大河ドラマ『どうする家康』第15回~頼れる年長者の酒井忠次と石川数正、徳川家康には最高の家臣団あり!
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。この回は、元亀元年(1570)4月の金ヶ崎の戦いを軽くすっ飛ばした代わりに、同年6月末の姉川の戦いを徳川家康(松本 潤さん)の葛藤と共に丁寧に描いた回でした。岡崎の領主となった頃にくらべたらうんとしっかりしてきた家康だけど、まだまだ苦労知らずの世間知らずで、理想を思い描いて判断しようとする甘さがあります。そんな頼りない主君を年上の石川数正(松重 豊さん)と酒井忠次(大森南朋さん)が見事に支えています。家康が信長や将軍など、重要人物と会うときは必ず同行して主君の言葉をフォローし、情に流されやすい主君を諫め、時には叱り、でもいざという時は主君が決断したことに命をかけて従う覚悟を持ってます。今回は特に、忠次@大森南朋さんの演技に見入りました。織田家のようなピリピリした空気じゃない、年長者から若者まで家臣でも主君・家康に対して忌憚のない意見が言える「チーム徳川」。この先まだまだ歴史的に大きな出来事に出会っていく徳川家だけど、どう対応していくのか、楽しみです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 元亀元年(1570)4月、越前の朝倉義景を討つために織田信長(岡田准一さん)とともに出陣した徳川家康でしたが、味方であるはずの信長の義弟である浅井長政の裏切りによって窮地に立たされました。28日、信長を京へ逃がすために敦賀の金ヶ崎で木下藤吉郎(ムロツヨシさん)と共に殿(しんがり)を務めて、やっとのことで家康も京に戻ってこれました。ところが藤吉郎は、家康を危険な殿をせざるを得ないように仕向けただけでなく、信長へはわざとらしい怪我の演出をして「自分だけが殿をやった」と家康の働きをなかったことにして、大袈裟な報告で手柄を独り占めまでしていました。呆気にとられて何も言い返せない家康でしたが、信長はちゃんと家康の殿の働きを知っていたのでしょう。藤吉郎には思いきり蹴飛ばしてから「よくやった」と褒めていました。そして家康には(おそらく褒美の)コンフェイトを4粒、土産に渡していました。(あの蹴りは、鎧の上からでも痛いと思います)徳川家康(松本 潤さん)は一旦は岡崎に戻ったものの、浅井・朝倉の両軍と戦うために6月にはすぐに出陣となり、岡崎の留守居を大久保忠世に任せて北近江の姉川に織田軍と共に布陣しました。軍議の後は徳川が新たに切り取った遠江の話になり、今普請している見附城には酒井忠次(大森南朋さん)が城代として入ることを信長に報告しました。ところがそれを聞いた信長は、遠江を治め武田を抑えるために、見附城ではなく引馬城に家康が自らが入るよう、そして引馬城の名も変えるよう命じました。家康は岡崎城があるからと反論しましたが、信長は岡崎は息子の信康に任せよ(信康の嫁は信長の娘)と強く言うので、家康と信長が険悪な雰囲気に。柴田勝家が家康に陣で備えるよう促して場を収めたのですが、家康の去り際に信長はさらに、この戦いの先陣を切るよう命じました。徳川の陣に戻った家康でしたが、このところの信長の強圧的な物言いや絶対的な命令を思い返していて、無性に腹が立っていました。鳥居元忠(音尾琢真さん)は家康をなだめ、また本多忠勝(山田裕貴さん)は「徳川は織田の家臣ではない、指図される覚えはない。」とそれぞれに家康に共感していたら家康の怒りが増大して信長を大声で批判するようになりました。忠次が家康を諫めていたら、そこへ敵・浅井長政からの文が届きました。文には「信長の戦いに義はない。共に信長を討とう。」と家康に寝返るように書かれ、側近たちにも緊張が走りました。そうこうしているうちに姉川の対岸に1万の浅井・朝倉軍が布陣し、いよいよ決戦の時が近づいてきました。(6月28日)姉川を挟んだ徳川勢の前には朝倉勢が布陣しました。家康の動向が気になる信長は藤吉郎に徳川勢の動きを見張るよう命じました。一方、徳川の陣では主君・家康が浅井長政からの文で気持ちが揺らいでいるのが誰の目にもわかるし、浅井から文を受け取ったと信長に知れたら大事になります。