テーマ:韓国!(17287)
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尹東柱(ユン・ドンジュ)は、詩人 = 死ぬ日まで 天を仰ぎ......=
【序 詩】 空と風と星と詩 死ぬ日まで 天を仰ぎ 一点の恥も ないことを、 葉あいに 立つ風にも ぼくは つらくなった。 星を歌う 心で すべての死んでいくものを 愛さなくては そして ぼくに与えられた道を 歩いていかなくては ならない。 今夜も 星が風にまたたいている。 【原 文】(ローマ字表記) Seo-si Ha-neul kwa Pa-ram kwa Pyeol kwa Si Jug-neun nal-kka-ji Ha-neul-eul u-reo-reo han jeom bu-kkeu-reom-i eops-ki-reul, Iph-sae-e i-neun pa-ram-e-do na-neun koe-ro-weo-haess-ta. Pyeol-eul no-rae-ha-neun ma-eum-eu-ro mo-deun jug-eo-ga-neun geos-eul sa-rang-hae-ya-ji Keu-ri-go na-han-the ju-eo-jin kil-eul keol-eo-ga-ya-gess-ta. O-neul-pam-e-do pyeol-i pa-ram-e seu-chi-un-da. 【尹東柱(ユン・ドンジュ、1917年―1945年)】 朝鮮の詩人で、韓国では国民的詩人として有名です。尹は、ソウルの延禧専門学校文科を卒業後、1942年、東京の立教大学英文科選科に入り、10月に京都の同志社大学英文科選科に編入していた敬虔(けいけん)なキリスト教徒でした。 戦前、皇国臣民化を進めるために朝鮮語の使用を禁止され、名前についても民族性を奪う創氏改名を強制され、「朝鮮の独立」の叫びは厳しく弾圧されました。尹 東柱 は、在学中、朝鮮語で詩や日記を書きためていましたが、特高警察はそれが「独立運動」につながるとし治安維持法違反で1943年(昭和18年)7月、逮捕、翌年懲役2年の判決を受け、1945年(昭和20年)2月16日、旧福岡刑務所で獄死しました。「中身のよくわからない注射をくり返し打たれ」、息絶えたといわれています。27歳の若さでした。 尹 東柱をしのび、延世大学校には「尹東柱記念室」がつくられ、同志社大学にも尹東柱の詩を刻んだ石碑が建てられました。 詩集を出したいと願いながら生前にはかなわなかった尹東柱の詩集は、韓国では1948年に出され、日本でも心ある人々の手で訳出されてきました。 在日の詩人・金時鐘(キム・シジョン)氏は、「何の政治活動もしていない清純なクリスチャンでした。なよなよしく見える詩心の核に、息をのむような叙情がある。無惨な死でしたが、ノートに書きつけたものがあったおかげで、彼の生きた痕跡、思いのほどが残りました」と語っています。 日本が禁じた朝鮮語で書き続け、あえて、禁じられてた西暦で詩作の日付けを記した尹東柱。その詩を贈られた友人は、戦時下、土の中の甕(かめ)に入れて保存したといわれます。変節を拒否した彼の詩は、純粋で透明感にあふれており、今も、私を虜にしています。 尹東柱 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E6%9D%B1%E6%9F%B1 高校の教科書「新編現代文」(筑摩書房)茨木のり子 尹東柱詩集『空と風と星と詩』(もず工房)訳:金時鐘(キム・シジョン) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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