大河ドラマ『どうする家康』第8回~三河一向一揆とそれに付随した反乱が起こり家康はますます窮地へ、一生懸命に頑張っているけどまだまだ未熟な家康でした
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。物事が思ったようにうまくいかないときは、自分にも何か原因があるとはよく言われますが、今回の放送では、松平家康(松本 潤さん)の人間として、領主としての未熟ぶりが随所に描かれていました。一向一揆を起こした門徒たちがなぜ領主である自分の言うことをきかないのか、なぜ岡崎の一部の家臣たちは一揆側に行ってしまうのか。その理由に思いが至らない家康は、襲撃されていよいよ己の命に危機が迫ったときに、かつて駿府で人質時代だったときに今川義元(野村萬斎さん)が教えてくれたことを思い出しました。天下の主は「民」であると。ただこの場面で思ったこと。義元は元康(家康)にはこのように教えを授けて、駿府では元康に良くしてやっても、岡崎の民たちには重税を課して苦しめてきたのですよね。だから総合的な説得力には欠けるのかと。でも考えたら義元は「民に見放されたときこそ、我らは死ぬのじゃ。」とも言っていて、この言葉が偶然だけどそのまま桶狭間での討ち死にになっているのかと。もし義元が岡崎の民にも良い治世を行っていたら、岡崎の民たちは「自分にとっての良い領主様を守るために」、もしかしたら織田方の動きを義元に知らせたりとか、何か行動を起こしていたかもしれないですから。それにしても家康、ホントに悪気ないダメ領主でした。例えば名前の間違いは、家康には相手を軽んじる気持ちはなくても本人や周囲にはそう思われてしまってました。また家臣たちが自分を裏切るはずがないというのも、独りよがりで物事の見方が浅い現れでした。そんな家康を支える古参の重臣たちは、まだ家康が大きくなる前とはいえ、遠慮なく家康に意見し、ときには怒りを露わにして叱り飛ばします。家臣たちからガミガミ言われる殿様も大変だし、頼りない殿様を支える家臣たちも大変です。でもこれが「三河家臣団」として団結して、この先にある幾たびもの危機を乗り越えていく力になるのですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館は3月18日にオープンします。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 永禄6年(1563)夏、三河の領主の松平家康(松本 潤さん)が一向宗に認めていた「不入の権」をやぶって一向宗の寺から兵糧を徴収したことに腹を立てた宗徒たちが武器を持って刃向かった一向一揆が起こったのですが、まずは回想シーンから。家康が駿府で人質として暮らしていた頃、庭で論語の学問に励んでいたらの今川義元(野村萬斎さん)が通りがかり、家康に問いかけました。「この国の主でもあり、この天下の主でもある者は誰ぞ?」ーー義元のこの問いへの答えはこのときはまだ出てませんが、論語の教えと後でわかる義元の答えは、この先家康という人間をつくっていく大事なものになっていくと思います。(中学生や高校生の人たちはこの場面を使って、漢文の返り点や送り仮名をつける練習をするといいかも。)もみ米の奪い合いで本證寺の僧兵が家康の使者を斬ってしまい、僧兵は住職の空誓に助けを求め、空誓もそれに応じて皆に呼びかけました。「ここは誰でも救われる場所。それを踏みにじる者はたとえ殿さんであろうと仏敵。」と門徒たちを煽り、武器を持って集まった門徒たちは歌って踊って互いに気持ちを鼓舞し、家康との戦いに備えて団結していました。そのころ家康は重臣たちから、自分たちの忠告を無視して命を下して一向宗との戦の原因をつくったと思いっきり怒られ、さらに本證寺、上宮寺、勝鬘寺などに各地から門徒が武具を手にどんどん集結しているとの報を受けました。どう対処したらいいのか判断に迷う家康に酒井忠次(大森南朋さん)は、すぐに三か寺に軍勢を差し向け速やかに鎮めるほかはないと助言しました。しかしそこへ土屋重治(田村健太郎さん)が、城下のたくさんの家来衆が寺に向かっていると注進に来たので、家康は鳥居元忠(音尾琢真さん)らに、すぐに皆を引き留めるようにと命じました。元忠たちの説得もむなしく蜂屋貞次や渡辺守綱らの家臣たちが、あるいは本多や酒井の一族の一部の者たちや下女たちが次々と、寺に行ってしまいました。鎮圧に向かった寺はいずれも深い堀と高い塀を備え、周囲はぬかるみで容易に攻められる構造ではなく、命じられた武将たちも自分の身内や家臣には攻撃をしにくいし、寺を攻撃すればバチが当たると思う者もたくさんいました。あまりに士気の上がらない状態を危惧した石川数正(松重 豊さん)が「方々、これはやらねばならぬことじゃ。寺方についた家臣たちは不忠者。