大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第40回~和田義盛の排除を謀る北条義時は誰のために、そしてせっかく収まった両者の矛が誤解から開戦へ
2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。1月に始まった大河ドラマが、もう40回を迎えました。ふと気がつけば、今年の主役の北条義時(小栗 旬さん)は暗くて重たい役柄のようです。昨年の『晴天を衝け』では、主役とその周囲はどんどん前進していき、いつも溌剌としていました。6年前の『真田丸』や4年前の『西郷どん』でも、主役とその周囲はやがて訪れる敗北に向かいつつも、どこかに吹っ切れた明るさを持っていました。そう思うと、今年は・・。たしかに鎌倉初期は御家人たちのつぶし合いが多かったし、北条がその中で権力を掌握していったのだから、明るくは無理なのかもしれませんが。義時は亡き兄・宗時の思いにとらわれ、かつその実現のための力を何のかんのとに手に入れてこれたから、力ずくでも成し遂げようとしているのか。あるいは「先に潰さなければそのうちこちらが潰される」ことへの怯えなのか。鎌倉の安泰のためなのか、泰時に権力を残すためなのか。渦中にいる本人はもう全てが理由で、こうなったら流れに任せるしかない状況なのでしょうか。そして義時は、源頼朝の頃から共に鎌倉をつくってきた和田義盛(横田栄司さん)の存在が、いよいよ邪魔になってきました。ただいったんは源実朝(柿澤勇人さん)のとりなしで戦が収まった両者が、実朝が義盛を遊びに誘ったことで義盛の帰りが遅くなり、それを知らない和田一族が先に蜂起してしまうという流れができてしまいました。いつの時代でも、戦に限らずビジネスでも人間関係でも、思わぬきっかけで事は動き出してしまうのですね。ところで先週の予告であった「無数の和田義盛」。てっきり戦になって和田が影武者をいっぱい作ったのかと思ったのですが、そうじゃなくて「似たような風体が約100人、御所に押しかけてきた」ということでした。三谷さん、やるなあ・笑NHK『鎌倉殿の13人』のHPでは、各回の『吾妻鏡』の内容を紹介しています ⇒ ⇒ こちら (「歴史」をクリックするとこれまでのがまとめて出てきます)こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 の案内が出ています。 ⇒ ⇒ こちら 建暦2年(1212)7月、後鳥羽上皇は前の月に焼失した京の閑院内裏の再建を鎌倉に命じ、鎌倉殿の源実朝はそれを了承しました。和田義盛(横田栄司さん)のところにはこの命令を受け入れられない長沼宗政(清水 伸さん)ら御家人たちが集まり、義盛に不満をぶつけていました。皆から意見を求められた八田知家(市原隼人さん)は、自分は言われた仕事はこなす、と言いつつ、ただし坂東に限ると付け加え、御家人たちも同意していました。和田義盛は不満を持つ御家人たちの旗頭になっていて、執権で鎌倉内を動かしている北条義時は義盛の動きを警戒するようになりました。建暦3年(1213)2月、鎌倉がそんな空気になっている中、泉親衡の乱が発覚し、それに関わった者たちは全員厳罰に処すよう義時は考えました。しかしその中には和田義盛の甥の和田胤長(細川 岳さん)と息子の和田義直(内藤正記さん)と和田義重(林 雄大さん)が入っていて、義盛は自分が謝ってなんとか許してもらおうと御所に参上しました。また大江広元はこの乱を、義時のことを嫌っている後鳥羽上皇の差し金で、上皇は御家人をたきつけて鎌倉を内部から揺さぶるつもりだと考えていました。義盛は執権の北条義時(小栗 旬さん)に土下座して詫び、若い者たちは軽く考えて反乱に加わってしまったのだと許しを乞いました。結果、義直と義重はお咎めなしと北条時房(瀬戸康史さん)から告げられたものの、皆に声をかけて回った胤長だけは許すことができない、命は取らぬが他の御家人たちへの示しのために流罪にする、と義時から告げられました。甥の胤長だけは許してもらえないと知った義盛は、我が子他一族の若者たちを集め、皆で御所に出向いて義時とかけあおうと決めました。一族の皆で頭を下げたら義時だって許してくれる、と義盛は考えていました。しかし御家人たちからの信頼が厚く、上総介広常を彷彿とさせる和田義盛の存在は、義時にとって煩わしいものでした。この機会に和田義盛に消えてもらおうかーーそれは大江広元も同じ考えでした。翌日、義盛は一族98人を引き連れて御所の南庭に集結し、胤長の赦免を求めました。しかし胤長は陸奥へ流罪とすでに決まっていて、広元は「ここで沙汰を変えたら力に屈したことになる。」と言い、一方で三善康信は「あれだけの人数が暴れたら大変なことになる。」と考えました。和田に事を起こさせることを考える義時は、あえて胤長を縛り上げて一族の皆の前に引き出して恥ずかしめ、義盛が実朝に会わせてほしいと懇願して一族が土下座しても、一切聞き入れませんでした。御台の千世(加藤小夏さん)に自分の真実を打ち明け、千世もそれを受け入れてくれ、心が通い合うことができた鎌倉殿の源 実朝(柿澤勇人さん)。今日は二人で母の尼御台・政子(小池栄子さん)のところに来て、大根葉の下処理を手伝っていました。