大河ドラマ『光る君へ』第21回~「旅立ち」
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回でいよいよ『枕草子』がでてきました。古文が苦手な私は、『源氏物語』は大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』を読むまでは、内容はさっぱり理解できませんでした。でも『枕草子』のほうは出だしの文章がシンプルだったので、わかりやすかったゆえか中学・高校時代にかなり後ろのほうまで読んでいた記憶があります。今回つくづく感じたのは、俳優の皆さんは役作りのために、どなたも本当に裏で猛勉強・猛特訓しているのだなと。ききょうを演じるファーストサマーウイカさんは習字を長らく習っていたそうですが、清少納言を演じるために小筆で書く当時のかな文字をたくさん練習したと思うし、まひろを演じる吉高由里子さんは、自身は左利きなのに右手で小筆を持ってを字を書く練習をかなり積んだと想像しています。そして藤原為時を演じる岸谷五朗さん。中国語をかなり勉強されたことでしょうね。セリフにある言葉だけだとしても、その意味や発音など、基礎知識は必要でしょうから。ラストに出てきた宋人役の大勢の俳優さんたち。たぶん日本人であの喧噪の声を中国語で言っていたと思うのですが、なんてセリフを言っていたのでしょうか。さて、藤原為時が京都から越前に下向する際に通ったとされるルートですが、福井県越前市にある「紫式部公園」に隣接する「紫ゆかりの館」で見ることができます。 ⇒ ⇒ こちら ゆかりの地ということで、これだけ資料を整えて出してくれているので、見応えがあって嬉しいです。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 長徳2年(996)、太宰府に配流となった藤原伊周は帝の命に従わず、さらに逃亡してしまい行方不明となりました。もし伊周が最後にいるとすれば、妹で中宮・藤原定子(高畑充希さん)が下がっている実家の二条第なので、検非違使別当の藤原実資は右大臣の藤原道長を通じて帝の許しを得て二条北宮に伊周の捜索に入りました。捜索中に伊周は見つかったものの、まだ太宰府行きを拒んで見苦しいまでの抵抗を。そんな兄の姿を見た定子は帝の命に従うよう言いますが、それでも伊周は抵抗するので、見かねた母・高階貴子(板谷由夏さん)は自分も一緒に太宰府に行くからと伊周をなだめて説得しました。藤原伊周(三浦翔平さん)は母・貴子と共に太宰府に向けてようやく出立しましたが、その報告を聞いた帝は伊周の愚か過ぎる振る舞いに強い腹立ちを覚え、直ちに母と引き離すよう藤原実資(秋山竜次さん)に命じました。藤原道長(柄本佑さん)と実資は伊周らの後を追い、途中で追いついて母の同行はならぬと帝の命を伝えました。しかし二人はやはり抵抗、貴子は「娘の定子は出家、次男の隆家は配流﨑の出雲に行き自分には伊周しかいない。」と自分の付き添いを乞いました。とはいえ道長や実資がそれに応じられるはずもなく、伊周は騎馬で下向し、貴子は網代車に乗って京まで戻っていきました。ある晩、定子のいる二条殿が火事になり、屋敷は激しい炎に包まれました。父・道隆の死からわずか1年で栄華を誇った一族は没落し、また心が乱れて分別もなく勝手に出家してしまったことを帝が怒っているので、定子は生きる気力を失い、このまま炎の中で命を終わらせるつもりで一人残っていました。でもそこに定子を心から慕うききょう(清少納言;ファーストサマーウイカさん)が現れ、おなかの中の子(帝の子)のためにも中宮は生きなければいけないと必死に説得、定子はまずは生きようと思い直して炎の中を脱出していきました。伊周らの騒動がひと段落し、帝は実資を中納言に昇進させて検非違使別当の役は免じ、道長を正二位・左大臣に昇進させました。女院の藤原詮子(吉田羊さん)は兄・道隆一家の没落のことをふと考えていましたが、定子が出家したので息子の帝のために次の后を探すことにしました。血筋も年頃もちょうどよい姫がいることに詮子は乗り気になっていて、道長の嫡妻の源倫子(黒木華さん)はそんな詮子の姿を見て思わず笑ってしまいました。倫子の笑いが気になった詮子が問うと倫子は、呪詛されて枕も上がらなかった詮子があまりにも元気になった、そういえば父君の兼家も仮病が得意だった、もしかしたら詮子は仮病だったのでは?と言って匂わせました。やはり倫子には見抜かれていたとわかった詮子は怒ることもできず、その場を濁して話を終わらせました。