テーマ:韓国!(17289)
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新庄選手とは、大の仲良し!いつも楽しそうにお喋り! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%AC%E7%A8%80%E5%93%B2ウイキ ペディア 森本 稀哲(モリモト ヒチョル本名:李稀哲 1981年1月31日生) 東京都荒川区日暮里出身。北海道日本ハムファイターズ所属 日ハムの森本 稀哲(ヒチョリ)=ピッコロ大魔王」とは.. 本名で通す心のあかし 日本プロ野球ではこれまで数多くの在日コリアン選手が過去も、現在も活躍してきました。韓国、朝鮮籍のまま活躍してるか、日本国籍に帰化したかは別として、 前にも書きました張本勲氏や金村義明氏なども、自身のルーツを明らかにした人はいましが、本名読みのままで一軍登録した選手は初めてです。 日本一になった北海道日本ハムファイターズで、ポスト新庄としての地位を獲得したスキンヘッドの25歳、 彼は名前で球界に革命を起こす。(題目はAERA11月27日増大号参照) 森本選手の存在は知ってましたが、人間、森本の事はまったく知りませんでした。 出張の折、新幹線の中で読んだAERAに偶然、記事が載ってたんで、帰って少し調べてみました。 時間があれば少しお付き合い下さい。 明るくてひょうきんな、日ハムの森本ヒチョリ(稀哲) 韓国では名前の後に、○○君、とか、ちゃんの意味で、~「イ」とか「ア」とつけます。 稀哲(ヒチョル)が名前で、その後ろに「イ」がついて発音が変化し「ヒチョリ」となります。 (ややこしいですね、どうでもいいか) 森本選手は、ピッコロ大魔王と言うキャラでスキンヘッドが売り物ですが、その裏には小学生の時、突然襲った原因不明の難病で「髪の毛がぬける」と言う子供にとっては想像を絶するコンプレックスの中で幼少時代を過ごしました。 「国籍との問題より、僕にとってはどちらかと言えば、病気の事の方が心配でしたね」と語っています。 今は病気も完治し、髪の毛は生えるが、今では毎日自身でカミソリをあてて頭を剃っている(キャラのため) 森本 稀哲(もりもと ひちょり、本名:李稀哲 1981年1月31日生) 東京都荒川区日暮里出身。 北海道日本ハムファイターズ所属 身長・体重 1m84cm、81kg 投打 右/右 血液型 B型 出身地 東京都荒川区 球歴・入団経緯 帝京高校-日本ハム(1999年~) ドラフト年度・順位 1998年4位 帝京高校では1998年に主将、遊撃手として夏の甲子園に出場。三回戦・浜田高校戦で和田毅(現福岡ソフトバンクホークス)から本塁打を放つも敗退。 高校通算34本塁打。同年秋のドラフト4位で日本ハムに入団し、外野手に転向した。守備走塁に定評があり、パンチ力はあるが、打撃に波があったため、当初は控えに甘んじていました。 2006年には打撃でも結果を出し、1番・左翼手または中堅手としてレギュラー出場して、規定打席にも到達しパリーグ得点王。 新庄剛志・稲葉篤紀と共に、外野のレギュラーを確保しチームのレギュラーシーズン1位通過に貢献。 父は在日韓国人で母は日本人。生家は日暮里駅前で焼肉店「絵理花」。(この店の名は森本の応援歌の歌詞にも登場しています) AERAのインタビュー記事より、 「僕ね・・・・「あの人も在日だよ」とか聞きますけど全然まったくわからないんですよ。そもそも意識しないし。「在日コリアン」だと言うより、逆に、相手が自分を見て「実は俺もそうなんだ。」と言う選手が多いんです。在日だからと言ってそんな輪の中に入ろうとは思わないし。日本人とか在日だとか、そういうの関係ないし。韓国に住むなんて考えてないし、日本好きだし、僕は日本で生まれてに日本で育ったわけですから」 記者-これから貴方の様な選手がどんどん出てくるかも知れませんね。 森本「そういうことになれば、嬉しいですけどね」 からっとした、前向きな姿がいいですね。私と同じ考え、スタンス、嬉しい限りです。 記事に一部より抜粋、これが彼の生きてきたバックボーンでしょうか? 記者-本はよく読む? 「野球関係と違う普通の本を読むようになりました。(中略)例えば、奥さんが庭の雑草を全部取ったけど、一つだけ取り忘れたんです。でもその雑草は太陽に向って独力で伸び、頑張って生きようとしてる、そんなエピソードです。」 稀哲(ひちょり)と言う名前は、めずらしくて覚えにくいと思います。それをそのまま、球団の意向に反して通すにはそれ相応の自信と実績がいっただろうと思います。 この事実を知って、最初はスキンヘッドを見て、笑ってしまった自分が恥ずかしく思えてなりません。 日ハムには何の興味も無かった私ですが、病気にもめげずに明るい森本選手のコメントや映像を見て、こうして調べていくうちに、彼の人としての強さに感動しました。新庄選手の裏方、弟分程度にしか評価していなかった私ですが、個人的に応援しようと思える選手と出合えたのも、このブログを始めたおかげだと感謝しています。この森本という選手、裏方を称え続けた新庄選手も、又、見直さなければならないと反省を込めてあげてみました。 幼くして味わった、難病というハンデーを克服した彼にとって見れば、在日なんてことは二次的な問題でしかないんだと、私は自分の家族を通して、そう実感できます。 個人の問題を国家に転化しようとする人々に森本 ヒチョリの考えは理解できないでしょう。 最後に、 日本ハムのファンがヒチョリの事を、何の偏見もなしに色眼鏡をかけずに人間、森本 ヒチョリとして、1人のスター選手として評価してくれてる事に拍手を送りたいと思います。 エピソード 本塁打を放つと全力疾走でダイヤモンドを1周することがある。 2006年7月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、試合後のヒーローインタビューの際、前年のファン感謝イベントで公約していた通りカラオケを披露、尾崎豊の『きっと忘れない』を熱唱。 同年7月21日のオールスターゲーム第1戦では顔を緑に塗った上に触角をつけ、漫画『ドラゴンボール』の登場人物「ピッコロ大魔王」の姿で登場した。しかしテレビ中継では原作版権の問題もありピッコロ森本は画面に映るもののアナウンサーが頑なに無視し続けた事もファンの爆笑を誘う。 7月23日の第2戦では真ん中を空けたカツラをつけて、差し歯を抜いたスタイルで登場し、新庄らパ・リーグナインが大爆笑!(笑:) この試合では3安打1本塁打2打点、そして2年前の新庄に続きホームスチール(ただし重盗)を決めるなど活躍し、新人MVPを受賞。 同年7月26日の対東北楽天戦、4-4の同点で迎えた延長10回裏、二死満塁で福盛和男から劇的な決勝ヒットを放ち、オールスターでの大活躍が本物であることを見せつける。 同年8月13日、札幌ドームで行われた「ファイターズ超満員大作戦」第3回(対千葉ロッテマリーンズ戦)、日本ハムのスタメン選手らがラリージャパンの宣伝のためラリーカーに乗って入場してくる際に、自身は一番最後からラリージャパンののぼりをはためかせながら自転車を漕いで入場。転倒し、球場内のファンを沸かせた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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