テーマ:韓国!(17286)
カテゴリ:平和=Peace news
明治維新の指導的イデオローグとされ、1万円札の肖像にも採用されている福沢 諭吉ですが、朝鮮・中国に対しては露骨な蔑視と侵略を是認する言動を繰り返し続けています。「言説はくるくると変わり、金銭に執着であった」などの評価も残る福沢ですが、 著書「文明論之概略」を斜読するかぎり宗教と政治との分離を唱えています。 その一方で、大阪生まれながら2歳で父を亡くし故郷中津での大阪風を変えない母親 のもとで「異邦人」として国学を学んで長じたというバックグランドが、近代化に遅れ をとったアジアに対する蔑視の原点のようです。甲申政変後、金玉均を裏切り彼が上海で暗殺された後でも貸した金を悔やんでいたというのも彼の「人間味」なのでしょう。
脱亜論(福沢諭吉) 「朝鮮は亜細亜の中の小野蛮国にして、文明は遠く日本に及ばず。(1875年) 未開ならば之を誘うて之を導く司し、彼の人民果たして頑ろう(頑固で卑しい)ならば之を諭して、遂に武力を用いても其進歩を助けん。(1882年)朝鮮はもとより論ずるに足らず、我目ざす当の敵は支那なるが故に、先ず一隊の兵を派して朝鮮京城の支那兵を皆殺しにし、我兵は海陸大挙して支那に侵入し、直ちに北京城を陥れ、成功疑いなしと断言すべし」(1884年)このように侮蔑的且つ侵略的な朝鮮・中国観のもとに、悪名高い「脱亜論」が発表されるのです。 我国は・・西洋の文明国を進退を共にし、其支那・朝鮮に接するの法も隣国なるかにとて特別、・・に及ばず、正に西洋人が之を接するの風に従いて処分する可のみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免ずる可らず、亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(1885年) 福沢は、「朝鮮併合」の25年前の1885年に、既に「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」 という文章を発表しています。 朝鮮、中国に対する侮蔑的な言動を大量かつ持続的に撒き散らしました。 侵略を正当化し、アジアに対する蔑視を民衆に植え付けた福沢諭吉の罪は大きいと思いますが? 学問のすすめのとのギャップに驚かされます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.19 01:41:06
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