カテゴリ:平和=Peace news
http://www.arinoheitai.com 世にあまり知られていない、日本軍山西省残留問題(*)を元残留兵で戦後補償を求めて最高裁まで闘った奥村和一さん(80歳)にスポットを当てさらけ出し、国益だかなんだか知らないけれど「お国」の大儀の前には虫けら同然に扱われ翻弄される一般人の悲哀を克明に、そして冷静に描いている。 日本軍総司令官はさっさと日本に帰国して、前線の兵隊には残って共産党軍と戦えとの命令を下し、やっとの思いで命からがら日本に帰ってきた残留兵に対しては、いままで中国にいたのは自分の意思だったのだから補償はしないと門前払いにするなんて、まさに国家の横暴、国家に騙されたの一語に尽きる話だ。 地裁、高裁、最高裁とも、被告の国側勝訴の判決を出す。ろくに審議もしないで。 奥村さんは最高裁の判決を前に、軍の命令で残留したことを証明するために、山西省へ過去と向き合う旅に出る。そこは少年兵だった奥村さんが初めて人を殺した、忘れようとしても忘れられない場所だった。 ところが人殺しの現場の様子は不思議なほど覚えていないという。20歳だった新兵はただおそろしくて視界を狭く狭くしていた。だから現場にいて生き残った現地の人に、その修羅場の全容を話してほしかったのだという。 その山西省で奥村さんは生き残り証人の息子だという人に面会したとき思わず詰問調になり、そのことを池谷監督は日本兵としての奥村さんの顔が覗いたと表したが、私は少し違うように思った。 奥村さんは自分が殺した中国人はどのような人生を送ってきた人で、自分が抹殺しなければどのような人生を歩んでいた人だったろうかと60年間ずっと考え続けて十字架を背負ってきたのだ。だから証人の証言には微塵の嘘もあってはならない。目の前にいる証人の息子という人が、真剣勝負をするに値する人かどうか奥村さんは確認する必要があったのだ。それで語気が荒くもなったのだろう。 しかしその証言によって、殺した中国人はいままで奥村さんが思っていたような普通の農民ではなく、日本軍がやってくることを知っていて逃げなかった護衛のような役目の人だったことがわかって、奥村さんが漏らした言葉も印象的だ。 人殺しは人殺しなのに、どこかで良心の呵責が少しだけ薄くなっていくのを感じて、そういう自分を発見してまた驚く、人間とはそんなものかと思う、、、のような言葉だった。 奥村さんは昔日本兵に輪姦され傷ついた老女にも会い、今となってはお互い穏やかな言葉を交わす。 人間を鬼にするのは戦争なのだ。 軍の最上層部は自らは人殺しなどには手を染めず、一番いやな任務は一番下の兵士にさせ、敗戦が決まったらまず自分の身の安全を確保するために、こともあろうに中国軍の指揮官とコネをつける。 この上層部同士のつながりは、日本軍と中国軍にとどまらず日本政府さらにマッカーサー司令官にまで筒抜け黙認事項であったろうと、池谷監督は語る。 そうさ、戦争なんてそんなもんだ。馬鹿を見るのは愚直な庶民で、命令を下す指揮官は国益とか言ったって結局身勝手な振る舞いに終始する。 恐らくいつの時代だってそうだ。 現在の戦争だって、これから先の戦争だって。 だから犠牲になりやすい一般人は、うまい言葉に騙されないようにくれぐれも用心しなければいけない。騙されてから泣いたってもう遅い。 奥村和一さんは、役者顔負けの千両役者ぶりが際立つ逸材だ。 奥様ともどもいつまでもお元気で、国による矛盾をこれからも追及してほしいと願わずにいられない。 (*)終戦当時、中国の山西省にいた北支派遣軍第1軍の将兵 59000人のうち約2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。元残留兵らは 、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。 2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。 肝心な点を忘れてた。戦争に負けてもなお、なぜ日本軍を中国に残したかというと、なんとその理由は日本軍の温存だった。一部軍人の間には機会あれば再び中国大陸で侵略戦争の続きをするという考えもあったという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.07 23:51:55
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