神様がわたしたち人類の先祖であられる」ということです。さらにキリスト教を中心としては、神様はわたしたちの「父」であられるというのです。そのキリスト教の中心存在であられるイエス様は、「わたしが神様の独り子である」と言われました。これは驚くべき宣言です。「神様の独り子である」という言葉は、「神様の愛に従って血統を完成させた最初の代表者である」ということです。それでは、神様の血統を受け継いだ代表的息子は、堕落したアダムとは何が違うのでしょうか?。

 堕落したアダムは、未完成時代に堕落してしまい、サタンの血統に連結されました。神様の血統に連結されたものが、腐ってサタンの血統になってしまい、神様の愛が腐って肥やしになって、サタンの血統を育てるということをしてきたのです。それは、とんでもない事実です。そのような歴史の出発とともに、多くの曲折と事情の歴史を引きずりながら結果として残されたものが、この地上の混乱した、分派的境界線であり、壁なのです。

 そこで暮らした人々は、抜け出す道理がありません。これは、だれもが解決しなければならないことですが、そのような姿で霊界の暗い世界に行けば、永遠に解決することはできません。地上人同士では、皆、お互いに見て暮らすことができますが、霊界の暗い世界に行ったならば、それもかないません。そのような太陽のない暗い世界に行って、多くの人間が分派的限界線で暮らして呻吟する、その姿を見詰められる神様の心情は、どのようなものであられるでしょうか?

 人類歴史は、その出発から恨の中の恨で始まり、恨の恨がさらに増し加わる、正に「恨の歴史」です。しかし人類は、神様の息子、娘として解放されなければなりません。
 その一人一人の人間の姿を見詰められる、創造主であられる神様は、堕落した数千、数億の人々を、堕落していない本然の息子、娘と同じ血統的因縁を合わせて、再びかき抱こうとされるのです。しかし、堕落した人類を、再び神様の懐に抱くことのできる位置に立てるという事実は、とてつもない問題なのです。

 全知全能の神様が、今までこのような悲惨な世界をつくっておきながら、なぜ手を出すことすらできない神様になってしまわれたのでしょうか? 「神様は死んだ。いない」と言うことができるでしょうか?。神様は、血統が違うので、どうすることもできないのです。血統が違うのです。これを清算するために……。神様は、わたしたちのお父様です。「お父様」と、一度言ってみてください。(「お父様」)。だれがですか? (「神様です」)。皆さんを生んでくださった父親はどなたですか?。皆さんの父親は、だれの父親なのですか?。それが問題です。

 神様は、「真のお父様」です。皆さんの父親は、どのような父親ですか?。真のお父様ですか、真のお父様の反対ですか? (「反対です」)。反対なので、偽の、偽りの父だというのです。一度言ってみてください。先祖がだれであるかを問いません。アダム以降、数千万代の父親たちが連結されていたとしても、皆さんを生んだその父親たちは、自分の息子の前において、偽の、偽りの父親であったというのです。あまりのことに、あっけにとられてしまうでしょう?しかしこれは、どのようにしても、神様の思いどおりになさることはできません。殺すこともできません。殺そうとすれば、一瞬のうちに殺すこともできる能力を持っていらっしゃるのですが、神様はこれを処断することも、手を出すこともできないのです。そのような血族が残されたものが堕落世界であるということを、今日の宗教圏は知りませんでした。

 しかしついに、真の父母の名を持った者が、霊界のすべての実情を詳細に知り、堕落の動機から神様の秘密、サタンの秘密まで掘り出して調べ、このようなことを明らかにした内容が統一教会の原理なのです。地上世界と天上世界が分かれ、混乱し、相克的な歴史をなしたすべてのことを和合させるために、今、霊界の根本と実情から地上界の根本、そして人生、歴史の根本までをすべて解消し、すべてを連結させようとしているのです。これを何と表現したらよいのでしょうか?

 川が流れていくのですが、逆さまに流れていくのです。このように逆さまになった世の中を掘り返し、そこから清い水になるようにして、世界が平和の基準まで来てこそ、神様から始まる血統の始原の基盤をつくり、出発をさせることができるのです。そのようなとてつもなく、また途方もない事情をだれが知っていたでしょうか?。自分の息子、娘ではない、その息子、娘を神様の思いどおりにすることができますか?。その家庭を思いどおりに訪ねていくことができますか?。境界線が引かれた、地獄と天国が分かれているのです。

 このようなとてつもない背景を残して生きている、今日のこの世紀末的な六十億人類の群像を見詰めるとき、言葉を失うというのです。その背後には、数千万個の壁と分裂状態の歴史を抱えているのですが、その事実を知っている人はいません。

 この世の中で豊かに暮らして成功したとしても、その成功は神様とは何の関係もないというのです。むしろ成功したという人々が、かえって深い穴を掘ってしまったのです。ですから、罪悪の歴史的な汚れの水は、その穴にすべてたまっているのです。昔の聖賢たちが成した事実を歴史的に明らかにしてみるとき、彼らは、この世の中を明るくすることに貢献したというよりも、世の中を滅ぼすことに貢献した人が多いのです。分かりますか?きょう、わたしが話すことは十分間でやめようと思ったのですが、すでに十分間を過ぎました。やめましょうか?。何の話か分かりましたね?

 自分とは、どのような存在ですか?。それは、堕落した世界の実と同じです。それは、さながら罪の出発と罪の過程と歴史的な罪の結実の総株式会社の「社長」です。神様と皆さんとの間は、何千の壁によってふさがれているというのです。しかもそれは、一方向の壁だけでなく、周囲四方を包囲されているのです。そのことを考えてみてください。

 今、何と言いましたか?。悪なる罪の歴史の総合的な結実体であるうえに、罪悪世界の総体の株式会社です。何と言いましたか? (「株式会社です」)。そのようなことを言えば、言葉が問題になるのです。何の社長(「サジャン」)ですか?。死んだ人を葬事する「死葬(「」で、「社長」と発音が同じ)」です。その言葉がぴったりです。

 世の中では、何と言うのですか? 「社長になろう。社長になろう」と言います。それは、何の社長(「」)ですか? 「死ぬ」の「死」という字に葬儀の「葬」という字で「死葬(『』)」です。罪の株式会社の総帥の立場にいるので、それは「死葬」でしょう?。そのことを考えなければなりません。今日のこの地上に生きている人で、社長になって搾取しない人はいません。文総裁は、いわば社長でしょう?

 多くの会社をつくり、この国を復活させようとあらゆることをすべてし尽くしましたが、後には、歴代の八代の大統領はわたしを消そうとして、ありとあらゆることをすべてしたのですが、消すことはできませんでした。そうして最後には、IMF(国際通貨基金)によって、国まで滅ぼしかねないようになったのです。そして統一産業を中心として、「犯罪団体である」と言い、ああだこうだと言っています。わたしには、恥ずかしいことはありません。韓国が、わたしに負債を負っているのであって、わたしは韓国に負債はありません。そのことを知らなければなりません。また、米国なら米国に行って負債を負ってはいません。世話にはなりません。その国の世話になりたくはないのです。

 ここに日本人が来ていますが、日本の国に世話になったことはありません。なぜでしょうか?。すべての教会の結実であり、すべての株式会社の総裁の立場にいるのですから、人類の前に世話になり、負債を負おうとは思いません。彼らの暮らす国に負債を負おうとは、夢にも思わないというのです。負債を負わせてこそ壁を崩すことができ、数多くの道を開拓していくことができるのです。わたしの力が不足ならば、霊界の善なる霊と天使を動員して同調させ、それを崩して負債を肩代わりして返す歴史、罪の負債を取り替える総帥としての役割をしてきたのであって、「世話になろう」とは考えたことはありません。

 米国なら米国自体を生かすことのできる基台を築いた人が、わたしなのです。ですから、米国の大統領の前でも堂々と話をするのです。七〇年代、八〇年代にレーガン大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、そしてブッシュ大統領をわたしの手によって立てていなかったならば、その国がどのようになっていたか分かりません。今のクリントン大統領は、わたしの言うことを聞きません。ブッシュ大統領は、わたしの言うことを聞かなかったので、あのようになりました。わたしは、そのような人です。聞いてみてください。わたしは、この国に世話になったり、いかなる国にも世話になっていく人ではないということを知らなければなりません。

 それでは、わたしは統一教会の皆さんの前に世話になって暮らす人ですか?。皆さんの世話にはなりません。自分の息子、娘にも、世話になる人ではありません。どこのだれにも、堕落した結果のこの世界では、罪の重荷で身を隠しているすべての存在、万物、世界から天上のすべての霊人を合わせて、地上世界のいかなる国の前にも世話にはなっていないのです。まず、「罪悪の世界の世話にはならない」ということは何であるのかというと、罪悪の世界において解放者にならなければならないということです。そのような人が、今日の言論界がどうであるとか、優れた大学者が何であるなどと言うことはできないというのです。最近では、逆さまになっていっています。

 世話にならなかった人が世話をすることができるので、国が世話になり、世界が世話になるときは、理論的に言って、世の中が引っ繰り返る時になるという話が成立するのです。分かりますか?ロシアが、わたしの世話になる時が来ました。中共がわたしの世話になる時が来ました。インド、日本、米国がわたしの世話にならなければなりません。

 さあ、それでは、わたしは愚かな人ですか、優れた人ですか? (「優れた人です」)。愚かでしょう?。悪口を言われながら世話をしているのですから、どれほど愚かでしょうか?。分かりますか?

