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テーマ:お勧めの本(7363)
カテゴリ:教育問題・・・
新聞の新刊広告で見かけてちょっと気になっていた本『教室の悪魔』。
会社の上司が持っていて、貸してもらって読んでみました。 ソフトカバーで138ページの手軽な本ですが、中身が訴えているのは小中学生の子どもを持つ親なら誰もがため息が出るような重いものです。 東京都児童相談センターの心理司を務める著者が、現代のいじめの現実とマスコミや大人の認識のギャップ、いじめの構造、対処策などを簡潔に、かつ切実に訴えています。 「日常的に子どもと接し、相談を受ける身として、いじめの報道に触れるたびに思うことは、大人が知っている「いじめ」と子ども達のいじめの現実との、あまりにも大きなギャップである。 これだけ報道されていても、いじめの本質はほとんど伝わっていない。 いじめによって子どもが自殺するのは、その子どもが弱いからではなく、現代のいじめがそれほど残酷だからである。 「いじめられる側にも原因があるのでは」という言葉も、現実を知れば出てこないだろう。 いまのいじめは、子どもの生存をかけた適応、すなわち感覚の鈍化のうえに成り立った異常事態であり、「教室の悪魔」とでも呼ぶしかない力がクラス中に猛威を振るう「地獄」である。 (本書 「はじめに」より引用)」 以前の日記でも書きましたが、石原都知事はいじめによる自殺について 「ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられる」 と、あたかも被害者のほうに非があるかのような発言をしています。 この本は、こんな価値観から抜け出せない教育委員や政治家にこそ読んで欲しい1冊だと思うのですが、きっと石原慎太郎のような俺様男は、読んでも理解も共感もしようとしないんだろうなあ・・・。 こんな人が東京の教育行政のトップであり、東京都教育委員の任命権を持っているなんて、本当に気が重い。 ―関連日記― ■石原慎太郎の一般的イメージ http://plaza.rakuten.co.jp/peace4earth/diary/200611120000/ かくいう親自身も、子供がいじめにあっているのがわかっても、できるだけ学校には行かせようとするかもしれない。 「いじめから逃げていてもなにも解決しない」と思うかもしれない。 子供自身が「学校に行きたい」といったら、「行きたがっているのだから、少しは楽しいことがあるのだろう。」と良い方向に考えてしまうかもしれない。 でも、実際には「休んだらちくったと思われて、もっといじめがひどくなる」という恐怖から、どんなに辛くても休もうとしないケースが多いそうです。 このことについて非常に印象的な箇所がありました。 「マスコミの論調に、いじめに「負けないで」というメッセージを聞くことがある。 けれど、いじめというのは立ち向かうに値するものでもなく、耐えるべきものでもない。 被害者はとにかく逃げればよいのだ。 立ち向かう意味などないし、耐える意味もない。 「逃げてはいけない」などと考える必要はない。 殺されそうになったら、人間は逃げるではないか。 いじめは、いじめという言葉にくるまれた、犯罪なのである。 (第4章「いじめ」を解決するための実践ルール より引用)」 全体を読めばわかりますが、著者は決して「不登校」を推奨しているわけではありません。 それでも、「いじめ」という心身の危険に直面したときには、とにかくまず避難すること、身の安全を守ることは、悪いことでも恥ずかしいことでも弱いことでもないんだ、ということを教えてくれています。 子供は親が正義感が強く教育に熱心であることを知っているほど、親にいじめの存在を隠そうとすることが多いそうです。 なぜなら、そんな親は必ず学校に行って先生に言ってしまうから。 親子関係がうまくいっていると思っても、だから教えてくれる訳ではない。 むしろ、だからこそ隠そうとする。 親として大切なことは、子供の異変にとにかく気づくことなのかもしれません。 「第4章「いじめ」を解決するための実践ルール」では、『話し合いは、「相談」ではなく、事実を伝える場』『いじめの解決と責任追及は別々に行う』といった実践的なアドバイスも紹介されています。 以下「」内は本文より引用、()内は私の補足です。 ●話し合いは、「相談」ではなく、事実を伝える場 「事実は被害者のみが知っている。 学校には調査をしてもらう必要はなく、親は「いじめがあったという事実を伝えにきた」という立場をとる。」 (いじめがあったかなかったか、調査をする必要はない。 いじめの中でなにがおこったかは被害者にしかわからない。) ●いじめの解決と責任追及は別々に行う 「責任追及を始めてしまえば、解決に向けての話しあいはできなくなる。責任追及を始めれば、学校と親は敵対関係になってしまう。解決についての建設的な話しあいができないばかりか、下手をすれば、学校が謝罪をするだけで終わってしまうかもしれない。それだけでは、何も解決しない。」 (だからいじめをなくすことと、責任追及は別々に進めていく。) 「ただ、私自身はいじめの学校への責任追及を、あまり親御さんには勧めてはいない。 それは、何をしてもらっても、許すことなどできないからだ。 学校ができる責任のとり方として、最も重要なのが、いじめをなくす取り組みをすることだと私は思っている。」 量的にはあっという間に読める本です。 中学生以下の子供を持つ親、教育現場に携わる方にとって一読の価値があると思います。
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Last updated
March 14, 2007 06:49:59 AM
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