テーマ:韓国!(17288)
カテゴリ:済州島=チェジュド
先日、チェジュ=済州4.3事件の講演会があると聞いたんで期待しながら行ってみた。
期待とは裏腹に憔悴して帰ってきた。 1次、2次、3次知識が講演者の大学の先生にどれだけあるんだろうか? いつもの事だが疑問に思う。勿論、アカデミックな場所で研究を重ねる人を否定するんでは無いが自分の研究結果って、それが社会に還元される、もしくは何かしら影響、疑問等々の問題と提起するものだと思ってる。大学構内や研究会での発表、本の出版パーティーでもあるまいし何の目的で、誰に、何を話したいのか?こちら側が見えてないんだな~、と又もや思い知らされた。 「今日は時間が無いから、どのレベルの聴衆かわからないから」とかの言い訳で歴史の生き証人や、研究者が多い関西の地でありきたりの研究発表は通用しないだろう。1988年から研究したとの話だが、私が生まれたその日から子守唄で聞かされて生きてきた。そんな肉親が多く住むこの地で研究者の上っすべりな話なんかは通用しない。時代が変わっているのに気ずかない学者先生が多い現実に言葉も出ない。決してこんな人がすべてでは無いと思うが、、、それよりも初めて4.3事件と言う歴史的な大事件を聞いた人にすれば、むずかしい、わからない、、とこの問題から遠のくのではないかと心配だ。又、陰では「あの話じゃだめだわ、何言ってるかさっぱりわからない」と言いつつ、本人の前で誰も何も言わない。そんな社会がどんどん人をだめにする。又、辛口になってしまったかな?でも、本人は口のうるさい、文句言いじゃないんだけどな~ 本音で自分の言葉で話す。そんな人がだんだん、いなくなってきた昨今。憂鬱 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.15 16:11:47
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