 悪口を言われ、殺そうとされ、料理されようとしているのにもかかわらず、料理しようとしている人のために世話をしようというのですから、そんな狐は死ななければなりませんか、生きなければなりませんか?。死ななければならないでしょうか、生きなければならないでしょうか? (「生きなければなりません」)

 そのようになれば、死ななければならないのですが、死にませんでした。それが、なぞなのです。死にませんでした。反対されれば滅びるはずであるにもかかわらず、歴史上のあらゆる反対を受けて成功したという事実が、なぞなのです。それは、どうしてでしょうか?。文総裁の才能が豊かだからですか?。それは、神様が保護してくださったからです。(「アーメン」)

 それを一度、言ってみてください。一万人全員が一度、「アーメン」と言ってみてください。(「アーメン」)。一万人がアー、アー、アーメン と。文総裁の声より小さいですね。(「アーメン」)

 さあ、このくらい話しただけでも、きょうの説教は十分です。(笑い)それでは、「世話にならない先生が「真の父母」である」というときは、「真の息子、娘は、間違いなく世話にならなければなりません」。それは「アーメン」ですか、「ノーメン」ですか? (「アーメン」)。世話にならなければなりませんか? (笑い)それが真の父母の息子、娘の資格者になりますか、なりませんか? (笑い)そのようにぼーっとしていては、闘いにおいてだまされて、サタンのえじきになるのです。

 いつでも二重的な面を分け、さらに立体的な面を持って自分で答えることができ、見ることができ、においをかぐことができ、話すことができ、聞くことができ、愛することができなければなりません。そのように暮らしていますか?

 恥ずかしくない二つの見る目を持っていますか?。心の目と肉身の目です。鼻も同様です。口も同様です。五官も同様です。愛も同様です。サタン世界のわなの因縁に感化されていくときは、神様とは相対することはできません。それゆえに、最初にみ旨の道に出発した後には、「負債を負って生きよう」という考えをしてはいけません。「負債を負わせて」生きなければなりません。

 皆さん、ここにいる人の中で、「文総裁には負債を負っていない」という人は、手を挙げてください。それでは「負債を負っている」という人は手を挙げてください。なぜもたもたしているのですか?。下ろしてください。気分が悪いです。下ろしなさい。この日本人は、「手を下ろしなさい」と言っているのに、まだ挙げています。(笑い)

 さあ、「文総裁に負債を負っている」と思う人は手を挙げてください (「はい」)。さあ、命令して手を挙げさせたので、独裁的な力をもって手を挙げるようにしたようですが、(笑い)さあ、自分の意志で手を挙げましたか、圧力によって手を挙げましたか? (笑い)そのような疑心がわくので、「自分の意志で挙げた」という人、「文総裁に負債を負っている」と思う人は、両手を挙げてください。(「はい」)

 それでは、全員が負債を負っているので、先生の負債を百分の一、千分の一でも返そうという日には、先生の道に従っていくことのできる綱につかまっていくのです。分かりますか? (「はい」)

 「負債を返さない」という人は、綱でもつかみなさいというのです。ナイロンの繊維のような、細くかすかな光が千万個集まった太い光です。この光の綱をつかんでおいて「この光の綱が切れないように引っ張れば、先生が行った道の後ろに引っ張られていく」と考えてみましたか?

 先生のおしりに綱がぶら下がっていますか、いませんか?。負債を負ったならば、綱がぶら下がっているではないですか?。皆さんは、負債を返そうと思いますか、さらに負債を負おうと思いますか?。もっと負おうと思いますか、返そうと思いますか?

 さあ、きょうは何の日ですか? (「第四十回『真の子女の日』です」)。第四十回「真の子女の日」です。この「四十」というものは、歴史的な日です。皆さんが霊界に行くときも、死んだ後、四十日以内はどこかに行って定着することはできません。霊界に行くと、自分の先祖たちが案内をして、自分がどの級にいるのかを検証した後に定着するのです。それでイエス様も、四十日以降に復活したのです。分かりますか?。四十日かかるのです。

 それは、歴史的起源において四位基台を成すことに失敗したために、そのようになったのです。このように引っかかる壁の秘密の原因をすべて知っている人は、先生しかいません。神様とサタンだけが知っているのですが、その神様の秘密、サタンの秘密は、文総裁にしか分かりません。分かりますか?。その「知っている」という権威が、真の父母の資格を決定する権威なのです。

 何を知っているのでしょうか?。神様の秘密とサタンの秘密を知っているということが、すべてを解決することのできる基準になるのです。もし判事が、事件の秘密をすべて知ったとすれば、その判事はその事件を絶対的に解決することができるのです。分かりますか?。弁護士が何かを弁明し、検事が何と言っても、そのことに左右されず、すべてをきれいに整理することができるのです。分かりますか?

 また、サタンがいくら罪を犯したことを覆い隠そうとしても、きれいに証拠を出すときには屈伏するのです。分かりますか? 「神様、あなたがなぜ苦痛を受けたのかというと、このようなことなのですが、このようなすべてのことは、わたしが解決するので解放されるでしょう?。ですから、わたしを信じて、争わないでください」と言えば、争わないというのです。分かりますか?

 それで、神様とサタンが有史以来、怨讐となって闘争してきた歴史をだれが停止させ、だれが休戦条約を結ばせ、だれが戦争を止めさせるのかということが、歴史的な宿命を懸けた課題なのです。

 宿命の道というものは、人の力で行くことはできません。それは「父子の関係が絶対的なものである」ということと同じです。宿命的な課題です。それが理解できますか?。だれによってのみ、可能なのですか? (「メシヤです」)。メシヤは、どのようなメシヤですか?。日本語で食堂の主人を「めしや(メシヤ)」というのです。(笑い)

 神様とサタンの戦争を防ぐことのできる主人は、だれなのですか?。偽りの父母によってこの闘いが成立したのです。ですから、人間がつくり、人間の先祖が失敗したので、真の愛の主人が現れてこそ、それを正すことができるのです。それは理論的です。

 堕落することによって、神様も引っかかり、サタンも引っかかったのです。サタンも堕落してみると、自分が悪いことをしたので、結局、終末になれば、自分が地獄に追い込まれるということを知っていたというのです。

 ですから、中間で早く解放し、わたしが助けてあげることができれば助けてあげ、サタンと神様までも和解させれば、それで終わるのです。サタンが「嫌だ」と言えば、神様が引かれるようになるのです。分かりますか?。しかしサタンは、「嫌だ」と言えず、神様はいくらでも「良い」と言われるのです。サタンは、「嫌だ」と言ったとしても、否定することはできません。

 否定できる内容を持っているならば、「おまえはこのような罪を、また罪を犯すのか?。こいつめ」と言えば、「はい、分かりました。やめます」と、このようになるのです。そうして神様とサタンが今、闘っているので、歴史的なすべての過程と現象が混乱状態になっているのですが、これを整理することのできる真の道とは、どのようなものなのでしょうか?。それこそが、真の父母が来て教えてあげて処理する歴史的道なのです。結論が出ました。分かりますか?

