テーマ:政治について(20230)
カテゴリ:平和=Peace news
萱野さんは、1926年北海道沙流川のほとり二風谷(北海道沙流郡平取町二風谷)に生まれました。 その当時、既にアイヌ語を自在に操れる人は少なくなっていました。しかし、萱野さんはアイヌ語を完全に母語とする祖母に育てられたため、アイヌ語と日本語、2つの言語を母語として身につけたました。 アイヌ語を母語とする最後の「アイヌ」と言えます。 ぶのです 『アイヌという言葉は、アイヌ語で人間という意味です。アイヌ語で悪い人のことを呼ぶときはウエンペと呼び、本当に行いの良い人に対してだけアイヌと呼びます。』 これは、1987年11月12日にニ風谷で開かれたアイヌ語教室が開かれたときに講師を務めた萱野さんが一回目の講義の始めに語った言葉です。 萱野さんは、アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。1972年に二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。 昔話を集めた「ウエペケレ集大成」は1975年に菊池寛賞を受賞しました。 1996年には、自らのアイヌ語語彙を網羅した『萱野茂のアイヌ語辞典』を出版されました。 アイヌ語辞典を編さんした萱野さんは、アイヌ語を学ぼうとする人たちに教室で使いたい言葉として「アイヌネノアイヌは立派なアイヌ(人間)のこと」と話して、アイヌという言葉を二つ重ねて呼ばれることは、光栄なことだとも教えられています。 1997年3月に、萱野さんのふるさとニ風谷の沙流川には、ニ風谷ダムが建設されていて、萱野さんと貝澤さん二人の地権者が強制収容裁決の取消しを求めていた訴訟に対する司法判断が下されました。 札幌地方裁判所は「二風谷ダムがすでに完成し湛水している現状から、公共の福祉に照らして収用判決を取り消すことはできないが、アイヌ民族は『先住民族』であり、国はアイヌ民族の文化的価値が『公共の利益』に優越するかどうかの調査を怠り『本来最も重視すべき諸価値を軽視ないし無視』した点から、事業の認定と収用判決は認定庁の裁量権を逸脱して『違法』であるとしました。 萱野さんは、アイヌ民族で最初の日本の国会議員としても知られています。 在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行われました。 1997年5月国会で成立した「アイヌ文化振興法(※)」は、アイヌ文化とは、アイヌ語をはじめ音楽、舞踏、工芸などをいうと述べて、この法律は、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、我が国の多様な文化の発展に寄与することが目的であるとしています。 この法律が成立したとき、アイヌ民族でただひとりの国会議員である萱野茂さんのアイヌ語が国会議事堂で初めて響きました。 ※ アイヌ文化振興法:アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(平成9年法律第52号) 参考文献:京都府『人権口コミ講座』2000年 転載元: 『京都・亀岡国際秘宝館』館長のまったけ日記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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