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奇   知   外   記

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2024.07.21
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第十九回「愛勝日」での御言
 第十九回「愛勝日」の記念行事が、二〇〇二年一月二日、文興進様十八周忌、惠進様三十八周忌、榮進様三周忌、喜進様三十三周忌、信禮様一周忌、さらに羅榮新様(惠進様のご相対)と李惠信様(喜進様のご相対)の追慕礼拝も兼ねて、天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で挙行されました。今年から「愛勝日」は、文興進様だけを追慕するのではなく、摂理史の中で犠牲になられた真のご家庭のすべての方を追慕することになりました。第四回「愛勝日」での御言を訓読した後、真のご父母様が集った約三千名の教会員に御言を語られました。


    真のご父母様の保護と保障を受けなければならない

 この時間は、霊界の興進君、霊界の祝福を受けた群れたちがすべて、ここに集まっています。 神様もここを中心として……。それゆえ、私がこの場から下りて少し御言を語って、結論を下さなければなりません。

 私たち統一教会の教会員たちは、服装も変わらなければなりません。今まで世の中の正装といえば、背広を着てネクタイを結ばなければなりませんでしたが、それを否定しなければなりません。新しい革命をしなければなりません。今後、先生は、このようなネクタイを結ばない服をつくろうと思います。分かりますか?

 本部にそのような服をつくる人を置くので、今から皆さんは、それを三着ずつ準備しなければなりません。三着ずつ準備して、それを公式的な集会などで集まる時に着なければならないのです。サタン世界の招待を受けたり、記念の行事をする時には、条件を立てて、サタン世界を導くために、ネクタイを結ぶことは許諾するのです。分かりますか? (「はい」)。変わらなければなりません。制服も変わります。霊界の基準に従ってしなければなりません。突然行えば世の中が驚くので、一つずつするのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。

 今、世の中を見れば、豊かに暮らしている人々や女性で、数十種類、数百種類の服を持っている人がいます。そのようにすることはできません。女性たちは、一日に何度着替えたいと思うのかというと、朝に着替え、昼に着替えて、夜に着替えたいと思うのが、女性たちの習慣性なのです。
 着た服を誇り、次には、着た服に合わせて化粧もしたいのです。化粧は、服に合うようにするのです。自分の顔が長い形態か、丸い形態か、四角い形態か、それによって服の色も自分が選択し、美術的な内容を備えることができる生活的中心夫婦にならなければならないと思うのです。分かりますか? (「はい」)。

 女性と男性はすべて、顔が違います。男性は顔が大きく、女性は顔が小さいとすれば、顔の小さな婦人は、服を大きくしなければなりません。化粧も、夫の格に合わせてするのです。自分を中心として化粧して遊びに出かけるというのは駄目です。分かりますね、女性たち? (「はい」)。

 お金を使うにしても、女性たちは隠れてたくさんのお金を使います。これで生活しなさいとお金を預けても、自分勝手に使います。女性は、一か月暮らす計画をすべて男性に「このように暮らします」と報告して、その範囲で活用し、バランスをとって預金をするとか、あるいは、だれかにあげたいと思えば、「だれだれにあげます」と言わなければなりません。一か月の計画した金額を超えれば問題になるのです。

 地の基盤が水平にならずに傾くので、終末に至って生活破綻が起き、悲しみが広がるのです。そのことを知らなければなりません。それが地上だけではなく、霊界に直結するのです。きょう、そのことを理解しなければなりません。

 今までの先生の一生において、迫害を受けてきた生活は、すべて霊界に直結した生活でした。霊界に地獄があるので、それを解いてあげるためには、はしごが必要です。そのはしごは、天上世界の頂上から地上地獄の底までかけて、それを忍耐して支え、そのはしごを踏み上がっていかなければならないのです。高ければ高いほど、はしごが長いのです。それを登っていくには、注意、注意……。一度言ってみてください。(「注意!」)。

 今、登っていくのは四位基台なので、父ははしごの右側に立っていて、母ははしごの左側に立っていて、息子・娘ははしごの下に立っていて、父のするとおりに一歩登り、母のするとおりに一歩登り、ついて行かなければならないのです。そうすれば、怖くないというのです。分かりますか?
 千尋、万尋の高い天国に登っていくのですが、ヤコブに夢の中で霊界のはしごを上っていくのを見せてくれたのは、未来の蕩減の道を行くことを見せてくれたものだということを知らないのですか?

