大河ドラマ『どうする家康』第2回~信長の教え「地獄を生き抜け!」と登譽上人の教え「汚れたこの世を浄土に」が、気弱な大将・松平元康を目覚めさせました
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回で印象深かったのは、ラストで弱気な大将だった松平元康(松本 潤さん)が覚醒して自信を持ち、その姿に本多忠勝(山田裕貴さん)もようやく元康を主君を認めた部分もあったのですが、なにより織田信長(岡田准一さん)率いるヒャッハー軍団がインパクト抜群でした。このドラマではいかにも荒くれでヤンチャな印象ですが、彼らは家を継げない武家の次男坊や三男坊らで、信長が集めて傍に置いて鍛えた子飼いの若侍たちです。その中に前田利家や佐々成政もいるんですよね。で、ドラマでは竹千代役の川口和空くん。武芸の稽古で信長流に可愛がってもらっているとはいえ、ブン投げられたり地面に転がされたりで、まあ大変です。彼は実年齢が14歳で多少は筋力があるから耐えられるだろうけど、もし当時の家康と同じ7歳の子役だったら危なくてあんなことはできないですね。また当時7歳の家康があれと同じ目に遭っていたら、もう信長の存在が思いっきりトラウマになって、恐怖の記憶しか残らないでしょう川口和空くん、信長役の岡田准一さんが何度も付き合ってくれて、技を丁寧に教えてくれたと喜んでいました。良い心がけです。これを機に武術の稽古にも熱が入って、いつか「あのとき岡田さんが~~」とかあったらいいですね。そして大樹寺の登譽上人として登場した里見浩太朗さん。時代劇の大御所ではあるけど、このドラマとSNSを見る世代の方々はあまり関心がないかなと思いきや、お名前がトレンドに上がるほどの大反響でした。(失礼しました)私は里見浩太朗さんは『水戸黄門』の助さん時代は記憶にないけど黄門様時代は大好きで何度も見ていたし、大型時代劇の『白虎隊』や『田原坂』も大好きでした。時代劇は衰退気味であると言われるけど、一つの時代を作ってきた大御所たちはやはり、そこにいるだけで別格の華があるのだと感じました。ところで、その舞台となった大樹寺(愛知県岡崎市)では、パブリックビューイング第2弾が本堂で行われたそうです。粋な計らいですね。 ⇒ ⇒ こちら こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 大河ドラマ館、愛知県岡崎市で1月21日オープンです。 ⇒ ⇒ こちら 永禄3年(1560)5月、今川方の兵として大高城(現在の名古屋市緑区)に兵糧を運び込んだ松平元康でしたが、この戦いで今川義元が織田信長(岡田准一さん)に討たれたことを知り、戦いの最前線にいる元康たち松平勢はどう動いたらいいのか、織田勢が大高城を取り囲む中、判断がつきかねていました。そして信長も大高城を取り囲むだけで、攻めてくる様子はありませんでした。元康が信長を前にしておびえていると本多忠勝がその理由を問いました。「お前にはわからぬ。」と答えた元康は、織田方の人質として信長の元で暮らした12年前のことを思い出していました。今から12年前の天文16年(1547)の夏、当時6歳だった竹千代(元康の幼名)は人質として駿府の今川家に送られることになっていましたが、戸田宗光の裏切りで尾張の織田信秀(藤岡弘、さん)の元に送られてしまいました。今川につくと決めた父・松平広忠は信秀に「竹千代のことは勝手にせよ。」と伝えたため竹千代は処刑されるところでしたが、それを信長が止めました。ただ信長のおかげで命拾いしたとはいえ、織田家での信長やその配下の若侍たちがつけてくれる戦の稽古は、幼い竹千代にはあまりに荒っぽくて厳しいものでした。思わず「地獄」という言葉を口にする竹千代を信長は笑っているだけでした。元康が信長とのことを思い出していると、大高城を取り囲んでいた信長がなぜか突然引き上げて大高城を後にしていきました。今川が負けた以上ここにこもっていても仕方がないから駿府に戻ろうと元康は考え、家臣たちもとりあえずそれを受け入れました。しかしその後で岡崎から城代の山田新右衛門が討ち死にした、今川の家来衆も急ぎ岡崎を出て駿府に戻っていったと知らせが入りました。老臣の鳥居忠吉(イッセー尾形さん)は、それならば松田勢は駿府ではなく岡崎に戻るべきだと進言し、他の家臣たちもそれに賛同しました。でも駿府での暮らしにすっかり馴染んでいる元康は、とにかく駿府に戻ると主張し、今川の重税に耐えながら必死に岡崎を守ってきた家臣たちと対立してしまいました。松平元康(松本 潤さん)は家臣たちと意見がまとまらないので、三河領に入ったら各々が行きたい所に行くとして移動を開始しました。矢作川を超えて三河領に入り岡崎に帰りたい家臣たちが去ろうとしたとき前方に軍団が現れ、それは大草の国衆の松平昌久でした。昌久は元康を迎えに来たと言い、昌久の腹黒さを知っている石川数正や鳥居忠吉は元康に信じてはいけないと進言しますが、元康は昌久を信じることにしました。ところが元康が前に進み出たとき数正が危惧した通り昌久が裏切り、元康めがけて大草松平勢が攻撃を開始し、万一に備えて元康をかばって前に出ていた忠吉が銃で撃たれて深手を負ってしまいました。忠吉をはじめ多くの岡崎の松平勢が負傷し、這う這うの体で大樹寺にたどり着いてそこで手当を受けていました。