大河ドラマ『光る君へ』第17回~「うつろい」
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、関白の藤原道隆(井浦新さん)の病によって引き起こされる事となった密かな後継者問題に、女院の藤原詮子(吉田羊さん)と今上の中宮・藤原定子(高畑充希さん)の双方が、これまた密かに裏工作に動いていた場面が見どころとなりました。詮子と定子は叔母と姪であり、今上の母と中宮。たとえ親戚であっても互いに隙もなく容赦もない戦いがあって、思わず見入ってしまいました。やることにぬかりない詮子は、3人の男兄弟よりも強く父・藤原兼家の血を受け継いだことをうかがわせます。また、いざとなったら大胆な定子は、父・道隆の力で実力以上の位を得ている兄・伊周よりも、祖父・兼家の血を受け継いだのだろうと感じさせます。入内したものの円融天皇に冷遇されて詮子は強くなり、詮子の産んだ今上に入内し詮子に何かとキツく言われて定子は強くなりました。優しいほんわかした温室のような後宮にいれば弱いままだっただろうけど、冷たい厳しい風を受けて、2人とも運命に鍛えられてしまったようです。2人とも特に権力欲があるわけじゃないけど、うかうかしていたら我が身がどうなるかわからない。だから最善と思う手を先に打っておく。どっちもだてに帝に入内したわけじゃない。男兄弟が思わず感心してしまうほど、賢く強く行動力のある女たちの戦いが面白い回でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 正暦5年(994)京の都では疫病が蔓延し、早急になんとかしなければと思った藤原道長(柄本佑さん)は、悲田院はもういっぱいだから別の救済小屋を建ててはと、兄で関白の藤原道隆(井浦新さん)に進言しました。しかし道隆は疫病の対策には関心はなく、それどころか道長ともう一人の弟の道兼が行動を共にしたその理由を疑っていました。道長は「疫病で都の民が死に絶えたらその害は自分たち貴族にも及ぶ」と道隆を説得するのですが、道隆は「掛かりは宮廷の修理に使う。救済小屋を建てたいなら道長の私費でやれ。」と言い、兄との話し合いは徒労に終わりました。帰宅した道長が妻の源倫子(黒木華さん)に救済小屋のことを話すと、倫子は何の迷いもなく自分の財を使えばいいと道長に言ってくれました。自分のことを信じて財も自由にさせてくれる倫子に、道長は素直に頭を下げました。とはいえ倫子には道長を疑うことがただ一つだけあり、それは悲田院に行った日に道長が一晩どこで過ごしてきたのかということでした。まひろ(倫子のかつての話相手で、夫・道長にとってはかつての思い人)の看病のためにまひろの家に居たと正直に言いにくかった道長は、その場では内裏に戻って仕事をしていたと倫子に言いました。倫子は道長の嘘をうすうす感づいていましたが、この時は追及しませんでした。道長の献身的な看病のおかげで疫病から回復したまひろ(吉高由里子さん)は、書を読んだりして静かに時を過ごしていました。ただあの晩のことは父・藤原為時(岸谷五朗さん)にとっても気になることであり、大納言(道長)とはどういう関係なのだと娘のまひろに問いました。まひろは特別な間柄ではないと言うも、父は道長がまひろを抱きかかえて家に入り、そして道長が一人で看病していたその姿に、道長のまひろへの愛を感じていました。為時はこれをご縁にまひろは道長の妾になってはどうかともちかけました。しかしまひろはそれを否定し、父の望み通りにならぬことを父に詫びました。一方、道長もまひろのその後の様子が気になっていたのですが、自分が動くことができないので、従者の百舌彦に命じてまひろの様子を見に行かせていました。道長は急ぎ救済小屋をつくることに奔走していましたが、疫病が蔓延する都には人手が集まらず、思いのほか苦労していました。それでも道長には、まひろの望む世をつくるべく「やらねばならぬ」という思いが心の底にあり、掛かりが増えてもよいと下級役人に急ぐよう命じていました。その頃、関白の道隆は病が進行して日々の疲れもひどくなっていて、家族の前ではみっともない姿を平気で見せるようになっていました。長男・藤原伊周(三浦翔平さん)はそんな父を労わりつつも、やはり目にはしたくない姿なので、気晴らしにお気に入りの光子(先の太政大臣・藤原為光の三女)のところに行こうとしていました。次男・藤原隆家(竜星涼さん)は、あんな父上の姿を見たくないと素直に言葉にし、兄と同じようにどこかへ出かけてしまいました。(何気ないこのシーンですが、後に伊周が起こす事件のことを知る人にとっては、ドラマの展開の期待にざわつくシーンでした。)道隆の病は日に日に悪くなっていき、ついには帝(一条天皇;塩野瑛久さん)の御前であっても倒れてしまいました。道隆は陰陽師の安倍晴明を呼び、自分の寿命を延ばす祈祷をするよう命じました。