 それから皆さん、祝福を受けた人たちは、堕落した先祖の後孫ですか、真の父母の後孫ですか? (「真の父母の後孫です」)。真の父母の後孫ですが、何ゆえに偽りの父母が神様と怨讐になり、また神様とサタンが怨讐になったのですか?。それは結婚を間違ったからなのです。分かりますか?。血統を間違って受けました。分かりますね?

 王子と結婚するはずであるにもかかわらず、僕と結婚したのです。体を捨てました。これをすべて処断し、僕の僕の僕の何百倍も呻吟する位置に立てて処断したとしても、「わたしは、当然罰を受ける罪を犯した」と、感謝できる位置に立たずしては、その僕が生きる道がありません。

 復帰するために、そのようにすることのできる内容があるのです。偽りの父が偽りの血統をつくったので、真の父になる人は、そのようにすることのできる内容を知って(サタンに)提示し、そうすることによって、サタンはびくともできないのです。

 サタンを縛ることができるのは、真の父母しかいません。縛りつけてしまうことによって、神様とサタンが自動的に休戦状態になるのです。神様に「休戦しなければなりません」と言えば、休戦するでしょうか、しないでしょうか? 「わたしは嫌だ」と言われるでしょうか、「ありがとう」と言われるでしょうか?。休戦を願いますか、停戦を願いますか? 「停戦を願います。やめましょう」と言われるのです。

 停戦をして、神様が自由になろうとされれば、そのためには、自由な環境の基台ができなければなりません。ですから、サタンと偽りの父母が拘束されたので、サタンまでも自由にしなければ、神様は解放されないということを知らなければなりません。分かりますか?。それは、原理にない話だというのです。分かりますか?

 本然の正しい結婚をすることができないことによってこのようになってしまったので、真の父母は、それを解いてあげ、サタンまでもこのように自由にするみ業を成すのです。サタンは今や、先生の前に隠れるものがなくなりました。霊界のすべての事実、地獄の現状、これからの理想天国……。

 サタンは理想天国を知りません。真の父母は、神様が理想とされたものを知っているので、そのようなみ業を成すことができるのです。サタンは、神様の国さえ成立すれば終わるのです。それ以上、行くことができません。それゆえに、サタンは理想天国を知らない、というのです。

 それで、神様も絶対に必要であり、サタンも絶対に必要であり、人類も絶対に必要なのがだれなのかという結論が出ました。世の中の万事が、万物の存在性を持ったすべての存在が、絶対堕落圏内にいるすべての存在が絶対に必要とするのがだれですか?。尋ねているのです。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」)。だれですか? (「真のご父母様です」)

 だれが真の父母ですか? (笑い)だれですか? (「お父様です」)。小言をよく言う先生が、真の父母です。言うことを聞かない人のネクタイをつかんで死刑場に引いていったとしても、真の父母です。誤れば、打たれなければなりません。刑場に行って、ののしられなければならないでしょう?

 神様も、そのように小言を言う神様になられるはずなのですが、小言を言うことすらできないので、神様はあわれな神様であられるというのです。分かりますか?。審判の王になられるべきであるのに、審判の王になられることができなかったので、かわいそうであられるというのです。分かりますか?。万歳を思いのままに叫ばれ、自由に行動されるべきなのですが、そのようにできなくなってしまわれたので、ふびんであられるというのです。

 文総裁は、本来は、四十歳になれば天下をすべて統一し、韓国に万国の王宮をつくり……。それは「天城旺臨宮殿」ではありません。その百倍、千倍にもなるものです。さらに、万世の国家に宮殿の分室をつくり、天の国の本部にまでなる宮殿をつくっていたのです。ですから、これ(「天城旺臨宮殿」)をもって誇ることはないというのです。大母様に申し訳なく、興進君に申し訳ないですが、もっと働かなければなりません。

 あなたたちは現在、この宮殿をつくるのに霊界に負けましたか、勝ちましたか?。霊界の興進君と大母様に勝ちましたか、負けましたか? (「負けました」)。そうでしょう。はっきりと言ってください。答えを明白に、はっきりとしなければなりません。正直でなければなりません。率直でなければなりません。率直は正直と通じるのです。一度言ってみてください。(「率直は正直と通じる」)。罪を犯した人は、率直に、正直に話せば赦されるのです。

 真の父母が必要な人は、手を挙げましょう。日本の人も必要であり、中国の人も必要であり、韓国の人も必要であり、英国の人も必要であり、天国の人も必要であり、神様も必要なのです。すべてが「そのかたが必要だ」と言い、「正しい」と言ってこそ、すべての世の中が解かれていくのです。そのような基台を、文総裁一人で築いてきたのです。(拍手)

 堕落した父母は、父が二人ですか、一人ですか?。二人ならば、真の父母が現れれば、半分に分けなければならないでしょう。その分けた真の父母を願いますか、すべて備えた真の父母を願いますか? (「すべて備えた真の父母です」)。欲が深いですね。全体をつかむことのできる王を願うのです。

 ですから真の父母は、天の国や地獄の国の解放の権限を持った王の中の王です。だれがですか? (「真の父母です」)。だれがですか?。真の父母がどこにいますか? (「ここです」)。ああ、わたしは真の父母ではありません。わたしは真の父母ではありません。信じてはなりません。(「お父様です」)

 実用主義時代に、どうしてそのようなことが必要ですか?。唯物論の時代に、どうして神が必要ですか? 「神はいない」と言い、神本主義から人本主義、物本主義に落ちた世の中で、神がどこにいますか?

 ですから、神人物統一観主義の時代に入っていかなければなりません。「神様はいない」と言ったとしても、いらっしゃるということを知るべきです。神様は、いらっしゃらないような姿をしておられるだけであって、いらっしゃらないのではありません。分かりますか?

 統一教会のみ言を世の中の人に話せば、彼らはすべてを知りながら、聞いていてもじっとしています。彼らは、恥ずかしいということを知っているので、知りながらもじっと耐えているだけであって、知っていることは知っているのです。

 結婚する前は、女性たちは胸を隠さなければなりませんか、服をめくらなければなりませんか? (笑い)エバ国家の女性たち。胸をめくらなければならないでしょうか、開かなければならないでしょうか?。おしりを出さなければならないでしょうか、隠さなければならないでしょうか?

 西洋の女性たちは、胸を出して大騒ぎし、おしりを出して大騒ぎするのです。それは、天使長の国です。エバの代身者たちが男性を誘惑し、おしりで浮気をし、胸で浮気をし、唇で浮気をし、目で浮気をするのです。目で浮気をするでしょう?。アイシャドーを知っていますか?。ルージュを皆、知っているでしょう?。マニキュアを皆、知っているでしょう?。女性たちは、毎日テーブルの前に座って化粧をしますか、しませんか?。「男性は、いつも女性を歓迎しなさい」と言われてきましたか、「注意しなさい」と言われてきましたか? 「狐がしっぽを振る」という言葉があるのです。

 最後の時には、二人の男性に対さなければなりません。統一教会の文先生は、世界のすべての女性の前において、「真の兄」です。分かりますか?。真の兄なのです。エデンにおいて、真の兄を失ってしまいました。地上地獄の底において女性たちが見るとき、男性はすべて悪魔です。その中でただひとり、文総裁、レバレンド・ムーンを知ってみれば、原理のみ言さえ聞けば、すぐに分かります。「兄の中の兄」なのです。

 思春期にさしかかれば、兄はエデンの園において、未来に約婚する男性であったということを知るのです。そのようになるのです。それは、思春期時代の「男性の中の男性」です。ですから「結婚したい」と思い、それから、結婚したら「母親になりたい」、「あの男性と結婚して子供を持ちたい」、それから「おばあさんになりたい」、「一家の先祖になりたい」というようになるのです。女性が行くべき希望の道は、これです。

 他の家、夫の世界に行き、主人のいない家に行って何年間か苦労することによって、その国の祖母の位置を占めるようになるのです。女王になるのです。家庭の女王になるのです。それを知っていますか?。女王になり、母になり、祖母になれば、先祖の王になるのです。それから国の女王になろうということが、女性の願いなのです。

 それを失ってしまったのですが、復帰するために来られる主人は、兄として来るのです。兄として来て約婚することのできる約束者、結婚することのできる約束者、父になることのできる約束者、祖父になることのできる約束者、王になることのできる約束者を女性たちは迎えなければなりません。アダム、エバが、そのような位置にいたというのです。エバは妹です。二人の兄妹の行くべき道は、腹中時代から相対理想を中心として生まれたというのです。

 女性が生まれるときは、兄のために準備するのです。女性は、「腹中からわたしが生まれたのは、兄に出会うために生まれた」と言うのです。腹中で兄妹の因縁を持ち、父の血統と母の血統を受けて腹中から準備し、生まれれば兄妹になると同時に、地上の女性は母になるのです。腹中時代の兄妹が、この地上に出てきて兄妹になるのです。

 双子で生まれていたならば、けんかしたでしょうか、しなかったでしょうか?。エデンの園で罪を犯していなかったならば、罪を犯さずに双子で生まれていたのならば、どのようになっていたのでしょうか?