 それと同じように、はしごを登っていくのに、父母と手をつなぎ、足も同じところを踏んで登っていけば、ついて行く息子・娘は怖くありません。父母の後について行くからです。別れてしまえば、ふらふらして落ちざるを得ない危険な道を行くのです。ですから、父母がはしごを登っていく道と同じように、皆さんが、息子・娘の前に一〇〇パーセント、手本になってはいけません! (「ならなければなりません!」)。

 父母たちはすべて、手本にならなければならないのです。先生も同じです。息子・娘の前に何を見せてあげたのかというと、苦労して悪口を言われる姿を見せてあげました。

 「私たちの父は、生涯、家にいないで、息子・娘をほっておいて出ていき、世の中では酒を飲んで放蕩息子になって国を滅ぼしているのに、酒も飲まずに何をしているのか分からない。いつも悪口を言われて監獄に引かれていき、町内から追い出されている。そのような父を私たちは好まない」。好まないものを好んでこそ、蕩減できるのです。分かりますか? ですから、統一教会は、世の中の人が好む自己中心の道とは、一八〇度、反対の好まない道を行かなければならないのです。

 手本にならなければならないのです。おじいさんとおばあさんが父母の手本になることができない家庭は、おじいさんとおばあさんができなかったことを、父母が蕩減しなければなりません。父母ができなかったことは、息子・娘が自分の家で蕩減しなければなりません。この法が残っているというのです。その法に従わないその一族は、分散、分散して、​​最後には、すべて失ってしまった孤児の立場になるのです。​​

 息子・娘がいる人、手を挙げなさい。では、息子・娘が好きですか、嫌いですか? (「好きです」)。では、好きだという父母が、良い父母ですか、悪い父母ですか? (「良い父母です」)。父母が息子・娘を好む、その相対的立場に立たなければならないので、息子も父母を好きになって、初めて平和が展開するのです。主体と対象が平和。ここで水平にならなければなりません。水平になって初めて、天が干渉して、地の中心の位置をつかもうとするのです。水平にならなければ、中心をつかむことはできないのです。分かりますか? (「はい」)。

 はしごをかけるのですが、そのはしごが曲がっていてよいですか? (「いけません。まっすぐでなければいけません」)。真のご父母様がはしごの中心になったとすれば、今後皆さんは、はしごの横木になるのです。それが祝福家庭です。皆さんの家庭です。真のご父母様がはしごの支柱になり、穴をすべて開けて、合わせることができるようにしておきました。これに合わせるには、その長さなどを知らなければなりません。いくら優秀だとしても、そのはしごがどのくらいの幅で、どのくらいの穴の大きさか知らなくては……。

 はしごをつくる時には、父に完全に「私のはしごはこうですが、どうでしょうか?」と尋ねて、「そうでなければならない」と言われなければなりません。真のご父母様が承認しないはしごの横木は、千万個あったとしても、必要ないのです。天国に行こうとすれば、真のご父母様の保護と保障を受けなければならないのです。

 そのように父母の前に順応せず、​絶対信仰、絶対愛、絶対服従​した一体的権限を備えることができなければ、いくらはしごの支柱が丈夫でも、仕方がありますか、ないですか? (「ありません」)。真のご父母様から祝福を受けた息子・娘の家庭は、中心の支柱である真のご父母様の横木にならなければならないのに、そこに合わなければ、役に立ちますか、立ちませんか? (「立ちません」)。きょう、そのことをよく知らなければなりません。

    はしごとは、成約時代の原理

 それでは、興進君の前に先生は父母ですか、何ですか? (「父母です」)。どのような父母ですか? (「真の父母です」)。真の父母とは何ですか? どこに行っても、息子・娘を中心として、その家法なら家法、天の国の天一国があれば、天一国憲法、その法に合わなければなりません。横木のようにです。自分が登っていく支柱があれば、その横木になることができなければならないのです。父母がそのようなはしごの中心の長い材木になっていれば、そこに合うようにならなければならないというのです。

 さあ、高いほど、はしごは狭くなければなりません! (「広くなければなりません!」)。高いほど、中心を支える横木の長さは狭くなければなりません! (「広くなければなりません!」)。広くなければなりません。どのくらい広くなければなりませんか? 自分勝手であってはいけません。自由というもの、個人主義というものは、滅亡を招来する罠であるということを知らなければなりません。

 見てください。おじいさんとおばあさんがいるにもかかわらず、「私はおじいさんはいらない」と言えば、そのはしごが折れるのです。はしごが曲がってなくなるのです。三代を通して登っていくのですが、一代がありません。このように考えるとき、おじいさんが必要ですか、不必要ですか? (「必要です」)。そのことを知らなければなりません。