食材の扱いを幼い頃に爺様(北条時政)に教えてもらったと言う実朝、そして高貴な生まれで自分が食事を作るなんてなかったけど、これは下女のやることなどと拒否をせずに実朝に付いて一生懸命に学ぶ千世の、二人の姿は微笑ましいものです。(明るくて優しくて温かい世界観は、このドラマでは貴重な癒しの時間ですわ)そんなころ、甥の胤長に対する仕打ちに深く悲しんでいた義盛は、三浦義村と酒を呑みながら愚痴をこぼしていました。義村は義盛に「いっそのこと北条を倒して新しい鎌倉をつくるのはどうだ。御家人の不満が高まっている。和田義盛が立てば多くの者がついてくる。」と提案しました。そこまではと考えていた義盛でしたが、捕まっている胤長の娘が父に会えぬまま病で息を引き取ったその瞬間、義盛の中で義時を許せない気持ちが大きく膨らみました。一方、父・義時が義盛を追い詰め、さらに和田を滅ぼそうとしているのがわかる北条泰時(坂口健太郎さん)は、なぜそこまでするのかを父に問うていました。「北条の世を盤石にするため。お前の代になったとき必ず和田一門が立ちはだかる。だから今のうちに。」と言う父に泰時は「自分は誰とも敵を作らず、皆で安寧の世を築いてみせます!」と反論しましたが、泰時は父から謹慎を言い渡されました。その後で義盛との話を終えた義村が来て、義村が父・義時と結託して義盛を唆しているのを知り、泰時は茫然としました。父を止めたい泰時は伯母で尼御台の政子の元へ行き、事の次第を伝えました。話の途中で義時が来て、義時は泰時は退室させ、姉と弟の話し合いになりました。「この先も和田義盛には北条の敵となる野心はない。」と政子が言うと「あの男に野心はなくても周りが担ぎ上げる。」と言い、さらに「兄上の望まれた世が目の前まで来ている。姉上は関わらないでほしい。」と。そんな義時に政子は「私に政に関われと言ったのはあなただ。一人で勝手なことをしない!」と強く叱り、義時もこれ以上は義盛をけしかけることはしないと言って退室していきましたが、政子は弟の言葉を信じてはいませんでした。案の定、後で義時は大江広元には「和田をたきつけるいい手を思いついた」と。政子は三浦義村を呼び、和田に戦をあきらめさせるためにも三浦は北条に付くよう頼み、その見返りとして義村を宿老に取り立てることを約束し、義村も承諾しました。さて暖かくなり、御台の千世と花を愛でるために外出した実朝はこの折にと歩き巫女(大竹しのぶさん)のおばばに千世を引き合わせていました。おばばは千世の幸せの中にある大きな寂しさを感じ取っていました。そして実朝に「じき大戦が始まる。この鎌倉が火の海になる。由比ガ浜に髭面の首が並ぶ。」と予言しました。おばばの恐ろしい予言に実朝が不安にかられていると平盛綱(鶴丸・改)が天幕に入ってきて、至急御所に戻るように伝えました。和田義盛が受け取るはずだった胤長の館を義時が没収してしまったのです。御所に戻った実朝は叔父で執権の義時から、これは和田に戦を起こさせるための仕掛けであると聞かされました。しかし自分が最高位にあっても実朝は政治的にこの叔父には逆らえないので、急ぎ母である尼御台に相談しました。どうしても義盛と話がしたいと言う実朝のために政子は「我が家に伝わる秘策。今のところ1勝1敗だけど。」と義盛にコレをやらせました。女装してなんとか御所に入り込んだ義盛と、実朝は話ができました。武人としての屈辱にもう我慢ができないと言う義盛に、実朝はおばばの予言を伝え「お前を死なせたくないのだ。」と言って義盛の手を取りました。畏れ多いことと恐縮する義盛に実朝は「いつまでもそばにいてくれ。義時も鎌倉を思ってのこと。二度と行き過ぎた真似をしないよう、私が目を光らせる。またうまい鹿汁を食べさせてくれ。」と、義盛を失いたくない思いを伝えました。「和田義盛は鎌倉一の忠臣だ。」ーー実朝の言葉に義盛は感涙が止まりませんでした。そして実朝は義時と義盛を並べ「二人とも私に免じて此度は矛を収めて欲しい。」と二人は実朝の言葉を受け入れて和解し、実朝はその後で義盛を双六に誘いました。実朝と義盛が部屋を出た後で、政子は義時にもうこれで戦をする口実がなくなったと義時に念押ししました。それでも義時が内心は和田を滅ぼすことをあきらめていないのがわかるので、政子は「戦をせずに鎌倉を栄えさせてみよ!」と語気を強めて弟を叱りました。「姉上は甘すぎる。」と言葉を残して義時が部屋を出ると、廊下でそのやりとりをずっと聞いていたのか、義盛がそこにいました。「考えたら皆死んで、昔からいるのは俺と義村ぐらいだ。今の鎌倉殿を守っていこう。政は任せるから、力が要るときは俺に言え。誰であろうと鎌倉の敵は俺が討ち取る。これからも支え合っていこう。」ーー義盛はわだかまりなくこう言いました。でも義時はわだかまりを隠せないままでした。こうして御所の中では戦は収まったのですが、義盛の帰りが遅いことで和田の一族は何かあったのではと誤解し、御所に攻め入る態勢に入りました。「共に北条を倒そうぞ!」と皆を鼓舞する三浦義村(山本耕史さん)でしたが、巴(秋元才加さん)は義村を信じていなくて、起請文を書くよう要求しました。出陣していく和田一族と、寝返る手がなくなった義村たち、そして一方御所ではもう戦がないと武装解除になっていました。建暦3年(1213)5月のことでした。