大河ドラマ『いだてん』第28回~塩見三省さん、五・一五事件で凶弾に倒れる犬養毅を名演でした
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』 。第28回の部分的な感想です。ドラマの時代は昭和に入り、高校の歴史の教科書で太字の重要語句として暗記した、あるいは見た覚えのある語句がたくさん出てくる時代になりました。そんな中を、相変わらずオリンピックの水泳のことで頭がいっぱいの田畑政治(阿部サダヲさん)が駆けずり回るのですが、イチ記者の田畑が高橋是清や犬養毅といった時の大物政治家の家まで会いに行ったりとか、この人は本当にこんなことができたのだなあ、と思ったりもしています。今回は犬養 毅を演じた塩見三省さんが主役の回でした。塩見さんの首相役の存在感とその演技は人々の心をつかみ、ツイッターで絶賛されていました。そういったシリアスな場面での深い味わいとともに、時折ぶっこまれる笑いの場面。どスランプになった前畑秀子(上白石萌歌さん)を監督の松澤一鶴(皆川猿時さん)が必死に説教しているときに、憧れの鶴田義行(大東駿介さん)が現れたとたんに松澤の話が上の空になり頬を赤らめ、その後イッキにスランプを脱出した前畑秀子さん。純粋な乙女心にあるある、が楽しい場面でした。昭和6年(1931)8月、完成したばかりの神宮プールで、翌年のロサンゼルスオリンピックの前哨戦ともいえる日米対抗水上競技会が開催されました。13,000人収容できるスタンドは超満員で、大会は大盛り上がりとなりました。3日間の熱戦の後に水泳連盟を招いてのラジオ放送があり、たくさんの聴衆も街頭ラジオに集まって熱戦を振り返る放送を楽しみにしていました。しかし、まーちゃん(田畑政治;阿部サダヲさん)が他人のマイクを奪ってでも本音をズバズバしゃべりまくるのは相変わらずで、放送中に他のゲストと口論になったりして、スピーカーから流れる話に聴衆たちも戸惑っています。後日まーちゃんは大日本体育協会の理事に推薦され、銀座の体協本部にいました。まーちゃんはこの話は断りましたが、その後で嘉納治五郎(役所広司さん)と共に東京市庁舎に行き、そこで市長の永田秀次郎(イッセー尾形さん)から、関東大震災以降ずっと避難所として使ってきた神宮外苑競技場で東京オリンピックをやろう、立ち直った日本を世界に見せたい、彼らは日本の文化・精神に触れてそれを持ち帰るんだという東京オリンピック構想を聞かされました。オリンピックという平和の祭典に夢を抱いた直後の昭和6年(1931)9月、大陸で満州事変が勃発しました。このまま戦争になるかもしれない非常事態なのに、まーちゃんの頭の中は相変わらずオリンピックでいっぱいで、他の社員から「不謹慎だぞ」と叱られていました。同僚の河野から「新聞記者を続ける気があるなら特ダネの一つでも取ってこい」と言われたまーちゃんは、大物政治家の高橋是清(萩原健一さん)を訪問しました。お調子者だけどどこか憎めないまーちゃんに高橋は、若槻内閣が総辞職した後の次の総理には犬養毅が指名された、とさりげなく話してくれました。高橋から超特大スクープを聞いたと同時に犬養毅ご本人の登場によって高橋の前から追い払われたまーちゃんは、慌てふためきながら高橋邸の電話から会社に電話を。ふだんあれだけ口が達者なまーちゃんなのに「アレ」「ナニ」を連発するだけです。でも事務員の酒井菊枝は言われたとおりに速記でメモして・・それがまーちゃんの言わんとしたことを間違えることなくちゃんと伝えた記事になり、まーちゃん自身も驚いていました。上司の緒方竹虎からはお褒めの言葉を頂き、そしてオリンピック応援歌の募集も大々的にやってよいという許可も得ることができました。昭和7年(1932)3月、関東軍が満州を占領して満州国の独立を宣言。しかし政府は満州国を承認せず、軍部の不満は政府に向かっていき、首相の犬養 毅(塩見三省さん)は困難な立場にありました。そんな折まーちゃんは犬養を訪問し、オリンピック応援歌の完成式典が5月15日に開催されるので、犬養首相に是非出席してほしいとお願いに上がりました。犬養は「スポーツは勝っても負けてもすがすがしい、応援歌を楽しみにしている」と。ところで7月末から始まるロサンゼルスオリンピックに向けて、当時東洋一の神田YMCAプールでは、日本代表チームの練習にいよいよ熱が入っていました。ただこの当時、男子の練習が素っ裸だったとはマジ驚きでした。(女子は水着着用)オリンピック応援歌には48,000通の応募があり、17歳の中学生、齋藤 龍 君の作品『走れ大地を』が一等に選ばれて応援歌に決定しました。昭和7年(1932)5月15日、『走れ大地を』の曲が完成し、そのお披露目が行われた会場では、主賓となる首相・犬養毅の到着を今か今かと待っていました。しかしその頃、自宅で健康診断を受けながら支度をしていた犬養は軍の青年将校たちに襲われ、話し合いをしようという説得もむなしく凶弾に倒れました。即死ではなくしばらくは絶え絶えに息があり、「今の若い者をもう一度呼んでこい、話して聞かせることがある」とお抱え医師の大野に命じたりしていました。しかし治療の甲斐なく、犬養はその夜の11時26分、息を引き取りました。軍部による統制が厳しくなっていく中で、オリンピックに出る選手たちは大勢の人々の熱狂的な見送りを受け、「こんな時だからこそ、スポーツ大国に成長した日本の姿を世界に見せなければいけない!国際社会で孤立しつつある日本を背負って、懸命に戦ってくれ!」壮行会での嘉納治五郎の激励を胸に刻み、ロサンゼルスに向けて出航しました。