 おじいさんがいない人は、どうするつもりですか? 借りてきて、偽者でも自分のお父さんに接ぎ木しなければなりません。嫌でも、接ぎ木してから死ななければなりません。そうしてこそ、天の国にはしごができるのです。おばあさんもいなければならないでしょう。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦、三代圏が茎を支えることができるように、力の中心台にならなければならないのです。

 その横木が、この中心の支柱よりも太くなければなりませんか、細くなければなりませんか? (「細くなければなりません」)。太ければどうなりますか? 太ければ登っていくことができません。登っていくときに、この横木をつかんで登っていかなければならないでしょう。これをつかんで折れてしまったら、落ちてしまいます。ですから、横木は中心の支柱よりも太くなければなりません! (「細くなければなりません!」)。太くなければなりません! (「細くなければなりません!」)。はっきりと話を理解してください。大きくなければなりません! (「小さくなければなりません!」)。小さくなければなりません。それを握っていくのですが、大きければどうなりますか? 合いません。事故が起きます。

 では、皆さん今、復帰路程において、家庭的メシヤが登っていくはしご、氏族的メシヤが登っていくはしご、国家的メシヤが登っていくはしご、天国に登っていくはしごが、同じでしょうか、違うでしょうか? (「同じです」)。はしごのこの柱が同じでなければなりません。皆さんの横木は、十個のところを二十個にしてもかまいません。分かりますか? 先生の御言を中心としてはしごをつくるのです。「ああ、私は背が高いので合わない」と言って、十個のところを八個にしてもかまいません。それは、他の人よりも早く登っていくのです。他の人よりも早く登っていくことは、良いことです! 悪いことです! どちらですか? (「良いことです!」)。

 話を理解することができなければなりません。気を引き締めて聞かなければなりません。決定的な問答をする時に間違えば、地獄と天国に分かれる時が来ました。それはどういうことでしょうか? きょう、先生の話をいいかげんに思う人は、いいかげんにできた地獄に三六〇度、逆さまに落ちてしまうのです。しかし、分別をもってそれを聞いた人は、「天国に行くな」と言っても、登っていくのです。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン!」)。

 それでは、今から天国に行く時に、天の国に登っていく八段階のはしごをつくって登っていきますか? 一緒につくって登っていくのがやさしいでしょうか、どうでしょうか?

 はしごの見本を写して、自分の身の程に合わせてはしごをつくったとしても、神様は「おい、こいつ。私がつくった設計どおりにしなさい。なぜ、自分勝手にするのか?」とは言いません。息子・娘なので許すのです。真のご父母様を不便にさせてしまったので、復帰摂理も楽に行くことができるように、一度にすべてやってしまえば、どれほどよいでしょうか?

 八段階に分けるのは悪いことのようですが、登っていきやすいので、否定する人はいません。神様は「自分に合うようにはしごをつくりなさい」と言われたのですが、サタン世界には原本がないというのです。設計することができる原本です。

 あなたたちは、ここに来て座っているのですが、どのように座っていますか? 自分勝手に座っていますか、何、定着ですか? (「正午定着です」)。ここに来れば、正午定着しなければなりません。正午定着という言葉は、先生が入籍修練会で強力に話をしました。正午定着しなければなりません。過去のことが影にならず、現在においても影をつくらず、未来においても影がないようにするのです。神様が正座された、その垂直の真下の位置に立っているのが、正午定着です。良いですか、悪いですか? (「良いです」)。

 それでは、オーケーと言って天国の門を開けば、だれが先に入っていくのですか? 女性が先に入っていくと思いますか、男性が先に入っていくと思いますか? それが問題です。天国に一緒に入っていくとすれば、女性が先頭で入っていくのですか、男性が先頭で入っていくのですか? 「二人が完全に通ることができる門である」というのが、公式にならざるを得ません。反対しますか? (「しません」)。

 救世主とは何ですか? はしごを中心として登っていくことができないので、登っていくことができるようにするのが救世主だというのです。真の父母が来たというのです。はしごが自分勝手につくられてはいけないのです。規格をつくるのです。いくら困難でも、いくら春夏秋冬が変わり、革命が起きても、登っていくならば、間違いなく神様の玉座圏内にまで参席することができるのです。そのはしごの規格がなければならないのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。

 さあ、個人復帰するうえで、一人でするのは困難です。分かりますか? 家庭復帰するうえで、自分たちだけでできるでしょうか? はしごをつくって登っていくことはできません。つくっておいても、またつくらなければなりません。家庭のはしごの上には国家のはしご、国家のはしごの上には世界のはしご、世界のはしごの上には天宙のはしご、天宙のはしごの上には神様の愛のはしごがあるのです。そこまで行かなければならないのです。