 妹が母親のひざの上にいて、そのとき兄がいなければ、「兄がいなくなった」と思い、片方のお乳は兄のお乳なので、一緒に飲もうとして待っているというのです。そうして「お兄さんはどこに行ったのか?」と捜すというのです。そのようにならなければなりません。しかし、そのようになるべき歴史が、そのようにはなりませんでした。

 女性が女性になることができ、女性としての主人になることができ、また、妹が主人になることができるように、主人の資格者にしてくれるのは女性ではありません。兄です。分かりますか?。女性自体では、主人になる道がありません。そのことをはっきりと知らなければなりません。日本の女性たち、分かりますか? (「はい」)

 腹中においてのエバは、兄のために生まれたので、兄が自分を愛することのできる位置に立たなければ、エバの愛の道がなくなるというのです。エバが、愛の道の主人の立場に立つことができるようにしてくれるのは、兄がしてくれるのです。分かりますか?。このことを知らなかったので、世の中は混乱したのです。これは重要なことです。分かりますか? (「はい」)

 自分が、愛の主人を捜し立てるのだと思うでしょう?。それは違います。兄ゆえに女性は、兄を愛することのできる主人の位置に立つのです。また、兄は妹がいるがゆえに、妹を愛することができるのです。このように、相互にお互いの主人を捜し立てるということをするのです。女性は「半分」です。そのことを知っているでしょう?。分かりますね? (「はい」)。夫のいない女性は、千年万年たっても、夫を愛することのできる主人の位置を永遠に捜し立てることはできません。それは、そういうことなのです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」)。全員、聞いていますか?。重要です。日本に行って、今からこれを実践しなければなりません。

 第四次アダム圏時代が来るのです。分かりますか? (「はい」)。妻が、妻として夫を愛することができるように、主人の立場に立たせてくれるのは、夫がその主人の立場に立たせてくれるのです。それは、妻がするのではありません。そのことは、夫がいなければ永遠に分かりません。夫の愛が分かりません。ですから、夫が絶対に必要ですか、絶対に必要ないですか? (「必要です」)。夫にとって、女性を愛することのできる主人の位置は、妻がいなければ永遠に捜し立てる道がありません。

 父親と母親は「誇ってはいけない」というのです。「どうしておまえは、このように父母の心をやきもきさせるのか?。この子は」と言って、たたくことはできません。父母が父母になることができるようになるための、その主人の位置は、父母が捜し立てるのではありません。父母がするのではありません。子女がいることによって、父母の愛の主人の位置を捜し立てたということを知らないので、問題になるのです。何の話か分かりますか?。重要な話です。

 父母が、父母になることができる資格者になり、父母が子女に対して主人の立場に立てるように、愛の主人になることができるようにするのは父親でもなく、母親でもなく、子女であるということを知らなければなりません。子女を愛することのできる、その愛を分かるようにしてくれた主人は、だれですか?。子女です。いくら夫婦で愛しても、子女が永遠にいなければ、子女を生むことができなければ、子女に対する愛が分かりません。

 また、子女が父母を愛することができる、その心は、子女がひとりでに持ったのではありません。父母が主人となって、自分に移してくれたものなのです。分かりますか?。このように、すべて重なり合っているのです。ですから、誇ることはできません。自分が父母であるといって誇ることはなく、夫、妻であるといって誇ることはなく、兄であるといって誇ることはできません。兄は、愛することのできる弟がいるので、兄の愛の主人となり、弟は兄を愛することのできる立場において、初めて弟の愛の主人になることができるのです。

 このような家庭があり、家庭を中心として国があれば、国を中心として愛することができるようになり、国があることによって愛国者が出てくることができるのです。分かりますか?。世界を愛することのできる聖人になるということは、「世界を愛することができる」ということによって、聖人になることができるということなのです。このように、自分でなるのではありません。

 聖子も、天地を愛することのできる相対圏が、そのように成してくれるのであって、自分でなるのではありません。ただで捜し立てたので、すべてを満たそうとすれば、生死の境を越えて、そのことを死ぬ時まで貫き、天上世界の個人、家庭、愛の理想を解放させる時まで行かなければならないということは、人類の責任なのです。人類の行くべき人生の行路を知らなければなりません。

 皆さんが、真の父母を愛することのできる主人の位置に立ったということも、息子、娘、夫の位置に立ったということも、真の父母がいるがゆえに、そのようになったのです。また、真の父母が「真の父母である」と言うことができるのも、皆さんが子女となっているからです。

 家庭も、すべてが備わっているので、国を編成することのできる、この大きな主人になることができるのです。ですから、一つでもなければ、未完成の夫婦です。それで、絶対に相対は必要であるというのです。分かりますか? (「はい」)お金をうまく集めて、それを一人でうまく使っているということを誇ってはいけないというのです。とんでもないことです。地獄に行って、その重荷に押さえつけられて暗い所に行くのです。

 この天理原則の愛は、お互いに助け合うところにおいて共同的な主人の資格を持ち、主体対象を成して、そこに神様をお迎えし、天上世界に持ち上げられて上がっていくようになっているのです。このような根本的な問題を知らなければなりません。それゆえに、独身生活を志願する男性や女性たち、ホモ、レズビアンのような盗賊たちは、動物よりも悪いのです。それは、愛の秩序を根本的に破綻させるのです。男性同士で愛する法がどこにありますか?

 それでは、男性と女性の生殖器、凹凸を、神様は何の目的で、そのようにつくられたのでしょうか?。凸凸同士で、それを出して結婚するのですか?。凹凹を合わせて結婚するのですか?。おかしな者たちです。このような者たちは、一代ももたずに皆、滅亡するのです。独身生活を強調してあの世に行けば、天の国のあるべき方向と反対に立っています。

 このようなかわいそうな者たちも、先生と兄弟姉妹の位置にいるので解放しようとするのです。千辛万苦の受難があったとしても、それを克服していこうとするのです。「すべてのことを解放するために行く」ということを知って、その伝統的解放の権限を、先生に従っていくことにより、先生の相対的位置に立つことによって、その価値を代身する位置に立つというのです。このような論理から、愛の天国編成が理論的に可能であるという結論が出てくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」)

 このようにして、世の中の悪い人も良い人も皆、血統が違うので怨讐であり、血統が同じならば、けんかする兄弟が別れたとしても、祝宴の日には訪ねてくるのです。そうですか、そうではないですか?

 兄弟は、けんかするときはふろしきを包んで、早く逃げていくというのです。近所の人とけんかするときには、ふろしきを包んで出ていくことはしませんが、兄弟でけんかをした場合は、別れていたとしても、けんかしていたどちらかの者が死んだというときには皆、訪ねてくるのです。ふろしきを包んだとしても、け飛ばしてしまうことはできないというのです。なぜでしょうか?。血統が同じだからです。

 一人で出ていったとしても、それは孤独単身な立場なのです。しかし、ここは孤独単身ではありません。血統が同じなので、木で例えれば、多くの枝が生い茂っているということです。ですから、一人で出ていったのであれば、孤独この上ないというのです。

 このようなとき、枝が生い茂った本体の木を訪ねてきて、自分も、「その木の一部となって、木陰をつくるのに力を貸してあげた」という理由によって、自分自身の価値の何百倍の価値のある位置に立とうとするのが、人間の欲望なのです。ですから、訪ねて来ざるを得ないのです。それが国を復帰し、世界を復帰し、本郷を復帰するための努力ということです。先ほど李相軒氏の話をしたとおり、わたしたちの本郷は永遠なる天国です。その本郷を尋ね求めていく道があるのです。分かりますか?

