大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第21回~奥州藤原氏を滅ぼして9年に及んだ頼朝の戦は終わりに、そして義時と金剛に優しい微笑みを残した八重はあの世へ
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回は歴史的なことは少しで、それよりも何人かの人の「心の中」を見たような回でした。自分が最高権力者なので誰もが自分に従うし、相手の心の内を読んで思い通りに動かす自信もある源 頼朝(大泉 洋さん)と後白河法皇(西田敏行さん)。だからこそ自分の思い通りにならない相手ーーつまり頼朝は八重(新垣結衣さん)に意地悪をし、後白河法皇は北条時政(坂東彌十郎さん)に、誘いやお願いの言葉をかけたりと、何かと執着していました。極端な場合、いかに自分の思いどおりにこの者を動かして、利用して、流れが自分に都合が悪くなれば綺麗に捨てるか。それを最優先事項で、相手への情も尊重もないのです。現代でも、自分の理想の異性を求めるというより、ゲーム感覚で異性を口説くのを楽しむ人もいると思います。一緒にいて楽しいうちはいいけど嫌になれば綺麗に別れる。どこまでも自分は大事だけど相手への愛はない。なんかドラマを見ていて、そんなことがふと浮かびました。そしてもう一つの心の内・・というか、今までどうやって過ごしてきたのかと思ったのが大姫(南 沙良さん)です。木曽義高のことで深く傷ついたのはわかるけど、現実逃避のような奇行を見ていると、母親の政子も含めてあれから周囲から腫れ物に触るように扱われてきたのではないかと。心が壊れているのか、心がどこかの世界に飛んでいるのか、場の状況も考えずに自分の思いつくまま話しかけ、好きなようにふるまっているのを見ると、生まれながらの姫で皆が遠慮してくれて、大姫は可哀そうだからと皆が自分に合わせてくれて、必要以上に甘やかされた部分もあったのでは?と思ったりしました。下々の者は自分が深く傷つこうがなんだろうが、生きていくために働かなきゃいけないから、いつまでも感傷にふけってなんていられないのです。つまり逆にやることのある人は、忙しいから忘れていられる、動くことで新たな良い出会いがあったりすると昔を忘れることができる、みたいな部分もあるのかなと思います。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 文治5年(1189)夏、源 頼朝(大泉 洋さん)は奥州の藤原氏を討つために全国から兵を集めて進軍し、藤原氏を滅ぼしました。藤原泰衡は家人の河田次郎の裏切りにより討たれ、河田は泰衡の首を持って頼朝の前に参上しましたが、頼朝は主を裏切る不忠者として河田を処刑しました。東北の平定によって頼朝は、治承4年(1180)の挙兵から始まった9年にも及ぶ戦が終結し、全国の支配体制を固めて源氏の世の到来を感じていました。ただ北条義時(小栗 旬さん)にとっては葛藤や迷いもぬぐい切れず、そんな義時に頼朝は「己のしたことが正しかったのかどうか、決めるのは天だ。天罰があるなら甘受する。それまで突き進むのみ。」と力強く言いました。秋になって頼朝が奥州から鎌倉に戻ったとき、北条時政(坂東彌十郎さん)も京から戻ってきていて、頼朝への文からは時政が後白河法皇(西田敏行さん)にたいそう気に入られた様子がうかがえました。時政は京では、後白河法皇との双六でも「いくら法皇様でも駄目なものは駄目」と法皇のずるを許さず、法皇から自分の傍にずっといてくれと言われれば「ご勘弁を。鎌倉で美しい妻が待っているから帰りたい。」と臆することなく法皇からの誘いを拒否していて、時政のその肝の据わりぶりを法皇は気に入っていたのでした。(時政は人生経験が豊富だからか、あるいは自分の身を守る本能が強いのか、この人物にヘタに気に入られたら後で大変なことになると察知して逃げたのでしょう。)一方、法皇は奥州攻めの褒美として頼朝に望みの恩賞を出すと言いましたが頼朝はこれを拒否し、もう法皇の言いなりにはならぬことを暗に示しました。頼朝の態度に恐れを感じた法皇は突然「こんなときに平家がおったらの。」と言いだし、さらに「義仲、義経、なんで滅んだ!」と叫びました。法皇をなだめようと丹後局(鈴木京香さん)が「みんな、院が望まれたこと。」と言うと法皇の怒りの矛先は側近の平 知康(矢柴俊博さん)に向かい「お前が悪い。なんでわしを止めなんだ!この役立たずめ。」とののしりました。(頼朝の夢枕に立って平家打倒の挙兵をさせたときから全部、法皇が次の誰かを取りこんで操って、次々とやらせたことなんですけどね。)ある日、義時は妻の八重と嫡男の金剛を連れて、頼朝のところに来ました。頼朝はかつての思い人であった八重が義時と寄り添って今本当に幸せそうなのが面白くなかったのか、義時が一緒にいるのに、かつて自分たちが逢瀬を重ねていたころの事を絡めてあれこれ話をして八重に語りかけ、八重を困らせていました。これを見かねた妻の政子(小池栄子さん)が夫の頼朝をたしなめると、頼朝もこれ以上はやめておこうと思ったのか、仕事に戻ると言って義時を連れて退出しました。(これは半分は頼朝の意地悪で、半分は下の者には気遣う必用は無いと考える最高権力者の頼朝の無神経だと思いました。)