 はしごを自分勝手につくりますか? (「いいえ」)。ですから、絶対、(「従順!」)。信仰! 「ああ、絶対愛だ、絶対否定だ」。嫌でしょう。絶対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、絶対定着しなければなりません。定着した後に生活をするようになれば、「安着」という言葉になるのです。

 ですから、神様の祖国定着大会をしましたか、できませんでしたか? (「されました」)。そして、どのようになるのですか? 安着です。その次には、天一国定着とともに安着を宣布し、安着とともに安息するのです。すべてを成し遂げれば、その次は、ぐっすり休もうというのです。

 安着だけが目的ではありません。本来は、「安着、安息、万歳」と言うのですが、あまりにも長いので、「安着万歳」にしたのです。「万歳」というのは何ですか? それはいいかげんにするのではありません。国があって、保障され得る背景が必要なのです。「個人だれだれ万歳」と言うとき、自分を守ってくれるではないですか。そこには、氏族があり、民族があり、国家があって保障を受けることができるので、万歳なのです。保障を受けることができる環境もつくることができずに、万歳をすれば、それは狂った人です。分かりますか? (「はい」)。

 先生を通して天地の保護圏、世界を越えた保護圏、聖人の保護圏、それから国家保護圏、民族保護圏、氏族保護圏、家庭保護圏、個人保護圏をつくる、はしごをつくっておいたというのです。そのはしごが、統一教会で言う成約時代の原理なのです。アーメン! (「アーメン!」)。原理とは何ですか? 理知にかなった原理、根本にかなった理知です。

 興進君も霊界に行って、はしごがなければ登っていくことはできないのです。そこまで登っていったのは、先生が背負って登っていったのです。真のご父母様が背負って登っていきました。「もうすべて登ってきたので、おまえは下りていくことができる」。そうではないですか? あまりにも高いので、登っていくことができないと思っていたのですが、山頂に登ってみると、下りていくのは、本当に簡単だったというのです。

 私は申年なので、木にも上手に登るのです。亨進君も運動の素質があるでしょう。体が柔軟です。今でも先生は、この指がここにつきます。相撲をすればチャンピオンになり、レスリングをすればチャンピオンになり、柔道でもチャンピオンになることができる素質があるのです。それをしても生きていくことができるのに、統一教会の文教主という道に、間違って来てしまいました。一番愚かなものをつかみました。茨の道です。上にも刺、下にも刺、四方に刺です。

 はしごが必要ない人、手を挙げてみましょう。はしごが必要ならば、目を閉じて手を挙げなさい。手を挙げるのも、両手を挙げようとするのですか? 挙げたいように挙げてください。下ろしてください。

    地獄を撤廃し、サタンを追放し、神様の王権を迎え入れる

 さあ、きょうは何の日ですか? (「愛勝日です」)。愛勝日です。愛勝日とは、どのような日ですか? 愛が勝利しました。何を勝利したのですか? 愛が何に勝利したのかというのです。(「死亡です」)。どんな死亡ですか? 死亡の親分、サタンに勝利し、サタン世界に直結した地獄を撤廃してしまいました。それを勝利したのです。分かりますか?

 では、そのような愛勝日を守る人たちが、サタンの罠に引っかかるのですか? 地獄に行った人たちが歩んだ足跡に従っていくのですか? 「死んでも従っていかない!」という自信がありますか? 批判しなければなりません。

 勝共大会を何か所でしたのですか? (「八か所です」)。八か所に何か国の代表が集まったのですか? (「七十二か国です」)。七十二か国です。七十二数は、イスラエル民族がエジプトに下っていったその三族(父の家系、母の家系、妻の家系)の数です。七十二数の中には、十二支派が含まれるのです。それゆえ、八十四名と同じ数に該当するのです。

 イエス様も、十二弟子と七十門徒、百二十門徒……。七十門徒だけでも、モーセはカナン復帰する必要がありませんでした。イエス様も、八十四名、七十二名が一つになって十二支派を編成することができていたならば、イエス様は死にませんでした。百二十門徒は、東西南北を通して四方を備え、この天地の運勢が十二数なので、百二十名を備えてその中央の位置に立つようになれば、イスラエル民族解放圏、イスラエル家庭解放圏、国家解放圏の中心になるのです。分かりますか?