 それでは、結論をつけましょう。第四十回「真の子女の日」を過ぎ、第四十回「真の父母の日」も過ぎました。第四十回「真の子女の日」が過ぎましたか、過ぎていませんか?。一日の中心は正午であり、十二時を過ぎたので、過ぎたのではないでしょうか?。第四十回「真の父母の日」も過ぎ、「真の子女の日」も過ぎるようになったので、二つとも過ぎれば寂しいのです。

 一九九九年は、九数が三つあるのです。歴史以来、九数は「サタン数」です。「九つの峠は越えがたい」と言うでしょう。九つの峠です。ですから、この一九九九年にどれほど不思議な動揺が多いでしょうか?。このような、二千年代を迎えて、千年代を送別する最後の「真の父母の日」が過ぎ、きょうが最後の「真の子女の日」なのです。

 父母と子女が越えていく峠において、今後における「四十」ということを考えてみると、これは「四十」の「影」と言えます。まだ満四十年ではないのです。先生の八十年の満四十年が主体であるとするならば、これは相対的であるので、「影」と同じように見てもかまいません。縦的になれば「影」であり、横的になれば「相対」であるというのです。分かりますか?

 ですから、あらかじめここで準備するものは何でしょうか?。すべての父母と子女の間に間隔があります。今、蕩減というものを中心として天と地、父子の関係にある人間と神様の間に間隔があったものが、真の父母を中心として天と間隔が立てられ、相対的位置に立つのです。

 復帰過程における四十年の間、捜し求めてきたものが、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、このように復帰して現在、一番上の頂上に上がってきて、ぴたっと立っているというのです。分かりますか? (「はい」)父母が、横的に個人、家庭、氏族、民族、国家、世界をすべて、第四十回「真の父母の日」、第四十回「真の子女の日」を中心として、父子の関係を横的に同等の位置に立てておいたのです。

 復帰は、逆さまに上がっていくのです。先生が八十歳になる時には、ぴたっと一つになって、そのことを喜ばなければなりません。一つになって、どこに行かなければならないのでしょうか?。前進しなければならないでしょうか、後退しなければならないでしょうか? (「前進しなければなりません」)二十一世紀の理想的家庭圏へと越えていくので、第四次アダム圏解放時代を経て入っていくことのできる準備を締めくくる瞬間であり、どれほど緊張するであろうかというのです。分かりますか? (「はい」)

 「天城旺臨宮殿」の名前を中心として、「人を信じてはいけない」というのです。天の国の金城鉄壁のごとき城をつくって、サタンの侵犯から抜け出す解放の城をつくられた神様を王とし、その王を中心として七百億の祝福家庭を中心とし、地上の四億三千万家庭を中心として……。これは三十二億を超えます。このような人びとを中心として一つになり、すべてを成し遂げていくのです。満四十年になる時は、すべてのものが……。ぐるっと回っていったこの世界は、蕩減して一周して上の位置まで来ました。そこからは、さっと切ってしまい、逆さまに行くのです。

 ギアを知っているでしょう?。ギアは、かみ合った歯車の一つがこのようになり、一つは反対に回るでしょう?。サタン世界は、すべて逆さまに回っていた世界です。自分を中心とした堕落した世界。そのように、個人主義を中心とした堕落世界、自己主張する世界が堕落世界です。

 天使長が自己主張することによって脱線し、エバと自分を中心として堕落したのです。そのような人々が、宇宙を中心として帰っていくのです。ために生きるということを中心として、これをすべて切って生きていくのです。

 世の中と先生の生き方は違います。先生が反対されながら発展したのは、「ために生きた」からです。怨讐まで兄弟のように愛して涙を流したのです。そうして、今まで引っ張ってきて、すべてが水平化され、同じこの四方がぴたっと一つになり、地上と天上の神様と真の父母が、「天地父母」としてぴたっと一つになったので、霊界の子女たちも天地父母を通して一つになるのです。分かりますか?

 それでは、新しい出発はだれが先頭を切らなければならないでしょうか?。二十一世紀の理想家庭世界、道徳理想天国へと越えていくとき、だれが先頭に立たなければなりませんか?。神様が先頭に立たなければならず、真のご父母様が先頭に立つのです。分かりますか?。そうして地上の祝福家庭が先頭に立ち、霊界の祝福家庭が先頭に立つのです。

 このようになることによって、アダム家庭は一つですが、本然のエデンの園で完成することのできる家庭的隊列が、そのような観点に立って世界万民の平準化価値の同等圏を占有するようになるのです。そうして、堕落した万国の家庭の罪人たち、兄弟全部が、平等な価値を中心として真の父母に従い、神様に従い、地上の祝福家庭に従い、天上の祝福を受けた人に従い、すべてのサタン世界が従って入っていくことができるのです。分かりますね? (「はい」)それゆえに、「ルーシェルの解放」や、「天上の解放」や、「地上の解放」という、このような言葉が必要なのです。

 ですから、アダム家庭で堕落していなかったならば……。今まで数千万年の間、経てきた歴史では天の国が空いていましたが、それを今一時に持ってきて合わせるのです。そのような入籍時代が来ることによって、先生が一代から二代、三代と、数千代が分かれていたものを逆さまにして合わせるのです。

 それで、堕落していない本然の天国形態を迎えることのできる孝子の中の孝子であり、忠臣の中の忠臣であり、烈女の中の烈女であり、聖子の中の聖子として、サタン世界の歴史において飛躍する家庭的孝子時代、家庭的忠臣時代、家庭的聖人時代、家庭的聖子時代を迎えるのです。そうしてこそ、万国に天の国を中心として解放の地上天上天国が完結するのです。分かりますか? (拍手)

 ですから今、すべての世界人類は国がなく、いつ滅びるか分からない悲運の歴史路程に立っていますが、今は「悲運」の歴史を片づけて、「喜運」の歴史過程に千年、万年立つ国を捜すのです。その国は、どこのだれにも強奪することはできず、占領することができない絶対的な神様の国になります。

 その国は、そのような真の愛を中心とした天の国であり、絶対的なのです。言ってみてください。「絶対的だ、天の国は。真の愛を中心として成し遂げられた天の国は、絶対的な国だ」。(「絶対的な国だ」)。「神様の属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、唯一の国だ」。(「唯一の国だ」)。そのような国で日本の国の言葉を話せば、サタンが踊りを踊るのです。

 それから「不変の国だ」。(「不変の国だ」)。「永遠の国だ」。(「永遠の国だ」)。この地上に存在する被造物は、いかなる存在であれ、そのような国の万物になりたがるのです。それが被造物の最高の理想であったということを知らなければなりません。これを失ってしまったので、理想的国の主人は、これを再び復帰して万宇宙解放を宣言すべきであるということを知らなければなりません。(「アーメン」)

 それでは、あなたたちはどこの国の人ですか?。どこの国の人ですか?。日本人ですか、天国人ですか? (「天国人です」)。日本にしがみついたままでですか?。日本を後ろ足でけってですか、日本を後ろ足にくっつけてですか?。

 乗り越えなければなりません。乗り越え、引っ張って乗り越えさせてこそ、日本が生きるのです。分かりますか? (「はい」)。乗り越えるべきであるのに、越えることができないようではいけないというのです。

 断ち切って、きれいに乗り越えて天の国に入籍し……。米国に日本人が入籍すれば、米国人になるでしょう?。入籍が待っています。分かりますか?。そのようなことは知らないでしょう?。先生を絶対に信じてついていくしかありません。知らないのですから。

 あなたたちは、先生の子女たちでしょう? (「はい」)。本当の子女ですか、偽物の子女ですか。(「本当の子女です」)「いつでも先生を絶対不信しよう」ですか? (「「絶対に信じよう」です」)。先生を絶対に信じて、利益になることが何かありますか?。サタン世界をすべて否定するのです。

 先生を絶対信仰して損害になるようなことは、絶対にありません。そのことについて話せと言うのならば、「うそである」と言い立てることのできない内容がありますが、今は時間がないのでできません。先生は信じるに値しますか、信じるに値しませんか? (「信じるに値します」)

 先生は、冗談もうまく、話もうまいでしょう。臨機応変のチャンピオンだと言われました。「テレビ放送のアナウンサーになっていたら、世界一の俳優になっていたのに、なぜ統一教会の教主になったのか?。ふふふ……」と言いながら、「かわいそうだ」と言うのです。(笑い)