忠次はその文を早く燃やしてしまうよう石川数正(松重 豊さん)に言い、数正が文を火にくべようとしたのですが、家康はその文を取り返してしまいました。家康の迷いと動揺が強くなって陣幕の中に入ってしまったので、数正は平岩親吉(岡部 大さん)に誰も中に入れないよう見張りを命じました。そして家康が出した結論は、浅井に味方して信長を討つ、ということでした。若い側近たちが家康に同意して信長を討つ士気が上がると忠次が皆をたしなめたのですが、家康は「信長に義はない」と忠次に言いました。それでも忠次は「義とは何か?殿は、皆はわかっておるのか?義なんてきれい事。これは我らと織田勢を引き裂くための浅井の策略。乗ってはいけない!」と強く進言し、すぐに冷静になった榊原康政(杉野遥亮さん)も「我らが織田に矛先を向けたとたん朝倉に背後から討たれる。」と考えを改めました。しかしこうして迷っているうちに朝倉が動きだし、攻撃を始めない徳川勢に対し信長はほら貝で催促を、さらに鉄砲まで撃ち込んで出撃を催促してきました。主君・家康がまだ浅井に付くことを望むので、忠次はその理由を訊ねました。家康は浅井長政の人柄が好きだからと言い、側近たちは呆気にとられ、忠次は「一度会っただけで何がわかるか!」と語気強く主君を叱りました。しかし家康の胸中には信長や将軍・足利義昭への怒りがあり納得できません。では織田勢に攻めかかるか?と腹をくくった忠次が家康に問い、続けて数正が「今なら信長を倒せる。しかし倒した後、信長亡き後、天下は?三河と周辺国との関係は?桶狭間の後のぐちゃぐちゃをもう一度やるのか?もう一度やって生き延びられるとお思いか?」と問いました。そしていよいよ朝倉軍が川の中ほどまで迫ってきて、家康はようやく「敵は、浅井・朝倉!」と決断し、長政からの文を破り捨てました。徳川勢が動き出したことで織田勢も動き出して総攻撃になり、両軍の総勢3万が戦ったこの合戦では織田・徳川の大勝利となりました。しかし敵将・浅井長政を取り逃がしていて信長は不機嫌であり、明智光秀から徳川勢の出撃が遅かったのではと指摘をされました。信長は、敵を引き付けていたからという家康と忠次の理由を受け入れたものの、いつもの“信長流”の荒っぽい可愛がりで「これからも判断を間違えるな。」と家康に釘をさしていました。(ジャニーズの先輩でなければできない荒業)姉川から逃げ帰った浅井長政(大貫勇輔さん)が小谷城に戻ると、そこには出陣前に織田に戻ってもよいと自由の身とした妻の市(北川景子さん)がいました。兄・信長の性格をよく知る市は「兄は一度裏切った者を決して許さない。私も覚悟を決めた。兄を、織田信長を討ち取りなされ。」と夫・長政に告げました。一方この戦の後の甲斐では、武田信玄が側近たちと軍議を開いていて、徳川が切り取ったばかりの遠江を混乱に陥れるための攻略を仕掛け始めました。さて家康は岡崎城から遠江の引馬城に入ることになり、嫡男・信康(寺嶋眞秀くん)を呼んで、今日からは信康が岡崎城の主であることを伝えました。妻の五徳(松岡夏輝さん)と共に、母・築山殿の言うことをよく聞いて勤めに励むよう二人に言い聞かせました。信康の守役として岡崎に残る平岩親吉は、駿府時代も一緒だった主・家康と離れ離れになるのが悲しくて涙していました。そして家康もまた、妻の瀬名と離れ離れになるのが寂しくて涙していましたが、瀬名は引馬の新しい名前「浜松」を手土産にして家康を送ってくれました。そして家康は改名して「浜松」となった地に移りました。しかし信玄の裏工作もあってか家康は遠江の民たちには歓迎されておらず、家臣たちも気が休まりませんでした。そんな中、新たな領主となった家康の入城を祝って土地の子供たちが祝いの舞を披露したいという申し出があり、家康も喜んで受け入れました。家康の前に着飾った娘たちが現れて、賑やかな音楽とともに明るく華やかな舞が始まり、戦続きや移動で忙しかった家康も疲れを忘れて楽しんでいました。しかし突然、その中の一人の娘(に扮した井伊虎松;板垣李光人さん)が家康をめがけて襲い掛かってきて、家康は寸でのところでかわして取り押さえました。