頼朝は側近たちと政務をこなしながら、今度は義時の子である金剛が、性格や顔が自分とよく似ている、我が子の万寿よりも似ている、とまで言いだしました。義時も頼朝が自分をからかっているとわかってはいるものの、やはり気分を害し、でも何を言われても頼朝には何も言い返せない情けない自分がいて、そして内心ほんのかすかな不安もあったので、八重(新垣結衣さん)に打ち明けました。気の弱い夫・義時に八重は「私はあなたを選び、金剛が生まれた。昔はあの人が好きだったけど、どうかしていたと今は思う。あなたでよかった。」と。さらに「あなたがいなければ源頼朝だって今もただの流人。あなたが今の鎌倉をつくった。」とまで言ってくれる八重が愛おしくて、義時は八重を抱擁しました。八重は義時に「私と金剛をお守りください。」と、そして「私もあなたをお守りします。」と言い、義時も二人を守ることを心に誓いました。さて、おなかの大きかった時政の妻・りく(宮沢りえさん)は無事に男子を出産し、北条家の跡継ぎができたと大喜び、そして時政の子たちが時政の館に集まり、皆でお祝いの挨拶を述べていました。ところが政子の子の大姫(南 沙良さん)が突然、理に合わぬことを言いだしたり、呪文を唱えて皆にも強く勧めたり、自分の名を勝手に変えたり、果てはイワシの頭が鬼除けになると言って北条時連(瀬戸康史さん)に頼んで持ってきてもらい、皆がいる場所で生のイワシをさばき始めました。畠山重忠(中川大志さん)と夫婦になった義時の妹のちえ(福田愛依さん)は只今身ごもっていて、部屋に漂う生イワシの臭いに堪えていました。親を失った子たちを世話する八重を誰もがその人徳を認めていましたが、りくだけは義時の嫡男の金剛と他の孤児たちを一緒にさせておくことに不満を持っていました。りくはそのことを話した勢いで、他の不満も一気に話し出しました。近頃は比企の一族ばかりが源氏とのつながりを深めて目立つ働きをする位置にある、なのに北条の働きはぱっとしない、そして文句の勢いは畠山重忠や義時の妹・あき(尾碕真花さん)の夫の稲毛重成(村上誠基さん)にまで及んでいきました。(京で育ったりくは雅な世界が基準だけど、坂東の人たちは地縁や血縁との繋がりをまず大事にしていて、華とか出世とかはあまり考えていないのかも。でも一族の中で一人くらいはりくのように権力との繋がりや華を重んじる人も必要でしょうね。)八重が世話する孤児の中には八田知家が連れてきた鶴丸(佐藤遙灯くん)がいました。ある日、金剛(森 優理斗くん)と鶴丸は取っ組み合いの喧嘩になりかけました。八重が二人を制し、八重は金剛に「いけないことはいけないけど、鶴丸は辛い思いをしてきた。わかってあげて欲しい。」と話して優しく諭しました。でも実は金剛も母の八重を独占できなくて寂しかったのだと知り、八重は金剛に「あなたが一番大事。」と心をこめて伝え、金剛にわかってもらいました。(子どものころに本気で喧嘩した相手は大人になっていい関係になることが多いし、金剛が北条の若様であっても本音をぶつけて向かっていける鶴丸は、自分の考えをきっちり主張できる子で、金剛と相性がいいと思いました。)さて北条時政ですが、自分が奥州攻めの年に創建した伊豆の願成就院に立派な阿弥陀如来像を設置するために奈良から仏師の運慶(相島一之さん)を呼んでいて、その仕上がり具合を見るために義時と時連を連れて願成就院に来ていました。完成直前のその像を見せてもらうと、その御仏の姿は時政が報酬をはずんだと言うにふさわしい見事な出来栄えで、そこにいる皆は美しさに心を奪われていました。義時が伊豆に行っている頃、八重は三浦義村(山本耕史さん)と一緒に子供たちを川遊びに連れてきていました。ところが義村が用足しでどこかに行ったときに鶴丸が川に流されてしまい、鶴丸の泣き声に亡き千鶴丸のことがふと蘇ってしまった八重は我を忘れて川に入っていき、なんとか鶴丸を助けて岸の近くに戻ってきました。戻った義村は急いで川に入って鶴丸を八重から受け取って岸に上がり、八重も一緒に川から上がってくるだろうと思ったのか、八重のことは気にかけていませんでした。しかし鶴丸を助けた八重は力尽きて岸に上がることもできず、意識が遠のいて川に流されてしまいました。義村から事態の報告を受けた政子はすぐに全成に祈祷を頼み、義村も引き続き三浦の家人たちと共に八重の捜索にあたりました。八重のことを聞いた頼朝はさらに、鎌倉中の御家人を集めて皆で探すよう安達盛長(野添義弘さん)に命じました。「八重をけっして死なせはしない!」そう言って頼朝も捜索に出ていきました。(自分が権力者になる前に一人の男として情を交わし、力のない自分だけどどんなときも支え続けてくれた八重は、頼朝にとってやはり特別な存在なのでしょうね。)運慶のことがすっかり気に入った時政は一献を誘い、阿弥陀様も呑みたいだろうと言う運慶の提案で、皆で像の前で酒を酌み交わしていました。時政は酔いつぶれて寝てしまっていますが、運慶は御仏の前だからと酒には口をつけずに皆と付き合っていました。そんな運慶の人柄に触れ、優しい気持ちで阿弥陀様を見上げたとき、義時にはその表情に妻の八重を思い浮かべました。今その八重が鎌倉であまりにも悲しい最期を迎えてしまったとも知らずに。