 統一教会の教主になってふびんに暮らしたのです。先生の顔はよくありませんが、姿勢や体格を見ても、八十歳の老人が、今でもどのようなことでもできるのです、どのようなことでも。分かりますか?。今でも足が頭まで上がっていくのです。見てください。座ればこのようになるのです。一度見てください。(足を頭の後ろに上げるなどのポーズをされる)



 皆さん、一度やってみてください。つきますか?。体でみても、できない運動がなく、できないことがありません。頭をみてもできないことがありません。神様までとりこにしたではないですか?。何ですか? (「お父様は青年でいらっしゃいます」)。わたしは青年は嫌いです。青年は嫌です。わたしをしきりに「青年だ」と言って、お使いをさせようと思っているのでしょう。(笑い)

 わたしが日本語を学んだのも、十六歳の時からです。一年以内にすべて学んでしまいました。この日本の国を消化するためです。いくら日本語を早く話す人も、わたしには勝てません。八十歳の老人が五十年前に話していた日本語を、今話しても発音もこのくらいならば聞き取ることができるのです。

 「わたしは、死んでも真のご父母様を放すことはできない」。アーメン。(「アーメン」)。「真のご父母様に従って、刑場の露と消えたとしても栄光だ」。(「アーメン」)。「千年、万年、万代たっても、それ以上可能だ」。(「アーメン」)。(拍手)
 そして、神様がわたしを信じています。分かりますか?。神様がどのくらい信じているのですか?。絶対に信じています。神様はどれほど気難しいおじいさんであられるのか、信じることができないので、どれほど試験したのか知っていますか?

 わたしが監獄に入って寝ているのですが、「こいつ。ここは監獄なのになぜ横になっているのか。起きて祈祷しなさい」と苦しめるのです。ついてきて苦しめるというのです。監獄が嫌になるようにです。監獄は、神様が許諾して入っていったのです。入っていったのならば、好きになって出てこなければならないのであって、嫌いになって出てきてはならないのです。

 ですから、監獄が好きになれるように訓練するのです。監獄が好きで六回も入っていきました。嫌々入っていきましたか、喜んで入っていきましたか?。入っていくほどに良い所があるので、もっと良い所が残っているときは、入っていくのです。

 あなたたちも同じです。あなたたちには愛する息子、娘がいますが、神様がわたしを訓練したように、あなたたちを訓練して、もっと良い福を受けるようにしてあげなければならないでしょうか、良い福を少なく受けるようにしてあげなければならないでしょうか?。どちらですか?

 わたしは、福を少なく受けるようにしてあげたいし、それがご父母様の願いなのですが、(笑い)あなたたちはどうですか?。あなたたちの願いは何ですか? (「もっと良い福を受けたいです」)

 それでは父母を苦労させようということになるのではないですか?。そういうことではないですか?。それを知っているので、わたしはあらかじめ苦労しておきました。ですから、あなたたちを少なく苦労させようというのでしょうか、もっと苦労させようというのでしょうか?。少なく苦労させ、もっと大きい苦労はわたしがしたので、あなたたちは「千年、万年、もっと苦労する道を行ったとしても感謝だ」ということになり、それゆえに「その家庭には不和がありえない」という伝統が立つのです。アーメンですか、ノーメンですか。(「アーメン」)。知っていることは知っています。良いことは、やはり良いようですね。

 きょうは、良い日です。四十の峠をすべて越えるにおいての相対的「真の父母の日」と相対的「真の子女の日」を迎えて、本然的父母の日を迎えるための、子女として清算すべきすべてのものを清算し、きれいに天地父母と一つになるのです。そうして、天の国の祝福家庭と地上の祝福家庭は、皆さんが兄の家庭として立ち、天の国の家庭は弟の家庭として立って、「天地合徳」したすべてのものが天の国に入っていくようになります。

 さらに、神様を中心として二大系列に従って、先祖が滅ぼしたものを代身して天の国に編成し、班列(位階の順序)を中心としてアダムから数千万年の歴史時代のすべての人を一人も残さず天上世界に入るようにしているのです。

 このように、一人も残さずにすべて解放し、堕落していない本然の心情圏を合わせるのですが、それを神様が喜ばれるでしょうか?。堕落した先祖たちを連れて、ぼろぼろのふろしきを持っていって、何を喜ばれるというのでしょうか?

 しかし、国があってこそ忠臣になるのです。アダム家庭に国がありません。世界があってこそ、聖人になるのです。しかし、聖人の道理を持つことができませんでした。天地があってこそ、聖子になるのです。そのような基盤が、アダム家庭にはなかったというのです。

 未来に成すべきアダムの使命が、延長されて待っています。すべての天地、神様までも解放することのできる歴史的時代に、家庭もあり、氏族もあり、民族もあり、国家もあり、世界もあり、天宙もあり、神様まで一体的勝利圏を持つようにしなければなりません。

 そうすることによって、神様が願われることは、「今、すべての地上、天上天国の一体化した開門時代を迎えたこの時において、全世界はすべてが一つになって孝子になる」ということなのです。分かりますか?。祝福を受けた家庭が、家庭の孝子になるのです。アーメン。(「アーメン」)

 歴史を超越し、堕落圏を越えて解放され、第四次アダム圏、神様の全権時代において家庭的孝子と国家的忠臣に自分の家庭がなることができるのです。堕落によって、個人からすべてが延長されてきたものが、今、アダム家庭が世界を抱くことのできる最高の頂上の立場に立ち、完成の位置に立って、家庭的孝子、国家を代表する忠臣、世界を代表する聖人、天地を代表する聖子の家庭になるのです。

 そしてこれが、堕落していない個人的家庭に確立され、勝利した万民たちが「オーケー圏に行って孝子の価値を持つことによって、家庭的孝子、家庭的氏族、民族、国家、氏族的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖子の道理を完成しなければなりません。

 家庭、氏族、民族、どの時代においても、すべてこれを成すことのできるそのような系列的な価値を備え、最後の頂上で世界史的な家庭的孝子、家庭的忠臣、家庭的聖人、家庭的聖子の権威を持ったので、そこには堕落という影がありません。それは、天のために精誠と血と汗を流して苦労した功績の何千万代の価値があるのです。そのことによって神様が誇ることができ、サタン世界の血統を最初からきれいにし、真の父母が成したその価値の存在を新しい天国に移行したとしても恨がなく、誇るに値するというのです。アーメン(「アーメン」)。このようにすることによって、神様が解放されるのです。(「アーメン」)

 天の国の族チョク譜(家系図のようなもの)を中心として一時にすべてを満たすのです。夢のような話ですが、そのようになります。先ほど李相軒氏が報告した内容を見れば、地獄にも光が発せられているでしょう?。分かりますか?。地上において一つの国、三つの国、四つの国と復帰されていくならば、地獄世界の底まで今、楽園で輝いていた光がそのまま降りていくのです。

 そうして、これから罪を犯した人がいたとしても、地獄には行きません。天上世界の自分の先祖たちと自分の先輩、兄、姉が降りてきて、昼夜なく代身して蕩減してくれるのです。そうして彼ら霊人たちを連れて回りながら、自分が打たれ、悪口を言われながら暮らしていくことによって、引かれて上がっていくのです。

 絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、個人時代、氏族時代、民族時代、八段階をさっと上がっていくのです。一瞬のうちに解放され、神様の全体、全般、全権の時代が来臨するのです。そのために、「天城旺臨宮殿」の出発が、きょう、この第四十回「真の子女の日」を迎えたこの位置で時を合わせて行われ、昨日ときょう、このようにして行事が行われたという事実は、直接的に、縦に、横に連結することのできる祝福の時を迎えたということです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手)

 ですから今、新しい意識とともに、新しい誓いと新しい決意を確かめなければなりません。わたしたちは、国を復帰しました。国のある民族です。どのような国ですか? (「天の国です」)。天の国です。神様の国です。この国が世界の頂上に立っているので、サタン世界の国は問題になりません。今では、文総裁に従わなければ、天がすべてたたきつぶしてしまわれるのです。

 「日本も長くは続かない」、「日本列島は、横になって太平洋に沈む」、「日本は、今年が危機だ」と予言者たちが言っていますが、そのようにならないように、文総裁が防御しているということを知らなければなりません。

