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ファピーの風の花

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2006.12.01
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テーマ:韓国!(17290)
2006/11/29付けの朝日新聞大阪版にあった友人の記事です。

「タチソ」とは、高槻の「タ」、地下の「チ」、倉庫の「ソ」をあわせてつけた旧陸軍の暗号で、

アジア太平洋戦争末期に日本各地に計画された地下倉庫・工場の一つです。工事開始後、戦況の変化により、軍用機製造企業・川崎航空機の戦闘機のエンジンをつくる工場として転用されました。

高槻市成合地区は、JR高槻駅の東北、はるか丹波まで連なっている山並みの麓の、こじんまりとした盆地です。村の北のはずれ、西檜尾川の左右の山腹に、「タチソ」は計画されました。

 軍の秘密工事ということで、敗戦の日から2~3日の間に資料が焼かれ、高槻市にも工事計画の全体を示す文書はなく、工事に参加した朝鮮人労働者の数など、この工事の全容はいまもって明らかにできていません。現在残された資料としては、米軍爆撃調査団の報告書などがあります。

 1944年9月、成合の村の地主25人が中部軍将校から土地の供出を命令されました。市の助役や職員も立ち会いました。谷あいの村である成合は田畑も少なく、農家にとってこれを供出することは大変な犠牲でしたが、「国家のため」の言葉には逆らえず、坪当たり3銭の賃貸料で判を押さされ、成合に軍隊がやってくることになりました。

工事には、学徒動員された男女学生、各村々から義勇隊として集められた農民、地元の小学生も携わりましたが、ダイナマイトによる掘削などの危険な作業は、労務動員された朝鮮人労働者が行いました。                     


  塚崎 昌之
 大阪府の淀川以北の戦前の朝野人史の解明は非常に遅れている。1980年代から、戦時中の高槻地下倉庫(タチソ)の研究が行われてきているが、未だに施設の全容すら明らかではない。


 北摂といっても、現在の東淀川区、淀川区、西淀川区の大阪市部と郡部にわけて考える必要がある。市部は、比較的早くから工業化が進んだ地域である。それに対して郡部は、農村部が中心であり、1920年代から住宅開発は進んだが、工場開発が進んだのは、日中戦争が本格化した時期である。

1905年~1939年(戦時労務動員前)


市部・・・1910年代後半より、神崎川周辺の晒工場・染色工場、淡路付近のメリヤスなどの繊維関係工場周辺を中心に朝鮮人の集住地域ができた。この地域は、現在にも引き淋がれている。


郡部…1920年代から、郊外住宅開発、また、神戸・大阪・京都をつなぐ交通の要地としての鉄道・道路整備、淀川に流れ込む諸河川の改修工事に多くの朝鮮人労働者が使役された。しかし、「土工」の流動牲は高く、そのまま定住した人達は少数であった。

 また、北摂は1923年に小作争議が勃発し、全国的にも最も盛んなところであった。1924年の日農北摂聯合会第2回大会議案書の中に、朝鮮人が小作人に代わる労働力として使われていたことをにおわす記述がある。これが本当に使われているとなると、今までの通説より、早い時期になるという指摘を受けた。今後の裏付けが必要である。


1939年~(戦時労務動員期、強制動員)


 大阪に戦時労務動員の朝鮮人が導入されたのは時期が遅く、1942年段階である。大阪では、名簿が2事業所238人分しか公表されていないため、証言に頼ることがはとんどである。


市部・・・1942年段階から、西淀川区の海岸地域の製鉄関係の工場に多くの朝鮮人が動員されたが、その後は、府下で44年末の13,258人という数字だけで実態はほとんどわからない。


郡部‥この時期に広い敷地を求め、多くの工場が北摂に移転するようになり、それに伴い、朝鮮人労働者も使用されていく。それとともに、本土防衛期の1944年後半段階から、非常に多くの地下軍事施設が建設されていくことが、この北摂の特色であろう。現在のところ、20数箇所を数えることができる。国内陸上物資の最大の集散基地であった吹田操車場に近かったこと、大阪市内の工場群から、最も近い丘陵地であったことなどが理由にあげられよう。ただし、この労働者は坂本悠一氏も指摘するように、一部を除き、徴用逃れや「逃亡」の「自由労務者」が多かったようである。


大阪平野とその周辺の旧軍用トンネル http://www.geo-yokoi.co.jp/Kuudou/Tikakuudou.htm


 地下トンネルは高槻だけではなかった
 この時期、地下軍事工場がつくられたのは高槻だけではありませんでした。成合の土地が接収される2ヶ月前、1944年の7月7日、マリアナ諸島のサイパンが陥落し、守備隊3万人と住民1万人が戦死または自決しました。日本全土への空襲の危機が迫ったのです。これに備えるため、全国に地下軍事施設をつくることが、7月18日の東条英機内閣最後の閣議であわただしく決められました。

 この全国的な大工事の担当を命じられたのは、国鉄の技術陣でした。鉄道のトンネルをたくさん掘った豊富な経験と、掘削に必要な機械器具を数多く持っていたからです。編成は、熱海中央施設部と、関門トンネルを受け持っていた下関施設部の二つが中心になり、これに岐阜と信濃川の地方施設部が加わって、四つの地下建設隊がつくられました。高槻には岐阜地方施設部の技術者が来ました。

当初計画された地下工事の主なもの

長野県松代 40,000平米  (皇居・大本営・政府機関用)

東京都浅川 37,000平米  (中島飛行機工場用)

群馬県薮塚 33,000平米  (中島飛行機工場用)

愛知県楽田 20,000平米  (三菱航空機工場用)

大阪府高槻 17,000平米  (拡張計画後27,900平米
                 中部軍司令部・川崎航空機工場用)

福岡県山家 12,000平米  (西武軍司令部用)


※高槻に近いところでは、燃料弾薬貯蔵庫として吹田市山田(現在の万博公園内)
   に約20カ所、茨木市中穂積の丘陵に10~15カ所などが掘られた。戦前・戦中の北摂と朝鮮人~吹田・茨木を中心として~







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Last updated  2006.12.02 15:28:15
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