自分が判断を誤ったために味方の多くが負傷し、元康は自分を責めていました。そして寺の外には元康を追ってきた昌久の軍勢がヤジを飛ばして挑発して構えているので、住職の登譽上人(里見浩太朗さん)はその者たちを寺の中に入れないようにしていましたが、昌久勢は勢いづいたままでした。自分の首さえ出せば皆が助かるのかーーそう思った元康は住職に「父祖の墓前で一人静かに考えたい。」と言って奥に入っていきました。戦場の恐ろしさと、戦場で主君たる自分が決断をして命を下すことの難しさと恐ろしさを知り、そして自分のために多くの兵が死傷してしまった。ならばせめて自分の死をもって家臣たちを守ろうと考えた元康は父祖の墓の前で自害しようと思い、そこへ本多忠勝(山田裕貴さん)が来て、自害するなら介錯をしてやると言いました。ただ元康は忠勝が主君たる自分に偉そうな物言いをするのがどうしても気になっていたのでそのことを問うと、忠勝は言いました。「俺の命を捨てるだけの値打ちがあるお方を主君と仰ぎ、いつの日かお主を主君と仰ぎ(父や祖父のように)お主を守って死にたい。」忠勝の言葉を聞き、今の自分は主君の器量ではないと痛感した元康は、自分を恥じて泣きながら腹に刀をあて、そして忠勝は介錯のために刀を振り上げました。でもそのときふと「厭離穢土 欣求浄土」の言葉とともに、尾張にいた頃に信長や近習たちにしごかれていたときのことを、そして信長の言葉を思い出しました。「この世は地獄。俺たちは地獄を生き抜くんじゃ!周りは全て敵ぞ!弱ければ死ぬだけじゃ。かかってこい!ほら、白兎、どうした!」ーーそして必死に信長に抵抗しながらも、そう言われたときに「違う!竹千代は兎ではない!竹千代は寅じゃ!寅なんじゃぞ!」と言って信長に技を返していたあの時のことを。信長に必死にくらいついたあの時、信長は「そうじゃ、その目じゃ!その目だけは忘れるな。」と初めて自分に優しい笑みを見せてくれました。今川にいて目立たぬようひっそりと生きてきた間にすっかり忘れていた、このまま敗者で終わりたくないという心の奥底の思いが、元康の中によみがえってきました。元康の心境の変化に気づいた忠勝は介錯の刀を下げ、この成り行きを見守っていた石川数正(松重 豊さん)と酒井忠次(大森南朋さん)、そして隠れて見ていた寺の榊原康政(杉野遥亮さん)が出てきました。忠次から「いね(去れ)。」と言われ康政はその場を去ろうとしましたが、元康の思い違いがどうしても気になり、恐れながらと進言しました。「厭離穢土 欣求浄土とは、汚れたこの世こそ浄土にすることを目指せ。かような意味と登譽上人様に教えてもらいました。様々な解釈があるけど領主さまならこう解釈するのが良いかと。」ーー康政の言葉が元康の胸に響きました。この乱世の中で松平の当主である自分が志すものが見えてきた元康は意を決して、門を開けて大樹寺の僧兵たちとともに松平昌久の前に出てきました。そして名乗りを上げ昌久の兵たちを見据えて「我らこれから、本領の岡崎へ入る。我が首を取れば、岡崎で我が帰りを待つ1,000の兵たちが怒りの業火となって、貴殿の所領に攻め入るであろうから、しかと覚悟せよ!」と。そしてさらに力を込めて「また今川は新当主・氏真様の力で早晩立ち直るは必定!その今川と我らを一度に相手できるならばやってみよ!」と言って昌久に詰め寄り、侮っていた元康のあまりの迫力に、昌久は驚いて腰を抜かしてしまいました。「三河は我が父祖が切り取った国じゃ。必ずやこの元康が今一度平定し、いかなる敵からも守ってみせる!織田からも、武田からも守ってみせる!」ーー元康が迷いなく昌久勢に言った後、今度は岡崎勢のほうを向いてさらに力強く「わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた、武神の生まれ変わりじゃ!そなたたちのことは、このわしが守る!わしが守るんじゃぁ!」と決意を表明しました。つい先ほどまでとは別人のような君主・元康の姿に、家臣一同は胸を打たれました。忠勝は元康を見直し、康政も(元康についていくと)自分の進むべき道を見つけたようで、登譽上人は安堵したように康政を見ていました。気迫で昌久を圧した元康は、昌久勢に「道を空けい!」と力強く命じました。岡崎勢の家臣たちも口々に「道を空けよ!」と連呼、そして忠勝は昌久勢をにらみ据えてひときわ大きな声で「道を空けい!」と命じました。忠勝が元康に代わってものを命じるその姿は、元康を我が主君と認めた証でした。元康たちは昌久勢の中を威風堂々と進み、岡崎へ帰っていきました。元康が無事に岡崎に入ったとの知らせを受け、駿府では妻の瀬名だけでなく今川氏真も安堵して喜んでいました。またその頃、甲斐の武田信玄は松平の若大将(元康)のことを調べ上げるよう、飯富昌景に命じていました。今川が去った岡崎城では、元康が岡崎の皆に「案ずることはない。今川様は必ずよみがえる。そしてこの元康は寅の化身じゃ。いかなる敵も恐るるに足らず!織田信長など蹴散らしてくれようぞ!」と自信を込めて伝えていました。士気の上がった家臣たちからは口々に「殿~!」と声が上がり、元康自身も皆の期待に応えなければと決意を新たにした・・・のですが、障子を閉めて皆の顔が見えなくなったら、ちょっと大風呂敷を広げ過ぎたのかと悩んでいました。一方、元康が生き延びて岡崎に入城したことを聞いた信長は「いよいよ食らいに行くか。白兎を。」と何か考えているようでした。