 足どりも堂々として、独裁者以上に宣布するこのようなレバレンド・ムーンと統一教会を、どうして世の中が歓迎するでしょうか?。追放すべきでしょう。なぜ追放できないのでしょうか?。なぜ追放できないのですか?。真の父母だからです。分かりますか?。なぜ追放できないのですか? (「真の父母だからです」)。真の父母だからです。

 真の父母が尋ね求めてきた受難の道ゆえに「独裁者である」と言うのならば、それはどれほどの独裁者か分かりません。一代独裁者、十代独裁者、家庭的独裁者、民族的独裁者、国家的独裁者、世界的、天宙的独裁者でしょう。しかしそれは、サタンを中心とした独裁者の迫害を受けながら勝った真の父母を、自分たちの都合で独裁者扱いをしてきたのです。

 ところが、そのような扱いを受けてきたことを返すべき位置に立ったので、手を挙げ、口を開いて反対できるものを探し出そうとしても永遠に探し出すことはできないので、歓迎せざるをえない絶対的な運命になったのです。「ノーメン」。(「アーメン」)
 「ノーメン」は、「NO(ノー)」ではなく「KNOW(ノー)」ならばよいというのです。皆、耳では理解しているのですね。(笑い)先生の舌が悪くて悪口を言いながらも、先生の笑っている姿は「愛している」ということです。一番愛する人につらく当たるのです。それは悪口なのですが、悪口を言いながら愛しているというのです。

 それはどういうことかというと、「サタンはついてくるな」ということです。分かりますか?。悪口を言うので、サタンがついてこようとしても後ろに行くのです。ですから、もしも「この日本の女性たちは顔立ちがよくない、この女性たち、死になさい」などと言われたとしても、そのように言うときは「アーメン」と言わなければなりません。分かりますか? (「はい」)

 こうしてもよく、ああしてもよいのが、真の父母の国の権威です。一度言ってみてください。「こうしてもよく」、(「こうしてもよく」)。「ああしてもよい」。(「ああしてもよい」)。「打たれてもよく」、(「打たれてもよく」)。「踏まれてもよく」、(「踏まれてもよく」)。「冷遇されてもよく」、(「冷遇されてもよく」)。「どろぼうされてもよい」。(「どろぼうされてもよい」)

 父親が、娘をふろしきに包んで持っていったならば、それはどろぼうですか?。やはり、どろぼうはどろぼうでしょう。しかし、もっともなことなのです。それを「どろぼうだ」と言ったら滅びるのです。追い出されるのです。分かりますか?

 ふろしきを持って来ますか、持ってきませんか?。真のご父母様が「ふろしきを持ってきなさい」と言えば、持ってきますか、持ってきませんか?。真の父母に負った負債をすべて返そうとすれば、どのようなことでもできないことがあるでしょうか?。そう考えたならば、元気が出ましたか?

 夜になってきたのですが、居眠りする人はいませんね。その後ろの隅に居眠りしている人がいますか、いませんか?。真の父母がどのようなことをしたとしても、それは感謝であり、ありがたいのです。「地獄に行く」と思っていたのですが、行ってみると天国に行ったというのです。それならば、かまわないでしょう。

 神村氏。霊界との通話を解決するようにと、「研究しなさい」と言ったのですが、第一段階は成功しました。それを見せてくれますか? (「はい」)。何を見せてくれるのですか?。霊人体が見えますか? (「まだ見えません」)。まだではないですか。(笑い)

 さあ、もうわたしもおなかがすきました。(笑い)おなかがすきました。やめましょうか、もっとやりましょうか? (拍手)それは何ですか?。やめようといって拍手しているのですか、もっとやれといって拍手しているのですか? (笑い)お父様も息子、娘が喜べば、もっとやらなければならず、自分の思いどおりにするならば、やめなければならないのです。

 息子、娘が、いつまた先生と出会うのですか?。今から先生は、あなたたちを否定するのです。今まで世の中を否定したので、愛の心情圏を中心として統一教会の先生は、あなたたちを否定するのです。心情一致ができなかったので、否定して、完全にゼロの位置で絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければ、新しい段階に越えていくことはできません。

 今、わたしたちが願う神様の愛を中心とした理想的天国は、絶対的な国であり、唯一的な国であり、不変的な国であり、永遠な国なので、その国の国民になるために「私」は、神様の愛を中心とした子女として、絶対的な息子、娘であり、唯一的な息子、娘であり、不変の息子、娘であり、永遠な息子、娘になるのです。(「アーメン」)

 その絶対的息子、娘が、天の国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国の国民がいなければならず、国土がなければなりません。その国の国民は、国に被害を被らせるのではなく、その国の国土を愛し、神様が創造されたように、創造された種を繁殖させなければならないので、この地上が荒廃していくのを防がなければなりません。

 地球上では毎年、砂漠が増えています。それは、木がないからです。わたしたち統一教会は、神様が創造されたように、種という種はすべて手に入れ、根という根はすべて手に入れ、枝を切って森林を育成し、万物を創造された神様の創造の愛を代身して、この地上に植物を植えなければなりません。そして国土を保護しなければなりません。

 国土には草木があり、動物がいて、それから人間がいなければなりません。これが廃虚になれば、人生は自動的に廃虚の歴史になります。今、創造理想の目的が埋没せざるをえない運命におかれているのです。

 ですから、わたしたちは神様を愛し、神様の国を愛し、神様の主権を愛すると同時に、神様の国民を愛し、神様の地を保護し、万物全体を再創造して、神様の創造理想世界の豊かな「解放民族自然世界」をつくらなければなりません。

 それでパンタナールの種は、植物や動物も、本来神様が創造された「源焦的」なものの宝庫になっているので、それをわたしが守って保護するための世界的な運動を起こしているのです。それに協助しますか、しませんか? (「協助します」)

 堕落はエバのゆえです。ですから、「エバ国家である日本の国家メシヤたちは、パンタナールで先頭に立って仕事を進行させなさい」と言いました。それはありがたいことですか、悪いことですか?。母の肉を売ってでも、子女が植物、動物を育てていくことができるように後援しなさいというのです。日本の国を売ってでも、日本の地を掘り返してでも、そのことをやりなさいというのです。

 日本の国が、世界の地に血統を連結させるので、日本の国の所有は自然にできるのです。それを歓迎しますか、しませんか? (「歓迎します」)。それゆえに、日本に住んでいる統一教会の信徒たちは「全員裸で、三角パンツだけはいて南米に来なさい」と言えば、来なければなりません。そこは家が必要ありません。分かりますか?

 天幕を張るのに、木綿の布が六枚もあればよいのです。それがあれば、柱をぴたっと立てて支え、そこに石を置けば、人が五人入って寝るのは問題ありません。家が必要なく、服も必要ありません。三角パンツをはけばよい、というのです。(笑い)日本は、昔からふんどしで生活していたではないですか?。ふんどしをすればよい、というのです。

 また、家が必要なく、着るものが必要なく、食べるものはどこに行ってもたくさんあるのです。分かりますか? (「はい」)。山に行けば、パパイヤなど果物の中でないものがありません。そのように果物も豊かで多く、食べるものが多いのです。鳥の種類、虫の種類だけでも三千六百万種います。日本の食口たちは、「百万匹ずつ買っていきなさい」と言えば、買っていきますか、いきませんか?。買わなければならないでしょう?