 そこで十二支派が一つになり、そのようになれば、この世界の十二国家の中心となり、相対的十二数と一つになれば、世界が統一され、統一された世界の基準が中心となって天地の十二数を合わせれば、天下が統一されるのです。その中心の根は家庭です。家庭なのです。分かりますか? そして、氏族です。十二氏族です。

 きょう愛勝日の日に、皆さんに勧告することは、愛勝日をもって何をするのかということです。何をするのですか? 地獄を撤廃し、サタンを追放し、神様の王権を迎え入れるのです。目的はこれです。

 それでは、愛勝日のその原則に従っていく人は、どこに行っても勝利だけがあるのであって、破綻はあり得ないということを知らなければなりません。先生がそのようなはしごの原則に従って四十年間歩んでくる中で、艱難が起きた時には、サッと頂上の神様にピタッと九〇度で、その下に立ちました。

 愛勝日の勝利は、神様を占領するためのものだというのです。神様を占領すれば、神様はどこに行かれるのでしょうか? 神様の家庭がなければならず、神様の氏族が必要であり、神様の民族が必要であり、神様の国が必要であり、神様の世界と地上天国が必要なのです。分かりますね?

 神様を占領するのに、いきなり頂上に登っていく方法が、どこにあるのですか? チャンピオンシップを勝ち取ろうとすれば、地方の愚かな人が訓練されて地方の親分になり、その次に郡の親分になり、道の親分になり、国の親分になり、世界的親分になって、世界チャンピオンの神様の代身となり、神様が出てこられて「おい、おまえ、よくやった」と歓迎してくださるのです。

 神様も、一度にガチャッと、全知全能な神様になられたのでしょうか? 神様も成長しながらそのようになられたでしょうか? (「成長してそのようになられました」)。それをどうして知っているのですか? (「原理がそうです」)。原理がそうだというのですか? 道理がそうです。原理というものは、原則を言い、事実と合うものが道理です。「道理にかなう」と言うでしょう。原理原則に合えば、「道理にかなう」と言うのです。言葉を分別して言うことができなければなりません。

 神様も成長してこられたのです。では、神様がお生まれになった時があったのでしょうか、なかったのでしょうか? それが問題になるではないですか? 原理講義をするのに、それも考えてみなかったのですか? 生まれる時には、神様が一人でお生まれになったのでしょうか、神様の妻になる人も生まれたでしょうか? 「アダムとエバのように、神様も双子で性相と形状の一体ではないか」ということを考えてみましたか? 双子で育ってこられたでしょうか? 一人で孤独に生きてこられたでしょうか?

 双子で生まれることは生まれましたが、風呂敷を脱ぐことができませんでした。その風呂敷を脱いだのが創造です。見えないように風呂敷で被せて分からないようにしていたのですが、風呂敷を脱いだのです。「ああ、男性という神様、女性という神様。風呂敷を脱いだ実体、神様が入っていって暮らす家ができた」と言えば、実感がわくではないですか?




 神様がご飯を食べられる時、エバはご飯を食べたでしょうか、食べなかったでしょうか? へその緒で、神様が食べられる時に、むしゃむしゃと一緒に食べたでしょうか、別々に食べたでしょうか? (「一緒に食べました」)。本当ですか? 見ましたか? 道理がそうです。

 李総長! 聞いてから会議に行けばよいのです。会議よりも、貴いものを探し求めるためにもっと苦労したならば、その中心となる人は、夜になれば賞をもらうのです。「昼は叱責したが、夜はあなたに賞を与える。よくやった」となるのです。先生は、そのような体験をたくさんしました。神様が私に教えることはできないのです。革命的です。先生に革命的な素質がありますか、ありませんか? (「あります」)。

 さあ、はしごが必要でしょう。(「はい」)。それはどのようなはしごかというと、四本の足をいうのです。お父さんとお母さんの足、四本の足です。そこからはみ出せば、死のはしごになるのです。はしごが二つあります。父母のはしごにしがみついて暮らす人は生きますが、それを否定すれば死ぬのです。死のはしごです。自分勝手にすれば、サタンが所有するのです。自分勝手にしていては死んでしまいます。ですから、はしごが絶対に必要ですか、必要ありませんか? (「必要です」)。

 父母が絶対に必要ですか? (「はい」)。息子たちが追い出される時、父母にしがみついて、服をかみちぎり、肉をかみちぎり、骨をかみ砕き、骨髄をかみ砕いて、すがれば、蹴飛ばすでしょうか、しかたなく「私が間違っていた」と言うでしょうか? しがみついて放さない時には、ご父母様は悔い改めるのです。悔い改めて赦さざるを得ないというのです。分かりますね? (「はい」)。

