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ファピーの風の花

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2006.12.06
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テーマ:韓国!(17292)
カテゴリ:社会活動
申 采 浩・シンチェホ ハンナラ(一つの国)への想い

    ハンナラへの想い   
               
                                              
 わたしは あなたの愛                 
 あなたは わたしの愛
 ふたつの愛を 刀で切れば
 この上なく美しい血しぶきが
 とうとうち流れ落ちよう
 一握りむんずとその血をつかみ
 ハンナラの地にひとしく蒔こう
 落ちたりし地に又、花咲は咲きほこり
 春を迎えよう
                                                                                    
     ―天津にて―
中国で亡命生活を送っていた1913年頃に書かれたものです。「ハンナラ」とは当時植民地下の祖国をさしたもものです。こうして今読むと、南北を「ひとつの国」をさしているようで皮肉なもんです
                                 シンチェホ                                  
     君 の も の 
              申 采 浩
                                
 君の瞳 太陽となり
 あたりいちめん照らしだし
 いとしき人のくに明るく
                                   
 君の血潮 花となり
 あたりいちめん咲きほこり
 いとしき人のくに美しく


 君の吐息 風となり
 あたりいちめん吹きそよぎ
 いとしき人のくに清らかに
                                  
 君の言葉 炎となり
 あたりいちめん燃えあがり
 いとしき人のくに熱く

 肉は腐って土となり
 骨はかたまり石となれ
 いとしきくにへ捧げんと


シン・チェホ(1880―1936)号はタンジェ(丹斎)
私が死んだら、私の死体を日本人に踏まれないよう、火葬して遺骨を海に撒いてくれと言っていたタンジェ(丹斎)・シンチェホ(申采浩)。しかし、彼の遺骨の内のひと掴みほどは、故国の清州の高嶺申氏のコドゥミ村に返され、戸籍がなかった彼の遺沢は、庭の一角に作られているため、彼の魂は今も楽になれないと感じる。彼の一生は、果てない孤単の人生で綴られている。大志の翼を持って民族のために歴史の海に発たれた先生。死んでも黄泉の魂で歴史の海をさまようようで、彼の文を、また文学作品を分析するということが、一体どんな意味があるのか、というまた新しい懐疑がおしよせて来る。
丹斎は、民族文学の脈を繋ぐ重要な軸を形成している。彼は、漢学に能通し、古典典籍を読みこなして批判し、創造的に発展させることのできた、数少ない人物のひとりだった。彼の文学領域は、漢詩、時調、近代詩、伝、歴史小説など多方面に渡っている。     
                           

イタリア建国三傑伝この本は、19世紀のイタリア統一に献身した三人の英傑についての歴史伝記小説を丹斎・申采浩が翻訳し、1907年10月、ソウル「広学書鋪」から出版したものを、90年ぶりに再び開いた影印本。原著は中国のヤン・ゲチョ(梁啓超)が著述したもので、 1千年余りの間、小国に分立されて来たイタリアが、19世紀に入り、統一を成すのに貢献したこれらの英雄的な愛国活動を小説化したもの。
当時丹斎は、28歳の青年論客として、日帝の侵略を正面から暴露し、批判することができる、国内唯一の新聞であった「大韓毎日申報」の論説記者として従事しており、植民地と変わりない祖国の運命を建て直すために、魂神の力を注いでいた時期だった。日帝は、いわゆる保護条約を強制締結し、統監府を設置して国権を侵奪していたので、朝鮮が独立を奪い取るためには、愛国英雄の出現が社会的に切実に望まれていた。
愛国心を高めることが、祖国独立のために何よりも重要だと考えた丹斎が徹した民族意識と愛国心をもって、イタリア統一のために犠牲的な闘争をした3人の英傑の姿を紹介することで、我国にも国を救う愛国者や救国英雄が現れることを期待する心持で、この小説を訳したのだ。
この小説は、イタリア統一に功の大きいマチニ・ガリバルディー・カブルを主人公とし、構成は、序論と本文の26節と結論の、論文と同じような形式の歴史伝記だ。「皇城新聞」の社長として有名な「是日也放声大哭」という論説を書いた韋庵・チャン・ジヨン(張志淵)が教閲をしており、彼は純漢文で書いた序文に、国民が愛国精神を持ち、我国が東洋のイタリアになるよう、努力してくれることを願った文章を載せている。
この「イタリア建国三傑伝」の小説の始まりは、1830年のフランス第2革命が起き、イタリア半島にも激変の波が押し寄せると、翌年、マチニが青年イタリア党を創設、統一運動の活動に走った時期からだ。この時、マチニは25歳、ガリバルディー23歳、カブル20歳だった。下記の目次では、この小説のだいたいの内容の構想をかいま見ることができる。









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Last updated  2006.12.06 08:52:10
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