さて実家の火事から逃れた中宮・定子でしたが、懐妊のことは帝にも知らせることができなくて、ききょう他ごく一部の者が知るのみでした。ききょうはまひろ(吉高由里子さん)に定子のことを打ち明け、生きる気力を失って日に日に弱っていく定子をなんとか元気づけたいと相談しました。するとまひろは、ききょうが定子から賜った高価な紙があることを思い出し、二人で紙にまつわる話をいろいろとしていくうちにまひろは思いつきました。その紙に何か書いて定子に贈ってはどうか、帝が「史記」ならば中宮は「春夏秋冬の四季」はどうか、とききょうに提案しました。まひろの提案が良いと思ったききょうは早速、四季を題材にして自分の思いを何か書いてみることにして、心静かに筆をとりました。「春はあけぼの やうやうしろくなりゆく山ぎは すこしあかりて・・・」ききょうはまだ寝ている定子の部屋にその紙をそっと置いて去りました。夏の夜は庭に舞う蛍の光をながめながら「夏は夜 月のころはさらなり・・・」と、そして秋になれば「秋は夕暮れ ゆふ日のさして山のはいと近うなりたるに・・・」と詠んで定子の部屋にそっと置いていきました。でも定子は密かに部屋に来ているのはききょうだとわかっていました。秋も深まったある日のこと、定子が縁側に出てききょうが贈った紙を優しい笑みを浮かべて見ていました。定子のために書き始めたききょうの思いを、定子は受け取ってくれたのでした。間もなく越前守として藤原為時(岸谷五朗さん)が出立するにあたり、道長は為時を呼び出しました。道長は「我が国では筑前の博多の津のみで宋との交易を許しているのに、70名もの宋人が若狭に突然きて交易を要求してきた。今はその者らを越前の松原客館に留め置いているが、朝廷は越前に新たな商いの場を作る気はない。商人が大人数で来るのはおかしい、彼らは商人ではなくて官人か戦人かもしれない。」と越前の情勢を為時に伝えました。そして道長は「その者らに交易は博多の津のみと了見させ、穏便に宋に帰すこと。これが越前守の最も大きな仕事と心得よ。」と越前での役割を為時に命じました。為時とまひろがいよいよ越前に出立する日が近づき、為時の家では送別の宴が開かれていましたが、越前行きには為時の想定していなかった重い任務があり、真面目な為時は少々気が重くなっていました。それを見た藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が、土地の者とうまくやれば国司はいい儲けができると言ってみたり、まひろは宋人のよい殿御と出会って宋の国に行ってみたいとか、各々が勝手に話していました。そんなところに為時の嫡男の藤原惟規(高杉真宙さん)が大学寮から急ぎ戻り、文章生になったと父に喜びの報告をしました。めでたい報告で惟規は祝杯を受け、一家は二重の喜びにわきました。そして惟規の乳母だったいと(信川清順さん)は、惟規のために自分は越前に行かないと為時に伝え、為時もいとの気持ちを了承しました。越前に発つ前に、まひろはどうしても道長に会っておきたくて文を出しました。まひろの求めに応じて道長はちゃんと来てくれました。まひろは道長にまず父・為時の昇進のことの礼を言い、そして世間では中宮や伊周のことで道長が悪く言われているので、その真偽が気になって訊ねました。道長はあっさりと噂の事を認めましたが、道長の顔を見てそうではないことがまひろにはすぐわかり、まひろは道長に詫びました。そして二人で昔語りをしながらこれからの自分たちを考え、互いに体を大事にするよう言葉を交わし、かつて愛し合った互いを思いながら別れとなりました。翌朝、父・たと共にまひろは越前に出立しました。琵琶湖を塩津の湊まで舟で北上し、そこからは山道を進んでで越前入りしました。この画像は福井県越前市にある 「紫ゆかりの館」 で展示されている資料です。当時は京都市から越前市まで5日がかりだったのですね。(館内の資料の写真撮影とSNSへのUPは館内の方に許可を頂きました)「紫ゆかりの館」に展示されている、「下向行列の和紙人形」です。ドラマでもあったようにかなり大掛かりな行列が越前和紙で製作されています。ただの荷物持ちだけでなく、弓矢が使える武人や陰陽師もいます。為時は越前国府に入る前に、宋人たちがいる松原客館に立ち寄りました。しかし着いて早々、為時の目に入ったのは宋人たちが何かもめているのか、互いにつかみ合って怒鳴り合う姿でした。為時は宋語で静かにするよう言い、自分が越前の新しい国守であると告げました。すると宋人たちは、今度は一斉に為時のほうを向いて何かを言い立て始め、為時もまひろもただ茫然とするばかりでした。