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カテゴリ:つれづれ日記
日本へ里帰りするたびに、本を買って持ち帰る。 前回はゆっくり本屋さんへ行く暇がないことが分かっていたので、 出発前に日本のamazon.comに発注して、実家へ届けるように手配した。 親友のネクラの読書家とらひめちゃんとは、お互いに読み終えた本を交換する。 「いじめの時間」は、持ち帰ってすぐに読み始めたが、 短編2作目ぐらいで、先が読めなくなって、しばらく放置してあったのを、2日前に読みきった。
自分の過去の経験と重なって、いろいろ思い出したり、考えたりした。 読み終えて、「いじめる側」と「いじめられる側」に大差がないことを痛感した。
私が初めて「いじめられた」と感じた事件が起きたのは、幼稚園の年中組のとき。 相手は担任の先生だった。 若い独身の女性で、他の先生がジャージで子供に接しているのに比べて、 流行のミニスカートをはいてくるような先生だった。 あるとき、授業中に私が何か、先生の気に障る発言をしたらしい。 なんせ当時私は4~5歳だったから、よく憶えていないんだけどね。 先生は目を吊り上げて「今、言ったのは誰ですか?」と大声を出した。 私は手を挙げて「ハイ、私です。」と正直に言ったそう。 怒った先生は、みんなの前で「もうあなたは明日から幼稚園に来なくていいです。」と言い、 私は泣きながら園バスに乗って、家に帰ったんだそうです。
幼い私の話を聞いた母は、激怒。
すぐに園長先生に電話して、園長先生、担任の先生、私の年少組の時の担任の先生、 そして私の母とで話し合い、とりあえず2~3日欠席させて、通園を再開。 でも、私は、その時から小学校2年生の「誉めちぎる」先生に受け持たれるまで、 人前で発言のできない子供になってしまいました。 「私が何か先生が嫌がる、先生に嫌われることを言ってしまった」という事実しか、 理解できなかったから。 先生はそんな私の気持ちを知ってか、知らずか、わざとらしく私を指名したり、 私の傍に来たり、私に触ったり、私のものを使ったりしました。 買ってもらったばかりのキツネのマフラーを、私のと知ってて、わざと 「あら、これ、誰のですか?あら、ミッフィーちゃんの?素敵だから貸してね。」と使い、 次の日からは私に断りもせずに、当然のような顔をして毎日そのマフラーを使ったので、 私はそのマフラーを幼稚園にしていくのをやめました。
小学校1年生で転校、2年生で「誉めちぎる」先生に出会い、 私は普通の子供に戻ることができました。
その後、小学校5~6年生の頃、担任は男子を可愛がる、お説教好きなオバアチャン先生でした。 あるとき、クラスの優等生の男子3人に名指しで 「お前は生意気だ。女のクセに俺たちより勉強ができると思っているだろう。」と言われた。 それを見ていたオバアチャン先生は、 「女の子なのにカワイクないもんね。」と、彼らを止めなかった。
勉強ができると、カワイクないのかな? 男の子よりもテストで点数がいいと、生意気なのかな? (たまたま何度か彼らよりもいい点を取った、というだけなんだけどな。)
中学生になった。違う小学校からも生徒が混じって、気分転換になった。 中学2年生のある日、たまたま上級生男子と渡り廊下で話をしているところを 担任の家庭科の女教師に目撃されて、なぜか母に連絡された。 面談の席で、その担任は母にこう言った。 「お宅のお嬢さんはですね、学級委員なのに特に成績もよくありませんし、 おそらく男性経験もあると思うんですよ。お母さまの監督が行き届いていないと思います。」
母、激怒。
私は決して目立つような生徒ではなかった。 スカートは短かったし(当時の不良女学生は長いスカートをはいていた)、 髪も黒髪のストレート。 学校にもちゃんと行っていた。 うん、成績はあまり良くなかったのは本当。 近所の悪ガキの上級生、同級生の男の子たちは、確かによく家に遊びに来たけど、 母のいる前で、みんなでジュースを飲んで、お菓子を食べて、話をした記憶しかない。 「自分がイヤラシイことばかり考えてるから、人もイヤラシク見えるんでしょう。 自分も子供を持つ、親の身でありながら、あんな発言をするなんて信じられない。 あんな先生を担任に持って、あなたも大変ねえ。」 母はそう言って、私のことは叱らなかった。
それでも、その面談の後しばらくした、ある日から、私はクラスの女子全員に無視された。 「村八分」とか、「パズレ」という、あれです。 ヒソヒソ内緒話から、 「ミッフィーちゃん、って暴走族のコワイ人たちと付き合ってるんだって。」 「ミッフィーちゃんは夜、家を抜け出してディスコに通ってるらしいよ。」 「うちのお母さんがミッフィーちゃんは不良だから、付き合っちゃいけないって。」 なんていう根も葉もないことが聞こえてきた。
母には何も言わずに、私は毎日学校へ行った。 ちゃんと勉強して、分からないことは前の席の真面目な生徒「タカシ君」に聞いた。 授業中に取ったノートは、家に帰ってから復習して、独自に調べたことを追加して清書した。 お弁当はひとりで食べたし、お昼休みは本を読んだ。 その夏休みはひどい長雨で、退屈だったから宿題を全部やった。 分からないところは、姉や母、親戚のお兄さんなどに分かるまで教えてもらった。
そして、2学期。 私は「夏休み明けのテスト」で満点を取った。 先生も、クラスのみんなも「どうやって?カンニング?」と驚いたが、私が一番驚いた。 それからは、中間テストも期末テストも、全科目、高得点で名前を呼ばれて誉められた。
最初に「村八分」を破って、声を掛けてきたのは、あまり成績の良くない女子のグループだった。 「ミッフィーちゃん、ノート貸してもらえないかしら?」 「ねえ、ここのところ、わからないんだけど、教えてもらえる?」 そこから徐々に流れが変って、最後には「村八分実行委員会」(?)のリーダーらしき女子も 「ミッフィーちゃん、ってカッコイイ。この間、私服で歩いてるトコ見たんだけど、 素敵な服を着てたわね、どこでお買い物してるの?」 「ねえ、実は私、上級生のH先輩に憧れてるの。 この間ミッフィーちゃん、あの人と廊下でしゃべってたでしょ、今度、紹介してもらえる?」
みんな、現金だよね。 でも約6ヶ月続いた「ミッフィー村八分」は、そこで終わった。
その後、 「村八分実行委員会」は、次のターゲットをFちゃんに定めた。 「ちょっと可愛いと思って、生意気よね。」 「男子に色目を使って、いやらしいわ。」 その頃までにクラスの女子のリーダー格になっていた私に、みんながそう耳打ちしたけど、 私は相手にしなかった。 Fちゃんは色白の可愛い子だった。 冗談が辛辣で、私は彼女のことがちょっと苦手だったけど、 それだけだ。 学期末の大掃除の日、私は学校を休んだ。 (授業がなくて、掃除のあとはバレーボールなのでサボった。あはは。) 翌日の終業式に学校へ行ったら、空気が違う。 冬休みが終わって、3学期になってからやっと、私は 私がサボった大掃除の日に、Fちゃんが「村八分」にされたことを知った。
予想外に長くなったので、<つづく>
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