『真田丸』で思うこと、あれこれ
NHK大河ドラマ 『真田丸』 。魅力的な役者さんが次々に登場し、ドラマの面白さを一層盛り立ててくれています。その中の一人だった室賀正武(西村雅彦さん)。ふと気が付くと視聴者の心をとらえ、すっかり名ゼリフになっていた「黙れ!小童」は、第11回の放送によってもう聞けなくなってしまいました。その室賀正武を演じた西村雅彦さんのインタビューが『真田丸』のサイトに出ていました。 室賀正武 役 西村雅彦さん 。その中で、要約すると、室賀正武については資料がほとんどなく、どうにでも作ることができると考えた。しかし室賀の末裔の方もいらっしゃる。情けないだけでなく、時代をきちんと生き抜いた人物として芝居の中に落とし込みたい。真田に対して、ただの嫌なやつにならないよう、役と作品にきちんと向き合った。室賀正武は正直で率直な男だったと思う。こんなコメントをしていました。なるほど、こういった役への思いがあり、それを演じる力があったから、見ている人を惹きつけていたのですね。はい、西村さん、本当に心に残る演技でした。Twitter 内では『黙れ、小童!』ファンがたくさんいて、こんなスタンプを作ってしまった方もいらっしゃいます。「ご自由にお使いください」とあるのでUPしました。 コチラ さて、このドラマでは、男性陣はどなたも味わいのある演技で評判はとても良いのですが、女性陣は草笛光子さん以外の方は微妙なものがあります。中でも特にきり(長澤まさみさん)は悪目立ちしています。私もドラマを見ていて、きりと松(木村佳乃さん)の部分は真剣に見ているとイラつくので、あまり深く考えないようにしています。でもネットでいろんな感想を見ていると「きりは不器用だからこうなる」とか「きりの真っ直ぐさは、やがて源次郎を変える」といった、きりを支持する意見もよく見ます。私としては、まあ願わくばきりは第11回のラストのような歴史ドラマとして名場面となるようなところには出てきてほしくない、そう思うところでしょうか。一方、きりと対照的な存在が梅(黒木華さん)。控えめで物静かで賢く働き者の梅を、私はそのまま好意的に受け止めていました。第10回の放送までは。でも第11回の『祝言』で梅に対して?と感じ始め、さらに第12回の『人質』では???になりました。第11回では、祝言の準備できりがあれこれ口を挟むのを「私たちのことは放っておいて。だって、きりちゃん、今もあの人のことが好きだから。」なんて言ってわかっているのに、祝言の披露目の場では、「きりちゃん、こっちに来て!」なんて自分と源次郎が一緒の場に呼んでしまう。正式に側室になった余裕なのか、意地悪なのか。また第12回で、身ごもったというのは実は確証がなくて、「うそっていうか、これも一つの策ですね。だって源次郎さま、なかなかその気になってくれないから。」と得意げにきりに言ってました。もし万一身ごもってなかったら恐ろしい事態になると思うのだけど、どんなことがあっても源次郎が自分を守ってくれるという自信があるのか、あるいは「赤子は流れた」とか嘘をつき通すつもりだったのか。その後で姑の薫(高畑淳子さん)と廊下ですれ違ったとき。なんかずいぶんと梅の態度が大きいように感じました。結局は無事に赤ちゃんが生まれたからよかったけど。こうしてきりと梅を比べてみると、きりは最初からそのままだけど、梅は源次郎の側室になって性格が大きく変わった、そんな気がします。でもこういうのって、どこの世界でもありますよね。低い地位にいた者が、あるときまでは己の分をわきまえておとなしく生きてきたけれど、自分の立場が強くなったら、自分に自信が持てたら、急に考え方や態度が大きく強くなってしまうってことが。その点きりは、私が思うに、最初から良家のお嬢様で生活に不自由したことがなく、おそらく父の高梨内記に甘やかされ、理不尽を我慢することも、場の空気を読むこともない育ち。だから、きりは相変わらずで、梅は出自が低かった分、源次郎に愛されてると自信が持てたときに、策を弄しても源次郎の側室になって、きりより優位に立ちたかった。純粋に源次郎さまが好きって気持ちだけじゃなくて。そんなことを、ふと考えてしまいました。脚本家の三谷幸喜さんの実際の意図はわかりませんが。『真田丸』では、戦国時代の攻防をドキドキして魅入ってますが、いつも軽く流す部分をちょっと考えるのも面白いと思いました。「人間の世界では、若い人が何か言うと、おじさんに『黙れ、小童!』って怒られちゃうんだって。」「ボクたちは大丈夫かなー。」「大丈夫だよ。えみりーさんはボクたちには甘いから。」