しかし間もなく道隆の寿命が来ると感じた晴明は、下級の須麻流に道隆のことを任せ、自分は道隆からもらった病の穢れを払っていました。年が明けた正暦6年(995)、疫病で傾く世の流れを止めるべく、道隆は帝に新しい年号を長徳とする改元をしてはどうかと進言しました。翌月には長徳元年(995)となったものの、関白・道隆が一方的に決めたこれは重臣たちには評判が悪く、藤原実資(秋山竜次さん)は「帝は関白のいうことを何でも聞いてしまう。帝ははなはだ未熟だ。」と不満を漏らしていました。源俊賢(本田大輔さん)は、帝は我々でお支えしようと実資の腹立ちをなだめるけれど、実資は「いくらお支えしても断を下すのは帝だ。」と心配が募っていて、その時のやりとりを実は帝は陰で聞いていたのでした。兄・道隆の病がかなり重いことを人づてに聞いた女院の藤原詮子(帝の生母;吉田羊さん)は弟の道長と次兄の藤原道兼(玉置玲央さん)を呼びました。詮子は、若い頃は優しかった長兄・道隆が権力をもった途端に世のことを思う政をせずに自分たちの栄耀栄華ばかり考えてきたことを批判しました。そして詮子は、順として道兼が次の関白になるべき、出過ぎ者の伊周が道隆の後を継いで関白になるのは嫌だと言い、道兼もまた、父と兄に冷遇されてきたけど妹に助けてもらうとはと、浮き沈みの激しかった運命の不思議を感じつつ、道長にも礼を言っていました。栓子は中宮・定子に夢中の帝(息子)に会うのは嫌だから周囲の公卿たちを取り込んでおく、公卿たちは伊周を嫌っているから自分が一押しすれば上手くいくだろう、と言いました、道長も道兼も、詮子の情報収集力や分析力や行動力に感嘆していました。一方、中宮の藤原定子(高畑充希さん)も父・道隆の容態を案じつつも万一の事態に備えて、兄・伊周を守るために動いていました。内々に先例を調べさせ、父が存命のうちに兄に内覧の許しを帝からもらう、20年ぶりでも何でもやってしまえばいい、とまで言いました。伊周は妹・定子の先を読んで行動する頭の良さや肝の据わった強さに感嘆し、内覧になってしまえば関白になったも同じだから兄妹で共に力を尽くそう、と言う定子の言葉を頼もしく思っていました。“2人の妹”が裏で密かに火花を散らしているそんな頃、病が重くて自分の先はもうないと感じた道隆は弟の道兼を呼び出していました。道隆は道兼に、自分の亡き後は妻と伊周・隆家を支えてやってほしい、酷なことはしないでくれと全力で懇願します。でも兄の公私にわたるこれまでの諸々の事を思うと、道兼は兄にどこか虫の良さを感じて、兄を複雑な思いで見ていました。ある日のこと、先日の石山詣での出来事でずっと音信不通になっていた友人のさわ(野村麻純さん)が、まひろの家にひょっこりとやってきました。まひろは少し戸惑いながらもさわを温かく迎え、さわの近況を訊ねました。さわは疫病で兄弟を亡くしたことで急に人生のはかなさを感じ、またまひろも助かったけど自身も疫病にかかったことを伝えました。するとさわはまひろの手を取って再会を心から喜んで、石山詣での帰りの事と、その後はまひろからの文をいちいち返したことを詫びて許しを乞いました。たださわは、まひろからの文をもらうたびにその文を手本に文字を書き写すという事をしていて、思いがけない行動にまひろは驚きました。さわが帰った後、まひろは文字が持つ不思議な力をどこかで感じていました。自分の寿命がもう近いと感じた道隆は参内して息子の伊周を内大臣にするよう帝に懇願しましたが、先日の実資ら公卿の自分への不満を聞いてしまった帝は、道隆に即答することせず、なおもしつこく食い下がる道隆を下がらせました。帝が期待通りに動かなくて不安になった道隆はよろける体で娘の中宮・定子のところに行ったのですが、道隆のただならぬ様子を見た清少納言(ファーストサマーウイカさん)は直ちに女房たちに御簾を下げさせ中を隠しました。道隆は定子に早く皇子を産めと何かにとりつかれたように連呼し、その様子に定子はどこか悲しみや哀れみを感じていました。そして結局、帝は伊周に関白の病の間だけという条件で内覧を許しました。都に蔓延する疫病はついに公卿たちにも広がりだし、疫病にかかることを恐れて屋敷から出たくないと言う公卿もいました。実資はこの疫病の広がりは全て関白の横暴のせいだ言い、道長は兄・道隆と甥・伊周への批判を複雑な思いで聞いていました。正常な判断もできないようになりよろけながら陣定に出てきた道隆は、伊周を関白にしたい執念で帝の御簾を勝手に上げて中に入り込み、帝に宣旨を迫るという無礼を働いたため、皆に力づくで引きずり出されました。その後、道隆はもう起き上がれなくなって、妻の高階貴子(板谷由夏さん)の看病を受けながら伊周の行く末を案じていました。いよいよ最期の時がきた道隆は、貴子と出会った若かりし頃がふと思い出され、『忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな』と貴子に心を決めたときのあの歌を詠み、長徳元年4月10日、藤原道隆は43歳でこの世を去りました。