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カテゴリ:宗教/天地創造
神の民から離れた孤独な兵士は何を思ったか/詩編42
2024/09/21 🟦X(旧ツイッター) https://x.com/tatsuhiro_iwamo?s=21&t=... 映像の11分過ぎごろ(こちら)からは、家庭連合のことに関しての話もされていましたので、 関心のある方は耳を傾けてください。 映像とは別に、ここ2・3日私が気にかけていたキーワードが「顔」でしたが、 ▲聖書は「口語訳」。 詩編42章の冒頭からも「神のみ顔を」が目に入ってきました。 正しいことをしているならば、 「神の顔」を見ることが出来るだろうという聖句もあります。 また、別の聖句からは コリント人への第一の手紙/ 13章 08節 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。 「全きものが来る時には、」「その時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。」は、 こんにちの大きな希望となっている事実です。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.09.21 20:52:36
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