ためらわず成敗すべし!さもなくばもっと面倒なことになる。」と皆を説得しました。家康側と一向宗徒との全面戦争が始まりました。寺は堅固なつくりなので大久保忠世(小手伸也さん)らは用心して向かったのですが、寺側は想定以上に鉄砲を持ち、子供でさえ投石で参戦してくるので、家康側は思うように鎮圧できない状態でした。勝気の本多忠勝(山田裕貴さん)でさえ「寺の者たちは死ぬことを恐れないし、それどころか極楽に行けると喜んでいる。手柄や俸禄のために戦うやつとはわけが違う。」と、いつもと勝手が違う戦に戸惑っていました。そして戦で寺側についた身内を自死させてしまった夏目広次(甲本雅裕さん)は家康に、以前のまま寺の特権を認めて欲しいと訴えました。しかしそれをすれば家康が空誓に屈したことになり三河統一ができなくなると数正が泣く広次を諭し、忠次も明日以降も引き続き寺を攻める、心してかかるようにと皆に伝えました。戦いかたを知っているかのような寺側の動きに、家康は寺には誰か軍師がついているのではないかと考えていました。ところが寺には軍師のみならず、かつて家康を討とうとした大草の松平昌久(角田晃広さん)や、家康が織田との同盟のためにやむなく敵対した吉良義昭(矢島健一さん)が味方についていて、好機到来と喜んでいました。さらにこの二人に呼応して岡崎を取り囲む上野の酒井忠尚、八ツ面の荒川義広、桜井の松平家次らが次々と謀反を起こし、三河は大きな内乱状態になりました。空誓は門徒たちに「阿弥陀様は常にわしらと共にいらして必ずお救いくださる。極楽浄土にお迎えくださる。」と呼びかけて煽っていました。次々と出る離反者に家康はすっかり疑心暗鬼になっていて、服部半蔵に家臣たちを見張るように命じました。またそのころ同時に寺側の者たちが家康の家来たちに個々に接触し、吉良側につくよう本多忠勝や榊原康政にも密書を渡していました。主だった家来たちは一瞬は迷ってもほとんどそれに応じませんでしたが、夏目広次は誘いの手に落ちて離反してしまいました。家康は広次の裏切りを信じられませんでしたが、家康が広次を軽んじていると「本人及び周囲が感じている」と、数正は家康の落ち度を指摘しました。そして酒井忠次が来て城内に調略の文が飛び交っていることを報告しました。激しく動揺してうろたえる家康に忠次は、とにかく残る家臣たちをまとめるのが肝要と助言していたら、そこに服部半蔵が現れました。服部党を引き連れた半蔵を見て数正は思いつき「一向宗徒は所詮は烏合の衆。中に潜入しやすい。もはや手段を選んでおられぬ。」と家康に進言しました。そして家康は半蔵に「本證寺に潜り、住職 空誓と軍師を亡き者にせよ。」と密命を出し、半蔵は女大鼠(松本まりかさん)たちと共に寺に潜入しました。半蔵たちは空誓と軍師の暗殺の機会を狙っていましたが失敗、しかし謎の軍師が本多正信であることをつきとめました。しかし家康側は相変わらず劣勢で、ついには手勢が足りなくなる事態に。そこで家康は自らが出陣して、寺の側についた家臣たちに自分への忠義を改めて問おうと考え、具足をつけて危険を覚悟で出ていきました。寺側のことをよく知る土屋重治(田村健太郎さん)から、北側から攻めれば敵は手薄と聞いた家康はそれを受け入れ、攻撃を開始しました。家康が現れると寺にいる松平の家臣たちは、さすがに我が殿は斬れないと慌てて逃げていきましたが、寺の中に入ると銃で家康を待ち構えていた者がいました。兜に銃弾を受けて倒れこんで意識がもうろうとする中、家康の脳裏を巡っていたのは、かつて駿府で今川義元から問われたことでした。「この天下の主であるは誰ぞ?」ーーその答えとして義元は「あの者じゃ。あの女じゃ。あの子供じゃ。」と次々と民衆の一人一人を指していきました。そして義元は力を込めて言いました。「よいか。あの者たちが汗水たらして得た米と銭で我らは生きておるのじゃ。我らは民に生かしてもらっているのじゃ。民に見放されたときこそ、我らは死ぬのじゃ。」と。家康がそのことを思い出していると気がつけば武器を持った門徒たちに囲まれていて、門徒たちは家康に一斉に襲い掛かってきました。家康がもうダメかと思ったとき、土屋重治が自分をかばって刃を受けていました。それから意識を失った家康は家臣たちに助けられ、城に戻っていました。自分をかばった重治のことが気になり様子を見にいくと重治は瀕死の状態でした。重治は最後の力をふりしぼって、自分は殿を罠にはめたと詫び、裏切り者がまだ近しい家臣にいると言い、息絶えました。重治が残した言葉に動揺した家康は再び疑心暗鬼となり、さらなる裏切り者がこの中にいるのかと不安になって、瀬名の手を引いて自室に戻っていきました。瀬名を部屋に閉じ込めた後、庭に服部半蔵がいることに気がつき、命じたことの進捗を訊ねました。空誓の暗殺は失敗、そして軍師は本多正信であると半蔵の報告を受けました。