大河ドラマ『どうする家康』第20回~井伊虎松(後の猛将、井伊直政)家康の小姓に、しかし岡崎では瀬名と五徳の間に亀裂が
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。今回は主役の徳川家康(松本 潤さん)は重病ということで出番は少しでしたが、家康の正妻の瀬名(有村架純さん)が大きな存在感を見せました。ただドラマの中で、この時代の価値観はどうだったのだろうと思う箇所はありました。序盤で岡崎を守る徳川信康(細田佳央太さん)は、いよいよ武田が攻めてくるとなってナーバスになってて、そこに正妻で織田信長の娘である五徳(久保史緒里さん)から嫌味を言われ、面白くなくて互いに言い合いとなった場面。家臣たちのいる前で、互いに政治的な意味合いを持つ発言をする夫婦喧嘩はしてもよかったのか。あるいは足助城での戦から戻ってきた負傷兵を、城主・信康の母である瀬名は率先してやってたけど、五徳は何も手伝わないどころか兵を汚いとまで言い、それを瀬名が皆の前で五徳を叱りつけた場面。命を懸けて戦う兵たちのためにも五徳をびしっと叱ってやる瀬名が正しかったのか、あるいは五徳を奥に入れて家臣たちにはわからないように叱ってやるべきだったのか。どちらが好ましいかを考えるまでもなく、双方が思うままに言動をしてしまったので、これらが後々に与えるであろう影響が気になるところです。ただ面白いと思ったのがネットでの反応です。私は五徳の言動を、年齢がたとえ今でいう高校1年ぐらいであったとしても、城主の妻となったからには家臣を傷つけるような言動はどうか、と考えました。しかしネットでは「五徳ちゃん」でトレンド入りするほど、多方面の意見が寄せられていました。そういう考えもあるのかと思いました。 ⇒ ⇒ こちら それにしても、主役の家康を演じる松本 潤さんをはじめ徳川家臣団の皆さま、回を重ねるごとに殺陣がだんだんと様になってきているように感じました。前回の松本さんの素振りのシーンもカッコ良く決まっていましたが、今週の室内での殺陣でも、本多忠勝役の山田裕貴さんや榊原康政役の杉野遥亮さん、そして井伊虎松の板垣李光人さんが魅せ場を作ってくれました。若い役者の皆さまも時代劇にふさわしいように、見えない所で和装での所作や剣術の稽古に励んでいるのでしょう。こういった部分もこのドラマ楽しみの一つであります。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #どうする家康 岡崎市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 静岡市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 浜松市の大河ドラマ館、開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 天正元年(1573)、武田信玄の死を確信した徳川家康(松本 潤さん)は武田に奪われた所領を取り返すために家臣も一丸となって懸命に動き回っていました。しかし信玄亡き後、武田を継いだのは織田信長もその才覚を恐れる武田勝頼で、翌天正2年には家康はさらに武田に領土を奪われ高天神城も落城していました。天正3年(1575)、父・信玄の3回忌を終えた勝頼は、これからは自分の思うようにやると宣言し、家康の所領の岡崎に狙いを定めました。その岡崎では、家康の治世に不満を持つ家臣たちが武田の調略に乗り、家康に反旗を翻そうとしていました。武田勝頼が動き出して足助城とその先の岡崎城に向かっている、との知らせを受けた家康でしたが、重い病にかかり浜松から動けなくなりました。その岡崎の城主は家康の嫡男・徳川信康(細田佳央太さん)で、武田との戦に備えてかなり緊張していました。そんな中で正妻の五徳(久保史緒里さん)から父・家康に対する嫌味を言われ、信康もつい五徳の父・信長を批判、五徳もまた負けじと言い返して家臣たちの前で二人の口論が止まらないので、瀬名(有村架純さん)が二人を諫めました。そして信康は岡崎の留守居を大岡弥四郎に任せ、武田に奪われた足助城を勝頼が入る前に奪い返すために、信康が自ら総大将となって出陣していきました。ところが徳川勢は予想した以上に武田にやられ、多くの兵たちが深手を負って岡崎城に逃げ帰ってきました。城主・信康の母である瀬名は先頭にたって負傷兵の手当に働き、兵たちの血や汗にまみれた体にためらうことなく手で直に薬を塗ってやり、兵たちに労りの言葉をかけていました。でも正妻の五徳はそんな兵たちの有様を離れた場所で見ているだけでした。瀬名は五徳に手当を手伝うよう促しましたが、五徳は拒否とともに「このような汚い男どもに触れることはできない」とまで言いました。五徳の言葉に怒りが湧いた瀬名は思わず「汚いとは何事か!三河のために戦っている者たちぞ!」と皆の前で声を荒げてしまいました。皆の前で叱られた五徳は反省するどころか「私は織田信長の娘じゃ!無礼者!」と姑の瀬名に言い返して奥に入ってしまいました。