写真集~清洲城(愛知県清洲市)
先日出かけて思いがけない記念となった清洲城の写真集をまとめてみました。日記:突然の『武者デビュー』【清洲城】京都で応仁の乱が終わりつつあった1476年、尾張の清洲に斯波氏が築城する。その後1555年に織田信長公が那古野城から入城。1560年、今川義元との桶狭間の戦いのとき信長公はこの清洲城から出陣する。信長公以降の清洲城主は、信忠・信雄)・豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)・福島正則・松平忠吉(徳川家康の四男)・徳川義直(家康の九男)となる。織田信雄が城主だった1586年に清洲城は三重の堀を構える大城郭と生まれかわる。しかし1610年に徳川家康が清洲の廃都及び名古屋遷都を指令し(慶長の清洲越し)、清洲城はその姿を消すことになる。しかし名古屋城築城に際に、解体された清洲城も材料として積極的に利用された。特に名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北櫓は清洲城天守の古材で作られ、『清洲櫓』とも呼ばれて今もなお美しい姿を残している。清洲城(愛知県清洲市)写真をクリックしてご覧くださいね。天守閣最上階の欄干の赤い色が新幹線からよく見えますよ~。一度車窓からご覧くださいね。