 日本に生き物がいなくなってはなりません。日本を保護するための保護策として、温度を合わせた地域をつくり、そこをパンタナールと同じにしておけばよいのです。そうすれば、神様がごらんになるときに、「わたしの息子、娘が、十分な価値を成して、完成の資格者となって、どこに行ってもオーケーな人だなあ」と言われるのです。「アーメン」と言ってください。(「アーメン」)。話をよく聞きましたね。希望がありますね。絶望の日本の群れになってはいけません。

 わたしたちの国の、神様が絶対に愛される国の主権は、絶対、唯一、不変、永遠の主権なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国は、絶対唯一の主権であり、唯一の国であり、唯一の国土なのです。アーメン。(「アーメン」)。永遠不変な国土です。アーメンですか? (「アーメン」)。神様の四大属性で願われた、すべてのことがオーケーすることのできる国だということです。

 それならば、その国の国民になったわたしたちは、家庭が入籍するのです。その家庭も絶対、唯一、不変、永遠の家庭なのです。相対的だからです。これは絶対に守らなければなりません。そのようにすることができますか、できませんか? (「できます」)

 わたしたちの夫、妻は、絶対、唯一、不変、永遠の夫であり、妻です。それは、もう決定的ですか、まだ未定的ですか?。決定的ですか? (「決定的です」)。決定的ですか? (「はい」)。口を開いて答えた人は、自分の横の夫や妻を見てください。決定的ですか、未定的ですか? (「決定的です」)。口をつぐんでいる人は皆、「口よ腐れ」と言えば腐るかもしれません。

 それでは、その家庭の所有物は何でしょうか?。自分が神様から相続した所有物は、絶対、唯一、不変、永遠の所有物です。それは、売ろうとしても売ることができません。このような観点から見るとき、韓国にある基盤、先生がつくっておいた絶対、唯一、不変、永遠の天の国の基台、天の国の国民のためにつくった工場を売ってしまわなければなりませんか、残さなければなりませんか? (「残さなければなりません」)。それは、だれがするのですか?

 天の方向にそぐわなければ、今の経済事情が悪くなることでしょう。日本は、経済的に韓国に反対しようとし、統一教会に反対しようとしているでしょう?。韓国のゆえに日本が生きたのです 日本は、過去の歴史において、アジアを占領した占領者の頭です。ですから、そのような負債を返すことによって罪を赦してもらい、アジアの前に謝罪するのです。日本は、アジアの怨讐ではないでしょうか?。韓国侵略、中国侵略、ソ連侵略など、侵略した国です。アジアの侵略帝国です。そのような犯罪を何で償うのですか?

 「韓国を協助し、先生を協助した」という条件を中心として韓国を解放し、「韓国の負債を払った」という事実によって、「アジアの侵略者」としてのレッテルがなくなるのです。そうであるにもかかわらず、ああだこうだと言うのですか?。昔、離れた女性たちは「アイゴー、文総裁は滅びる」と言うのです。そう言われれば、早く滅びなければなりません。しかし天の国は、(先生が占領するのではなく)神様が占領されなければなりません。何のことか、分かりますか?

 わたしたちの、神様の絶対的愛の主権は、絶対、唯一、不変、永遠なのです。アーメン。(「アーメン」)。その国の主権もそうであり、その国の国民もそうであり、その国の万物もそうなので、今、もう一度整備して、絶対、唯一、不変、永遠な国民の再登録をしなければならず、万物もそのようにすることができるように再整備しなければならない時なのです。ですから、全体がこのように回っていたものを、このように反対に回さなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)

 今、国のために税金をささげる時が来ました。税金をささげなければなりません。国が必要でしょう?。それでは、国の税金をどこにささげなければなりませんか?。真のご父母様の前にささげなければならないでしょうか、神様の前にささげなければならないでしょうか?

 それで、「天地父母である」と言ったのです。「天地父母」です。天地父母にささげなければなりません。個人的基準でささげれば、個人相対圏になるのであり、家庭的基準ではこのくらいに高くなるのであり、氏族基準でさらに高くなるのであり、国を、全体をささげれば、天の国に接ぎ木することのできる位置にまで上がっていくようになるのです。

 それゆえに今、救援時代は家庭救援圏ではなく、氏族救援、国家救援、世界救援、一時に地上、天上天国時代なのです。真の父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、一時で、瞬間で天地が復帰されうる時代になったというのです。したがって、皆さんの努力がどれほど必要であるか分かりません。皆さんが、するとおりになるのです。そのように警告します。

 今から、既成教会の人たちが統一教会に入ってくる日が遠くありません。それは間違いありません。狭い門に押し寄せて来るのです。それならば、財産であれ何であれ、すべて売り払っていけば、皆さんたちが先んじるのです。氏族的基準、国家的基準を全部皆、献納して、総生畜献納祭をするようになれば、あなたたちは彼らを皆、置いてきぼりにすることができるのです。

 それゆえに、かわいそうな、何もない「統一教会の一文無し」になりなさいというのです。何に「なりなさい」と言うのですか?。避難民です。分かりますか?。避難民の大王陛下、避難民の長子陛下、避難民の父母陛下、避難民の王陛下にならなければなりません。

 ですから、先生が避難民の大将になるのですが、そこに来るつもりですか、来ないつもりですか? (「行きます」)。日本で豊かに暮らすお金持ちの着る服を着て来ますか、三角パンツだけはいて来るのですか? 「三角パンツだけはいて来なさい」というのです。

 日本の国の十分の一を売っても、南米のすべてを買ってあまりあるのです。この日本人たちは、それを知りません。わたしの言うことさえ聞けば、間違いなくするはずなのですが。そのような基礎を今、築いているのです。分かりますね? (「はい」)

 南米から「裸で来なさい」と言えば、来ますか、来ませんか?。夫がいれば夫をほうっておき、子女がいれば子女をほうっておき、父母が反対すれば、父母をほうっておいて、一人で裸で来ても、わたしが食べさせてあげるのです。だれが食べさせるのですか?。真の父母が食べさせなければならないでしょう?。分かりますか? (「はい」)。今、「来なさい」と言うとき、乞食の者たちや追い出されたような者たちに「来なさい」と言っているのではありません。

 日本で一坪買うのなら、南米に行って二百五十坪買うことができるのです。(「わあ」)。何ですか?。なぜ「わあ」と言うのですか?。うれしくて、そう言うのですか、悲しくてそう言うのですか?ですから、すぐにやってください。日本に行って、ふろしきを包んでおいてください。「いつ、ふろしきを包むか分からない」と、家庭教育の時に話したでしょう?。今回、天地父母がすべて復帰されるのです。第四次アダム圏に入っていくので、大移動が起きるということを、この時間に宣言いたします。(「アーメン」)。(拍手)

 そこにおいて、天の国の入籍手続きをするかもしれません。反対していた者たちは、いい格好ですね。それで、わたしたちの家庭では、神様の絶対主権が必要であり、国においての主権が必要であり、国民が必要であり、万物が必要なのですが、わたしたちの家庭にも主権を代身した父母がいるのです。分かりますか?。国民を代身した息子、娘がいます。万物を代身した物があるのです。

 それは、小さい天の国の基礎基盤です。それをすべて天のためにささげてしまわなければなりません。そうしてこそ、大きい国、大きい世界が成し遂げられるのです。分かりますね?アダムが祝福を受ける前には、「所有」というものは持ちませんでした。愛の中心、天理の大道の中心、核になっている愛の因縁を持ったアダム家庭から所有権が始まるのです。

 ですから、家庭を持つ前に所有を持てば、それはどろぼうです。贓物(盗品)ということを知っていますか?。どろぼうのものを買えば、引っかかるのです。それで、国のものをささげなければなりません。ささげなければ、ありったけのものをだれが取っていくのでしょうか?。押収されるというのです。

 それゆえに、歴史のすべての財源というものは、「国の所有」、「世界の所有」であると思いなさい、というのです。結局、世界は一つなのです。話をする時間がありませんね。一つになるべき時が来ました。先生が明らかにしてきた歴史が、どのようになるのかをはっきりと知りながら、そのようなことができない人は、雷にでも打たれるべきでしょう。

 今からは、思うとおりに先生に会うことはできません。統一教会の祝福家庭は、もう一度死の……。北韓に追い出すのです。「三八度線の鉄条網に行きなさい」と言って、死地に追いやるのです。

 一度でも動いてこそ、先生の前に蕩減条件を立てるのではないですか?。相対的条件を立てなければならないのではないでしょうか?。それが原理ではないでしょうか? 「どのような命令をしたとしても、「私」は『実践躬行(実際に自分自身で行為を表すこと)』である」。「アーメン」と思う人は、拍手してみてください。(拍手)手を挙げてください。

 皆さんが「夜も昼も絶対服従する」と言うので、先生もしかたなく降伏します。手を上げて降伏します。さあ、これ以上騒ぐ必要はないのではないでしょうか?。わたしもおなかがすき、あなたたちもかわいそうなので、ご飯を食べさせてあげますから、安心して帰って、「また会う」という考えはせずに、明日も、あさっても、気をつけてお帰りください。「グッドバイ」。さようにして、並んでお帰りください。「さようなら」





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Last updated  2023.10.10 23:40:10
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