 真のご父母様の前に、たくさんの罪を犯したでしょうか、犯していないでしょうか? (「たくさん犯しました」)。はしごの中に入っていって暮らそうとしましたか、逃げようとしましたか? 死のはしごです。自分勝手にしようとしましたか、真のご父母様のみ意のままにしようとしましたか? この 邪 な者たち! どのようなはしごですか? 死のはしごですか、ご父母様の四本の足ですか? (「ご父母様の四本の足です」)。どのような四本の足にしがみつきますか? しがみついてぶらさがり……。

 皆さん、コディアクにいる熊のことですが、その熊に子供が四匹いました。やあ、私はそこから多くのことを学びました。一番大きい子供は母親の首の後ろに、次の小さい子供はおしりに、次の小さい子供は二本の前足にしがみつき、一番小さい子供は二本の後足にしがみつき、四匹が母親にしがみついていました。「やあ、統一教会の原理を彼らはすでに成し遂げているなあ」。(笑)それは正しい話です。そのようにしてでも、自分の生きる道を探しだすために、食べて生きていくために、父母は、夜も昼も寝ずに餌を求めて狩りをしているという事実を知らなければなりません。分かりますか?

 それが、父母が行く道です。私はそのように生きようとしたのですが、あなたたちの目が悪かったのか、頭が悪かったのか分かりませんが、そのような群れを見たことがありません。ああ、父母の首、臭いのするおしり、胸にしがみつき、足にしがみついてぶらさがり、そのまま川を越えていくのを見ると、ああ……。

 父母は、そのような熊よりも優れていなければならないでしょう。親熊は、子熊よりも優れていなければならないでしょう。(「はい」)。ろくでなしです。それをどこかの市場に行って売れば、よくできているという一等の商標をつけることはできません。十等の商標にしかならないということを知らなければなりません。ところが、「私は一等の商標だ」と言うのです。ここに来て座っている古くなった人たち、年老いた人たち、三十六家庭、だれが前に来て座りなさいと言ったのですか?

 順理どおりにすれば、波の波動が伝わる時、最初の波動の次に来る二番目の波動、三番目の波動、三代がピタッと同じ間隔を守りながら波動を伝えていくのです。そのことを知っていますか? そうだとすれば、三十六家庭ならその下は何ですか? 七十二家庭です。その下は何ですか? 百二十家庭です。その次には、自分の息子・娘を立てなければならないのです。そのような道理になっています。

 はしごを置くのも、自分勝手に置いてはいけません。「ああ、早く登っていこう」と、近くに置けば大変なことになります。それを登っていけば、倒れて、おしりから逆さまにドカンと倒れるのです。余裕をもって、はしごが逆さまに引っ繰り返らないように置かなければなりません。分かりますか? はしごを垂直に置くのを見たことがありますか? (「見たことがありません」)。

 垂直に登っていくことはできないので、垂直に置いてはいけません。あなたたちの環境に合わせて、父母、自分の信仰の息子・娘を率いて、喜んで、喜んで、一人も事故を起こさないように、角度を円満にしておかなければなりません。分かりますか? (「はい」)。はしごは、二本足がよいですか、四本足がよいですか? (「四本足がよいです」)。父の台と母の台があり、台を四つ立てたので、どれほど丈夫ですか。

 はしごが好きだという人は手を挙げなさい。死のはしごではないのです。(「はい」)。父母の前に孝行して、夜も喜び、昼も喜び、孝行しようとして生まれ、孝行しようとして生き、死にながら孝行の立て札を立てて、「父母が神様の前に孝行したので、永遠無窮に私以上に愛してくださいますように」と言う時、神様が目を見開いて、「そうか、そんな父母がいたのだなあ」と言いながら、「おい! あなたたちも天国に来るが、あなたたちの息子・娘も天国に来てもよい」と言われ、二代、三代がそのまま従って入っていくのです。分かりますね? (「はい」)。

    先生が生きているうちにすべて成し遂げる

 さあ、このように考え、先生がはしごの法則を利用するという時には、地上に父母がいなければならず、天上に父母がいなければならないのです。神様は無形だからです。それで、そのようにすることができないので、地上には父のはしご、天上には息子のはしごを分けて、橋を架けたのです。

 ですから、興進君は、真のご父母様が何をするとしても、絶対信仰、絶対、何ですか? (「絶対愛です」)。その次は服従です。「地上に下りてきて働きなさい。きょうから薫淑の部屋に入っていって愛し合って暮らしなさい」と言えば、どのようになるでしょうか? (笑)ああ、笑うなというのです。答えなさい。

 先生が興進君に拍子を合わせるのですか、興進君が先生に拍子を合わせるのですか? (「興進様が先生に合わせます」)。私が直系の息子・娘に拍子を合わせるのですか、直系の息子・娘が父母に拍子を合わせるのですか? (「お父様とお母様に……」)。あなたたちはどうですか? どこに拍子を合わせるのですか? 顯進! 亨進はどこに拍子を合わせますか? それでオーケーです。善進、分かるでしょう。