その後で信康や石川数正らが瀬名のところに来て、こちらの動き武田に読まれているようだから籠城戦にすると瀬名に報告、同行していた大岡弥四郎はこの城なら心配ないと瀬名に伝えていました。その頃、浜松ではまだ家康の病状は回復せずに家老の酒井忠次が家康の代わりを務め、忠次は本多忠勝と榊原康政の手勢と、そして二人に井伊虎松をくっつけて岡崎の応援に送り込んでいました。夜になり、岡崎では昼間瀬名に手当を受けた山田八蔵(米本学仁さん)が庭で作業をしている瀬名を離れてじっと見ていました。瀬名が八蔵に近づき何用かと訊ねても「何も。」と言って笑顔を向けてその場を去っていったのですが、瀬名は八蔵の様子が気になっていました。そして寅の刻になり、勝頼の指示を受けた大岡弥四郎を首謀者とする反乱者の一味は二手に別れ、信康と瀬名の寝所に襲いかかりました。しかし被り物をして寝ていたのは、瀬名及び亀姫と入れ替わっていた榊原康政(杉野遥亮さん)と井伊虎松(板垣李光人さん)でした。反乱者たちを捕らえるために康政たちは大乱闘となり、虎松が危うく内通者でこちらの味方である八蔵までも斬りかけて康政に叱られていましたが、無事に一味を取り押さえました。(杉野さんの殺陣、カッコイイですね~。李光人さんもスピーディーで蹴り技とかキレのある動きで、でも小柄だから杉野さんの後ろでブン回されていたのはたぶん李光人さんだと思います。)一方、信康のほうも実は石川数正(松重 豊さん)と本多忠勝(山田裕貴さん)たちが武装して隠れて待機していて、寝込みを襲撃してきた大岡弥四郎(毎熊克哉さん)とその一味を次々と捕らえていきました。もうこれまでと弥四郎は自害しかけましたが、その刀を忠勝が槍の柄で止めて弥四郎を生け捕りにしました。(山田さんの殺陣は、強い本多忠勝らしい堂々とした動きですね。)実はこの襲撃の前に、八蔵の様子に何かを感じた瀬名が八蔵から計画を聞き取り、皆で襲撃に備えていたのでした。岡崎町奉行として重用していた大岡弥四郎が武田に通じていて、こちら側の内情や計画が武田方に漏れていたことを八蔵からの話で知り、足助城での戦で自分たちの戦略が武田に読まれていたことにも合点がいきました。平岩親吉(岡部 大さん)は先に成敗するためにも一味の名を言うよう八蔵に命じましたが、八蔵にはそれはできませんでした。なので一味に決行をさせ、その現場で取り押さえることにしました。捕らえた大岡弥四郎とその一味の尋問が始まりました。弥四郎は初めは反省の弁を述べていましたが、途中からふてぶてしい態度になり、沈む船に居続けるのは愚かと言って本音を語り出しました。「浜松の殿(家康)の才と武田勝頼の才を比べればおのずと。殿はずっと戦をしておる。織田信長にしっぽを振って我らを戦わせている。」と。しかし弥四郎が「信長に追従する限り、戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ!ならばほんのひと時でも欲にまみれて満足したい。」と言いたい放題になった時、五徳が薙刀の柄で弥四郎の腹を一突きして弥四郎を黙らせました。そして「このことは我が父(信長)に仔細漏れなく伝えます。この者たちをしかと、この上なくむごいやり方で処罰なされ。」と言って去っていきました。家康は病状が回復し、岡崎での出来事とその顛末を忠勝と康政から報告を受けて、そして彼らに同行させた虎松のことを訊ねました。武芸には秀でているようだけど小生意気な虎松なので、二人は返事に窮しました。家康は虎松を呼び、なぜ自分に仕えたいと思ったのかを問いました。虎松は「我が家と郷里を立て直すため。民は殿の話で愉快そうに笑うけど、民を恐れさせる殿よりは、民を笑顔にさせる殿様のほうがずっといい。みんな幸せに違いない。」と瞳を輝かせて家康に言いました。そして「殿にこの国を守っていただきたい。心の底では皆そう願っていると思う。それに武田に行ったら自分は出世できないけど、こっちなら・・。井伊家の自分のように由緒ある家臣がいたほうがいいでしょ?」と思うままに述べました。(そう、この家臣が思うままに主君に話をしてしまう、これが徳川家というか、家康の強みだと思います。)そんな虎松に家康は「これより勝頼を叩きに行く。」と言って刀を与え、自分のそばにつくよう命じました。弥四郎による計画は失敗したものの、岡崎を取るのは急がないとした武田勝頼は、進路を南に向けて酒井忠次(大森南朋さん)が守る吉田城を攻撃していました。吉田城付近での両軍の激しい攻防の後、武田勢は突如引き上げていきました。家康も忠次もそれは撤退ではなく自分たちを誘い出すためのものと考えていて、このまま北上して長篠に向かうと読んでいました。一方、岡崎の瀬名は、何かを決意したように八蔵に使いを頼み、武田の間者で歩き巫女の千代(古川琴音さん)を呼び寄せました。瀬名直々の誘いに応じた千代は築山に現れ、瀬名は千代に「昔、お寺で楽しい踊りを。」と11年前の三河一向一揆のことをほのめかして笑いました。そして此度の弥四郎のことも千代の仕業と考えていると伝え、「家臣に手出しされるくらいなら私がお相手する。二人だけで話をしよう。」と言い、瀬名は千代にお茶を点て始めました。