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ファピーの風の花

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2006.11.09
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テーマ:韓国!(17288)
【カザフスタンの旧首都 アルマティでも有名なバザール(青空市場)、通称グリーンマーケット。コリョサラムも多く、ニンニク入りの朝鮮味噌やキムチを売っています。特に朝鮮味噌は、とてつもなく美味く、鍋のスープに、味付けにと大活躍しました。もちろん、そのまま舐めても十分酒の肴になるスグレ物です。今度中央アジアに行くときは、少しまとめた量を買い込もうかとまで考えています。】

中央アジアに多数の朝鮮人が強制移住させられてきたことは、既に何度か触れてきました。

彼らは、第二次世界大戦前後に日本軍のスパイ容疑などで、朝鮮半島やロシア沿海州から連れてこられた人々です。

その数は、20万人とも30万人とも言われていますが、正確な数は誰にも分からないそうです。
シベリアに抑留された日本人数は、一般に約60万人と呼ばれていますから、少なく見積もっても実に3倍以上です。


現在は、40万人ほどが主にウズベキスタン、カザフスタン、キルギスで生活しています。

さて、強制移住の理由である日本軍のスパイ容疑ですが、根拠のない濡れ衣でした。

では、何故強引に彼らを中央アジアに連れてきたのか?

答えは、簡単です。
当時のソビエト政府が喉から手が出るほど欲しかった労働力確保のためでした。


ドイツとの戦争で2000万人と空前の人的損害を出したソビエトでは、多数の働き手を失いました。
そのため、荒廃した国土の立て直しのために、戦死したソビエト人の代わりとなる補充労働力が必要だったのです。(日本人のシベリア抑留も同様の理由です。)


中央アジア、キルギスの北隣の国、カザフスタンの旧首都アルマティで、そんな朝鮮人の末裔にあったことがあります。


グリーンマーケットと言われるアルマティ有数のバザール(青空市場)の片隅でキムチを売っていた青年でした。

彼は、ロシア圏の人にしては珍しく、簡単なものですが、英語を話しました。
親の店を手伝いながら、大学で英語を学んでいると言いました。

彼は、冗談かと思うほどの安い代金でガイドなどもしてくれるなど、随分世話を焼いてくれました。

興味深かったのは、彼が、自分のことを『コリョサラム』と呼んだことです。

『朝鮮人』を意味するロシア語の『カリースキー』、英語の『コリアン』じゃないのか?と聞くと、心なしか誇らしげに、『ノー ノー アイム コリョサラム!』と言いました。

この時は、彼の言うことがさっぱり分かりませんでした。

そして、日本に帰国し、文献を読んで『コリョサラム』の意味を知ったのでした。
『コリョサラム』とは、『高麗人』の意味なのだそうです。

彼らが、自らを『朝鮮人』でなく『高麗人』と呼ぶことは、その苦難の歴史と運命を考えればよく分かります。


強制移住で中央アジアに来た朝鮮人(後の『コリョサラム』)は、とんでもない苦難を押し付けられます。

何日も家畜が乗る様な貨車に押し込められた挙句、石ころや草原だけの荒野に着のみ着のまま放り出されました。

そして、農耕器具さえもろくに渡されないまま、
『来年までに〇〇を〇〇トン収穫せよ!』
なんてムチャなことをソビエト政府にいきなり言われたのです。

収穫目標に達しなければ、努力が足らんと言うことで、重い刑罰や処刑が待っていました。

すぐに慣れない土地での辛い開墾が始まりました。

新生活のための家作りなどする余裕もありません。
洞穴を家代わりに、岩や石を家具や農機具代わりにする人が続出する有様でした。

僕もアルマティの郊外で、『コリョサラム』が住んでいたと言われる洞穴を見たことがあります。
石器時代と何ら変わらぬただの洞穴に20世紀も人が住んでいたことに、驚いた記憶があります。

農地として全く整備されていなかった中央アジアでの開墾は、想像を絶する作業だったはずです。

しかし、厳しい自然や悪条件に悪戦苦闘しつつ、彼らは、目標を達成していきました。

その血のにじむ様な努力は、次第に周囲に認められていきます。

真面目さと努力ぶりでソビエト人を驚かせたシベリア抑留の日本人と合わせ、
『東の連中(日本人と朝鮮人)は奇跡を起こす。』とまで言われました。

この記憶は、今も中央アジアに生きています。

この地域では、『日本人と朝鮮人の作るものにヘンなものはない。』と言う人は多いです。

人気の日本製電化製品や車を買うお金がない人は、その代わりとして韓国製品を購入する人が少なくありません。

かつての親分筋であるロシア製品の購入優先順位は、笑ってしまうぐらい低いです。


家内も『朝鮮人は、アクラートナ(正確)で信頼できる人が多い。』と言います。
(ちなみに家内がキルギス時代勤務した会社のオーナーは韓国人、そして、社長は、『コリョサラム』です。ぜひ一度お会いしてお話を聞きたいと考えています。)


こんな感じで、優秀な人々と言うことで、中央アジアに定着した『コリョサラム』。


しかし、彼らには、帰るべき祖国、約束の大地はありません。


世界には、独立を求める民族が数多くいますが、『コリョサラム』には、その独立を求める土地さえないのです。

ソビエトが崩壊し、移動制限が解除されたから、自由に行き来できるし、帰国できるんじゃないの?
あるいは、そう思われるかもしれません。


しかし、北朝鮮は、あの有様ですし、韓国とは、経済格差がありすぎます。

一方、朝鮮半島だけでなく、当時朝鮮人が数多く住んでいたロシアの沿海州から来た人もいます。

これらの人々も状況はあまり変わりません。

最近のロシアは好景気で沿海州でも物価がスゴイ勢いで上がっており、経済格差が生まれつつあります。

それに、同じロシア圏とは言え、慣れない沿海州に今更帰っても、新たに生活を始めるのは楽ではありません。


結局、好む好まざるに関わらず、生活の基盤が出来た中央アジアに住み続ける人が多いのです。


今年、ウクライナで元日本兵が見つかり、60年ぶりの里帰りを果たした方がいました。
この方も、結局生活基盤が出来たウクライナに帰りました。

『ウクライナなんて帰らずに日本にいりゃいいのに』と言う人がいましたが、
『コリョサラム』が生活基盤が出来上がった中央アジアに住まざるを得ない理由と同じでしょう。

さて、永住の地に選んだ中央アジアでも、早々簡単には行きません。

『ここは、俺たち中央アジア人の土地だ。朝鮮人がエラそうにするな!』
現地の人々とケンカになると、こんな心ない言葉を投げかけられることもあるそうです。

韓国人でもなく、北朝鮮人でもない。
朝鮮人でもないし、中央アジア人ですらない『コリョサラム』。

母なる祖国を持たず、苦労して生活基盤を作った地でもヨソ者であることを意識せざるを得ない人々。
それだけに、彼らは、国でなく、民族に誇りを持って自らを『コリョサラム』と呼ぶのかもしれません。


彼らの前途は、必ずしも希望に溢れてはいません。まだまだ苦難は続きます。
それでも、独自の誇りを持ちながら、これからもユーラシアの大地にたくましく生きていくのでしょう。

転載元: シルクロードから嫁が来た!!





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Last updated  2006.11.09 10:24:43
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