 興進君は、先生がしたこと以上のことをしたいと思っています。それが孝子です。王が国のために忠誠を尽くす、それ以上しようというのが忠臣です。聖人も同様です。聖人たちは世界を愛して死んでいきましたが、死なずにそれ以上、生きてその御旨を成し遂げようとする人が、本当の聖人です。本物です。聖子も同様です。その御旨を成し遂げて、その場で神様の愛を直接受けることができる立場に立ってこそ本物です。そこから解放が展開するのです。

 自分の息子・娘で他の大学に通っている者たちは、全員、鮮文大学、ブリッジポート大学に転校させなければなりません! ブリッジポート大学は、ソウル大学を卒業した人が入籍し、東大を卒業した人が入籍する学校です。そこに不満がありますか? (「ありません」)。あれば手を挙げなさい。すぐに行動しなさい。

 それを早く実行すれば、天一国の理想が、地上・天上天国に短期間のうちに成し遂げられますが、それを曖昧にしていては、どうなるでしょうか? 先生がいなくなる時には、皆さんが天一国をつくり、うまくやっていく自信がありますか? ありますか、ありませんか? ないではないですか。それは、先生が生きているうちにすべて成し遂げるのです。それで九十二歳まで延長しながら、どのようにして九十二歳を越えるのかというのです。

 神様からの手紙を、全員聞いたでしょう。無知蒙昧なサタン世界の真ん中に生まれ、このように死ぬほどの苦労をしながら、神様を解放すると……。「神様の王権を樹立し、神様を解放して孝行する」。そんなことを考えるのは、狂った人ではないですか? 正常ですか、狂っていますか? それは、狂った人ですか、正常な人ですか? (「正常です」)。お父様に会って、「私の国に大使館をつくってください」と言うのが忠臣ですか、逆賊ですか? (「お父様を愛しています」)。(笑)そのような答え方がどこにありますか? お父様を愛するよりも、大韓民国を愛するよりも、世界に天の国の大使館をつくって、天下に号令することができるようにすることを、もっと愛しなさい。

 神様に「つくってください」と言わなければなりませんか、「私がつくります」と言わなければなりませんか? (「私がつくると言わなければなりません」)。大使館をつくってもらうことを恥だと思わなければなりません。自分たちがつくらなければなりません。自分の国を守ることができる防波堤です。台風と波が押し寄せてくるのを防ぐ防波堤なのです。自分がしなければなりません。分かりますね?

 さあ、それで興進君が逝くようになった動機は、八大都市で勝共大会を行ったためです。これが一番目であり、二番目は何かというと、七十二か国の国家代表を連れてきてその大会を行ったので、逝ったというのです。分かりますか? その国を保護し、御旨の基盤を築くためです。防御するためだというのです。今、そのような時が来ました。

 ですから、先生が何かをする時、神様王権即位式をする時に、興進君を考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そこに通告して、行ったでしょうか、そのまま行ったでしょうか? 歴史的な非業の死を遂げたので、先生がその解放をするためにも……。

 今回、先生は何か都市で復興会をしましたか? 尋ねているではないですか? 天一国の宣布をする時に、何か都市を巡回して発表したのかというのです。八か都市です。三か国です。日本でも八か都市、アメリカでも八か都市、三かける八は二十四、十二か月を中心として、節気でいえば二十四節気です。合うというのです。国を防衛し、世界を防衛しようとするので、天一国を発表する時に、反対者がいてはいけないのです。韓国でした時に反対がありませんでした。

 八大都市で行って、九回目には「トップクラスの人たちはすべて集まりなさい」と言いました。世の中で我こそはという人たちがすべて集まっているのに、激しく蹴飛ばしてしまいました。国会議員をした人は、何度私にしかられても、顔がむかむかっとなりませんでしたね。笑っていました。大韓民国でそのような大会において、宗教の責任者が、国家の我こそはという人をめちゃくちゃにしても、みな笑って喜んでいたのです。なぜですか? 先生が成し遂げた実績を押しのけることはできません。居間にいるおじいさんから、社会に出て活動するお父さん、それから外国に出て大使をしている孫まで、反対できる主体性はないのです。

    先生は興進の恨を解いてあげなければならない

 さあ、ですから、興進君も先生に拍子を合わせてはいけません! (「合わせなければなりません!」)。あなたたちは、合わせてはいけません! (「合わせなければなりません!」)。興進君に合わせますか、先生に合わせますか? (「お父様です」)。

 それでは、霊界にいる興進君のことは考えないということではないですか? (「違います」)。合わせなくてもよいのですが、興進君に負けずに、何十倍、何百倍、何千倍、天の国、天一国を防御することができる親分になるのです。そうすれば、興進君も皆さんの一族の祝福、霊界の祝福を運んできてくれるのです。信じなさい! (「アーメン!」)。信じるのなら、手を挙げて拍手をしなさい。(拍手)

 先生は、興進の恨を解いてあげなければならないのです。孝子です。その時、十一月を中心として科学者大会(科学の統一に関する国際会議)をする時に、シカゴで興進の誕生日のお祝いをしました。それが最後になったのです。

 どれほど立派でしょうか。誇らしい息子です。私よりもハンサムです。そうでしょう。お母様! 興進は私よりもハンサムですか、ハンサムではないですか? (「ハンサムです」)。違います。(笑)お父さんに似たのです。お父さんに似たというのは、原型がお父さんでしょう。息子が原型になることはできません。(「素晴らしいお父様が上手につくられたのでハンサムです」お母様)。(笑)内外のすべてを備えていました。十九年になるので、三十六歳です。

 興進君は命を懸けて先生を保護し、安保の大王になろうとしたのです。理想の天一国を迎えたこの時、皆さんは興進君に学びますか、興進様に教えてあげますか? (「学びます」)。興進は、皆さんをうらやむのです。

 「もし、このような時に私がいたならば、孤独な孤児の立場で乞食のような歩みをしたとしても、真のご父母様を王権の玉座、王の姿以上に、また、幸福になることができるように侍るはずだが、そうすることのできる後継者がどこにいるのか! 心の奥深くであがめ奉りながら、尋ね求めざるを得ないというのが事実のようだ」

 皆さんは、その理想の天一国においての孝子だけではありません。「孝子の王になり、国の忠臣だけではなく忠臣の王になり、聖人、聖子の王になり、神様まで訪ねてこられて祝賀してくださる私になろう」。このように考えてこそ、真のご父母様に侍ることができ、孝子の目的、忠臣の目的、聖賢賢哲の目的、神様王権樹立の目的、祖国定着天一国完成の目的が、完結されるのではないですか。そのようにすることができる息子になり、娘になるのです。

 気高く、貴い価値をより輝かせ、その輝く価値を私に捧げ、さらに、自分がもっている天上世界まで合わせて捧げる興進君です。それ以上しようと努力する人は、滅びる道理がありますか、発展する道理しかありませんか? どちらですか? (「アーメン!」)。(「発展する道理しかありません!」)。発展する道理しかありません!

 さあ、そのように話を聞いてみると、そうだということがはっきりと分かったのですか、分からなかったのですか? (「はっきりと分かりました」)。はっきりと分かったのならば、分かった者は実践しますか、不実践しますか? (「実践します!」)。実践するという人は、両手を挙げて宣誓することによって、きょう、この祝賀の記念塔に名前を載せることができる人になることを祝福いたします! 真のご父母様の名によって。(「アーメン!」)。

 東西南北、四方を備えて中央に立ち、個人で天をお迎えして、堕落のない解放の天一国文化世界を創造するのです。アーメン! (「アーメン!」)。そのような決意をするならば、興進君がこの時間から天上世界で踊りを踊り、歌を歌い、祝宴を開くのです。(「アーメン!」)。一度、踊りたいですか? (「はい」)。歌を歌いたいですか? (「はい」)。祝宴を開きたいですか? (「はい」)。

 どのような祝宴を開きますか? 謝罪祝宴! りんごを知っていますか? りんご祝宴をすれば、悔い改めることができ、おいしく、甘く、立派なよい輝き! (「韓国語で「謝罪〔〕」と「りんご〔〕」の発音が同じ)。りんごを買って食べることができる祝宴を開けば、謝罪になるのです。果物のりんごです。多方面の謝罪です。謝罪の親分がりんごです。りんご祝宴で、解放の祝宴を盛大に開くのです。どうですか? (「よいです」)。

 自分の財産、自分の国全体、自分の一族全体、一国全体を私たちが代身して、「解放的な祝賀の機会をもとう」という決心のもとで、万事一方通行が起きれば、天下に天国の領土が展開するのです。国に天国が連結されるので、天上天下の天国は自動的に完成されるのです! ノーメンですか? (「アーメン!」)。

 さあ、このようにして興進君を迎えて、きょう記念日の祝宴をします。よいでしょう。 (「はい」)。拍手してください。(拍手)​​​​​​




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.07.21 14:42:34
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